43:迫り来る明日
黒曜の月の次の『玉髄の月』、そのまた次の『金紅の月』の5日。その日の何処何処ギルドハウスは、久々の盛況を見せていた。
生き残っているメンバーのほぼ全員が入り口近くのカフェスペースに集まり、わいわいがやがやと空気を賑わしている。代理マスターのルシフェルが召集をかけたわけでもないのにこうなっている理由は、偏にネリネに依った。
「……やっぱ皆、現実の食べ物とかは恋しいのね」
そう呟く彼女の傍らには、空になった数個のガラス瓶が整然と並べられている。その瓶の中身たちは、ここに集ったメンバーのコップに注がれているか、既に飲み干されたかしていた。
「悪ィ、折角作ったソーダ、全部持ってかれちまったな……」
「ま、今回は許してあげるわ。あたしもこの事態は予想してなかったし」
頭を掻きながらばつ悪そうに言うルシフェルに、ネリネは腕を組んだままそう返す。あまりの騒がしさに眉を顰めながらも、しかし瓶の中身であったソーダを楽しそうに飲み交わす人々を見て、ネリネは少し嬉しそうにしているように見えた。
(まぁ、こういう明るい騒ぎは大歓迎だわな)
人の集団が生み出す喧噪は苦手だが、明るい話題がてんで無い今、こういう雰囲気になれるのは中々無い。アージェンはそんな風に口角を上げながら、空のコップを手の中でくるくると回した。
何故こうなったかというと、話は数十分程前に遡る。何となくカフェスペースでだらだらしていたアージェンの元に、ネリネが炭酸飲料の試作を持って来たのが、騒ぎの切っ掛けだ。
ネリネはルシフェルも呼びつけ、軽く砂糖で味付けされただけの炭酸水を試飲させた。多少味や炭酸が薄い等の改善すべき点は見受けられたが、しかしウンヶ月ぶりのソーダの味は大層二人を満足させた。
そこでルシフェルは、折角それなりの量が有るのだから、他の何処何処メンバーにも振る舞おうとネリネに提案した。彼女もそれを承諾し、ギルドチャットに『試作ソーダが出来たから飲みたい人はハウスに来て』というメッセージを流したのだ。
その結果がご覧の有様。結局一杯しかソーダを飲めなかったアージェンは、早くもネリネが次を作ってくれるのを楽しみにし始めながら、ぐるりとメンバーの面々を見回す。
「次は何を目指そうかしら……炭酸水の作り方は確立出来たから、それ関連のレパートリーを増やそうかな。コーラって、どうやって味付けされてるんだろ」
「コーラかぁ……コーラの実ってのを使ってるらしいけど、こっちの世界でそれに近いのを見つけるのは難しいだろなぁ。わたし、どんな奴か知らないし」
「確か、バニラやシナモンなんかがメインだと聞いた事が有るが……まだバニラの代替すら見つかってないんだよなぁ……」
しつつ、ぐだぐだと会話を交わす。こちらの世界の植生は、現実のとはかなり異なっている。だから現実の植物と全く同じ物は、殆ど存在し得ないのだ。
代用品を探すにしても、アージェンたちは香料なんかに関して完全に素人だ。もしかしたらその専門知識を持つプレイヤーも居るかもしれないが、現状そういった人物は見つかっていない。
「まぁ……ともかく頑張ってなんやかんやしてみるわ、なんやかんや。時間はたっぷり有るし、ね」
遠くを眺めるようにしながら、ネリネはそう呟く。と、その辺りで、騒いでいたメンバーの一人がルシフェルの元にやって来た。
「あの、ルシフェルさん、ちょっと訊きたい事が有るのですがー……」
「む、何ですか?」
「そのー……今度、このギルドハウスに、NPCの仲間とかを連れて来ても大丈夫でしょうか?」
彼の問いに、ルシフェルはぴくりと翼を震えさせた。そして、考え込むように異色の双眸を閉じる。そんな代理マスターの顔を、アージェンは質問しに来た彼と一緒になって神妙に見つめた。
時折どさくさ紛れにNPCがここにやって来る事は有ったが、面倒なのでこれまでは黙認して来ていた。だがこうして問われたなら、この機会にルールを明文化させてしまうのが得策だろう。
考えはルシフェルも同様だったようで、やがて彼は目を開き質問者に向き直った。そしてこう言う。
「……なら、メンバー一人につき、NPC五人までなら連れて来ても良いという事にしましょう。それ以上の場合は、オレに相談してください。
それと、連れて来たNPCの世話は、各々でちゃんと見てください。何が有っても自己責任、という事で。
ギルド画面の紹介文部分にも書いときますが、他に連れて来たいって人がいたら、良ければ伝えておいてください」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
返答を声に乗せる最中、ルシフェルはメニューを開き、新ルールの事をギルメンへとアナウンスし始める。そして早速友人たちに伝えに行った彼の背を見送りながら、アージェンは頬杖を突いた。
「……わたしも、あいつらの事連れて来ようかな」
「ん、アージェンさん所は何人だっけ」
「三人だから大丈夫だな。有事の際の緊急避難先としちゃ、これ以上無い程優秀だし、ここ」
他のNPCから守るにしても、プレイヤーから守るにしても、絶海の孤島に在る何処何処ハウスは籠城拠点として優秀だ。一度でもここに訪れた事が無い限り攻め入るのは難しいし、何処何処メンバー以外でここの事を知るプレイヤーは殆ど居ない。NPCの為の水や食糧も、インベントリを使えばいくらでも蓄えられるし。
「成る程な……うん、その通りだ。オレも、彼女にここを紹介しようと思う」
「あたしはー……あたしのアトリエが落とされる時は、多分ここも落ちてるだろうしなー……」
二人は二者二様に漏らす。そこでさらりと『彼女』という言葉を口にしたルシフェルに、アージェンは尊敬の様な感情を抱いた。恋人の存在は、既に彼の中にしっかりと組み込まれているのだな、と。
「そういやルシさん、彼女とはどうなの? よろしくやってる?」
「それなりにな。充実してるよ」
多くは語らず、しかし彼の顔には幸福が表出している。その表情に危うさは無く、余程の事が無い限り彼はもう発狂しないのだろうな、と予測する事が出来た。
「ま、末永く爆発しやがれよ? 折角好き合って付き合い始めたんだから」
「爆発はしたくないが、末永くはするさ」
そこら辺で話題が尽き、ふつと会話は途切れる。そうして暇になったアージェンが、手慰みに自分の耳をぴこぴこと弄り倒し始めると、不意に一人のメンバーがハウスの中に入って来た。
そのふらふらとした足取りに、危なっかしいなとアージェンは彼女を見守る。するとその表情から、彼女が尋常でない程の放心状態である事が読み取れた。
アージェンは驚き、腰を浮かしかける。だがそれよりも先に、彼女の友人らしい女性が駆け寄って行った。放心している彼女は、そのままばたりと友人の方に倒れ込み、受け止められる。
「どうしたの、くーちゃん!? 一体どうしちゃったの!?」
「あ……あ、あ……あの、ね……」
ネリネやルシフェルも、彼女の事態に興味を持ったらしく、そちらの方に視線を向ける。心配そうに眉尻を垂れさせる友人に、『くーちゃん』と呼ばれた彼女は、やっとといった様子で声を漏らし始めた。
「殺され、ちゃったの」
「え? ……だ、誰が?」
「私のね、仲間のね、エタ君がね……殺されたの、プレイヤ、に──」
瞬間、慟哭が響いた。言葉にも成らない彼女の痛みが、その場に居る全ての人々の鼓膜を殴り回す。アージェンは思わず耳を塞ぎ、悲鳴が収まるのを待った。
やがて叫びが嗚咽となって大人しくなった所で、アージェンはルシフェルの方に目配せする。そして小声で言葉を投げかけた。
「……後であの子が落ち着いたら、犯人について聞き取りをしてくるわ」
「ああ、頼む。……しかし、いよいよこういう被害が出たか……」
友人に連れられて外に出てゆく彼女の姿を見送りながら、ルシフェルは苦虫を噛み潰したように言う。アージェンも同意するように頷き、そわそわと三つの通信腕輪を撫でた。
プレイヤーの仲間のNPCと思われる者が、他のプレイヤーによって殺害された。NPCと共に生きているロールプレイヤーにとって、これ以上無い程に由々しい事件だ。ソーダで騒いでいた人たちも、すっかり浮き足立っている。
「……強く、ならなくちゃ」
先ほどまでとは別種の、居心地の悪い喧噪に満ちてゆく中、アージェンはそう呟いた。『正気を失いたくない』という狂気を帯びた、強固な決意と共に。
如何なる悪意が向けられようとも、それをはね除けられるくらいの強さが、要る。例えプレイヤーの全てが敵に回ったとしても、レオロたちを守り抜ける程の力が。
「ねぇ二人とも、わたしのレベルで効率良い狩り場って有るかな?」
「んん……専門外ね。あ、でも、レベル上げするならPT組ませて。あたしもキャラレベル上げたいし、最低限の支援はするから」
「そうだな……なら、こことかはどうだ。いや、オレたち三人で組むなら、もう少し上いけるかな」
ネリネもルシフェルも似たような事を考えていたようで、三人はすぐに結託し、レベリングの計画を立て始めた。目指すはレベル100、まずはそこまで上げなければ話にならない。
(ああ、怖いなぁ……今こうしている間にも、あいつらが死ぬ可能性が有る……)
燻り続ける不安感を誤摩化すように、アージェンは頭を動かす。その間、彼女は終始腕輪を撫で続けていた。
レベリング計画を立て終えた後、何処何処メンバーの一人『くーちゃん』こと『久遠猫』の仲間を殺した犯人について聞き取りを終えたアージェンは、それをキーマに報告する為の書面を作成していた。
彼女は相当錯乱していたが、何とか敵の特徴を聞き出し、そこから似顔絵を作成する事が出来た。画像をメールに添付する事は出来ないから、書類もろとも直接キーマに提出する予定である。
「……だが、アージェンさん」
「何かね、ルシフェルさん」
「ちゃんと逮捕されるんかなぁ、犯人」
アージェンの宿舎自室にて、出来上がった書類の校正をしながら、ルシフェルはそんな疑問を口にする。その言葉に、自分が描いた似顔絵に色鉛筆でカラーを付けているネリネが応答した。
「どうしてそう思うの?」
「……もし犯人が《蓮の糸》のメンバーだったり、メンバーと親しい者だったりしたら、有耶無耶にされる可能性が有るんじゃないか、ってな」
ルシフェルのそんな推測に、アージェンは難しい顔になった。《蓮の糸》とて一枚岩ではない、寧ろ烏合の衆と言った方が正しいレベルの組織だ。今はまだ秩序が保たれているが、それも何時まで保つか分からない。
「有り得るなぁ……」
アージェンは同意する。最悪、自分たちの独断で動き、犯人を見つけ出して血祭りに上げ、因果応報を示さねばならないかもしれない。
「……風雲さんさえ居ればなぁ」
ぼやくルシフェルの声は、切実さを孕んでいた。このギルドを設立したカリスマ持ちであり、恐らく誰よりも視野が広い彼が居れば、現状に対する妙案を示してくれるかもしれないのに。
(風雲さんか、ヘイゼルさん。どちらか片方でも残ってれば、あるいは……)
有り得もしない仮定を想像しても、何の意味も無い。けれども、アージェンは幸せなif妄想に逃げ込むのを止められなかった。




