55:血染帯の梟雄
アスディ領海のとある孤島に、少女の細い歌声が響いていた。
途切れ途切れの歌詞を、曖昧なメロディーに乗せて歌う声の主は、ジャディスリィ。アジトの島の、青い海を見渡せる岬の上にて、彩度の低い橙の髪を潮風に靡かせながら、彼女は好きだった地球の曲を口ずさんでいた。
やがて何度か同じメロディーをループさせた所で、彼女は歌うのを止めた。そして溜め息を吐き、呟く。
「……どうにも、忘れてしまってますね。メロディーも、歌詞も。答え合わせをしたくても、こちらにはあの曲は有りませんし……」
地球で生きていた頃の記憶の欠落と共に、好きだった筈の音楽すらも忘れ始めている。別に教訓や知識以外の記憶が消えてゆくのは良いのだが、楽しい趣味の思い出が無くなるのは、何だか寂しかった。
「ちょっぴり、ホームシックに罹っているのかもしれませんね、わたしは。1さん、あなたもそう思いません?」
「……ええ。そうなのやもしれませんね」
三歩後ろに控えていた端末に話しかけ、頷く彼にジャディスリィは満足げに微笑む。白いエルフ耳をぴこぴこと揺らしながら彼の方に歩み寄り、そして相手の手を取りながら言葉を紡いだ。
「そうですね、この寂しさを紛らわす為に、世界中の音楽でも集めてみましょうか。こちらの世界にも、きっとわたしの琴線を震わす曲が有る筈です」
無言のまま、1は頷き同意を示す。気分を良くしたジャディスリィは、彼がドロイドである証たる二本のコードの片方を手で絡めとり、軽く弄んだ。ドロイドのコードには神経が通っているから多少なりともくすぐったい筈なのだが、彼は必要以上に反応を示さない。
彼は元々無気力な人格だった。だからこそ最初の再教育の実験台として最適だったわけだし、余計な事をしない扱いやすい端末となったのだが。
「想定通り、キーマさんが居なくなりましたね。行き先もやりそうな事も大体分かっていますし、彼に蒔いた種は思い通りに芽吹くでしょう」
静かに独り言を聞き受け続ける彼に、感じるものの半分位は詰まらなさだったが、もう半分は安心感であった。考え事をそのまま口に出す癖に任せて、ジャディスリィは更に言葉を紡ぐ。
「……キーマさんは悪くありません。環境が彼を歪めてしまったのです。なら彼にその環境を齎したヘイゼルさんが悪いのでしょうか?
いいえ、彼女も悪くはありません。彼女がキーマさんを《蓮の糸》リーダーに任命した当時は、彼が最適でしたから」
対岸から俯瞰してきた事実を踏まえ、彼女は思考を展開させていった。声に出しながら考えるのは、やはり捗る。
「彼らのミスを挙げるとすれば──ヘイゼルさんがナツメグさんを新ダンジョン侵入の試金石にしてしまった事。それから《蓮の糸》リーダーを交代制にしなかった事、くらいでしょうか。ああ、どっかのラスボスを放置した事も挙げられますね。
ま、でも、そこにつけ込んだのはわたしですから、きっと一番悪いのはわたしなのでしょうね。うふふ」
耳をぴこんと跳ねさせ、ジャディスリィはころころ笑った。彼女は善悪に頓着しない。ただ、欲望のままに動くだけ。そしてその結果悪人扱いされるのなら、彼女は喜んで受け入れるのだ。
「……さて、気分転換は出来ましたし、戻りましょうか。これからの打ち合わせをしませんと」
「御意」
コードを弄っていた手を離し、代わりに彼の腕にその手を絡めて、ジャディスリィはゆっくりと歩き出す。他の端末たちはとうにアジトの中に集まっているだろうが、しかし彼女は至ってマイペースに歩んだ。
彼女が『所有』する端末のほぼ全員が集まった、アジトの会議室。そこにてジャディスリィは、グラフやデータの書き付けられた無数の紙たちを大きな大きなテーブルに広げ、まずこれまでの活動の総括を述べ始めていた。
端末たちの中には、ちらほらとプレイヤーの姿も見られる。彼らは元はブラッディリボンのメンバーだった者たちだ。ヤク中になったり《蓮の糸》にしょっぴかれたりせず生き残った者は、しかしほぼ全て彼女の毒牙に掛かり、端末と化していた。
「第一に、アスディの平定、及び生活水準の全体的な上昇。
平定の方は順調ですね。元々政治の腐敗してた期間が長かった所為で、一般国民の文盲化が酷い事になってますから、偉い人の言う事には殆ど逆らいませんし。
ですが生活水準の方は難しいですね。先ほども言ったように文盲化が酷いですし、まずは教育機関の充実からやらなければ……こちらは数十年単位で取り組む必要が有りそうです。
けれども、以前よりはグッとマシになったでしょう。不作ならバタバタ餓死者が出るレベルだった税率を、常識的な程度に軽くしましたし。
しかし、環境がどこまでも恵まれていないのはどうしましょうか。土地の質が悪いから、幼い子供も働かないと生きていけないみたいですし……何か資源でも有れば良いのですが……」
今現在、アスディ民主主義共和国を実際に支配・管理しているのはジャディスリィである。とはいえ表に出るのは傀儡に任せ、自分の姿や存在は一切露出しないようにしているが。
「所詮アスディは国家統治の練習台なのですから、然程真面目に考えなくても良いのやもしれませんが、一度はこのジャディスリィの手に入ったモノですからね。最後までちゃんとやって差し上げたいですし」
その声に、アスディに対する慈しみの色は一切宿っていない。代わりに有るのは、凄まじい程のプライドだけだ。中途半端で投げ出したくない、自分に対して妥協をしたくない、という矜持。
「……魔法のような案は思い浮かびませんね。いえ、魔法を使えば土壌の改良くらい簡単でしょうが、魔法使いを増やし過ぎると今度は『最後』がままならなくなりかねませんし……魔法球を使えば良いのでしょうか。ですが魔法球は高いですしね。
これはもう少し考えましょう。次に、ケヴルーア大陸は『ゾグシェーノ王国』の件です」
テーブルの上の書類を掻き回し、彼女は次の議題に必要なデータを引き出す。同時にマップ画面を開き、件の国の辺りを表示させて開示にした。
ケヴルーア大陸は、エンヴィードゥ大陸の南辺りに位置する大地である。そんな大陸の中部西側、惑星の赤道近くの熱帯雨林帯を国土とする王国が、『ゾグシェーノ』だ。
ゾグシェーノはそれなりの国だ。それなりの土地にそれなりの資源、それなりの施政。だがこの国にはとある一つの、ジャディスリィにとって許し難い特徴が有る。
「2さん、7さん。弾圧されている異種族のレジスタンス組織の制御は順調ですか?」
「ああ、万事上手くいってるぜ。……しっかし、本当ひでぇよな、ゾグシェーノのヒューマンどもはよ」
端末の2は分かりやすく嫌悪を浮かべてぼやく。ヒューマン至上主義国家──それが、ゾグシェーノだ。元々ケヴルーアはそういう気風の地域だが、彼の国は特に顕著なのだ。
獣人は魔物扱い。ドロイドは家畜同然。エルフやドワーフなら比較的マシだが、それでもヒューマンに逆らう事は許されない。長命人外を愛するジャディスリィにとって、その差別を許し奨励すらしているゾグシェーノは憎悪の対象であった。
2や7たちに命じているのは、そんな不当な扱いに抗う異種族グループとの接触、及び実質的な統率である。精々愚痴り合う為の集まり程度でしかなかった彼らを纏め、明確で現実的なクーデターの作戦を与え、リーダーとしてジャディスリィを迎える為の下準備だ。
「ああ、それでなんですけど、そろそろ実際にジャディスリィ様も彼らの頭たちと顔を合わせた方が良いと思うんですよね」
「それは以前やった筈では?」
「人員が増えたんです。ここらで一発、ジャディスリィ様の檄を飛ばしてあげてくださいよ」
7の言葉に、ふむ、とジャディスリィは頷いた。確かに後々彼らの上に君臨するのであれば、そろそろ直々に指示を出し始めてもいいやもしれない。全部端末に任せても実務的には支障は無いだろうが、相手の心をより掴む為にはその方が良さそうだ。
「分かりました。ならその辺りも踏まえて予定を立てる事と致しましょう。クーデターの下準備の方はどうですか、14さん?」
「こっちも順調です。ゾグシェーノ唯一のエルフ貴族のコネから手を回して、国政に深く関われる有力貴族の内四分の三を我らの手に落としました。
それから、一年前から続けてる、非武装と軍隊の解体を訴えるプロパガンダの方も上手くいってます。流石に劇的な効果は出せませんでしたけど、けれども兵士の動きを鈍らせるくらいは出来てる筈です」
「上出来ですね。このまま相手に気付かれないように、慎重に進めていってください」
着々と土台が組み上がっている事に、彼女は満足げな笑みを浮かべる。何だか、文化祭の準備でもしているような気分だ。下等な人間どもを率いるのなんて趣味じゃないから学生時代は適当に楽な役割をやっていたが、優秀な部下たちを率いて大きな物事を成そうとするのは、やはり楽しい。
「では、近々ゾグシェーノに赴く事にするとして……次はプレイヤー側ですね。
きっとキーマさんが失踪した事は、既に殆どのプレイヤーの耳に入っているでしょう。そして各々動き始めている筈です。
それらの内九割は、わたしにとっては取るに足らない雑音でしょう。暴徒化したプレイヤーは確かに厄介でしょうが、わざわざわたしを狙う者はそう多くないでしょうし。
ですが一部……わたしの障害になりうる存在も居ます。風雲さんの系譜、キュリオスさん、《狭間の道》から帰って来るかもしれないプレイヤー……」
がさがさと書類を掻き回す。そして引き出したデータは、彼女が目を付けているプレイヤーたちの物だ。
風雲、ヘイゼル、ナツメグ、キュリオス、シャノワール、アージェン、ネリネ、ルシフェル。どれも名前の横に『要注意人物』と赤字の注釈が添えられている。
「まず、《狭間の道》組は考えから除外して良いでしょう。気に留めておく、くらいで」
そう言って、彼女は現在こちらに干渉し得ない三人のデータを遠くへ押しやる。帰って来る可能性が全く無いわけではないが、しかし彼らまで想定に入れていては埒が明かないからだ。
「けれども、他の方々はわたしの邪魔になるやもしれません。特にキュリオスさんは、インターフェースたるナツメグさんが今は居ませんが、しかしその言葉に耳を傾ける者が居れば、一気に厄介になります。
故に、彼女を味方に引き込むのが最優先なのですが、キーマさん失踪以来とんと足取りが掴めません。……誰か、他の人に先を越されたのでしょうか」
ぴん、と耳を張り詰めさせて、ジャディスリィは視線を鋭くさせた。こめかみを中指と人差し指とで撫でながら、彼女は目を文字の上に滑らせる。
「……引き込んだのは何処何処陣営でしょうか。いえ、他の可能性も十分に有り得ますね。
そうですね、こういう時は、シャノワールさんや何処何処と手を組んでいる、という一番面倒な可能性を想定しておきましょう。
となると、この二つの陣営を潰すのは慎重にやらねばなりませんね……こちらの仕業だ、と彼女には気付かれないように」
そこまで言った所で、彼女は一旦口を閉ざす。そしてインベントリから水筒を取り出し、その中身たる冷たいストレートティーを飲んだ。喉を潤し、彼女は再び言葉を紡ぎ始める。
「いえ……何処何処もシャノワールさんも、現状こちらに積極的に楯突く素振りは見せていませんし、余計な手出しはせずにおきましょうか。キュリオスさんを抱えて敵対されたら、流石に困りますし。
ええ、そうしましょう。わたしたちはプレイヤーへの対処より、ゾグシェーノ及びケヴルーア大陸の制覇を優先して動きましょう。
それで、プレイヤーの撹乱の方は、ええと──そうだ、キーマさんたちに任せてしまいましょう。種は既に蒔き終えてますし」
そう言い、ジャディスリィは口角をくいっと引き上げた。その目が見る物は、これまでキーマに仕掛け続けてきた誘導の全容と、それによって引き起こされるであろう行動の予測を纏めた書類。それと、アージェンやルシフェルのパーソナルデータたち。
巧妙に、本人にすら分からない程妙々に、彼女はキーマの劣等感や嫉妬心を内攻的に育んできた。『自分よりずっと優秀な部下』を演じ、それに対する負の感情を溜め込まさせてきたのである。
それが一体どんな形で顕在化するかは彼次第であるが、余程彼が捻くれてない限り、想定された通りに炸裂するだろう。即ち、『ジャディスリィの幻影を攻撃する』といった具合の形に。
とはいえ、その魔の手は彼女自身には及ばないだろう。彼女は強いから。思う存分鬱憤を晴らす為に、キーマは自分よりも弱い──ジャディスリィと共通点を持つNPCに、憎悪を向けるだろう。
「アージェンさんやルシフェルさんは、NPCと仲が良いと聞きます。……もし特別な絆を引き裂かれたら、果たして死ぬ事すら出来ないプレイヤーはどうなるのでしょうね」
彼女はそれを想像して、嗜虐の愉悦に笑みを歪める。それぞれの書類の左上に描かれている要注意人物たちの似顔絵が、皆一様に彼女をねめつけていた。




