49:イースター・エッグ
何処何処宿舎・アージェンの自室。そこに何処何処中枢メンバーの三人は集い、そしてアージェンが発掘した風雲の手記に目を通していた。
彼女は机の上で発見した『現実的解釈』『lo nu pensi le senta』の他にもう一つ、本棚の中から風雲の生い立ちを記したノートも持って来て、三人と共に読みふけった。そして最後に、ノートの隙間に隠されていた件のメモも見せた後、彼女は二人の反応を窺っていた。
二人とも、もの凄く複雑そうな顔をしている。特にルシフェルの深刻さはこれまで見た事が無い程のレベルで、今もどんどんと眉間の皺が深くなっていっていた。
「これ……『センタ』の方は封印した方が良いわよね、絶対。イースターエッグどころの話じゃないわよ」
やがて、ネリネが口を開いた。片目を閉じた格好のまま、彼女は続ける。その視線は、秘密っぽいメモの方に向けられていた。
「要するにこれって、『プレイヤーを本当に殺せるかもしれない魔法』の手がかりだもの。実際に出来るかどうかは知らないけれど……流石に試せないし」
神妙に、どこか潜められた声で紡がれた言葉に、アージェンとルシフェルは頷いた。風雲はこのメモで、強大で危険過ぎる魔法の可能性を示唆している。
Sセンタは物質、人で言えば肉体だろう。そしてUセンタは精神。この二つの絆を断てれば、不死身たるプレイヤーすら完全に無力化出来るやもしれない。デスルーラ・デスベホマすら許さずに。
他にも、Rセンタを切り離せば即死させられるのかもしれない。Fセンタを断ったらどうなるだろう。数多の推測と好奇心が胸中を渦巻くが、それ以上の空恐ろしさに彼女たちは見舞われていた。
「しっかし、どうして『レイヤー』なんだろうな……意味分からん。古代文明の奴らは知ってたんだろうが」
アージェンは額に手を当てながら、そんな事を呟く。こちらの世界の『senta』には、何か予想も付かない意味が込められていたりするのだろうか。その割には、他の殆どの単語には寸分違わぬ定義がなされているが。
それを知る術は彼女たちには無い。暫しの沈黙の後、ルシフェルが言葉を発する。
「……何にせよ、これを知っているのはオレたちだけで良い。『lo nu pensi le senta』は、厳重に封印してしまおう」
その決定に、「異議無し」と二人は頷く。このノートに書き込まれた知識は、公にされてはならない代物だ。
今すぐ実験する事は出来ないが、おそらくこの情報を踏まえて正しく想像と詠唱をすれば、精神と肉体とを切り離す魔法だって使えてしまうのだろう。プレイヤーに対する精神効果は軽減されるが、これは精神自体に作用する魔法ではないだろうから。ヒョの運営がセンタについての設定に触れていなかったのも、風雲の示唆が正しい事を物語っているように思えた。
切り札とするにしても、やはり他の者には教えられない。誰が何時敵になるか、敵と繋がるか分からないのだ。
「しかし、いよいよ運営がキナ臭いな。最初からオレたちを閉じ込めるためだったのか……? イヤ、だが……」
ブツブツと低い声で呟きながら、ルシフェルは考えを纏めようとしているようだった。その声をBGMとし、アージェンも考える。
風雲の考察によれば、《HYO》は世界樹を再生する為のプロジェクトであるらしい。レベル100に達したプレイヤーを新ダンジョンに向かわせるのも、その計画の内だったりしたのだろうか。
──ヘイゼルとの別離も、その計画故に引き起こされた事なのか。
(だとしたら)
単なる偶然と自身のミスチョイスから成る悲劇だったなら、まだ納得出来る。だが、誰かの悪意によって引き起こされた残酷劇だというのなら。
湧き上がるのは熱烈な憎悪。身体の芯から熱され、沸騰してくるような気分だった。自分たちに悪意を向けた何者かが、憎くて憎くて憎くて狂おしい程に憎い。
まだ推測だ。憎むべき相手が居ないというのならば、それで良い。だが間接的にでもヘイゼルとの別離を企てた者が、本当に存在したならば。
「殺してやる……」
考えつく限りの絶望と苦痛を味わわせた後、殺してやる。もし死んでいたというならば、生き返らせてでも殺してやる。精神的にも社会的にも肉体的にも死なせてやる。絶対に殺してやる!
「ね、ねぇ、ジェンさん?」
──困惑気味に発せられたネリネの声に、アージェンははっと正気付いた。どうやら殺意を口に出してしまっていたらしい。いつの間にか酷く歪んでいた表情を直し、ネリネに返答をする。
「ああ、何でもないよ。気にしないで」
「そ、そう?」
いつの間にか発露していた激情を、心の水面下にぎゅうぎゅうと押し込む。だが中々収まらない感情に苦戦していると、やがてルシフェルが独り言を止め、徐に顔を上げた。
「話したい事が有る。二人とも、良いか」
「……何の話かしら?」
「現実──いや、地球でのオレの事だ。……有明博士の──否、オレの兄貴について言及されたからな」
一瞬彼が何を言ったのか分からなくて、アージェンは目をぱちくりさせた。有明が兄、という事は、ルシフェルはあの有明哲也氏の弟だったのか。
「オレの地球での名前は、『有明祐介』という。魂の理論を発表し、VRマシンを完成させた有明哲也の、弟だ」
狂言を言っているふうは無い。有名人の血縁者がこんな身近に居ただなんて俄には信じ難いが、これは真実なのだろう。目を擦り、姿勢を正し、無言で次がれる言葉を待つ。
「……オレが考えるに、風雲さんの『有明哲也は《HYO》を企てた何者かに利用されていた』というのは正しいと思う。もっと言えば、兄貴は操られていたのかもしれない。
14年──いや、15年前になるのだろうか。兄貴は突然豹変した。オレが12歳で、兄貴が18歳だった時の話だ」
ルシフェル──否、“有明祐介”はそのオッドアイを伏せさせながら、言葉を紡いでゆく。
「ある日、兄貴が妙な物を拾って来た。水晶みたいな材質の、なんか奇妙な雰囲気のキューブだった。近所の河川敷で拾った、と言っていた。その日はまだ、兄貴は普通だった。
だが次の日、おかしくなった。何というかな、言動とかは以前と殆ど変わらなかったんだが……何か変だった。『普段通り』を演じているような……そんな違和感を感じたんだ。
それから、兄貴はどんどん変わっていった。以前はオカルトになんて興味が無くて、寧ろ馬鹿にしていたくらいだったのに、明晰夢やら幽体離脱やらにのめり込んで行った。
ゲームはやるけどネトゲはやらない人だったのに、急に色々なMMOに手を出し始めた。その内、家に居る時は四六時中ネトゲをやってるようなレベルになった。それなのに成績はどんどん良くなって、志望校も変えた。そして──」
ふぅ、と彼は一度息を吐く。数拍程の間。
「大学への入学と同時に、兄貴は失踪した。上京するから一人暮らしを始めるってのは前々から言ってた事だったんだが、前もって伝えられていた住所に訪ねても、もぬけの殻だったんだ。
勿論、手を尽くして兄貴と接触しようとしたさ。一体何のつもりなのか訊く為に。だが駄目だった。本気で家族からすら隠れている様だった。
魂の理論発表以降は、表舞台に顔が出るようにもなった。しかしそれでも、プライベートは全く掴めなかった。聞くに、マスコミすらも普段の有明哲也には接触出来なかったらしいな。
……これがオレの知っている、全てだ」
自身の情報開示を終えた彼は、疲れ切ったように肩を落とし、翼からも力を抜いた。彼が触れた闇の片鱗を知り、アージェンは暗澹たる心持ちになる。
ルシフェルの情報と照らし合わせて考えれば、有明哲也が《HYO》を企てた存在に操られていた事が明らかになる。恐らくそれは、ウィナンシェの古代人。
そして同時に、風雲の推測がより現実的になった。実際に有明氏の変化を目の当たりにした、彼の弟本人の証言が有ったのだ。
時系列が狂ってる気もするが、異世界に接触し異世界人を操る技術が有るなら、時間軸を弄る技術も有ってもおかしくない。そもそも、ウィナンシェの24時間が地球の一時間だったりもしたわけだし。
「……ルシさん、その水晶もどきキューブについて知ってる事は?」
「殆ど何も。ただ、その辺に落ちてたってのに傷も汚れも無かった事と、不気味な程に正確な立方体だった事は覚えてる」
何とも非現実的なキューブだ。ここからも、有明氏や魂の理論、それからVRマシンには、アージェンたち普通の人間にはとても想像のつかない何かが関わっているらしい事は分かる。今自分の身体として動かしている、“アージェン”のこの肉体にも。
だがそれを理解したとして、何かが変わるわけでもない。『センタ』の方とは違い、今の危うい秩序を揺るがすような知識も無かったし、『現実的解釈』のノートは封印せずとも良いだろう。寧ろ。
「キーマさんには、一報入れた方が良いかもしんないよな」
「それはあたしも思う。もしかしたら運営側からのアクションが来るかもしれないし、その時に自治組織が動けるように。……『センタ』は駄目だけど」
「ああ、アレは駄目だ。オレたちだけの秘密だ。……余程信頼出来る奴くらいになら、言っても良いかもしれないが」
ドロイドの詠唱を少し分析すれば分かる事だし、実はもう結構多くの者が知っているのかもしれないが、しかし隠すに越した事は無い。こんな危険な深淵は、絶対に大っぴらにしてはならない。
「さて……そうね、あたしは『センタ』の魔法の実験をしてみるわ。とりあえずは、動物実験から」
「なら、わたしは『センタ』の知識がどれ位知られてるのかを探ってみる。プレイヤーとNPCの両方から……レオロたちになら、言っても秘密を守ってくれるだろうし」
「オレはキーマさんへの報告と……そしたら、アージェンさんと同じ調査でもするかね。ディーネイなら大丈夫だろ」
下手に探って『センタ』の事が広まっては本末転倒だから、慎重を心がけねばなるまい。だが仲間たちにくらいなら、全てを打ち明けてしまっても大丈夫だろう。……NPC相手だと、今度は『現実的解釈』の方を隠さねばならないだろうか。
そんな風にあれこれ考えながら、二冊のノートの取り扱いを決める。話し合いの結果、『センタ』のノートの封印はネリネに任せ、『現実的解釈』と風雲の生い立ちのノートはルシフェルに任せる事となった。
今回の集いの目的が無事果たされた所で、それぞれの作業へと向かう。その為に二人が部屋を出るのを見届けた後、アージェンはしっかりと戸締まりをして、徐にメニュー画面の日付に目を移した。
今は柘榴の月12日、22時49分。次のレオロたちとの待ち合わせは、現地時間で明日の午前8時だ。時差やら何やらも計算しつつ、彼女は空き時間を潰す為、読みかけの本を本棚から取り出し、開いた。




