54:千切れた蓮の糸
彼女は全てを見ていた。
気味の悪い笑顔と共に現れ、キーマにまるで善行を報告するかのように、とんでもない悪をしでかした事を告げたそいつの事も。
それを聞いたキーマが、暫しの間呆然とした後、突如狂ったように笑い出した事も。
そして──彼が、居なくなった事も。
彼女は知っている。誰が悪いのか、何が起きているのか、何もかも、全て総てすべて。
推理しなければ。得られた材料から推測出来る、全ての真実を。
伝えなければ。彼女の言葉に耳を傾ける者に。
ディーネイのストーカー事件から数ヶ月後、今年の終わりも見えて来た血玉の月20日。その日、《蓮の糸》から発せられたとある知らせが、生き残りのプレイヤーたちを震撼させた。
──キーマカレーが失踪した。
シャノワールから《蓮の糸》メンバーに対し発せられたその情報は、即ち自治組織の崩壊を意味している。それに対しアージェンたちは迅速に反応し、まず残っている中枢メンバー三人での意見交換の場を設ける事にした。
会場は何処何処宿舎、ルシフェルの部屋。部屋主たるルシフェルと、真っ先にこの集まりを提案したアージェン、それからキュリオスを連れたネリネ。何気ない顔で存在しているキュリオスに、しかしこの場の誰もが疑問を唱えなかった。
きっと、キーマの失踪の事について何か知っていて、それを伝える為にネリネに接触したのだ。そしてネリネは彼女を他二人とも接触させるべきだと断じ、こうして連れて来たのだろう。
《蓮の糸》が崩壊したなら、本当にキュリオスを何処何処に移籍させても良いかもしれない。彼女は今もバタフライエフェクトに所属しており、サブマスターの役職にも就いているが、バタエフェももうボロボロらしいし、合併する方向に持っていくのも有りだろう。
「……キュリオスさん。今からオレたちの間で交わされる話は、基本的に他言無用です。良いですね?」
ルシフェルの念押しに、キュリオスはゆっくりと頷く。まぁ、彼女から漏れる心配は殆ど無い。彼女の言葉に耳を傾けその意味を汲み取る努力をするのは、今はアージェンたちくらいだろうから。
彼はキュリオスの反応を認めながら、メニューを操作しこの場に居る四人でPTを結成する。こうしてPTチャットを使えば、誰にも漏れない密談が出来るのだ。
盗み聞きをしている者の気配は無いが、高レベルの魔法使いならば遠くから盗聴を仕掛ける事も出来る。万が一にも広めたくない事実を漏らさない為に、彼らはこのような警戒をしいているのだ。
(酷い疑心暗鬼だ)
アージェンはそう思う。今は『ここに居る者は絶対に信用出来る』という思い込みが有るから絆は強固だが、時間に伴われて増す猜疑心は、いずれそれすらも崩すだろう。そうなったら、信じられるのは自分だけだ。
『キーマさんが居なくなった事、皆はどう思う』
『ま、順当かしら。誘拐とかのセンは無いと思うわ、キーマさんだって100lvのプレイヤーだし。
心の準備は出来ていたわ。でも、やれる事は……悪化する治安から被害を受けないよう注意を呼びかける、くらいしか無いかしら』
交わされ始めたPTチャットに、アージェンも入力インターフェースを開いて応じ始める。
『全部守ろうとしたらラチが明かないし、各々手の届く範囲をやるしか無いんじゃないかな』
『だな。オレたちは強くなったけど、でも限界は有る……』
アージェンが全力を振るえば、レオロたちを守る事くらいは過不足無く出来るだろう。だがそれ以上をやるとなると難しくなる。彼女たちを信頼して付いて来てくれている何処何処メンバーには悪いが、自分の身は自分で守ってもらわなければならない。
皆が一時手を止め、発言内容を考えている中、アージェンは更に手を動かし続けた。何度も文言を推敲して、そして送信する。
『それから、キーマさんが居なくなった理由も気になる。彼、曲がりなりにもこれまでリーダーをちゃんとやって来た人だし、こうして行動に移す切っ掛けは有ったと思うんだ』
『随分とキーマさんを擁護するのだな、アナタは』
『あのヘイゼルさんが選んだ人だし、少なくとも《蓮の糸》結成当初では、最も適任な人物だったんだと思う。今はいざ知らずだけど』
『そうかなぁ……』
キーマを通してヘイゼルの肩を持つ彼女に、ルシフェルは少し難しそうな顔になる。客観的に見れば、ヘイゼルのミスチョイスが一番の原因であるように思えるのだろうか。
と、そこで、キュリオスが動き出した。人間業とは思えない早さで文章を入力する彼女に、アージェンは少し度肝を抜かれる。
『全ての悪因は奴に集束する。怒りに打たれ、しかし未だ落ち延びし者』
そのメッセージに、三人は一様に顔色を変えた。キュリオスは最も悪い奴を知っている。しかも、このタイミングで出たという事は、暗にアージェンの推測も肯定しているのだろう。
『……あたしが彼女から聞いた話からするにも、多分ジェンさんの推測は正しいと思うわ。
けど、そのキッカケはよく分からないのよね。キュリオスさんはそれも言ってくれてるんだろうけど、読み取れなくて』
『わたしにも分からんなぁ……』
個人名を出してくれれば一発なのだが、知らないのかそれとも上手く言えないのか、キュリオスは遠回しな言い方をする。これでは犯人が分からない。
まぁ、『犯人が確実に存在する事』が分かっただけでも良しとしよう。そいつを仮想敵として考え、動く事が出来るのだから。犯人の正体の推理を打ち切り、次の考えに移行する。
『これ以上悩んでも致し方無い。どんな脅威が発生し得るか、それに対し何が出来るかを考えよう』
『そうね、そうしましょ。今考えられるのは、こんなもんかしら。
ブラッディリボン:目下一番厄介。《蓮の糸》が消えて一番笑ってそう。動きに要注意。
キーマさん失踪の犯人:もしかしたらブラッディリボンのメンバーかもしれない。でも他の奴かもしれないから、ブラッディリボン以外にも警戒が必要。
元《蓮の糸》:特にSAMSARA等PKギルドのメンバーだった奴。PK活動を再開するかもしれない。
その他プレイヤー:いくらでも敵が出て来る可能性が有る。現状確実にこちらに友好的といえるのは、何処何処のメンバーくらいだろうか。
NPC:プレイヤーが厄介事を起こした所為で、プレイヤーに対し強硬な姿勢になる所も出て来るかもしれない。
……今意識を向けるべきは上三つかしら。残り二つは、もう少し事態が進まないと何とも言えないわね』
どこもかしこも敵だらけだ。とはいえ、アージェンには間違い無く味方と言える存在が二グループも有る。一つはこの何処何処中枢メンバー、もう一つはレオロたちだ。裏切りの可能性が限りなく低い友軍がこれだけ居るのは重畳である。
これらの事実を踏まえて少し思案した後、アージェンは自身の考えを発信する。
『最も注意すべきなのは、やっぱりブラッディリボン──というか、ジャディスリィだよね。麻薬事件の時は味方だったけど、今回は敵に回る可能性が極めて高い。
わたしの個人的な見地だけど、他の脅威と比べてジャディスリィは別格だ。他の脅威も、裏から手を回して動かして来るかもしれない。……幸運なのは、彼女がわたしたちを特に攻撃する理由が無い、って事かね』
ジャディスリィの行動原理なぞ分からないが、現状アージェンたちを特別に敵視する理由は無い、筈だ。彼女がやらかす事の巻き添えになる事はあるだろうが、直接的な攻撃に出て来る確率は低い。
『相手に敵視されない程度に様子を窺い、警戒する……ってのが、今オレたちに出来る限界かね』
『だね。……一番最初に行動するのは、多分PK組。ジャディスリィは割と冷静だろうし、悪い事をするならPK組が起こすであろう混乱に乗じると思う。
だから、PK組が動くまでは安全な期間が出来ると思う。その間にやれるだけ根回しをしておこう』
根回しとは言っても、彼女に出来る事なぞ、レオロたちに改めて注意をするくらいしか無いだろうが。相手の目的が不透明過ぎるから、それ以上具体的な行動は思いつかない。
そう思っていると、ネリネの手が動き出した。
『ジャディスリィはアスディを牛耳る為にキーマさんに協力したのよね? なら、今度はその支配の手を外にも広めようと思ってるんじゃないかしら。
だから混乱に乗じて起こすのは、その為の何かだと思う。クーデターとか、パールハーバー的な奴とか。警戒するならその辺が良いと思うわ』
『つまり、情勢がピリピリしてそうな国には近づくな、と』
ルシフェルの総括に、アージェンも頷いた。そういう事なら、ジャディスリィだってわざわざ情勢の安定している国より、もっと不安定な国を突いて揺るがす方を選ぶだろう。
『となると、相手から見て“お手軽”なのは、南西・ケヴルーア大陸のどっかか、北西のウテウロイ地方の小規模国家群辺りか……何にせよ、既に相手側の根回しが浸透してるだろうし、オレたちで覆すのは無理だろうな』
『うむす。もっと早くにこっちも動き始めてれば、また違ったかもしんないけど……』
アージェンは少し後悔をする。ジャディスリィが悪い事をして来るのは分かりきっていたのに、何故これまでずっと手をこまねいて来ていたのだろう。
そうして溜め息を吐く彼女に、ネリネが発言を飛ばす。
『でも、あたしたちって権謀術数に長けてるわけじゃないでしょ? それなのに下手に動いて、事態を防ぐ事も出来ず、それどころかジャディスリィに目を付けられる事にまでなるよりは、マシだったんじゃないかしら』
『あー……そういう考え方も有るか』
確かに、無能なら無能らしく怠けていたのは正解だった、という可能性も有る。本当にジャディスリィと敵対してしまっていたら、彼女たち自身だけではなくその周囲にまで累が及んでいたかもしれないし。ルシフェルが手を動かす。
『ならばこれからも、ギリギリまでジャディスリィに表立った敵対行動はしない方が良いだろう。彼女にとってのその他大勢のままでいよう。
だが、こちらの正体が悟られない程度に噂を流す、程度は出来るかもな。最近“使者”が物騒だ、と言うくらいの』
『ああ、そりゃ良いアイデアだな。“使者”が悪者になるリスクが高まるが……無辜のNPCが虐殺されるよりかはマシだろ。適宜流していこうか』
『そうね、そうしましょ。噂を広めるのはあたしに任せなさい。警戒を促す程度に、過不足無くやってみせるわ』
各々のやるべき事がハッキリした所で、これ以上論ずる事は無いだろう、と会議は締めくくられる。そして密談の為のPTが解散されたその瞬間、ルシフェルが翼を震えさせた。
「どうしたの、ルシさん?」
「ああ……シャノワールさんからまたメールだ。今見せる」
彼は手早くメニューを操作し、今さっき届いたメールを開き、その画面を開示設定にする。四人で顔を揃えてその内容を読み取り、キュリオス以外の三人は苦々しげに表情を歪めた。
『題名:キーマカレー失踪について続報
本文:
このメールは、《蓮の糸》に協力していたギルドのマスター全員に送信していまづ、
《蓮の糸》が捕縛し、キーあまsん曰く“最も重い罰”に処されていた人たちが、逃げていました。
要するに、麻薬中毒になった人たちや、NPCの殺害等うぃ犯した人たちが、野放しにされたんでし。皆さんに注意を呼びかけてくだい。
シャノワールより』
送り主の焦燥が直に伝わってくるような文面であった。ネリネは鬼のような形相でその画面をねめつけ、ルシフェルは顔を青白くしながら両手を握りしめている。アージェンも、鏡が無いので分からないが、きっと褐色の肌からでも分かる程に血色を失せさせているのだろう。
軽く吐き気を催しながら、アージェンは新情報を自身の推理と結びつける。キーマが失踪するついでに犯罪者どもを解き放ったのか、それとも何者かによって犯罪者が解き放たれたのが失踪のトリガーとなったのか。
「……暴発は、思ったより早く起きるやもしれんな」
新たなる敵陣営の追加。呟くルシフェルの声は、低く険しく苦々しい。アージェンは震える指で、三つの連絡腕輪をそわそわと撫でた。




