44:99.9%の優しさ
金紅の月の8日、仲間たちと共にアルファルドに入って早数ヶ月。もう十二分にエルフの国は満喫しただろう、と判断したアージェンは、アルファルドの北の関所から出国し、その先へと向かい始めていた。
アルファルドから北に向かうと、とても広い国土を持つ国『モジュアリノトル』に至る事が出来る。エンウィードゥ大陸のおよそ三分の一程を支配しているその国を、可能な限り見て回ってみよう、というのが次の目的だ。
関所を出た所から広がる悪霊出没地帯を、今回は馬車で二日間掛けて駆け抜ければ、モジュアリノトル最初の街『エウデア』に辿り着く。無事にエウデア入りを果たしたアージェンたちは、そこでとある魔物の討伐を依頼された。
「“魔神”ねぇ」
なんやかんやで報酬を吊り上げさせたりした後、その依頼を受諾した彼女たちは、その日の翌日件の討伐対象が出るという丘で張り込みをしていた。沈みゆく陽を見送りながら、アージェンは呟く。
“魔神”というのは、ヒョの住人にとって一般的な半魔の俗称だ。システム的に言うと、《魔神顕現》という種族固有の状態異常になり、そのまま戻れなくなった者である。
プレイヤーの半魔なら、レベル100で習得出来る同名のスキルでこの状態になる事も出来る。能力値は更に跳ね上がるが、異形度は増し危険度も高まる。また、《魔性開放》状態のまま丸一日経つと、スキルを習得していない者でも《魔神顕現》になってしまう。
そしてそのままで10分経過すると、もう二度と元に戻れなくなる。操作も不可能になり、キャラクターロストをしてしまうのだ。
そうしてロストしてしまった半魔は、以降は敵対NPCとしてヒョの世界を彷徨う。もう二度と使えなくなるのだ。ログアウトが出来ない今ロストしたらどうなるのだろう、という興味は少し有るが、それを試すのは余りにも危険過ぎる。
「ねぇ、司令官殿」
「何だい、晴嵐」
「司令官殿は、“魔神”になんかなりませんよね? ずっとずっと、自分たちの司令官で居てくださいますよね?」
弓を片手に警戒を続けている晴嵐の問いに、アージェンは一瞬返答に詰まった。どんなにそうなりたくなくても、彼女が半魔で有る限り、可能性は付きまとう。
「……ま、なるだけ、な」
断言する事も、嘘を吐く事も出来なかった。「有り得ない」と嘯く事によって彼らが油断し、狂ったアージェン自身の手に掛けられる可能性を増やしたくなかった。彼女は振り向かないままこう続ける。
「なぁ、三人とも。今回、わたしがこの討伐依頼を請けたのにはさ、それなりに割が良かったってのの他にも有るんだ」
「アージェンさん、それは」
「わたしは半魔だ。本来なら、人類とは敵対している筈の存在だ。“使者”だから今は正気だけど、もしかしたら……もしかしたら、あんたらに牙を剥く時がやって来るかもしれない」
今はまだレベル100じゃないから、余程馬鹿な事をしないかぎりロストする事は無いだろう。だがカンストレベルに達し、《魔神顕現》状態に自在に移行出来るようになったら、分からない。
「そんな時、迷わずわたしを殺せる様、予行演習をしといても良いかな、って──」
「良くない」
遮るように、レオロがそう言った。アージェンは彼の方に一瞬視線を向ける。
「……俺はお前を殺したくなんかない。例え冗談だとしても、そういう事は言わないで欲しい。それとも、発狂する予定でも有るのか?」
「無いさ。だが、可能性は有る」
「まだ可能性でしか無いんだろ?」
「1%でも有るモノを、0%にするのは難しいんだ。……わたしとてあんたらを殺したくない。万が一の時には、頼む」
言いながら、彼女はメイスを握る手に力を込めた。すると、レオロは十数秒程考え込んだ後、やがて小さく「分かった」と口に出した。晴嵐もフュールも同様に頷くのを認め、アージェンは安堵する。
「……と、そろそろ日が沈みきりますね。出るでしょうか」
話題を変える為にか発せられたフュールの言葉に、三人は揃って西の地平線へ目線をやった。惑星ウィナンシェを照らす恒星フェルモが、彼女たちの空から一時立ち去ろうとしているのを眺めつつ、マップ画面を通し辺りを俯瞰する。
別に半魔は日光に弱いわけではないが、他の多くの魔物同様夜目が利くから、白昼堂々の登場より、夜陰に乗じての襲撃をして来る可能性のが高い。まぁ、夜目が利くのはこちらも同様であるわけだが。
「なら、バフ掛け直すか。ma'u'ei .a'a fe lo noi kinli bajra ku'o brife cu simsa ma'u'oi zi'e'ai lo kamsutra cu tsali binxo──」
効果時間切れが迫っていたバフを上書きしながら、アージェンは抜け目無くマップを監視する。やがて太陽が頭の先っちょまで地平線に浸かり、完全に姿を消したその瞬間、マップ上に敵対反応が出現した。──丁度、アージェンたちが屯している辺りに。
「──にッ!?」
四人で形成していた陣形のど真ん中に出現した敵影に、アージェンは素早く振り返り、そしてフュールの前に踊り出盾を掲げた。彼目がけて振り下ろされた敵の腕を間一髪受け止め、左腕に響く衝撃に呻く。
「ぐ、くっ──晴嵐! フュールを連れて離脱!」
「ハイッ!」
「離れたらフュールは魔法! 弱点探せ! 晴嵐は後衛から射撃! レオロは適度に攻撃! タゲが剥がれない程度に! 良いなッ!?」
焦りを振り払うように、半ば怒号のような指示を飛ばしながら、アージェンは下された第二撃を防御魔法で受け止める。驚きのあまりに上がる心拍数に、ふらつきたくなるのを何とか堪え、ロジバンを叫んだ。
「zi'e'ai ko mi catlu!」
挑発の魔法が発動し、敵の興味がアージェンに集中する。出目金の様に飛び出した二つの銀目が、ぎょろりと彼女を捉えた。
敵の姿は、八本の腕が生えた紫色のヘドロの様であった。腕を含めた高さはおよそ電信柱くらいで、大きさは大体ワゴン車程。脚やそれに値する器官は見当たらず、ずりずりと這ってアージェンの方ににじり寄って来ている。その醜い身体から漂う、腐った卵のような悪臭が鼻についた。
ぐちゃぐちゃの不定形な身体から生えてる腕は、正確に左右対称に配置されている。うち中心の二本の掌に、今にもぼとりとこぼれ落ちそうな目玉が一つずつくっ付いていた。
「やっほー、ご同輩。気分はどうだい? こっちは最悪だよ、あんたみたいな臭い不細工とダンスする羽目になってなぁ!!」
一見柔らかそうに見える身体だが、少なくとも腕は凄まじく硬く、そして強い。まともに盾で受け止めれば骨が砕けそうな程の衝撃が来るし、魔法の防御壁も一発でぼろぼろになり使い物にならなくなる。
軽口を叩きながら、彼女はまさに踊るように猛攻を捌く。しつつ、アージェンはメニューを操作し、敵のステータス画面を開示設定で出した。種族は半魔、レベルは85。文句無しの強敵だ。
(一発でも攻撃は漏らせねぇ……っ)
しっかり盾で防いでも、ダメージが通って来る程の攻撃力。彼女より防御力の低い仲間たちには、一撃たりとも喰らわせられない。レオロでもHPを半分以上持ってかれるだろうし、もしフュールや晴嵐が喰らったら一巻の終わりだ。
「ma'u'ei doi fagli ko klama .i ganra sance le'o lo so'i fagri ma'u'oi
zi'e'ai doi fagri sicpi ko carvi!」
そんな中、フュールによる詠唱がアージェンの耳にも届いた。無事に晴嵐と共に敵の攻撃範囲外に逃れられたらしい。間もなく、上空から無数の炎の礫が降って来て、すっかり宵闇に包まれた辺りをちらちらと照らしながら敵を焼いた。
「ma'u'ei doi dunja sicpi ko klama .i .ii ganra brife .ei lo lekyxagji si'ervilti'a ma'u'oi
zi'e'ai doi bratu ko carvi!」
次いで飛ぶのは、辺りの気温を一時的に下げる程の冷気を纏った雹。こうして様々な形式の攻撃をし、どれが一番ダメージを稼げたかで弱点を探り出すのだ。
だが現状“魔神”は炎も氷もものともせず、アージェンを殴り回している。そうしてじりじりと削られるHPを補うため、彼女は魔法を詠唱した。
「ma'u'ei lo za'i cortu kei mi cu nalrigni .iku'i fe mi nau catra .e'anai.a'o ma'u'oi
zi'e'ai mi lo jmive nejni cu co'a tisna .o'unai」
自身のステータス画面に、『リジェネ』のアイコンが出現し、三分の二程度まで削られていたHPが徐々に回復し始める。同時に、主に左腕に蓄積していた痛みが多少和らいだ気がした。
アージェンが攻撃を引きつけ、時折挑発を掛け直してヘイトを稼ぐ傍ら、タゲが剥がれない程度に晴嵐とレオロがダメージを与え、フュールが弱点を探す。やがて、どうやら電撃に弱いらしい事を突き止めた辺りで、八本の腕で殴って来るばかりだった敵が動いた。
まず、ぴたりと打撃が止んだ。一体何だとアージェンたちが身構えると、ヘドロの身体の中心部分がぱかりと開き、空ろな黒い穴が現れる。そしてゲップとゲロを一度に吐いてるようなおぞましい声で、何やら唱え始めた。
「ma'u'ei mi makfa .i ko mrobi'o .i ko canci .i ko spoja .i ko cliva .i ko manku .i ko terpa .i ko dunku──」
魔法だ。恐らくは、凄まじく強烈なのが飛んで来るだろう。まともに喰らったらそれこそ消し炭にされかねない──対抗する為、アージェンは防御魔法を組み上げ始める。
「ma'u'ei be'e selsa'a be mi……
ko binxo lo noi ke'a lo kamymro cu vimcu ku'o bapli gi'e zbasu lo gasta bandu
.ije ko binxo lo noi ke'a mi lo ro kamkusru cu bandu ku'o jdari dinju ma'u'oi
zi'e'ai mi lo makfa ke bitmu minra cu zbasu!」
すると彼女が掲げたメイスを中心に、半透明の青色をした円形の防壁が展開された。半分以下にまで減ったMPをポーションで回復させながら、敵の魔法が放たれるのを見届ける。
「──.i ko mrobi'o .i ko canci .i ko spoja .i ko cliva .i ko manku .i ko terpa .i ko dunku .ije mi catra ko ma'u'oi
zi'e'ai sepi'o lo ro nejni mi daspo do」
ゲロゲロとした声に乗せて、実行文が詠み上げられる。同時に、眩い光の太いレーザー光線が“魔神”の口のような部分から発射された。
耳を劈く音と共に、アージェンに真っ直ぐ向かって来るそれを、防壁が受け止める。視界を真っ白に染め上げられる中、アージェンは仲間たちに向けハンドサインを飛ばした。
盾を持ったままの左手で、ぐいっと三度敵にパンチをするようなジェスチャー。およそ『デカイのをぶちかますぞ』という意味の身振りだ。
網膜が焼き切れるような光量の中、しかし仲間たちは確と彼女の指示を認め、答辞の代わりに得物を構え直す事で応えた。やがてビームが途切れると、今度はアージェンの防壁が激しい光を纏い出す。
「さぁ、ここからが本当のショウタイムだ」
ニヒルに口角を上げながら呟いたその言葉を合図として、まず防壁からカウンターのレーザーが発射された。彼女が展開した防壁はただの防御壁ではなく、受け止めた魔法を70%程の威力で反射するリフレクターだったのだ。
防壁が砕け散る音と共に放たれたカウンターは、大きく開けられた敵の口に飛び込み、そして膨大なダメージを叩き出した。その衝撃に動きを止めた“魔神”に、素早くレオロが飛びかかる。それを捉えたアージェンは、彼の剣に対し付与魔法を発動した。
「ma'u'ei .e'e ko caze'i co'a sisti ma'u'oi zi'e'ai ko lo lindi xrani cu selvau!」
衝撃に呼応して電気を放つ魔力を、レオロの携える長剣に纏わせる。そして隙だらけのヘドロの背後まで回った後、彼は思いっきりその刃を不定形の身体に突き刺した。
バチッ、という弾けるような音がして、アージェンが作れる最大火力の電流が、“魔神”の身体に直接叩き込まれる。名状し難い叫喚と、腐った卵の臭いと髪の毛が焼けるような臭いが混ざった異臭が放たれた。
「ma'u'ei doi terlindi ko frati .i mi me lo termakfa──」
フュールの力強い詠唱が聞こえ始めた。まだビリビリと痺れて動けない“魔神”に、最後の一撃をかますためのコンセントレーションだ。
「これでもくらえ、なのでありますッ!!」
彼の詠唱が響く中、晴嵐が敵の飛び出た目玉を狙撃した。目潰しはかなりのヘイトが発生してしまうのだが、敵の注目は今自分の魔法を跳ね返したアージェンに一極集中しているため、それくらいなら問題ない。
両目に一発ずつ、見事に矢が突き刺さる。だがそれだけでは完全に視覚能力は失われていない様で、敵のステータス画面に現れたのは『視力低下・強』に留まった。それを認めた晴嵐は、靫から更に二本の矢を抜き出し、そして番えた。
「──.i sance .ei lo lindi .ije ko jelgau .ia──」
フュールの詠唱と、レオロの掛け声と剣を振るう音。それに紛れ、二発の矢が放たれる音が殆ど繋がって聞こえた。順調だ──ニヤリと笑い、自分も攻勢に移ろうとした、その瞬間であった。
「うっぐっ!?」
背中に衝撃を感じた。同時に痛みが広がる。一体何が起きた、とまず前を見上げると、先ほど“魔神”の両目目がけて放たれた筈の矢が、片方しか届いてない事が見受けられた。
「あ──司令官殿っ! 申し訳ございませんッ!!」
「い、良いっ……早く次を……っ!」
要するに、晴嵐に誤射されたのだ。深く彼女の背に刺さった矢は、どうやら肺を傷つけたらしく、息をして声を出す度に痛みが増した。その場で踞りたくなるが、何とか堪えて踏み止まる。
一言謝罪を述べた後、晴嵐は再び矢を放ち、今度こそ確と敵の目玉を打ち抜いた。完全に視覚を失った敵が滅茶苦茶に腕を降り始めたので、レオロは一時退避する。
「──tezu'e lo nu daspo lo pacycei gi'e sidju tezu'e lo nu bandu lo vu'e jatna be mi ma'u'oi!」
間もなく、フュールの詠唱が完了した。星空の中に展開された魔法陣が、ばちばちと紫電を放つ。
「zi'e'ai doi lindi ko farlu!」
瞬間、円陣の中心から稲妻が発生し、そして“魔神”に落ちた。そのまま陣は間髪も入れず次々と雷撃を発射し、ヘドロの身体を黒焦げにしてゆく。
やがて、フュールのMPが尽きると同時に敵のHPも0になり、魔法陣も消えた。黒こげの表皮の割れ目から、毒々しい紫色の液体を漏らし始める“魔神”の死体を前に、アージェンは今度こそ踞る。
「いっ……たぁ……」
「アージェン!」
そんな彼女に、いち早くレオロが駆けつけて来た。彼の顔を一瞥し、アージェンは背に刺さる矢を示す。
「ぬ、抜いて……」
背中に刺さった物を自分で抜くのは難しい。しかもこれの鏃には、抜け難くする為の返しが付いているのだ。レオロは頷き、片手で矢を掴みもう片方の手でアージェンの背中を押さえる。
「痛むぞ、覚悟しろ──ふッ!!」
「ぎっ……!」
いくらかの肉と共に矢が抜け、胸の辺りの違和感が消えた。息をするのさえ苦しいのは相変わらずだが、異物が無くなったから魔法で治す事が出来る。
「ma'u'ei cortu .i mutce cortu .u'onai ma'u'oi zi'e'ai tolxai」
一気に息を吸い、一気に短めのロジバンを吐き出す。そして回復魔法が発動し、傷口が塞がると同時に痛みが引いてゆく最中、後衛からこちらに駆け寄るフュールと晴嵐の姿を視界に捉えた。レオロの手を借り、彼女は立ち上がる。
フュールを殆ど置き去りに走る晴嵐は、アージェンたちから少し離れた所で急ブレーキを掛け停止する。何ぞやと思っていると、彼はその場からこちらに向かってジャンプをした。
「申し訳ッ、有りませんでしたァ!!」
ジャンプからの宙返り、そしてスライディングからの土下座。高い身体能力を惜しみなく利用した、無駄にアクロバティックな晴嵐の謝罪に、アージェンも流石に面食らった。
四人の中で最も小柄な体躯を縮こまらさせ、地面に額を擦り付けて許しを請う晴嵐。その姿にどう声を掛けたら良いのやら、とアージェンは一瞬動揺したが、すぐにそれを呑み込んで言葉を紡ぎ始めた。
「あー……そう気負わないでくれよ、誰だってミスは有る」
「そ、それでも、この晴嵐、あろう事か司令官殿に誤射をするとは一生の不覚! 何と詫びれば良いのやら……!」
「謝罪はその辺にしてくれ、もう十分だ。ホラ、わたしは無事なんだからさ」
そう言うと、晴嵐は漸く顔を上げた。額に付いた土の跡が哀愁を誘う。すると、アージェンの隣に佇んでいたレオロが徐に腕を組み、険しげに溜め息を吐いた。
「……真面目に考えて、さっきの誤射は本当に危なかったぞ。当たり所が悪ければ、アージェンが戦闘不能になっていたかもしれないし、それでもしフュールが敵を殺し切れてなかったら、俺たちは全滅していた」
「うう、本当に反省しているのであります……」
「レオロよ……過ぎた事をそんなふうにねちねち言ったって、致し方がねーだろ? 前見なきゃ、前」
「教訓とするにしても、それだけ重大なミスだったという事を、良く良く認識する必要が有るだろ」
それから、と彼は続ける。
「お前が自分の命を軽く見積もるのは、まぁこの際良いとしよう。言った所で無駄だし。
だが盾役で司令塔なお前に死なれたら、俺たちも危なくなるんだ。それに、その……、……仲間が死んで気分が良い奴は居ない」
「分かってるって、そんな事」
「分かってないから、戦いの前あんな事を言ったんだろう」
彼による説教の矛先が、どさくさ紛れにアージェンに向けられ始めた所で、漸くフュールがこちらに合流した。走って来た疲れにぜえぜえと荒く呼吸を繰り返すエルフに、アージェンは労るように微笑みかける。
「おう、お疲れ、フュール。回復薬を奢ってやろう」
「えふっ、ぜえっ、あふっ、うぇうっ……おながい、えほっ、します……げふっ」
持ってる中で一番強いMPポーションを彼に手渡しながら、仲間たちのステータス画面を検分する。アージェン自身とフュールのMP以外は、ほぼ無傷だ。妙な状態異常も出ていないし、これで一安心である。
「じゃあ、討伐した証拠取って帰ろっか。あーでも、コレをインベントリに入れるのは、なんかやだなぁ……臭い移りそう……」
「でしたら、目玉を抉って持って行けば良いと思うのであります。それで十分な証明になるでしょうし」
「グッドアイデアだ、晴嵐。そうしよう」
自身に嗅覚が具わっている事を怨みたくなる程の悪臭を放つ“魔神”の死体に、アージェンは息を止めたまま近づき、防御魔法の足場を使って目玉に手を届かせる。そして、目蓋も無く飛び出している、両手でも包み込めきれない程の大きさの目玉を、ナイフを使って小さな眼窩からもぎ取った。
「獲ったどー……なんてな」
小声でそう呟きながら、大きな目玉をインベントリに放り込む。もう片方のも取った後、彼女は小走りで死体から離れつつ、フュールに手を振った。
すると彼は頷き、分厚い魔法書を開く。そして仲間たちに少し離れる様促しつつ、詠唱を開始した。
「ma'u'ei doi fagri ko klama .i ko vimcu jelgau lo furyre'u .e lo kamymro ma'u'oi
zi'e'ai ko binxo lo fagyfesti!」
少しずつ形を崩し、液状になって地面に染み込み始めていた死体の周囲に、オレンジ色の魔法陣が出現する。その一瞬後、陣の中に青い爆炎が出現した。高温の炎が“魔神”を灰に変えてゆくのを見守りながら、アージェンはふと晴嵐の方を見た。
まだ誤射の件を引きずっているのか、勝利の狼煙を目の当たりにしているというのに、その表情は険しい。他ならぬ自分自身が、尊敬の対象を傷つけてしまったのだ、そりゃショックも受けるだろうし、自分が許せなくなりもするだろう。
そこにアージェンや他の者がとやかく言っても、こじれはすれど解決の助けになる事は無い。彼女はそう思い、炎の方に視線を戻す。すると、ぽつり、と彼が小さく呟いた。
「……メンテナンスが、必要……かも、しれません……」
誰かが聞き取る事を期待していなさそうな程の、小さな小さな吐息のような声。これは反応すべきか否か、と数秒程考え、やがて応じる事を選択した。
「晴嵐よ、メンテナンスが何だって?」
「えっ、あっ、あの……コホン。自分、結構稼働し始めてから長いですから、そろそろ専門の技術者の方に診てもらう必要があるかもしれないと、そう思ったのであります。ドロイド的な不調は、知識が無いと治し難いですから……」
アージェンの反応に、晴嵐は驚いた顔になったが、すぐに持ち直してそう言った。その返答に、ふむ、と考える。確かに、あのイーアイレアの古代遺跡で晴嵐が生まれてからは、こちらの時間で換算すれば十数年になる。
「じゃあ、イーアイレアに行けば良いのかな? II型に対するノウハウが有るかは知らんけど、あそこの『I.R.E.A.タワー』はドロイドの総本山だし」
「ええ……それが、最善だと……思われます……」
「……何か、不安でもあるのか?」
「何だか……何だか、怖いのであります。上手く言葉に出来ないのですが、けども何だか、メンテをするのが嫌なのであります……」
何故か暗い様子になる晴嵐に、アージェンは首を傾げる。分別もつかない子供でもないのに、メンテナンスを怖がるとは。何か理由が有りそうだが、どうするべきなのか──ううんと頭を捻っていると、敵の死体を焼き終えたフュールが口を挟んできた。
「何だか怖いのだとしても、ちゃんと診てもらった方が良いと思いますよ。ドロイドの事は専門外なので、こうとしか言えませんが……」
「う、うう、分かったのであります……ちゃんとメンテ受けますー……」
本を閉じ、度重なる大魔法の行使に隠せない疲労を浮かべながら、フュールはそう言う。返す晴嵐の表情は浮かないが、メンテナンスが必要である事は本能的に分かっているのだろう。
渋々と言った様子で彼が頷いた所で、彼女は転移の準備をし始める。あの“魔神”が居たから、現状他のモンスターは近くに居ないが、その安全もそう長くは続くまい。レオロがマフラーを直し、ちゃんと口元を隠し終えたのを認めた後、アージェンはエウデアへ向けての転移を起動させる。




