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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第五章:理想郷症候群
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40:孤独な星と霜蓬


 眠い。

 寒い。

 痛い。

 怖い。

 苦しい。

 寂しい。

 誰か。誰か。

 ……ヘイゼルさん。




「──ッ!!」


 意識と肉体が同期する。それと同時に、アージェンは跳ねるように身を起こした。間近に感じた死の恐怖に震える肩を抱き締めながら、確かめるように辺りを見回す。

 ここは、死亡した際のリスポーン地点として登録している、何処何処宿舎の彼女の自室だ。ふかふかの布団を片手で撫でながら、深く深く息を吐く。


 ──怖かった。


 ヒョのデスペナルティは、データ的な物に限ればとても軽い。多少経験値が減る程度で、それによってレベルが下がる事も無い仕様だ。

 だが、それでも死ぬのにはかなりの勇気が必要となる。その理由は単純で、『とても怖い』からだ。

 他に類を見ない程リアルな感覚を再現しているヒョでは、死の感覚すらも恐ろしく現実的で、確固とした輪郭を持ってやって来るのだ。流石に本物の死と比べる事は出来ないが。

 比較的VR慣れしており、有る程度までの大怪我なら動じない精神を持つ彼女であっても、ヒョの死は恐ろしく感じられる。それ程に、名状し難い苦痛と恐怖を伴うのだ。

 その程度なぞペナルティの内に入らない、と言う者も居るだろう。だが彼女には、他のどのゲームよりも重い罰であるように思えた。未だにふわふわしている足を床に着けつつ、次に装備を確認する。

 機能装備が無事な限り、アバター装備は傷つかない。その為、耐久度は著しく消耗していた物の、防具の殆どは無事であった。多少の酸なら耐えられる程度には良い奴なのだ。けれども後で修理に出さなければな、と思いながら、ふと胸元に首飾りの感触が無い事に気付く。


「え」


 一気に血の気が引いた顔になりつつ、アージェンはインベントリ内や部屋の中を探す。しかし、無い。ヘイゼルに貰った首飾りが、無い。

 機能装備にしていたHPブーストアクセサリの方は、多少高く付くがいくらでも買い替えられる。だがヘイゼルの首飾りは、あれでなければ意味が無いのだ。心臓の鼓動が、嫌な早まり方をする。

 あの巨大ウツボカズラに喰われた時に落としたか。深呼吸をして無理矢理自身を落ち着かせながら、彼女は先ほど死亡した地点へと転移する。


「ごめん、三人と──」

「司令官殿ーっ!!」


 アルファルドの森の中に戻り、残して来てしまった仲間たちの姿を探し始めるや否や、横から晴嵐のタックルを喰らった。コードをじたばたと振りながらアージェンに抱き着く晴嵐を、彼女は受け止めきれなくて尻餅をつく。


「おわっ、とっとっと……」

「お帰りなさいなのであります! うええ、無事で、ご無事で良かった……!」


 晴嵐が尋常でないレベルで泣きわめく最中、残りの二人もこちらに歩み寄って来る。フュールは耳を垂れさせ青ざめた顔に心からの安堵を浮かべながら、レオロは前髪とマフラーとで分かり難い表情を更に片手で覆い隠しながら。


「無事……かどうかはともかく、どうにか切り抜けられて良かったです。流石に今回は肝が冷えましたよ……」

「……大丈夫だったか」

「ん、楽に死ねたお陰ですこぶる快調さ」


 頼まれてとはいえ、仲間であるアージェンの首を落としたのは精神的に応えたのだろう。心無しか弱々しい声を発するレオロに、彼女は明るくそう言いつつ、引っ付いて離れない晴嵐を無理矢理剥がす。


「それより、本当にごめんな、三人とも。あんな罠にホイホイ引っ掛かっちまって……怖い思いをさせた」


 盾役であり回復役でもある彼女が、武器を取り落としながら無警戒に駆け出すのを見た時の彼らは、きっと驚き戦いていた事だろう。運良くアージェン抜きの三人でも対処出来る相手だったから良かったものの、もしそうじゃなくて、彼らが殺されてしまっていたら──単なる想像なのに、泣きたくなるくらいに悲しくなった。


「うええ、司令官殿が死んじゃうかもって、とっても怖かったのであります……!」

「……いくら俺でも、お前の介錯には慣れん。もう二度とこのような事が起きない様にしてくれ」


 溜め息混じりに言うレオロの手を借りて、彼女は立ち上がる。と、その辺りで、フュールが何かに思い至った様に耳をぴこんと跳ねさせた。


「やっと全部思い出せました」

「ん? 何がだ?」

「あの食獣植物に関してです。名前は『グリーンイーター』、先ほどの緑色のウサギを主食とする、アルファルドの固有種です」


 ふむ、とアージェンはモンスターの死体の方に歩み寄りながら彼の台詞を聞く。既に消化液は地面に吸収され、普通に歩く分には問題無いくらいになっていた。


「生息数自体は多くないのですけれど、人でも家畜でも肉なら何でも食べるので、ここでは本当に恐れられている魔物です。動き自体は鈍重で、全力で走る事が出来れば簡単に逃げられる程度なのですが、あの香りが凶悪ですし……」

「確かに、あの緑ウサギが出たら逃げろ、ってのは真実だったな……」


 腕の装備を一旦外し、代わりに使い捨てのビニールっぽい手袋を付ける。そして焼け残ったグリーンイーターの残骸を回収し、インベントリにぶち込みながら、首飾りの姿を探す。だが、それは何処にも見当たらない。


「でも、あの香り、嗅いだ者に頭痛とかを引き起こして動けなくさせるのですけど、幻覚症状とかは滅多に出ない筈なんですよ。余程心身共に弱っているかしてないと……。

 アージェンさん、そういう症状出てたんですよね? ヘイゼルさん、とか何とか言ってましたし……」


 そして投げかけられたフュールの問いに、アージェンはビクリと背を震えさせた。成る程、だから三人は惑わされず、思考や動きが鈍りはしたものの敵に対処する事が出来たのか。

 答える言葉を探して、アージェンは数秒目を泳がせる。その後、消化液まみれで使い物にならなくなった手袋を外しつつ、訥々とこう返した。


「あー……うん。心の隙間にダイレクトアタックされたわ。ああ、おっかし、本当に可笑しいわ、ふ、ふふふ……」

「え、あの、アージェンさん?」


 一通り検分したが、首飾りは見つからなかった。恐らくは機能装備もろとも、溶けて無くなってしまったのだろう。小さな小さな首飾りだったから。

 ヘイゼルの声の幻に惑わされて、ヘイゼルとの絆の証を失ってしまうとは。可笑し過ぎて馬鹿らし過ぎて、笑いがこみ上げて来る。辛うじてその発露を抑え込みつつ、落としていた盾とメイスとを回収し装備を戻した。


「お、おい、アージェン……」

「大丈夫大丈夫、ちょいとばかし生傷を抉られて塩を摺り込まれただけだからさ。ただな、本当、笑えちまってな」


 訝しげに声を掛けるレオロに、アージェンは頭を冷やそうと努めながら答える。だが恐慌に高鳴る鼓動は一向に収まらず、目眩すら覚え始める程だった。


「司令官殿、その……元気を出して欲しいのであります。何もかも全部、あの卑劣な植物野郎が悪いのであります!」

「ん、ありがと、晴嵐……ごめんな、しんみりさせちまって。進もうか」


 未だに心は落ち着きそうにないが、いつまでも足を止めていては日が暮れてしまう。普通に歩けば次の街までは今日中に着く距離なのだ、無駄に野宿する羽目になるのはごめんだ。

 首飾りの喪失の件に付いては、一先ず脇に除けておく。また後でじっくり向き合って、そして笑うなり泣くなりすれば良い。震える手を痛い程に握り込みながら、アージェンは歩き出した。仲間たちもそれに続く。




 ラウから出発して十数日程。アージェンたちはアルファルドの首都『ヒドレ』に到着した。

 通過して来た他の街より二周り程大きな土地に、現実の京都をもっと古めかしくしたような街並が広がっている街だ。その中心には、見上げようとすれば後ろに倒れてしまいそうな程巨大な神樹と、それを祀る神殿が有る。

 神樹ベネトナシュの枝葉は、街の大半を覆う程に広がっているが、不思議とその下が必要以上に暗くなったりはしていない。多少外より薄暗い程度で、寧ろ直射日光が当たらない分心地が良いくらいだ。

 外国人も多かったラウとは違い、住人のほぼ全てがエルフである為か、ヒドレにはとてもゆったりとした雰囲気が漂っていた。時間の流れがいつもより遅いような錯覚さえ覚える程だ。

 他の国の首都はおおよそ賑々しい喧噪に包まれているのが常だが、ヒドレはそれすらも大人しい。長命種たるエルフは時間的余裕に満ち溢れているから、ここまでに穏やかなのだろうか。

 そんな安穏とした街の中を、アージェンは仲間を引き連れてのんびりと歩きながら、三人を明るく労う。


「っはー、お疲れ様、皆! じゃ、今日から暫くは自由行動って事で、何か連絡有ったら腕輪で寄越してくれ」

「分かったのであります。……そうだ、皆今日の晩方が空いていれば、四人で夕食にしませんか?」

「ああ、良いねぇ。フュール、レオロ、どうだ?」

「僕は……うん、早急の予定は有りません。いけますよ」

「……別に仔細は無い」

「なら決まりでありますね。何時くらい、何処で落ち合いましょう?」


 既に日は西に傾き始めているが、夕飯の頃合いにはまだまだ早過ぎる。そうして丁度良い時間帯と分かりやすい待ち合わせ場所を決めていると、ふとアージェンを何の脈絡も無い吐き気が襲った。

 今すぐ吐き出したい程の気持ち悪さではないが、じんわりと腹の中身が疼くような、そんな感覚。素早く自身のステータス欄を確認するが、状態異常は特に出ていない。

 一体何だろう。今になってヘイゼルの首飾りを失った心的ダメージが身体に来たのだろうか、それともエルフの本拠地と半魔の相性が悪いのか。


(……んー、暫くは大人しくするかな……)


 NPCはともかく、プレイヤーが普通の病気に罹る事は無い。魔法等で体調不良になったりはするが、その場合も尋常ならバッドステータスとしてステータスに現れる。それすらも無いという事は、きっとこれは気の病なのだろう。

 そうして今夜の待ち合わせ場所を決め終えた辺りで、四人は一旦解散する。各々別の方向へ散ってゆく仲間たちの背を見送りながら、アージェンも転移で何処何処ハウスへと帰還した。

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