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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第六章:数多重ねた手と手と
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50:あざれる芙蓉


「こんなのは役に立ちません」


 自治組織《蓮の糸》リーダー・キーマカレーは、ルシフェルからの報告書メールを憎々しげに廃棄した。報告書である故にキュリオスには弾かれなかったのだろうが、こんな無駄な情報を押し付けられた彼は怒り心頭であった。

 風雲の残した『この世界本物説』を簡潔に纏めた報告書は、読み物として見れば面白かったが、有益な情報とはいえなかった。眉間にこれでもかと皺を寄せながら、彼は声を漏らす。


「ああ、もう……」


 彼はさっさと次のメールを開き、南西『ケヴルーア大陸』の情勢を大まかに集約した文章に目を通し始める。この報告書の差出人はジャディスリィ、流石と言うべきか分かりやすく纏まったレポートであった。


(……ワタクシに、あの方くらいの才能が有れば)


 キーマは焦っていた。自治組織のメンバーの心が、どんどんと離れていっている事に。

 定められた任務をこなさない者が増えた。それ故にプレイヤーの犯罪の発生が許され、みすみす取り逃がした事で信用度が下がる。そうしてまた心が離れ、悪循環が繰り返される。

 仕事をしてくれないだけではない。武力部隊による支給品のポーションの転売等も、最近明るみになってきた。また、彼らがその友人たちをわざと取り逃がしているという噂まで出て来ている。

 昔から付き合いの有る者は、今も彼に積極的に協力してくれているが、その数はそれほど多くない。資金運用さえままならなくなり始めている今、金にものを言わせる事すら不可能になる未来も見えていた。

 どうしてこうなったのか。一向に現状を脱する光が見えない故のモラルの低下、キーマの指導力不足等が原因として考えられるが、一番の要因は他だ。


(全く、誰が情報を漏洩させたか……中毒者どもの事を……)


 そう、尤も《蓮の糸》の信頼を薄れさせているのは、極秘にしている中毒者の処遇の詳細が、尾ひれのついた噂となってプレイヤーたちに広まり始めている事だ。やれリジェネを付けたままミンチにし続けているだの、肺の中に石を詰めて水中に沈めているだのと。

 キーマにはとても考えつかない程残忍な手法だ。だが暇を持て余したプレイヤーたちはこのゴシップに喜んで飛びつき、有る事無い事を吹き回っているらしい。

 広めているのはソレに従事させた者だろうか、若しくはその対処法を彼に教えた張本人だったりするだろうか。両方かもしれない。

 現状はまだ、ただの噂でしかない。だが、実際に惨い処置をしている証拠が何処かから漏れ出たら、決定的な瓦解のトリガーとなり得るだろう。


(……そういうのを避けるのに有用な情報だったなら、歓迎したのに)


 今は《蓮の糸》の保守に手一杯なのだ。そんな中、新たな敵の可能性を提示された所で、そこまで手を回せない。もう少し余裕の有る時だったら、まだやりようが有ったかもしれないが。

 選り分けられた報告書に目を通す作業に、再び戻る。タスクはまだまだ山積みだ。そうしていると、不意にキュリオスが顔を上げ、キーマに向けて言葉を放った。


「玉座は血、王冠は穢れ。それは身を滅ぼす呪い。投げ捨てるか、他に移すも手」


 甚く久方ぶりに彼女の声を聞いた気がする。相変わらず抽象的過ぎて意味が分からない台詞だが、不吉な事を言っているらしい事は理解出来た。


「……アナタまでワタクシを追い詰めますか」


 溜め息混じりにそう言うと、キュリオスは一度瞬きをして、そのまま二度と口を開かなかった。当初よりぼさぼさになったような気がする髪を撫でながら、彼女は作業を再開する。

 その姿を横目に捉えながら、キーマは苛立ちを隠せずこめかみを押さえた。


(全く、どいつもこいつもあいつもそいつも……!!)


 孤軍奮闘とはこの事か。だが逃げ出すわけにはいかない。今キーマが消えたら、その時こそ《蓮の糸》は崩壊しこの世の秩序は失われるだろう。世紀末の到来だ。


「……はて?」


 何故それがいけないのだっけ。彼は首を傾げる。思い出そうと頭を捻っていると、遠慮がちなノックの音が耳に入った。


「ああ、どうぞ」

「失礼します」


 入室を促せば、シャノワールが小さく扉を開いて中に入って来た。その手には紙の書類が抱えられている。

 何時からか彼女はゴスロリ衣装ではなく、割とユニセックスな装いをするようになった。今日は露出の無いスーツ姿だ。そんな彼女は書類をキーマに差し出しながら、中性的な声でこう言う。


「例のNPC連続殺害事件に決着が着いたので、報告に来ました。ご確認をお願いします」

「分かりました、ありがとうございます」


 彼女との付き合いは《蓮の糸》が設立されてからだが、しかし元々ギルマスをやっていた事も有り、キーマの苦労を理解して良く協力してくれている。だからこそ彼も彼女の事を信頼し、重要な事件に関わらせていた。


「概要だけ先に言いますと、無事犯人グループは逮捕出来ました。今は留置所で、睡眠魔法を掛け続けて無力化しています」


 淡々と述べる彼女の声を聞きながら、委細が簡潔に纏められた報告書に目を走らせる。シャノワールは視野が広い上、有能だ。見た目は少女だが、中の人はかなりの年輩なのかもしれない。

 一年程前からプレイヤーたちを騒がせていたNPC連続殺害事件の犯人たちが、漸く捕まえられたという内容を読み、この件を彼女に任せたのはやはり正解だった、とキーマは思う。悪い事ばかりが積み重なる中、彼女が関わる事だけはキーマを癒してくれた。


「ふむ、ふむ……シャノワールさん、良くやってくれました。犯人たちには、後でワタクシがなんやかんやして来ます」

「……一体どうするのですか?」

「無辜のNPCを数多く殺した者なのですから、本来ならば即決で死刑なのですが……このゲームではプレイヤーは死にませんからね。麻薬中毒者と同等の処遇にしますよ」


 そう言うと、シャノワールは軽く猫耳をぴくつかせた。彼女の耳にも、件の噂は届いているのだろうか。


「何か問題でも?」

「──いいえ。では、自分はこれで。また何か有ったら呼んでください」


 やや剣呑さを孕んだキーマの問いに、しかしシャノワールは一ミリ程も臆せず答え、常並の態度を保ったまま背を向け退室していった。貫禄すら漂う山の如き不動感に、キーマは「……ええ」と返す事しか出来なかった。

 彼女の心すら離れていっているようで、怖い。信頼出来る者が居なくなってしまうのが恐ろしい。疑心暗鬼が彼に這い寄り、思考回路に絡み付いている。




『題名:

 本文:

 ルシフェルへ

 あなたの報告を見た。故に一縷の希望をかける。

 魔法の秘密は遠き空。どこからでも聞こえる場所。日の裏側にて良く見えるが、手を伸ばしても掴めはしない偽り。理解したとてどうにもならない。

 だがもう一つ。時空は同元。故に禁じられた魔法。だが“使者”には転移が有る。

 道理の通らぬ転移が出来るのならば、同様の遡行もまた可能。手は未だ無く、しかし可能性は有り。

 それが可能となれば、帰る術もまた有り。時空の全てを掌握すれば、“使者”は帰り得る。巻き戻し、喪われた友を取り戻すも良し。

 理解出来ぬなら、それも良し。……その気が有るなら、返信を。

 キュリオスより』


 無題のメールに、受け取ったルシフェルは思わずスパムか何かかと思ってしまった。内容もまた、意味の分からない独特過ぎる言い回しである事が、それに拍車をかけていた。

 キュリオスといえば、キーマの補佐官たるあのラミアだったか。だがキーマから言いたい事が有ればキーマ自身の名義でメールを送って来るだろうし、これは彼女による私信という奴なのか。ルシフェルは少し考え、アージェンとネリネの二人にも転送する事に決める。


(オレにゃ意味が分からんが、あの二人なら、あるいは)


 彼女たちはそれぞれ別の視座を持っている。ルシフェルも勿論この謎掛けめいたメールについて考えるが、頭は一つだけより三つ有った方が良いだろう。

 本文をコピー&ペーストし、題名に『こんなの来た』とだけ追加して、二人に対して送信する。その後彼は暫くメールと睨めっこを続けたが、やがて諦めて別の事に動き始めた。




 ルシフェルからの転送メールを受け取ったネリネは、暫くそれをうんうんと眺めた後、徐に返信画面を開いた。

 キュリオスといえば、常に静かに仁王立ちしている印象しかネリネには無いが、だがしかしこの文面を見るに馬鹿ではないらしい。寧ろ、『センタ』のノートは公開してない筈なのに『魔法の秘密』と言い出している辺り、風雲と同等かそれ以上の所まで推測している可能性すら有る。

 それだけの頭脳を持ちながら、何故キーマの補佐官という立場に甘んじているのか。彼女が存分にその知力を振るう事が出来ていれば、もっとまともな状況になっていたかもしれないのに。何か理由が有るのだろうか。

 ──こんなメールだけでは、彼女の抱える全ては分からない。直接会って話してみたい。その旨を文章として、ネリネは入力してゆく。


『題名:キュリオスさんへ

 本文:

 ルシフェルさんに送られたメールを見せてもらいました。

 それで、なのですが。あなたの話をもっと聞きたいんです。一体あなたが何を見て、何を知っているのか、教えてくれませんか?

 自分では十分に理解出来ないかもしれない。けど、あなたが送ったメールの断片は理解出来た。

 ロジバンを魔法に翻訳してるのは月だという事。

 時空が繋がっているからこそ、無闇な時間操作を防ぐため、空間移動の魔法まで使えなくされてるという事。

 だけどあたしたちには転移が有るから、時間移動は不可能ではないかもしれないという事。

 そうでしょう?

 ……柘榴の月14日の20時くらいから、モルトゥクのバタフライエフェクトのギルドハウスで待ってます。

 ネリネより』


 送信。すると間もなく返って来る答。ネリネは相変わらず無題なそれを開く。


『題名:

 本文:

 ネリネへ

 よかった。ありがとう。行く。

 キュリオスより』


 安堵と、感謝と、宣言。たった三つの言葉に、彼女の心全てが込められているように感じられた。

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