66:バッド・オーバー
「……酷い殺され方をしたんだ。思い出すのも辛いくらい」
アージェンはぽつぽつと語り始める。“あれ”の光景を想起すると同時に、嫌な汗がどっと吹き出始めた。
「慢心を、油断をしたんだ。強くなったから、死んでも平気だから……そんな風に。
友達の友達を助けようとして、敵地に乗り込んだ。そこで、助けたかった奴の変わり果てた姿を見て、動きを止めちまった。
酷い状態だった。首を落とされて、バラバラにされて、喰われていた。それで、一緒に来てた仲間も殺されて、わたしは捕まって……」
筋道立てて分かりやすく説明する事が、全く出来ない。だが、そこにレオロが突っ込みを入れる事は無かった。
「同じ目に遭った。殺されてた奴と、同じ目に。
普通に殺せば、死体が消えて蘇っちまうから、死なないように、回復魔法を掛けられながら。動けるようにはならないよう、しかし死ねないように。
ずっと、意識がハッキリ、しててな。あいつら、が、わたし、たべるの、みてた。わらって、た。じぶんののーみそ、くちにつっこまれ、まずかった」
どうにか事実のみを思い出していたのに、徐々にそれに伴われる感情も復活し始める。段々と台詞が舌ったらずになってゆく彼女に、レオロがすっと近づいて来て手を取った。
「大丈夫だ、ここには俺しか居ないから」
ひんやりとした骨張っている手が、アージェンの両手を包み込む。本当に大きさが全然違う。こういう手で背中をさすってもらえたりしたら、さぞかし心地よいのだろうな、実際そうだったし、等と考える。
「ありがと。話、続けるね。続けたいから」
「……無理はするな」
彼の手をぐにぐにと弄ると、感情の波浪は少しずつ凪いでいった。それとなく離れようとする彼を、手を強く握って引き留めれば、彼は肩を竦めながらその場に留まった。
膝を付いて身を落ち着けるレオロに、アージェンは無理矢理笑い顔を作ってみながら、更に言葉を紡いでゆく。
「それで、ね。とても苦しかったんだ。首を落とされて尚生かされるのって、すんげえ痛いんだよな。息も出来なくて声も出なくて、死ぬかと思った。実際一度死んだんだけど。
怖かった。ずっと叫んでたよ。助けを呼んでた、と思う。でもな、誰も来ないんだ。当たり前だよな、声出ないんだもん。
だけどな、本当に心細くて……死ぬかと思った。死んでも大丈夫なんだけど、でも死ぬのは怖い。痛いのは怖いよ。怖いけど、誰も居なかったんだ」
努めて明るい声音にして、湧く恐怖を中和しようとする。だが涙声が混ざり始めるのに、そう時間はかからなかった。
「あんまり詳しくは覚えてないんだけどさ。なんやかんやで、仲間が助けてくれたみたい。暫くは酷い有様で、碌に会話も出来ない状態だったらしいけど。
でもな、もの凄く怖かった事とか、心細かった事とか、そういうのは覚えてるんだ。今も……その残滓が有るくらい」
レオロの手を握る力を強める。この低い体温を放したくなかった。
「ずっと、死にたくて死にたくて仕方がなかった。逃げたいんだよ、もう絶望したくないから、生という病から逃れたかった。けど、死ねないんだよ。確実な死は無い。最後の希望すら、わたしには無いんだ。
逃げられないから、進むしか無い。けど、立ち直れる程わたしは強くない。いっその事狂っちまって、理不尽に怯えて好きに泣いてられる程弱くもない……」
抑えきれなくなった涙が零れ、彼の手の上に落ちた。どんどんと聞き取り辛くなる声で、彼女は自らを満たす願望の全てを吐露してゆく。
「逃げ道が、欲しい。何も死神じゃなくたって良い。ただ、わたしの絶望の受け皿が欲しいんだ。
背水の陣はもう嫌だ。逃げ込める場所が……着の身着のままのわたしでも、受け入れてくれる所が必要なんだよ。『ここに居ていいよ』って言ってくれる人が、欲しいんだ」
それが、根本の望みであった。頑張らなくても良い所が欲しい。美しい仮面を被っていなくても、本当はぐしゃぐしゃで醜い姿だったとしても、肯定してくれる人に居て欲しい。
アージェンは徐に立ち上がる。それに追随するレオロに対し、彼女は少し小さい声で言う。
「なぁ、レオロ。あんたは……あんたなら、そうなってくれるか。わたしを支えてくれるか。
……あんたらを率いて来た“アージェン”に対する慈悲だというなら、もう構うのは止めてくれよ。それなら聞かなかった事に──」
「なろう」
こちらが一方的に強く握っていた彼の手が、アージェンの手を掴み直した。静かに彼女の告白を聞き続けていたレオロが、その沈黙を破り、答を紡ぎ出す。
「お前がどうあろうが、俺はお前を支えたいと思っている。あー、だからさ、その……難しい事をうだうだと考える必要は無い。
いつしか、お前は俺を救ってくれただろう。不本意にとはいえ、魔物の身に堕していたこの俺を。遅くなったが、その返礼とでも思え」
「……あれは、高確率でわたしの利益になる事が分かってたから」
「なら、俺もそうだ。これはこっちの益にもなる」
さっき言った『貸し一つ』の事だろうか。一体何を頼まれるのだろう、と少し考える。
けども、余計な思案に割く気力はすぐに尽きた。握っていた手を離し、それをそのままレオロの首へと回す。
「じゃ、胸、貸して」
軽く背伸びしながら、アージェンは相手に抱き着く。すると、レオロは少し背を屈めさせ、彼女を支えるように背に手を添えた。
「怖かったんだ」
「ああ」
「苦しかったし、痛かった。嫌だった」
「……ああ」
「寂しかったんだ。ずっと、ずっと。皆居なくなっていって、もう無くしたくなくて……必死になってた」
相手の顔を見ようと思える程の勇気は無い。彼女は俯き、角が相手を傷付けないようにしつつ頭を胸に押し付ける。
強く求めれば求める程、それが失われた時の嘆きは深まる。だがそれでも、彼女は誰かの温もりを求めざるを得ない。ひとりぼっちで生きていける性分ではないから。
「レオロ、あんたは、あんただけは、居なくならないで……わたしを置いていかないでよ。お願いだ、頼む……」
くぐもる懇願に、彼女の背を引き寄せながら彼は答えた。
「分かっている。俺は居なくならん。……お前もここに居てくれ」
口約束に意味なぞ無い。居なくなる時には居なくなるのだ。だけども、その台詞は確かに彼女を安堵させ、そして最後の堰を破壊した。
「う、ううあ、れお、ろぉ……」
何かを言おうとしたが、彼女の声はもう意味有る言葉を乗せる事は出来なくなっていた。やがて思考回路までもが機能しなくなる。
もう涙は止まらない。口を開けば嗚咽ばかりが溢れる。だがその声は、荒れ狂う激情に蹂躙されての慟哭ではなく、溜め続けてきた悪感情を昇華するための泣き声であった。
(こんなに安心したの、いつ以来、かな……)
自分より大きな存在に縋るのが、こんなにも心地の良い行為だとは思わなかった。今は、今だけは、頑張る必要は無い──それを伝えるようにレオロは、足腰から力が抜けてゆく彼女を、強く抱き締め支えた。
窓から朝日が差し込んできている。どうやら夜明けが来たらしい。目覚めた鳥たちのさえずりが聞こえる中、散々泣き尽くしたアージェンは、穏やかな微睡みへと引きずり込まれていった。
意味も感情も伴われない、ただただ理不尽で奇妙な展開が繰り返されるだけの夢。目覚めれば明確な認識の奔流に洗い流されてしまうような普通の夢を、一体どれくらいぶりに見たのだろう。
泥のような眠りから目を覚まし、アージェンはぼうっと目蓋を開いた。どうやら早朝から夜まで眠りこけていたようで、部屋は暗い。窓から差し込む月明かりを頼りにじっと目を凝らすと、ベッドに寝かされているらしいという事が分かった。
腫れぼったい目元に手を当てながら、彼女は徐に起き上がる。そしてぼんやりと部屋の中を見回すと、椅子の上で膝を抱えて座っているレオロの姿が捉えられた。
「んー、レオロ……えーと……」
眠りに落ちる直前の記憶をたぐり寄せ、何故彼がここに居るのかを思い出す。どうやら、ああして泣きついた後、そのまま眠りに落ちてしまっていたらしい。
彼女の身じろぎと腑抜けた声に、レオロも気付いて顔を上げる。マフラーを緩く巻いた彼は、身を起こしたアージェンにこう声を掛けた。
「やっと目が覚めたか」
「ん……ごめん、退屈だったろ、こんな所で」
「俺も寝てたから、問題無い」
アージェンがベッドを占領していたから、あの体勢でずっと寝ていたというのだろうか。野宿にも慣れてる彼なら、屋根と壁が有れば快眠出来るレベルに鍛えられてるのかもしれないが。
「ふーん……ま、ともかく、ありがと。久々に何も考えずに眠れた」
「なら、良かった」
「けどよ、眠たかったってんなら、添い寝してくれたって良かったんだぜ?」
薄ら笑いを浮かべながら、ぽんぽんと布団を叩く。場を和ませる為の軽いジョークだ。だがレオロはそれに対し、まず腰を浮かしかけ、直後大きな音を立てて座り直しながら手で顔を覆った。
「ばっ、おまっ、お前なっ……!! そういうの言うの止めろよな……こっちが本気になったらどうすんだよ!」
「な、何だよ、冗談だって……つか、わたしはちんちくりんで守備範囲外なんじゃなかったのか?」
「あれは、その、一般論っていうか……お、俺自身は小柄な女性は好みというか……って、何を言わせるんだッ!」
成る程、という事は、彼はアージェンをそういう目で見る事も可能なわけだ。数度彼女は瞬きをし、えも言われぬ居心地の悪さを感じて、顔を伏せさせる。
「えー、とにかくだな……何か色々乗り越えられたなら良かった。また俺の手が必要だったら呼べ。あと、ああいう冗談はくれぐれも俺以外には言うな」
「はいはい。……あんた相手になら言っても良いの?」
「アホか。しまいにゃ真に受けるぞ」
眉間に深く皺を寄せて返したレオロに、ここらで終えておくか、とアージェンは軽く笑う。そしてインベントリからフード付きの外套を取り出して纏いながら、彼を元の場所に送り返す為の転移を準備し始めた。
レオロを指定された場所に送り返した後、宿舎に戻って来たアージェンは、外套を脱ぎながらううんと身体を伸ばした。久々にゆっくり眠れたお陰か、何とも身体が軽い。
メンタルの調子が向上すれば、体調も良くなる。身体が良くなれば、頭の回転も冴え渡る。がむしゃらに立ち直ろうとしていた時のガタガタ具合からすれば、嘘のような具合の良さだ。病み上がりも良い所だから、調子に乗ってはならないだろうが。
(ま、これなら、プレイヤーの云々に向き合う事も出来るでしょう)
頑張らなくても良いから、頑張れる。逃げても良いからこそ、逃げずに立ち向かえる。逃げ道が有るというのが、こんなにもモチベーションに影響を与えるとは思わなかった。
(それに、夢を見ずに済んだ、ってのは、“わたし”にも何となく決着出来たんだろうな、あれで)
“アージェン”という理想と“五条あけみ”という現実の矛盾に歪んでいた精神が、一度バラバラに分解されて、レオロによって組み直された。そうする事で、撓みも消えてくれたのかもしれない。
装備画面を開き、ずっと寝間着のままだった装いを、普段のものに変更する。機能装備もいつもの鎧で固め、メイスや盾もインベントリの取り出しやすい位置に移動させた後、最後にベッドの上に放られっぱなしだった通信腕輪を取り、左腕にはめた。
(さて、何しようか。最優先の目的は『レオロたちの安全の確保』だとして……状況把握が先決かな)
今までは何もしなくても入って来る情報しか目にしてなかったから、まずは能動的に情報を集めて判断材料を増やす必要が有る。何処何処の現状、プレイヤーたちの様子、元《蓮の糸》について、ジャディスリィの動向等々。
地雷を踏まないように、厄ネタを抱え込まないように、しかし必要な情報は得られるように動く。何ともタイトロープな道筋だが、最悪落ちても下にはクッションが有る。
(あ、あと、約束すっぽかしたのの謝罪も……)
待ち合わせを思いっきりブッチしてから、結構経っている。相手からの催促がレオロからの物以降とんと無い事から考えるに、恐らく彼が上手く取りなしてくれたのだろうが、だからこそ復帰を伝える連絡は入れておいた方が良いだろう。
(ウテウロイに入るなら、年末の祭事が始まる前にやっとかないとな、晴嵐が泣く。……そういや結局、ウテウロイは大丈夫なのか……?)
まず目標とするべきは、その辺りの情報の仕入れだろうか。そんな風に考えを組み立てながら、部屋の戸締まりを確認する。
(……ともかく、ギルドハウスに顔を出そう。後はネリネさんやルシフェルさんに渡りをつけたいけど、後者は出来るのかなぁ……)
バタフライエフェクトと合併したのなら、ここにもそのメンバーが来ている筈だ。ヘイゼルとの交友は至極個人的なものだったから知り合いは居ないだろうが、どういう様子かを有る程度把握しておく意義は大いに有る。
部屋の出入り口の方に歩き、扉の前で振り返って新しい自室を改めて見る。ここも彼女好みにしてしまおうか、まず椅子なり座布団なりの数を増やすべきか、等々考える。
と、レオロが座ってた椅子を視界の中心に捉えた辺りで、胸が奇妙にざわついた。生き血を提供した時のアレとか、泣きついた時のソレとかを思い出して、ぷるぷると震え出す。
「──煩悩ッ!!」
鋭く声を上げ、自分で自分に喝を叩き込む。きっと今鏡を見れば、顔を真っ赤にした彼女が映し出されるだろう。両手を頬に当てながら、声にならない呻きを漏らす。
(いやいや、いくら何でもチョロ過ぎじゃねーか、わたしよ……)
もうとっくに魅了は解いた筈だ。だのに心はこのように波立つ。……意識しているのだろうか、恋愛対象として、レオロを、本当に。
確かに今までも大切だと思ってきたし、外見とか立ち振る舞いとかは好みだなと感じていた。だが、ちょっと優しくされたからって、露骨な危険の後だったからといって、いくら何でもコロッといきすぎではないだろうか。
「落ち着け……冷静になれわたし……」
ぶつぶつと呟きながら、アージェンは考える。多分恐らく、これは恋情、だと思う。既知の分類のどれにもピッタリ当てはまらないし、状況的に見てもその線が一番濃厚だろう。こめかみに手を当て、彼女は目を閉じる。
(落ち着け、アージェン。何にせよ、様子見だ、様子見。この感情が恋だとしても、その為に動くのはもちっと落ち着いてからだ)
盲目的な愛に身を破滅させる結末なぞ、堪った物ではない。後で存分にラブコメやらロマンスをする為にも、十二分に足場を補強しておかねば。
まともな恋愛なんて、“五条あけみ”であった頃を含めても、子供時代の淡い片思い程度の経験しか無い。けども彼女とて大人だ、常識の範疇の感情なら有る程度制御出来る。自分の直情的な部分の手綱を強く握りつつ、彼女は今度こそ部屋を出て鍵を閉めた。
(それに……幸い、完全に脈無しってわけじゃなさそうだし、レオロにも特定の相手が居るふうじゃなかったし)
宿舎の廊下を一人歩きながら、彼女は思考を切り替える。さて、情報を集めるとしてどうしようか──そうしてくきくき首を捻る彼女の顔には、普段通りの不敵に平静な心が浮かんでいた。




