53:胸騒がす足音の主は
黒曜の月24日。モジュアリノトル東部の、この国の主要都市の一つに数えられるとある街の宿屋の一室にて、アージェンたちはルシフェル立ち会いの元ディーネイとの顔合わせに臨んでいた。
一瞬見掛けたり、話に聞いたりはしていたが、まともに顔を合わせて話すのはこれが初めてである。持ち込んだ座布団を並べて座ったまま、行儀良く自己紹介をする銀髪エルフの美少女を見守る。
「初めまして、皆さん。お話はルシフェルから聞いております。わたしはディーネイーウ・メフィアーノ、どうぞお気軽に、ディーネイ、とお呼び下さい」
明度の高いふんわりとしたローブを身に纏った少女は、正座したまま軽くお辞儀をした。後ろで編み込みにされた長い髪を飾る、紺色のリボンが揺れる。
そんな彼女につられるように、アージェンたちも浅くぺこぺこしながら名乗る。
「わ、わたしはアージェンだ、初めまして」
「ええと、初めまして。こっちはネリネよ、よろしく」
「ええ、今回はよろしくお願いします」
初対面の者にも分かる程の疲弊を浮かべながらも、ディーネイはほうっと微笑む。ハイエルフではないらしく耳は動きを見せないが、どうやら本当に安堵しているらしいというのは読み取れた。
さてどう切り出そうか、とアージェンたちがまごついていると、やがて相手の方が先に言葉を紡ぎ始める。
「それで、その……本題に入る前に、ちょっと訊きたい事が有るのですけど」
「何だい?」
「アージェンさんとネリネさんって、“あの”?」
彼女の問いの意味がいまいち汲み取れなくて、二人は揃って首を傾げる。すると、ディーネイは緑青の瞳を輝かさせながら具体的に言い直した。
「“白き死の壁”のアージェンさんと、“霊峰のねりきんじゅつし”のネリネさん──って、“使者”ファンの間では有名なんですよ」
恥ずかしい二つ名が進化している。一瞬二人は硬直し、そして脱力した。“使者”のファンなんて人種も居るのか、だからこそルシフェルに惹かれたのだろうか、等と推測を巡らせつつ、まずアージェンが頷く。
「自分の他に『アージェン』は知らないし、多分それはわたしだな。……その異名みたいなのは初耳だけど」
「あたしも多分そうよ。……こっちも初耳だけど」
「やっぱり! ああ、本物にこうして会えるだなんて感激です。サインくださいますか?」
そうして差し出された二枚の色紙とペンに、芸能人か何かになった気分だな、とアージェンは軽く頭を掻く。サインなんて書いた事が無いし、どうすれば彼女に喜ばれる代物になるか見当もつかない。
「わたしたち、ファンが出来るくらいに有名なのか……いや、結構ハデにやってきたけどさ」
「はい、アージェンさんは男女問わず人気ですよ。わたしも結構前からのファンで……いえ、恋愛的な意味ではルシフェル一筋ですけれどね?」
さらりと惚気た彼女に、ルシフェルが「ぐっふっ」とか言いながら顔をそっぽに向けた。その様子にちょっとニヤつきながら、アージェンは覚悟を決めてサインを書き始める。
「それにしてもルシフェルさ……じゃない、ルシフェル、こんな有名な方々に、どうやって協力を取り付けたんですか?」
「元々オレたちは友人同士でな。その縁からだ」
「友人、ですか」
復唱した彼女の表情は、若干浮かない。少し邪推でもしているのだろうか。そう思ったアージェンはサインを書く手を一旦止め、肩を竦めて言ってみせる。
「ああ、安心してよ、ディーネイさん。実はわたし、彼氏居るから」
「えっ!?」
無論、真っ赤な嘘だ。だがこのまま微妙にギスギスしたままであるより、その原因と思しきモノを取り払ってしまった方が良いだろう──そう考えての方便である。
実際効果は覿面だったようで、既にディーネイの顔から憂いは消えていた。代わりに驚愕によって塗り潰されているが。
「そ、それは本当ですか!? もしかして仲間の方々の誰か? それとも他の“使者”の方? それとも──」
「おっと、これ以上は国家機密だ。さて、そろそろ本題に移らせてくれ」
初対面の緊張やら何やらが良い具合に解れた所で、アージェンは雑談を打ち切る事にする。追及により嘘が見破られるリスクは避けたいし。
「国家機密ってどの国のよ……まぁ良いわ。今回のストーカー捕獲作戦の概要を説明するわね」
先日煮詰めた作戦内容を、ネリネがかくかくしかじかと説明する。自身が囮にならなければならないという事に、ディーネイは不安げな色を浮かべていた。だがしかしアージェンとネリネという強力な味方の存在からか、然程混乱はしていないようだった。
そうやって全てを話し終えた所で、ネリネはこう付け足す。
「今回の作戦は一番早期解決を望める奴だけど、ディーネイさんが一番危険なポジションになるわ。可能な限り犯人の手が及ばないようにするけれど、でもやっぱり危険性は残る。
嫌なら他の手も有るわ。だから、本当にこの作戦で良いかどうか、良く考えて決めて頂戴」
いくらアージェンたちが手を尽くしても、万が一の可能性までは消せない。それでも本当に良いか、という問いに、ディーネイはすぐ頷いた。
「カタが付くのは早ければ早い程嬉しいです。……正直、もうこれ以上ストーカーに怯えながら過ごすのは嫌なんです。
少しの危険なぞ厭いません。どうか、よろしくお願いします。……わたしはルシフェルを信頼していますから」
彼女がそう言って微笑みをアージェンたちに向けると、ルシフェルが再び「げっふっ」と呻いた。彼はこうしてデレられる度に咽せているのだろうか。
ともかく、キーパーソンの了承は得られた。時間をかける理由も無いし、準備を終えたら早速決行に移るべきだろう。アージェンたちは早速メニュー画面を開き、アイテムを取り出したりし始めた。
同日、午後二時。アージェンたちは魔法によって姿を隠しつつ、街の雑踏の中を歩くディーネイの姿を上空から俯瞰していた。
防御魔法の足場を使って、10メートル程の高さをそろりそろりと歩きながら、アージェンはマップ画面と実際の光景とを交互に監視する。現状、犯人はまだ見出せていない。
魔法でステルス状態になっているので姿もアイコンも見えないが、ルシフェルも同様にディーネイの周囲を見張っている筈だ。残るネリネも、やはり魔法で姿を隠しながら、地上からディーネイを見守る手筈になっている。
(この中からホシを見つけるのか……)
ルシフェル経由のディーネイからの連絡によれば、既にストーカーの気配は現れているらしい。だが道往く人の数が多過ぎる所為で、犯人を見つけ出すのは一筋縄ではいかなさそうだった。
だがじっくりと観察すれば、少しずつディーネイをストーキングしている者を絞り込む事が出来る。目が滑る程の中立アイコンを見比べ、やがて彼女は幾つかのアイコンに目星を付けた。それらのステータス画面を呼び出す。
殆どは、偶々道筋が一致していただけの一般人であるようだった。だが一人だけ、明らかに怪しい奴が居た。
種族は竜人、レベルは87──明らかにプレイヤーだ。ちょっと遠いのでよく分からないが、近くを通る人の視線が、時折訝しげにそちらに向けられている事から、不審な挙動をしているらしいというのが読み取れた。
『なんか居た。ディーネイちゃんから実距離20メートルくらい後ろ、紺色の髪の奴』
PTチャットで二人にも伝える。すると、すぐにルシフェルからの返信が来た。
『了解。間違い無さそうだな。作戦を次の段階へ移そう』
次の段階。それは即ちストーカーを人気の少ない場所まで誘い出し、あわよくば正当防衛の口実を作る事である。このまま街中でドンパチをやらかしたら、こちらが加害者扱いされかねないからだ。勿論、ディーネイに危険は及ばさせないが。
通信ピアスでルシフェルからの連絡を受け取ったのだろう、ディーネイのアイコンが進行方向を変え、事前に打ち合わせておいた人気の無い空き地目指して進み始めた。アージェンも自身にすら聞き取れない程の小声で呪文を唱え、新たな足場を作り進む。
急に進行方向を変えたディーネイに、しかし犯人らしい人物は付いて行く。これはいよいよ間違いないな、とアージェンは表情を険しくし、盾とメイスとを装備した。
人の多い大通りを外れ、ディーネイは薄暗い裏路地の方へ入ってゆく。アージェンは少しずつ足場の高度を下げながら、それを追う。ストーカーらしい人影も、躊躇う事無く彼女を追っていく。
(一切遠慮無しか。……奴さんの頭の中では、どんなストーリーが展開されてるんだが。知りたくもないが)
眉間に少し皺を寄せながら、アージェンはチャットとマップとを見る。すると丁度、ルシフェルからの指示が飛んで来た。
『10秒後に行動に移す。援護を頼む』
返答はせず、彼女はチャット画面を閉じる。そして丁度10秒後、隣から大きな羽音がして、黒い羽根が辺りに散った。
同時に透明化魔法が解除され、ルシフェルの姿が露になる。真っ直ぐ容疑者の元へ向かう背に対し、アージェンは今度はハッキリと呪文を唱えた。
「ma'u'ei le kelci lo festi cu simsa
.i lo nu lo nu do mrobi'o kei cu xamgu kei cu jinvi ma'u'oi
zi'e'ai mi la .rucifel. cu sidju!」
発動するのは付与魔法。一番Lが高いのは回復魔法だが、流石に回復魔法で能力強化バフを与えるイメージは出来ていない。ルシフェルに筋力強化のバフが付くのを、ステータス画面から確認する。
急に上空から響いた羽音に驚く犯人に、ルシフェルは素早く組み付き、羽交い締めにする。アージェンも足場から飛び降りて着地し、徐に掛け布団を取り出して犯人の男に巻き付けた。
暴れる男を二人掛かりで抑え込みつつ、アージェンは次に数本の麻縄を取り出す。それを使って布団の上から相手を縛り上げ、ついでに口に噛ませて言葉を封じた。更に喉を踏みつけ、声もまともに出ないようにする。
「ma'u'ei .e'u ko sipna .i ca sipna
.i lo cerni murse cu na za'o klama
.i na ca ze'e ba ka'e klama ma'u'oi
zi'e'ai .e'u ko sipna sai」
そしてトドメの催眠魔法。こちらは『眠らせて回復させる』という効果の回復魔法である。少しでも敵を癒すのは気に触るが、こっちの方が持続時間も効果の度合いも良いのだ。
「……眠ったな?」
「ああ。これで、えーっと、持続時間は約一時間だ」
「分かった。それまでにどうするか決めよう。──ディーネイ、聞こえるか? 容疑者を捕獲した、今からそっちに合流する」
簀巻きにした犯人を引きずりながら、アージェンたちは急いでディーネイの方へ向かう。モジュアリノトルは全体的にあまり治安が良いとは言えない国だ。ここは大きな街だから比較的マシだが、それでもこんな路地裏に年頃の女の子を一人で置いておくわけにはいかない。
ネリネにも連絡を飛ばし、ずりずりと犯人を引きずって早足で歩く。地面に布団が擦れ、びりびりに破れて汚れてゆくが、元々使い捨てにする予定だったので惜しくはない。ストーカーなんて人種に触れた布団なぞ、例え殺菌消毒しても使う気にならないし。
その内、細い路地の真ん中で立っているディーネイの姿が見えて来た。身軽なルシフェルが駆け出し、彼女の元に走り寄る。
「ルシフェル! 大丈夫でしたか?」
「見ての通り、無傷だ。ディーネイこそ大丈夫だったか」
「はい、おかげさまで」
どうにも立ち入り難い雰囲気を醸し出し始める二人に、かなり遅れてアージェンも合流すると、ほぼ同時にネリネもすっと姿を現した。彼女は犯人に対し、軽蔑の視線を送る。
「フン、良いザマね。後で適当に尋問して、共犯者とか色々吐いてもらわないと。動機は……知っても意味ないし、良いわよね。
ああ、もう二度と、コイツをディーネイさんに関わらせはしないわ。そこら辺は安心して頂戴」
腕を組みながらそう言い、彼女は相手が起きない程度にその頭を足蹴にした。ネリネはこういう手合いには容赦しないタイプだから、安心して任せられる。
そうすると、ディーネイはネリネとアージェンに対し、ぺこりと深く頭を下げた。そして礼の言葉を述べる。
「今日は本当にありがとうございました。これで安心して毎日を過ごす事が出来ます。手を貸してくださって、本当に、ありがとうございました……!」
「オレからも礼を言う。ここまでスマートに解決出来たのは、二人の協力のおかげだ。サンキューな」
「当然の事をしたまでさ。また困った事が有ったら、適宜頼ってくれよ。えーっと、何だっけ……そう、“白き死の壁”は、何時でもあんたの味方をする」
無駄に格好付けて言った後、遅れてやって来た羞恥心に、アージェンはドヤ顔を真っ赤にし始めた。いつしか耐え切れなくなったネリネが、口元を両手で押さえながら吹き出す。
「ぶっぐっふっ……ふ、うふふ、あっはっはっははっ! あぐっふぁっふっ、し、しぬ、おなかがしにそうっ!」
「ひーヤメテ! 自分で言っといて恥ずかしい! ぐっ、ふふふっ、ひゃっははははっはっ……!!」
「しっ、しろきしのかべっ……ぐっぶっ……げほっげほっ」
「み、皆さん、何がそんなに面白いんですか……?」
ネリネに釣られて笑い出すアージェンに、苦しそうに咳き込むルシフェル。そんな三人に首を傾げるディーネイの困惑した表情もまた何故だか面白くって、アージェンは涙すら浮かべ始めた。
──その瞬間、彼女は第三者の視線を感じた。刹那にして笑みを消しその根源と思しき方向へ振り返り、マップ画面を開く。突如表情を変えたアージェンに、ネリネが何事かと声を掛けた。
「どうしたの?」
「……気のせいか」
周辺のマップ上のアイコンを片っ端から調べてみても、それらしい存在は見受けられない。ディーネイは相変わらず普通にしているし、多分気のせいだ。そう断じ、アージェンはメニューを全て閉じる。
慣れない追跡作戦をして、少々疲れたのかもしれない。ここの所気を詰め過ぎだったし、近々息抜き期間を設けるべきか。そんな思考を巡らせつつ、アージェンは一旦この場を離れようというルシフェルの提案に同意した。




