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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第六章:数多重ねた手と手と
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幕間08:希望のバルカロール


 プレイヤーたちの間で囁かれる噂たちの中に、こんな物が有った。


『ネカマやネナベたちによる、秘密の互助組織が有るらしい』


 真偽不明の噂たちの中に紛れるそれは、実は間違いなく真実だ。というより、それは関係者たちによって故意に広められた風説なのだ。

 彼女──シャノワールもそれに関わっている一人である。半年程前、件の集まりの主催者に誘われて参加し始めた彼女は、今日も一人のネカマを見つけ出してその会場にやって来ていた。

 会場は、とある熱帯雨林の奥地にある一つのログハウスだ。知らなければとても辿り着けないような立地に、それは堂々と佇んでいる。

 入り口のドアを抜ければ、食べ物や酒類の匂いが鋭敏な嗅覚に捉えられる。同時に、陽気な男の声が彼女の猫耳に届いた。


「よ、シャノワール。そっちのは新入りかい?」

「そうです」


 この二足歩行の狼のような獣人の名は、ビーフストロガノフ。長いので専ら『ガノフ』と略されて呼ばれている彼は、現実とは異なる性別のキャラを使っている者の為のこの集まりの主催者である。

 だが彼自身は、ネナベというわけではない。現実の性別の方が間違っていて、男の精神を持ちながら女の肉体に生まれついてしまった、所謂トランスジェンダーだったのだそうだ。

 それ故に、心と体の性が一致しない事の苦しみをよくよく知っている。その知識から、異性の身体に宿ったまま戻れなくなってしまったプレイヤーを助ける事も出来るのではないか──そう考え、ガノフはこの集いを企画したのだという。


「じゃあ適当に案内をさせるか。おおい、そこの、こいつを頼む」

「へーい」


 表情の読み難い獣の顔に、しかしハッキリそれと分かる程の笑みを浮かべながら、ガノフはシャノワールの連れて来た新入りを、近くに居たドロイドの女性に託させた。彼女が新入りを連れて向こうに行ったのを見届けた後、彼はこちらに振り返る。


「さて。わざわざアポを取ってまで話したい事とは何だ?」


 本来ならそのままシャノワール自身が案内する所だったのだが、今回はすぐにでもガノフと話す為にこうする様事前に頼んでおいたのだ。シャノワールは頷き、こう切り出す。


「《蓮の糸》の事です。自分が彼の組織のリーダーに結構重用されている、って事は知っていますよね」


 一人称を『自分』に変えてから、一体どれだけ経っただろう。美少女らしい振る舞いを止め、かといって男らしく振る舞うわけでもなく、自分なりの良いトコ取りをするようになってから、自然と彼女の口調は変わっていた。


「それが、一体どうした?」

「重要な任務を託される事もまま有ります。だからこそ見えたモノも有る。……そこから考えるに、《蓮の糸》はもうすぐ終わるのだと思うんです」


 声を潜め、シャノワールは語る。


「キーマカレーはもう駄目ですね。判断能力も鈍っているし、カリスマも消え失せてしまった。……彼の苦労も分かりますから、本当に駄目になるまでは付き合いますけど。

 それで、ガノフさんに頼みたい事とは、《蓮の糸》が終わってしまった後、本格的に悪化する事が予想される治安に備え、『新エスポワール』結成の根回しです」


 『新エスポワール』計画。それは、ビーフストロガノフ主催のこの集まりのメンバーで以て、新たなギルドを設立する企てである。

 似たような秘密を抱えている故の奇妙な連帯感は、予想される混乱に対する強靭な防御力を生み出すに違いない。そう考えた彼女は、それを利用して自分たちの身を守る為にこの計画を考えたのだ。

 委細の書類が入った、薄茶色の封筒をインベントリから取り出し、それをガノフに手渡す。ガノフは深い蒼の目を細めながら、それを確と受け取ると自身のインベントリに仕舞った。


「分かった。返事は後で出そう、メールでで良いか?」

「ええ、お願いします。色好い返事を期待していますね」

「ははっ、それは詳細次第だぞ?」


 そう言って彼は笑う。とはいえ、シャノワールにとって良い返事が来るのは目に見えていた。結構真っ直ぐな性格をしているガノフの事だ、自分や友を守る力を目立つデメリットも無く手に入れられるなら、熟考の後頷くに違いない。


「しかし、新“エスポワール”とは……元のメンバーは良いのか?」

「もうエスポワールのメンバーは、自分以外は一人しか居ませんし……このまま解散するか、それとも再編するか、って相談してたんです」

「ああ……お前の所も、ボロボロなのだな」

「どうしようもなかったんですよ、自分には。……最後まで残ってくれた彼の為にも、数の力を手に入れたいのです」


 シャノワールは諦念を笑みとして浮かべる。彼女はギルメンを守る為に力を尽くした、だが駄目だった。ある者はヤク中になって、ある者は犯罪を起こして捕まり、ある者は未来に絶望して狂ってしまった。

 元々少人数のギルドではあったが、しかしこうして残り二人にまで減ってしまったのは、それだけプレイヤーに降り掛かった事態が異常だったのだ。他の多くのギルドも、同様に壊滅に追い込まれてしまっていると聞く。


(……皆運が悪かったんだ。ヒョを始めちまったのも、ログアウト出来なくなっちまったのも。『俺』が女の身体になっちまったのも)


 浅く溜め息を吐き、シャノワールは肩をすくめた。そして思考を切り替え、新エスポワール計画を決意するに至った根源の方に向ける。

 彼女の元に残った最後のギルドメンバーは、それなりに付き合いの長いエルフの少年だ。とある対戦ゲームを通じて出会った、ヒョを始める以前からの知り合い。少し変わった所の有る奴だが、能力的にも人格的にも信用出来る良き友である。

 まだ性別に関するカミングアウトは出来ていないが、近々打ち明けるつもりもある。紳士的で理知的な人物であるし、セックスとジェンダーの不一致くらい、理解は出来なくても受け入れはしてくれるだろう。

 と、そこまで考えた所で、予定以上に時間を浪費してしまっていた事に気付く。弾かれるようにメニューを開きつつ、彼女は言葉を紡いだ。


「じゃあ、自分はそろそろ」

「もう帰るのか?」

「はい。お返事、待ってますので」

「ああ。またな、シャノワール」


 画面を操作し、彼女は転移を発動させる。やらねばならない事は多いのだ、一刻たりとも無駄には出来ない。がらんどうのエスポワールハウスに戻って来た彼女は、そのまま次の作業の為に動き出した。

第六章はここまで。

おまけの詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/d99b3e71-b018-4b95-989a-2798f130b93f/4c6516a13424b365a1f112f5aa7af0d7

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