41:泣き叫ぶ歌姫
アルファルド首都ヒドレに到着してから、数日程。マイペースに観光したり、時折街の外で狩りをしたりしながら、アージェンは奇妙な違和感がこの街に満ちている事に気付いていた。
これだ、と言えるおかしさを挙げる事は出来ないのだが、小さな歪みが幾つも重なり合い、えも言われぬ居心地の悪さが醸し出されているような、そんな具合だ。未だに消えない微弱な吐き気も相まって、気分が悪い。
その違和感には他の仲間たちも気付いており、ちょくちょく意見交換をしていた。もしかしたら何らかの強大な魔物の影響かもしれないし、想像もつかない事の前兆かもしれないからだ。
だが現状、ヒドレのマップ上に敵対反応は見当たらず、仲間たちにも形の無い違和感以外は感じられないようだった。こういう時風雲が居れば、アルファルドの設定から違和感の正体を導き出してくれたのかもしれないのだが。
その辺の通行人を捕まえ、何か有るのか、と聞いてみても、皆曖昧に首を傾げて誤摩化すのみであった。その反応から、確かに何かが有るらしい事は分かったが、それ以上は何も分からなかった。
(なんだかな~……)
ベネトナシュ神殿の土産物屋で、魔除けの効果があると言う木彫りの蛇の置物を買った後、アージェンは大通りを散策しながらくきくき首を傾げて考えていた。置物は後で宿舎の自室に飾る用だ。
謎の違和感とそれに関する事を除けば、ヒドレは本当に良い街である。食べ物も美味しいし、彼方此方で保護されている自然も綺麗だし、住人も旅人に親切だ。
腑に落ちないが、妙な雰囲気の原因を探るのは止めにして、『何か変だ』という事実だけ気に留めておく事にしようか──そんな結論を出そうとしていると、不意に周囲がざわつき始めた。
「はいはい、もうすぐこの道封鎖するよ~、家に帰るなりどっかに避難するなりしてね~」
何だろう、と辺りを見回すと、真っ白な鎧に身を包んだエルフたちが、道行く人たちにそんな呼びかけをしていた。白地に銀でツタの紋様をあしらった鎧は、アルファルドの騎士団の証だ。これはチャンスかな、とアージェンは騎士の一人の元に駆け寄る。
「あのー、すみませーん。ちょっと良いですか?」
「ん? 何だね」
「わたし旅の者なんですけど、こんな大通りを封鎖するなんて、何が有るんですか? 場合によっちゃ、連れにも知らせなきゃ……」
幼気な表情を作りながら、彼女は騎士にそう問う。すると彼は兜に大半を隠された顔に困惑を浮かべ、仲間たちと目を合わせた。
やがて騎士は優しげな苦笑を浮かべ、アージェンの問いに答を出す。
「これから……その、神聖な儀式がここで行われるんだ。だから、関係者以外は一旦別の所に行ってもらわなくちゃならないんだよ」
「神聖な儀式、ですか?」
「ああ、そうだ。ちゃんと別の所に避難してれば危ない物じゃないし、もし心配なら、その連れの人にも伝えると良い」
「分かりましたー。お兄さん、ありがとうございました!」
ぺこりと一度お辞儀をした後、アージェンは言われた通りにその場を立ち去り、道沿いの適当な店に入り込んだ。雑貨屋らしいそこに居座る態勢になりながら、彼女は思索を巡らせる。
(……もしかして、『神聖な儀式』とやらが、このよく分からん雰囲気の原因か?)
『神聖な』という形容詞と、ここが神樹ベネトナシュのお膝元である事から考えるに、これから行われる儀式とやらはきっとベネトナシュ関連の何かなのだろう。宗教とは得てして複雑な思惑が絡み付く物だし、だからヒドレは微妙な空気に包まれていたのか。
確証は無いが、あながち間違ってもいないだろう。アージェンと同じく避難して来た人たちで雑貨屋が俄に賑わう中、彼女は窓際に立って外を眺める。
「……そうか、今年も“ベネトナシュ”の季節か……」
雑貨屋の店主のぼうっとした声が聞こえた。これは毎年行われている儀式なのだろうか。彼の方を振り返って見れば、店が避難者で溢れるのにも慣れた様子で佇む中年エルフの姿が目に入った。
再び外に視線を戻す。白い騎士たちは通行人たちを追い払い終えると、徐に兜を外し、代わりに奇妙な木彫りのお面を被り始めた。抽象化されているので分かり難いが、アレはカエルのお面だろうか。
お面を被った騎士たちは、がらんどうになった大通りの両脇に等間隔に並び立つ。すると、やがて街の外側の方から伸びやかな高い歌声が響いて来た。
「ma'u'ei fi lo nu le melbi ke pa'evudgu'e tsani ku
no'u le noi lo cevni cu bandu ke'a ku'o tutra
cu veljbe .e le nu mi pu ba'o pu'i jmive kei cu ckire
.ije mi ri dunda」
ロジバンだ。やたらややこしい文構造だが、『美しいナントカの空』『神に守られている地』といった具合の意味が汲み取れた。如何にも呪文じみた内容に、成る程この歌声の主が儀式の主役なのか、と彼女は察する。
歌声に一拍程遅れ、騎士たちが先ほどと同じ呪文を合唱し始める。ふと気になって騎士の一人のステータスを呼び出してみると、『精神操作』の状態異常が現れていた。
(……あのお面が何か作用してんのかな)
一糸乱れずコーラスを重ねる騎士たちを、アージェンは険しい表情で見守る。メインの歌声の主は、どんどんと近づいて来ている。
「.i .uinai na badri
.i le'ocu'i kansa le munje
.i kansa do .iu」
やがて、歌姫が彼女の前を通りかかった。豪華な神輿に乗せられた、白無垢を着た少女だ。彼女のステータスを開けば、種族欄には『ヒューマン』と表示されていた。
「.i doi re'e cevni
da'i benji lo pe mi voksa do
.i .e'o ko bandu lo pe mi selpa'i
.i mi na terpa
.i ku'i ra xalni desku」
歌姫自身には、何ら状態異常は現れていない。それなのに彼女は、街の中心、神樹ベネトナシュへと進む神輿の上で、何かに取り憑かれたかのように一心に謳い続けている。
「.i .oi na dunku
.i .iicai kansa le cevni
.i kansa do .a'o」
甚く悪趣味な詠唱文を、少女は悲壮に謳い上げる。心態詞で悲しいと言いながら、命題では悲しくないと嘯き、苦しいと言いながら苦しくないと騙っている。彼女の背景は何も知らないが、なんだか気分が悪くなってきた。
「.i .uinai na badri
.i le'ocu'i kansa le munje
.i kansa do .iu」
と、その瞬間、雑貨屋から一人の人影が飛び出して行った。アージェンは素早くそいつに焦点を合わせる。
「ルーウ!!」
叫びながら駆ける彼は、エルフの少年だった。少年は歌姫の神輿目がけて真っ直ぐ突き進み、詠唱を続ける少女を引きずり降ろそうとする。
しかし、それはカエルのお面の騎士たちによって遮られた。演舞のような動きで騎士たちは連携を取り、神輿に追い縋る少年を追い払おうとする。
「ルウッ、ルウッ!! 聞こえてるんだろ!? 返事をしてくれ、あんたが“ベネトナシュ”になる必要なんて無いんだ!!」
悲愴に叫ぶ少年は、細く小さな身体で騎士たちの間をすり抜けながら、歌姫へと呼びかける。そんな彼の姿を、雑貨屋の中で待っている人たちは無表情に、努めて無感情に眺めていた。
「世界樹のクローンだか何だか知らないが、神樹なんておれが切り倒してやる! だからルウ、一緒に逃げよう!! こんな陰気な国なんて捨てて──」
少年の手が歌姫に肉薄する。が、しかし、その手は、少女に届く前に、騎士の剣に斬って落とされた。
「あ」
丁度手首の辺りで断ち切られた手が、ぼとりと神輿の上に落ちる。勢い良く血が溢れ出て、歌姫の衣装に赤い模様を生み出した。少年は叫喚する。
「ん、ギャアアアアアアアアアア!?」
その声に、歌姫は漸く少年の方に振り向いた。一瞬、彼と彼女の視線が交錯する。
痛そうな程に見開かれた瞳が、エルフの少年を認めた。しかし少女はそのまま目を逸らし、前に向き直る。
「……る、ルウ……」
呆然と崩れ落ちる彼を置き去りにして、少女を乗せた神輿は再び進み始める。少年を止める為に動いていた騎士たちも、彼が無力化したのを認めると、自分の持ち場へと静かに戻って行った。
「.i .oi na dunku
.i .iicai kansa le cevni
.i kansa do .a'o」
少女の歌声と騎士団のコーラスが、再び響き始める。力無く地面に倒れ臥す少年の姿に、アージェンは頭を抱える。
(……まぁ、大体分かったわな。謎の雰囲気の理由も、フュールの両親がここを離れた理由も)
あの歌姫が具体的にどうなるのかは分からないが、碌な事にならないのは確実だと思える。そうでなければ、少年もあんなに必死に少女を引き留めようとはしなかっただろう。
謎が解けて少しスッキリしたけれど、後味が酷く悪い。アージェンは小さく舌打ちをする。
「.i .uinai na badri
…….i ku'i
mi cinmo lo so'u seicni ma'u'oi」
やがて、詠唱終了の機能語が聞こえた。一層力強くなるコーラスが、最後の実行文を紡ぎ上げる。
「zi'e'ai doi banli .benetnacus. vu'e ko ze'eba sidju .e'o la .arfald.」
静寂が訪れた。ややあって、騎士たちのステータス画面から『精神操作』のアイコンが消える。気の抜けた様子で次々とお面を外す彼らは、そうして漸く血だまりの中に倒れる少年に気付いた様だった。
「お、おい、何だ、何が有ったんだ!?」
「大方、“ベネトナシュ”を奪還しようとしたんだろ……誰か、治療の魔法が使える者は居るか?」
「はい、私出来ます……けど、傷口を塞ぐのが精一杯です」
「それでも良い、やってくれ」
騎士たちはその惨状に驚愕しながら、ざわざわと彼の周りを取り囲む。儀式の間の記憶は完全に抜け落ちているというのだろうか、彼の手を切り落とした騎士までもがおろおろとしていた。やがて、他の騎士よりいくらか小柄な女性が進み出て、魔法の詠唱を開始する。
少年の目は、呆然と神樹の方を見つめている。手首が切り落とされた事より、歌姫に目を逸らされた事の方がショックなのだろう。
力無く細く涙を零す彼の横顔に、アージェンは、何となく、自分の姿を重ねた。あの時何も出来ず、何もせずにヘイゼルを見送った自分自身に。
(い……いや、ヘイゼルさんは帰って来るし)
あの少年と自分の境遇は大きく異なるだろう。そんなのは百も承知だ。なのに何だか目頭が熱くなって来て、彼女は片手で目元を覆う。本当に涙脆くなってしまった。
必死にこの場で泣き崩れたい気持ちと戦っていると、いつの間にか道路封鎖が解除されていた。アージェンはどうにか涙を引っ込めさせ、人の流れに乗って雑貨屋を出る。
(はぁ~……最悪な気分だわ。胸糞悪ィ……)
後で適当なモンスターでも狩って、憂さ晴らししてやろう。そうして眉間に皺を深く刻んだまま、彼女がずんずんと街の外に向けて進んでいると、ふと視界の端に目に優しい青磁色の髪が過った。
「……ん?」
「あ……」
そちらに意識を向けると、丁度相手と目が合った。顔を青白くしたフュールが、どこか呆然とした表情でアージェンを見ている。
「……どうも」
「おうよ」
逡巡の後、フュールは会釈をして再び歩き始めた。アージェンもそれに応え、彼とは逆の方向へ進む。
一目で尋常でないと分かる顔色だったが、向こうが何も言って来なかった以上、今は彼女の手は必要無いのだろう。心配する気持ちも有るが、今すぐ死にそうな様子でもなかったし、相手が何かしらのアクションを起こさない限りは黙っておく。
(……アレ関連かね、やっぱ)
あれやこれやと邪推を巡らせながら、アージェンは歩く。ヒドレに来た時から感じていた吐き気は、いつの間にか消えていた。
その日の夜アージェンは、憂さ晴らしの狩りを終え、宿舎の自室で束の間の休息を味わっていた。
最初は殺風景だった部屋だが、ちょくちょく土産物を買ったり良い感じのタペストリーを買ったりして来たので、それらのお陰で大分賑わい始めている。そんな自分の城の眺めを、彼女は寝台でごろつきながら見ていた。
「……ここにナイスなBGMでも有れば、完璧なんだがなぁ」
一応この世界にも音楽は有るし、レコード盤なんかも存在する。だがそれの再生機器がかなりゴツい代物で、そう気軽に部屋に設置出来る物ではないのだ。今度ネリネに相談してみようかしら、とアージェンは考える。
そんな風に思っても、音楽がこの場に無いという現実は変わらない。なのでせめてもの代わりにと鼻歌を歌い始めた所、枕元に置いていた通信腕輪がぶるぶると震え始めた。
アージェンは気怠げに腕輪の辺りに手を伸ばし、震えているのを持ち上げる。見るとそれはフュールと通じている物だった。ボタンを押し、彼女は通話口に出る。
「もしもしー?」
『アージェンさん……いえ、こんな夜分遅くに失礼します。今からお時間を頂いてもよろしいでしょうか?』
「ん……何をするんだ?」
『話を……そう、話をしたいんです。貴方も“ベネトナシュ”を見たのでしょう?』
心無しか震えているように感じられる声に、アージェンは「ああ」と答える。案外早かったな、と思いながら、アージェンはのっそりと身を起こした。
『出来れば直接話したいのですが、構いませんか?』
「構わんよ。何処に行けば良い?」
『……あまり他人には聞かれたくないので、僕の部屋で』
「分かった」
彼が泊まっているという宿屋の場所を教えて貰いつつ、アージェンは転移の準備をする。やがて通話を終えたアージェンは、寝台から降りつつううんと身体を伸ばした後、自室の明かりを消してアルファルドへと飛んだ。
41話の詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/e116d71c-a872-4429-ae95-a966d6bf291b/c1b4546f246c9ea75ac307d9d67a82a6




