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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第五章:理想郷症候群
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42:カルネアデスの告白


「──その昔、この地に二つの星が舞い降りた。その名を、アルファルドとベネトナシュという。

 ベネトナシュは人々を脅かす“魔神”を封じるため、ここに世界樹を迎えた。アルファルドは“魔神”から外の脅威から民を守る為、結界を創成した。

 二柱の神々によって安寧を齎された民は、世界樹の枝に『ベネトナシュ』、そしてこの地そのものに『アルファルド』という名を託し、その恩寵を忘れない事を誓った──」


 月明かりだけが青白く照らし出す部屋の中で、青年は母に教わった伝承をぶつぶつと諳んずる。それ程気温が低いわけでもないのに彼の膝は震えており、元々色素が濃い方ではない顔は更に生白くなっていた。

 細い指で緑色の腕輪の縁をなぞりながら、彼は静かに待つ。彼にとっての絶対存在、唯一の主であり、そして救いの女神たる彼女の訪れを。




 フュールが滞在しているという宿屋は、割と街の中心部に近い、少々値は張るがその分快適さは保証されている所だった。彼方此方から夕飯の良い匂いが漂って来る中を切り抜けて来たアージェンは、帰りには何か食べていこうかな、と空いたような気がする腹をさする。

 奇異やら邪推やらの視線が向けられるのをしんどく思いながら、彼女はフュールの部屋の前までやって来た。コンコンコンと軽くノックしながら、通りやすい声を投げかける。


「おーい、フュール? わたしだ、アージェンだ」


 するとやや有って足音が聞こえ、鍵が解除される音と共に扉が開いた。昼間見た時よりも更に悪い顔色のフュールを見上げ、アージェンは一瞬眉根を寄せる。


「……大丈夫なのか? 随分と具合が悪そうだが」

「心配には及びません。わざわざ来てくださって、本当にありがとうございます」

「体調が悪いなら、無理せず言って欲しいんだが……まぁ良い、入るぞ」


 肩を竦めて言いながら、彼女は開かれたドアの隙間から身体を滑り込ませる。そして閉じられる扉と鍵と、入れ替わるように点けられる照明の音を聞く。そうして明るくなった室内に、アージェンは主よりも先に踊り出た。


「で、何だ。こんな美少女をこんな夜分に呼びつけて、ナニするつもりだい?」


 同時にキシシとわざとらしく言いながら、彼女はフュールをからかう。すると彼は少し困ったような顔になり、これまたわざとらしく溜め息を吐きながらこう返した。


「それで、僕が本当に“そういう事”をするつもりだったらどうするんです?」

「ハッ、あんたがわたしに腕っ節で勝てるわけ無いだろ? それに、あんたがそういう無体を働く奴じゃねえってのは、よくよく理解しているし」

「っはは、それもそうですね。僕は弱いですから」


 些か緩んだ表情で、彼は備え付けのテーブルの椅子を引き、アージェンに指し示した。椅子は一つしか無いので、彼自身は寝台に腰掛ける。

 彼の魔法は強力だが、それにはどうしても詠唱の隙が生まれる。だからもし今彼ががアージェンを魔法で捕まえようとしたとしても、その詠唱が完成する前に止めるなり逃げるなり出来るのだ。


「ま……口説きたいってんなら受け止めてやるぜ? わたしがその気になるかは知らんがな」

「ハハ、面白い冗談ですね。またの機会に善処させて頂きます」


 互いにその気が無いと分かり切っているからこその、冗談の応酬。『永遠に保留します』という含意の切り返しに、アージェンは細く高く笑いながら椅子に座った。


「──で? そろそろ本題を聞かせて貰おうじゃないの」


 良い具合に相手の気も解れた所で、彼女はそう切り出す。するとフュールは再び表情を強張らせ、言葉を探すように耳を上下させ始めた。


「……二つ。話したい事は二つ有ります。内片方は“ベネトナシュ”の事で、もう一つは……」


 言い難そうに言葉を濁らせる彼を、アージェンは急かす事もせず黙って見守る。“ベネトナシュ”の方は然程でもないようだが、もう一つは余程口を噤みたい事であるようだ。やがて、彼は軽くかぶりを振って次ぐ言葉を紡ぐ。


「いえ、とにかく、話しやすい方から話します。……両親がアルファルドを離れた理由を、やっと思い出したんです」


 記憶の書庫の深奥に押し込められた事柄を、一つ一つ掬い出して思い起こすように、彼は両目を閉じる。


「何十年も前に聞かされた記憶ですから、所々抜けが有りますけれど……」

「そんなに昔の事なのか?」

「貴方と出会ってから、もう20年くらいになりますしね。……そう考えると、本当に長いなぁ。身内を除けば、今まで付き合って来たどの友人よりも。

 っとと、話が逸れました。とにかく、母の話によれば……“ベネトナシュ”とは、生贄の儀式なのだそうです」


 ピクリ、とアージェンは眉を動かす。それは予想出来ていた。歌姫の少女に追い縋っていたエルフの少年の姿は、喩えるなら戦地に赴かんとする子供を引き留める親の様であったから。


「アルファルドの安寧と引き換えに、年に一度、神樹の神は贄を求めます。なので、政府は毎年生贄を用意します。身寄りの無い、エルフ以外の者の中から。

 生贄として選ばれた者は、そのまま“ベネトナシュ”と呼ばれます。彼らは一年かけて最低限の魔法能力を身に付けさせられた後、ああして特別な魔法を使わさせられて……そして、死ぬのだそうです。

 実際に“ベネトナシュ”が死ぬ所を、まともな──あのカエルの面を着けてない状態で見た事が有る者は居ないらしいですが……“ベネトナシュ”となった者が生きて帰って来た事は、一度たりとも無いとの事です」


 いつも通りに柔らかな語り口と、しかし硬質さを帯びた声。そんな彼の言葉によるネタばらしを聞きながら、アージェンは考える。

 物語の題材としての『生贄』というモチーフは、割と好きな方だ。ネガティブにナンセンスに終わるのも良いし、因習を覆すヒロイックな展開も良い。だがこうして実際に目の当たりにすると、そういう『萌え』の感情より『嫌悪』の想いが湧き上がって来た。


(……実際?)


 ナチュラルにこの世界を現実と認識していた事に思い至り、アージェンは瞬きをした。『ヒョはゲームだろ、目ェ覚ませ』と言い聞かせるように目を擦ろうとして、はて、と考える。本当にこれをゲームと思い続けていて大丈夫なのだろうか、と。


「──だから、そんな悼ましい犠牲の上に暮らすより、余所で暮らした方が良い……そう考え、僕の両親はアルファルドを出たそうです」


 そんな彼女の内なる困惑を知る由も無く、フュールは言葉を紡ぎ続ける。なので、アージェンは一旦その思索を打ち切り、彼の話を聞いてやるのに専念する事にした。


「生贄、ねぇ……『神』なんて胡乱げな奴に、どうして大切な国民の命を捧げられるのかね」

「まぁ……話だけだとそう思うかもしれませんが。過去に“ベネトナシュ”を止めようとした事は何度か有ったそうですが、数日と経たないうちに大結界が弱まり、気候が乱れ、悪霊等の魔物が突如として市街地に出現したりしたそうです。この良環境に慣れ切った国民では、この土地本来の環境では生きてゆけません。

 それに……アルファルドでは、エルフ以外の種族の地位は、あまり高く有りません。一部のエルフにとって、ぽんぽん増えては死ぬヒューマン等の短命種は、その、著しく命の価値が低いというか……言い方は悪いですが、家畜のようなモノなのです」


 家畜とは、また随分な言い方だ。フュール自身が他種族をそういう目で見ているわけではないのだろうが、どうしても気分が悪くなる。その感情の変化を悟られないようにしながら、アージェンはこんな感想を漏らした。


「病んでるな、なんとも」

「……ええ、全くもってその通りだと思います。アルファルドの人たちは皆、理想郷症候群に罹っているのですよ」


 彼の洒落た言い回しに、アージェンは感心を込めて唸った。『理想郷症候群』とは言い得て妙だし、彼女の中の14歳が喜ぶネーミングだ。と、また話が脱線しそうになっていたので、アージェンは咳払いをして戻そうとする。


「ま、ともかく、アレの次第は大体分かったよ。説明してくれてありがとうな」

「いえ、ただ、僕は……貴方に……」


 すると対するフュールは、双眸を固く閉ざしたまま顔を俯かさせた。暫しの間沈黙が満ちるが、やがて彼は心を決めたように、しかし細い声で言い始める。


「ねぇ、アージェンさん。貴方は今まで、僕の過去を必要以上に探ろうとしたりはしませんでしたよね」

「ん? ああ、あんたが話さないって事は、まだ話したくないって事だと思ったしな。誰にだって、打ち明け難い秘密は有るだろ」

「ええ。本当なら、墓まで持って行ったであろう事です。僕は……貴方に失望されたくなかった。

 どちらにせよ、貴方に知られれば見捨てられるかもしれませんが……不慮の事故で知られるよりは、いっそ自分で言った方が……折角アルファルドに来たのですし、多分良い機会なんです……」


 徐に片眼鏡を外しながら、彼は数度深呼吸をした。これでもかと垂れさせられたエルフ耳が、何とも哀れに揺れている。


「……僕の両親は、ユガタルファ王国の西の方のとある街で結婚し、そこに定住しました。とはいえどうにもヒューマンたちとは馴染めず、町外れの森の中に家を建てて暮らしていたのですが。

 でも、平和で良い日々だったと思います。生まれてから60年くらい、決して豊かではありませんでしたが、大した問題も起きず、平穏に暮らして来ました」

「え? 60年、って……あんた今何歳なの?」

「今年で丁度、80歳になります」


 思わず真顔になってしまった。見た目通りの歳ではないのは確実だろうな、と思ってはいたが、約60年生きてきて11レベルだったのか。見た目は完全に青年なのに、五条あけみの父親よりも年上なのか。アージェンは目をぱちくりさせる。


「エルフってすげえんだな、本当……」

「まぁ、僕の場合ハイエルフですから、余計に外見が老けないんですよね。……話を戻します。

 けど、ある日魔物に襲われた事で、その日常は終わりました。両親にはそれなりに戦闘力が有りましたし、だからこそ町外れで暮らしてけたんですけれど……それでも敵わないモンスターがやって来たんです」


 それだけで十二分な悲劇であるように思えるが、彼の言いぶりはこれはまだ序の口と言わんばかりに聞こえる。アージェンは心を引き締め、話の続きを待った。


「……結界がいとも簡単に破壊されて……まず、母が殺されました。そして、父が、僕に……妹、を連れて、逃げろ、と……足止めの為に残って……」


 段々と彼の声は途切れ途切れになる。そんな中、『妹』という新出単語が、奇妙な存在感を伴って発せられた。


「でも、父もあまり時間稼ぎは出来なかったようで……それどころか、手負いになって凶暴化したモンスターが、逃げる僕たちを追いかけて来て……」


 そこまで言った所で、フュールは両手で顔を覆い、いよいよ嗚咽を漏らし始めた。カチカチと鳴る歯を抑えられぬまま、彼は懺悔するように声を絞り出す。


「アージェンさん、どうか僕を嫌わないでください。僕はどうしようもない罪を犯したクズです、でも、貴方に幻滅されたくない……!」


 幾重にも予防線を張る彼に、アージェンは静かに頷く。それを相手が捉えたかどうかは分からないが、彼は堰が決壊したように告白をし始めた。


挿絵(By みてみん)


「迫り来る魔物に……当時の僕の力じゃ、追い払う事も出来ないから……だから僕は彼女を犠牲にしたんです!!

 僕は! まだ20にも満たなかった、可愛い妹を! 守るべき存在を! 命惜しさに! 魔物の! 餌に!!」


 叫ぶ様に告げながら、彼は自身の頭を掻きむしった。ここまで取り乱す彼は珍しい。自分に対する嫌悪と侮蔑に、彼の表情は愉快なまでに歪み、絶え間なく変化し続けている。

 『妹』という単語が中々出て来なかったのは、そこから生まれる自責の念を無意識に嫌ったからなのだろう。長い髪の毛をぐしゃぐしゃにした後、フュールはその内しくしくと再び泣き声を漏らし始める。


「……そうして僕は生き延びました。満腹になったのでしょう、魔物はそれ以上追って来ませんでした。

 でも、僕は怖くて……元の街に戻れば、家族はどうなったのかと訊かれるでしょう。そうでなくても、僕たちを知る者が僕を見つけたら……そしたら、僕は妹を見殺しにした事を……!!

 ……あの時は、本当に取り乱していました。そんな事より、適当な街で保護を求めた方が良いのに。

 それで、途中盗賊に襲われ、身ぐるみを剥がれ……っと、ここから先は、アージェンさんも知ってますかね」


 話しているうちに多少落ち着いたのか、最後の一言は微笑みながらであった。だがその頬には涙の痕がハッキリ残っており、目は腫れ始めている。

 一通り話し終えた彼は、軽く目を伏せさせながら何かを待つようにしている。恐らくは、アージェンが何か言うのを待っているのだろう。そう受け取った彼女は、数度瞬きをした後口を開き始めた。


「……そんな事が有ったのか。辛かったな、苦しかったな、良く頑張ったな」


 幼い子供をあやすような口調で、彼女はそう声をかける。正直、こうまで重い過去を持つ者と実際に向き合った経験は無いので、どういった言葉をかけるのが正解なのか全く分からない。しかし、これに沈黙を返すのは愚策であるというのだけは分かった。


「確かに、あんたのやった事は間接的な殺人だったかもしれない。でも、わたしにはあんたを裁く事も出来ないし、許す事も出来ない。その権利が無いからな。

 けどな……わたしは、あんたが生きていてくれて良かった。あんたが生きて、わたしの仲間になってくれてなけりゃ、晴嵐とも、レオロとも出会わなかったかもしれないから。

 あんたみたいな良い仲間と、友人と巡り会えて、わたしは心から良かったと思っている。長らく付いて来てくれてる事に、心から感謝している。

 ……だから、そう自罰的になりなさんな、フュール。あんたの生はわたしの救いなんだ」


 だがそんな動揺を胸の内に仕舞い込み、あくまで泰然を装って気遣うと、フュールは深く深く息を吐き、そして笑い声を上げた。安堵と解放感とを孕んだその声は、アージェンの態度が正答であったらしい事を物語っていた。


「ハ、ッハハハハハハ……ハァー……貴方は……本当に、貴方は……僕の、理想の親分ですね。貴方に巡り会えた事は、僕にとって最高の幸運なのかもしれません」

「よせやい、照れるだろ? ……心境に整理はついたか?」

「ええ、おかげさまで。ありがとうございました」


 柔和に頭を下げる彼に、アージェンは内心胸を撫で下ろす。ここで選択肢を間違って、思い詰めた彼に自殺でもされたら堪ったものじゃなかったから。


「ここまでの安堵を感じたのは、あの時アージェンさんに助けていただいた日以来ですね。……本当に、僕は貴方に救われてばかりです」

「わたしも相当あんたに救われてるんだ、お互い様さ」

「……これからもどうか、末永くよろしくお願いします。貴方に付いて行く事が、僕の生き甲斐ですから」

「こちらこそ」


 常並の穏やかさを取り戻し、モノクルを掛け直したフュールに、アージェンはそんな風に言ってクククと笑った。ならば、死ぬまで思う存分振り回してやろう、と。

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