57:徒花の香る夜に
蛍石の月6日。その日アージェンはルシフェルに呼ばれ、ネリネと共に彼の部屋に集合していた。勿論、キュリオスの姿も有る。
これ以上無く憔悴しているふうのルシフェルに、アージェンも彼に降り掛かった事態の深刻さを悟る。暫く彼は自身を落ち着ける為に深呼吸を繰り返した後、やがてゆっくりと話を切り出した。
「……オレの、ディーネイが……失踪、した……」
「なっ……!!」
アージェンは思わずそんな声を上げてしまった。どういう事なのか、以前のストーカー事件と関わりが有るのか、全く別の問題なのか、ぐるぐると推測が脳内を巡る。
「この前のストーカーとは、多分別口だ、と思う……ネリネさん、アイツは完全な単独犯だったんだよな?」
「ええ、そうよ。使える手の限りを尽くして調査したけど、協力者らしい影は見えなかったわ。……完全に無関係かどうかは分からないけど、それとは別の奴ってのは間違いないと思う」
そんな会話を交わしながら、ルシフェルは場に居る四人でのパーティーを組む。そしてPTチャットを通じての会話に切り替え、彼は自身の推測を飛ばした。
『オレはきっと誘拐だと思う。アイツがオレに連絡も無く消えるなんて有り得ないし、通信ピアスにも出て来ないのはどう考えたっておかしい。
の、割には、身代金の要求とかもとんと来ないのだが……犯人がプレイヤーだとすれば、単にロールプレイヤーからNPCを取り上げて遊んでいる、っていうのも成り立つだろう』
『……逃げ出した犯罪者どもか、あるいはそれ以外か』
アージェンも頷く。つい一週間程前、彼女もプレイヤーの民度の劇的な悪化を、片鱗ばかりだが目の当たりにしたからだ。以前だったら《蓮の糸》へ通報するレベルの案件であるが、件の組織は崩壊済みだ。自分たちで何とかする必要が有るだろう。
その辺りで、ネリネがキュリオスに目配せをした。そしてチャットでの問答を開始する。
『キュリオスさん、何か分かる事は有る?』
『はい』
『なら、それは一体どんな物か、次の中から選んで頂戴。
・誘拐の犯人
・ディーネイさんが今居る場所
・これら以外』
『誘拐の犯人、ディーネイさんが今居る場所、これら以外』
要するに全部という事だ。二人の会話は続く。
『まず、誘拐の犯人について話してもらえるかしら』
『解き放たれた悪、腐り落ちた蓮のうてな』
『つまり、逃げた犯罪者プレイヤーと、《蓮の糸》の関係者……もしかしたらキーマさん本人かもしれない?』
『はい』
時折ネリネのシンキングタイムが入るが、会話がそれなりに成り立っている。言葉を挟む隙を見出せず、アージェンとルシフェルはチャット画面をただ見守った。
『ディーネイさんが今居る場所は?』
『ここを起点とし、南西の大地。ヒトならざるモノを蔑む地』
『南西っていうとケヴルーア大陸だけど……心当たり、有る?』
話を振られ、アージェンはマップを眺める。そしてかなり朧げな公式の設定資料集の記憶を引っ張り出しつつ、キュリオスの言葉に沿いそうな所を探し始めた。
『ケヴルーア、だと……あそこは全体的に人外蔑視が根強い所だけど、特に強いのはゾグシェーノって国だわな』
『分かった。キュリオスさん、ゾグシェーノで間違いは無い?』
『はい』
一体キュリオスがどんな推理をしているのかは分からないが、彼女の言う事ならきっと正しいのだろう。ヘイゼルに頼りにされ、独力で魔法の秘密を探り当てた彼女なのだから。
『ゾグシェーノの、大体どの辺かは分かるかしら』
『いいえ』
『流石にそこまでは分からないか……まぁ、国単位まで絞れただけで十分よね。後で情報収集をして、それからまた考えましょ。
さて、最後。これら以外、ってのは一体何かしら?』
一瞬、キュリオスの手が動きを止める。まるで躊躇したかのように。
『止めた方が良い』
数拍程の間の後、発せられたその言葉。意味を汲み取れず、三人が揃って首を傾げていると、追ってチャットが発せられた。
『望むな。止めた方が良い。潰えてしまう。止めた方が良い。望みは無い。止めた方が良い。敵わない。止めた方が良い。止めた方が良い。止めた方が良い』
誰が何を、というのはすぐに分かった。だからこそ腑に落ちない。何故キュリオスは、ルシフェルたちがディーネイを助けようとするのを『止めた方が良い』と断ずるのだろうか?
敵が強くて多いから? それは無い。今のアージェンたちならば、レベル100のプレイヤーに対しても打つ手が有る。最悪死んでも蘇るし、死亡覚悟でカミカゼアタックを仕掛けたって良い。
相手が何枚も上手だから? それも無い。キュリオスの頭が有れば、生半可なトラップや地雷は簡単に避けられる。ジャディスリィレベルの頭脳が相手にも有ったとすると分からないが、それならそれ程視野が広い者が何処何処のギルマスを不用意に刺激するだろうか。
(……まさか)
アージェンの脳裏に、最悪の推測が過る。既にディーネイは取り返しのつかない事になっていて、だから助けようと思うのは止めた方が良い──キュリオスはそう言っているのか。
ネリネも大体同様の考えに行き着いたようだ。二人は目を見合わせ、そしてルシフェルに視線を移す。するとそこには、揺るぎない強固な決意を瞳に宿した彼の姿が有った。
『……オレは何を言われてもディーネイを助けに行くぞ。例え何が有るのだとしても、だ』
不撓不屈の眼差しに、思わず見惚れてしまった。幾重にも積み重なった悲劇と災厄に、彼はここまでに強靭な精神を得たというのか。
『その為に協力してくれ、三人とも。……彼女の骨を拾う羽目になるのだとしても、オレは往かねばならん』
数度、キュリオスは瞬く。暗い水色の目がぼんやりとルシフェルを捉えた。彼女は数十秒間たっぷりと彼を観察した後、こくり、と頷く。
『……協力して、くれるんだな?』
『はい』
キュリオスは相変わらず無表情だ。だがその顔には、ほんの少しだけ、信託するような縋るような、奇妙な感情の色が付いているように見えた。
情報収集は難航するかと思われた。何せゾグシェーノはヒューマン至上主義国家、対するアージェンたちは全員人外。そのままでは情報なぞまともに集められないのは目に見えていた。
ラミアたるキュリオスなら人化すれば余程の事が無い限り看破されないだろうが、彼女のコミュニケーション能力はゼロだ。致し方が無いので、今回はネリネがメインで事に当たった。
まず彼女は、自身のコネから比較的正体を隠しやすい種族のプレイヤーを選び、助力を取り付けた。勿論、胡乱な者は除いてだ。
そうやって動員した者たちで情報を集め、得られたそれを片っ端からキュリオスに与えて推理させ、更に収集に奔走する。それを幾度か繰り返し、やがて丸一日程で目星の情報に辿り着いた。
数の力とキュリオスの頭が組み合わさると、こうも凄まじい能力が発揮されるのか。今回はそれだけではなく、敵方が随分と派手に動いていたようで、情報がそこら中にごろごろしていたというのも有るが。
『……ともかく、情報を統合しましょ』
そうして四人は、データの共有及び作戦の立案の為、再びルシフェルの部屋に集っていた。PTチャットにて、ネリネがキュリオスの推理を噛み砕いたものを発表する。
『ゾグシェーノの辺境、ちょっと前に悪疫で壊滅したとある村……っていうか集落。そこで、怪しい一団が出入りしているのが目撃されていたわ』
『という事は、そこが敵の根城か』
『恐らく。それと、彼の国に限らず世界各地で、エルフの、それも少女ばかりを狙った誘拐事件が多発しているみたい。
後進国じゃ一般市民の行方不明とか珍しい話じゃないけど、例えば貴族の娘さんとかが居なくなったりしてて、場所によっては大きな話になっていたわ』
世界中で、という事は、やはり敵はプレイヤーなのだろう。NPCだけの力では、世界を股に掛けて騒ぎを起こす事は不可能だ。
『……少女ばかり、か』
画面上の文字には何の感情も籠らない筈なのに、しかしルシフェルのその発言からは絶望に近い感情が伝わってきた。屈折したルサンチマンが、歪な性欲として発現するのはまま有る事だ──そんな想像をしてしまったのだろう。
『まだそうと決まったわけじゃないだろ、ルシフェルさん。何にせよ、きっとディーネイさんは助けを待っている筈だ』
『分かっている。……となると、敵を無力化して、侵入して、ディーネイを救出する、って具合の作戦になるか』
『手駒は必要よね。情報収集ならともかく、戦闘が想定されて、その上精神の削られそうな実働に協力してくれる人は、流石に数が減ると思うけれど』
相手は高レベルのプレイヤーである事が予想される。レベル90以上の強いプレイヤーの数は以前より格段に増えたが、しかし無駄に危険な事をしたくない者は多いだろう。
『流石に何十人もぞろぞろ行ったら、侵入にならんしな。けど、無力化するなら、MPタンクの数は揃ってた方が良いんだが……』
ここでいう無力化とは、魔法による催眠である。プレイヤーに対する精神干渉魔法は効果が弱まるから、少しでも消費するMPを増やして猶予を長引かせたい。その為には、頭数が多ければ多い程良いのだ。
『分かったわ。なら、MPになってくれる人と、一緒に侵入して犯人の確保と被害者の救出に協力してくれる人、って具合に分けて募集するわね』
『頼む。催眠魔法については、多分わたしがやるのが一番良いと思うけど……わたし以上の使い手の協力が有るなら、その人に任せて』
真っ向から相手と戦うとなると、勝ち目は大分薄くなる。単独だったりすれば殴り合っても勝てるだろうが、多人数相手では難しい。正面衝突を避ける為にも、催眠魔法は重要なファクターだ。
『それと、なんだけど』
そんなふうにあれこれと考えていると、ネリネの補足がチャット画面に現れた。
『ついでで得られた情報でね。ゾグシェーノ王国、大分キナ臭い動きが有るみたい。具体的に言うと、近々革命が起きそうだわ』
『なんと。何がどうひっくり返るの』
『被差別種族の人たちが、それを覆そうとしているみたい。……偶然の一致、なら良いけど、何らかの関連の可能性は否めないわ』
片やエルフを各地から浚っている奴ら、片やエルフ含む人外たちを救おうと画策する者。同一集団では無いだろうが、敵対なり何なりの関係は有りそうだ。
『じゃあそのレジスタンスに協力は……仰いでも意味ねーか。NPCじゃ……』
『敵の敵が味方だとは限らないしな。バックにオレたちを敵視する存在が有る可能性も、十分に有る』
そんじょそこらのNPCでは、強いプレイヤーに対しては肉壁にもなりやしない。別のプレイヤーの息が掛かってるかもしれないし、抵抗組織との接触は愚策だろう。
『ともかく、あたしは協力者のアテを当たるわ。二人は作戦の準備を』
『うむす。大まかな流れとしては、こんな具合かね。
まずディーネイちゃんをマップ画面から見つけてPTに入れる→上空から催眠魔法ぶっぱ→相手が眠ってるうちに転移でディーネイちゃん確保&突入→犯人の確保→大勝利!』
『ああ、そうなる。無理そうなら、犯人の確保は無しでも良いだろうが。……そろそろオレは準備に行く。皆、頼んだ』
そう言ってルシフェルはパーティーを解散させ、そのまま転移で何処かへと行ってしまった。アージェンも、これ以上ぐだぐだくっちゃべっていても時間の無駄だ、と動き出そうとする。
と、その瞬間、今回はずうっと沈黙を守り続けていたキュリオスが、ばっと顔を上げこちらを向いた。急な動きに、アージェンは一瞬肩を震えさせてしまう。
「アージェンは負けてはならない」
早口気味なその言葉に、アージェンとネリネは揃って目をぱちくりさせた。要するに、彼女はアージェンを応援してくれたのだろうか。
「ありがと。負けないようにする」
そうアージェンは返す。正直嫌な予感しかしないが、しかしルシフェルの見せた決意には応えたい。
(……うん、わたしも覚悟を決めなきゃ)
どんなモノを目の当たりにしても取り乱さないよう、その場凌ぎでも耐えられるように。アージェンは深く呼吸して心を落ち着け、そして準備の為にと彼女も転移で部屋から退出した。




