39:逆さに聳える塔の如
侵略者からは結界によって守られているアルファルドであるが、しかし内部に巣食うモンスターはしぶとく生き残っているらしい。結界は外敵の侵入は防ぐが、既に中に居る者には干渉しないのだ。
なのでアルファルドも、国土の全てを人の領域とする事は叶っていない。街の城壁を一歩出れば、そこは既に魔物の領域だ。
「でも……他の所にくらべりゃ、本当に長閑だよなぁ。森林浴やってる気分だ」
そんな魔物の領域たる森に切り開かれた道を進みながら、アージェンはぽやんとした声で呟く。さえずる鳥の声やら、大人しい野生動物の足音やらに演出される平和さは、彼女から緊張や警戒を奪っていった。
やがて鼻歌すら歌い始めるアージェンに、すぐ後ろを歩くレオロが苦々しげに注意を飛ばす。
「……気持ちは分かるが、あまり気を抜き過ぎるな。モンスターは何処にでも居るんだ」
「はいはい、実際モンスターな人が言うと身に染みるねぇ」
「それはお互い様だろ……」
他に人が居ない時限定のブラックジョークを飛ばし合いながら、アージェンは彼に言われた通りに気を引き締めようとする。マップ画面を見て、敵対反応が近づいて来ていない事を確認しつつ、盾を持つ手に力を込めなおした。
そうしていると、道沿いに進行方向からこちらに向かって来る幾つかの中立反応がマップ上に出現した。他の通行人か、とアージェンは顔を上げて遠くを見る。
するとそこには、和やかに談笑しながら歩く数人のエルフたちの姿が有った。皆中年や老年の姿をしている事から、相当長く生きた者なのだろうと推測出来る。魔物の領域を往くのに護衛も付けていないのは妙だと思ったが、それは恐らく彼ら自身が歴戦の魔法使いだからなのだろう。
やがてアージェンたちはその一行とすれ違う。適当に会釈をして過ぎ去ろうとすると、エルフたちの内一人がやたら嫌味ったらしい声で呟いた。
「────」
声音と相手の表情から、何か悪い意味の言葉なのだろうと推測出来た。わざわざ対象に通じない言葉で言う辺り、性格の悪さが滲み出ている。ちょっとイラついたが、アージェンはスルーして足を止めずに進み続けようとした。
「──、────?」
だがその辺りで、フュールが尋常でない顔でエルフの老人の一行を睨みつけながら、何やら言い出した。常に柔和な表情を崩さない彼が、今はそれを捨て痛憤に満ち満ちた顔をしている。
ぴりぴりと空気が険悪に張り詰めるが、その内容が分からないアージェンたちから見るといまいち決まらない。一体何を言っているというのだろうか。
「──、──ッ!」
「────!!」
やがて言い合いはフュールの勝利に終わったようで、老人たちはばつ悪そうに言い捨てながらそそくさと立ち去って行った。彼はその後ろ姿にすらメンチを切った後、深く溜め息を吐いて肩を落とした。
「はぁ……まさか、あんな事を言われるとは……」
「……? フュール殿、今のは一体?」
「エルフ語です。今は一部のハイエルフくらいしか使ってない物ですけれど……奴ら、アージェンさんの事をもの凄く悪く言ったんです……」
「へぇ、具体的には何て?」
「知らない方が良いですよ、あんな言葉は」
「ふーん……ま、わたしの為に怒ってくれてありがとな」
気分悪そうにこめかみを押さえる彼の姿に、余程口汚い言い方だったのだろうな、と察した。それに対し言い返してくれた事に礼を言いつつ、気分を切り替えて再び足を動かしだす。
ハイエルフというのは、エルフの中でもその血が濃い者の呼称だ。システム的には普通のエルフと同じ種族扱いのようだが、分かりやすい特徴として、ハイエルフは耳が感情等に合わせてぴこぴこ動く。普通のエルフは動かないのだ。
そんな中、エルフ語か、とアージェンは考え始めた。今まで『ゲームだし』と気にして来なかった事だが、ヒョの世界では何処でも日本語が通じる。他の言語は精々ロジバンくらいで、遺跡とかなら謎の文字が有ったりしたがそれだけだった。
だが今ここで、『エルフ語』の存在が明らかになった。フュールの言いぶりからするに、日常的に使われている代物ではないようだが、確かに異言語は存在していたのだ。目の前に出現した謎に、アージェンは頭を捻りながら呟く。
「……ってか、ということは、フュールよ、あんたバイリンガルか。いや、ロジバンも含めればトリリンガルか、すげーな」
「ああ、そういえばそうなるんですかね」
「でも、もう一部のエルフしか使ってない死語を、どうやって勉強したのでありますか?」
「父に覚えさせられたんです。共通語が何処でも通じる時代になったけれど、こっちも覚えておけ、って」
何気ない会話から、アージェンは謎解きの鍵を掬い出す。『共通語』というのは、こちらの世界における日本語の呼び名だろう。それが通じる時代に『なった』という事は、以前はそうではなかったという事実を内包している。
「前は通じなかったのか?」
「ええ、僕は当事者ではないので、父からの話ですが……大体今から100年くらい前、突然皆が共通語を使えるようになったそうです」
「ほうほう……」
100年の年月は、この世界の人口の大半を占めるヒューマンなら、何回かの世代交代が起きる程の期間だ。そう考えると、殆どのNPCが共通語以外を使っていない事、そして高齢のエルフが固有の言葉を使っていた事の両方に納得がいく。
「急にそうなった理由は、分かってないのか?」
「ええ。当時は各地で大騒ぎになって、原因究明に躍起になったりもしたそうです。……が、一向に理由は分からず、寧ろこの現状の方が便利だから、とそれ程経たずに受け入れられた、との事です」
そりゃそうだよな、とアージェンは思う。いくら保守派が頑張っても、便利な共通語の急速な普及には抗えなかったのだろう。人間、便利な物には弱いのだ。
エルフ語が生き残っているのは、きっと他の短命種に比べて世代交代がゆっくりだからだ。それでも、いつかは名実ともに死語となるだろう。逆バベル、という言葉が脳裏を過る。
「へー、当たり前のように使っている言葉でありますが……そんな背景が有ったのですね」
「……奇妙な事も有るのだな」
急に言葉が通じるようになった、という現象にはちょっと納得がいかないが、『ゲームとして楽しみやすいようにする為の設定』だろうし、まぁ致し方有るまい。ヒョはそういう納得し難い設定は少ない方だが、ゲームである事には違いないのだ。でも、まだ明かされていない言語周りの設定が有るのかもしれないし、それが解き明かされる時が来ると良いと思う。
そうしつつ彼女がマップ画面を見ると、丁度その端の方から真っ赤なアイコンが現れる所だった。開示設定にしているため、他の三人も間もなくそれに気付く。
「む」
「敵だな」
現状、アージェンたちを目指してやって来ているわけではないようだが、敵の進路は間もなくこの道と交差しそうだ。消耗もしていないし、面倒な相手でなければ小遣い稼ぎのつもりで討ってしまおうか。
そう考え、アージェンはメニューから仲間たちのステータスを呼び出したり、インベントリから戦闘中に使うアイテムをすぐ取り出せるように操作し始めた。それを見、三人も各々得物を構え始める。
「とりあえず様子見で、倒せそうなら倒そう。駄目そうだったら転移で離脱するからな」
「了解しました。詠唱開始しておいた方が良いですかね?」
「ああ、頼む。晴嵐はフュールの護衛、レオロは……んー、相手見てから指示出す」
「承ったのであります!」
「合点した」
一先ずの指示をし終えた所で、ふと足元を小さく柔らかな感触が掠めて行った。見下ろすと、緑色をした小さなウサギのような動物たちが、一目散に道を横断しているのが目に入る。
「何だこのウサギ……」
「えーっと、確か、このウサギ自体は大人しい、害の無い動物な筈です」
「なら、問題無いか?」
「いえ……もしアルファルドに行く事が有って、そこで見たら逃げろって、母に言い聞かされていたんですけど……」
「つー事は……今近づいて来てる敵、相当ヤバいって事か?」
「恐らくは。本当はもっと詳しく聞いてた筈なのに、如何せん昔の事で……」
アージェンたちは強いが、しかし相性の悪い相手、太刀打ち出来ない相手というのは存在する。比較的安全な道の近くであるが、そういう敵が出て来る可能性はゼロではない。
ただの口伝えという胡乱げなソースでは有るが、所謂『おばあちゃんの知恵袋』は意外と正確だったりする物だ。一般人のバイアスがかかった情報だから、実際どれ程の脅威なのかまでは推量出来ないが。
「司令官殿、どうしますか?」
「ん……指示に変更は無しだ。案外、それ程強くなかったりするかもしれんしな」
逡巡の後、彼女はそういった決定を下した。まずは相手を見ない事には始まらない。やがてウサギの群れが去り、数十秒程経った所で、身体に悪そうなゲロ甘い香りがむわっと漂って来た。
胸焼けがしそうなくらいに甘ったるい、気持ちの悪い香りだ。軽く鼻を摘みながら、何らかのバステを付与するタイプの匂いだろうか、とアージェンは推測を巡らせる。だが、まだステータス画面に異常は現れていない。
「──ma'u'ei doi kamgla ko frati .i mi me lo termakfa」
冷静に数歩下がりながら詠唱を開始するフュールの声が、彼女の耳に届いた。同時に晴嵐が弓に矢を番え、レオロも剣を抜き迷いの無い構えをとる。
未だ敵の姿は現れず、しかし腐る程に甘い香りはどんどんと濃厚になってゆく。頭が痛くなるくらいだ。
「──.i lo kamgla me lo kamcro .ije ri me lo fagri──」
視界がくらくらと揺らぎ、ちかちかと明滅する。頭痛が酷い。フュールの声がする。
目がぼやける。どうやら視力が低下しているようだ。そういうバステでもかけられたか、とメニューを探すが、頭を動かすだけで足元が覚束なくなる。酷い目眩だ。
息が上手く出来ない。脳みその中心に、トゲトゲボールでも埋め込まれたような気分だ。早く回復魔法を、と辛うじて残った冷静な部分が訴えたが、既に上手くロジバンを組み立てる事すら出来なくなっていた。
(クソッ、わたしとした事が……!)
見事に敵の術中に嵌ってしまった。暢気に敵の姿が現れるのを待ってる場合では無かった。それなりに状態異常対策をしているアージェンですら、酷い頭痛で魔法が唱えられなくなるレベルのデバフをかけて来たのだ、敵の本体も相当に厄介な存在であるに違いない。このままでは、まともに抵抗も出来ないまま嬲り殺されてしまう。
今からでも転移で脱出を、とメニューに手を伸ばす。画面上の文字を認識しようとするだけで頭痛が強まるから、記憶と勘だけを頼りに転移を起動させようとした。
その瞬間であった。
『レイスさん』
懐かしい声が聞こえた気がした。低下した思考能力のその全てが、その声の事に持ってかれる。
「──ヘイゼルさん!?」
『そう、私よ。こっちに来て、レイスさん』
その声に抗う術も理由も、彼女は持っていなかった。アージェンはゆらゆらと、今にもすっ転びそうな足取りで駆け出す。背後で誰かが止めようとする声がしたが、もう彼女の耳には届かなかった。
『こっちへ、こっちへ来て。レイスさんの事、ずっと待ってたの』
武器を捨て、盾も落とし、アージェンは心からの笑みを浮かべながら走る。耳鳴りがうるさい。頭が痛い。何時まで経っても声の主の姿が見えない。
一瞬のようで永遠のような時間を走り続けた後、不意に何かに胴が抱き締められるような感覚がした。そのまま足が宙に浮き、自分の身体が持ち上げられた事に気付く。
一体何だろう、とぼうっと彼女は自分を持ち上げている存在を確かめようとする。極彩色の霧に包まれた視界の中身体を見下ろすと、緑色の太い触手のような物が胴に巻き付いている事に気付いた。
その触手を目で辿り、やがて持ち主の姿を捉える。相手は食虫植物のウツボカズラのような姿の、自立している巨大なツタ植物だった。ヘイゼルの姿は何処にも無い。
「ヘイゼルさ──」
今一度友の名を呼ばわろうとした刹那、巨大植物はアージェンを捕食器の中に放り込んだ。先ほどから香る甘い腐臭の根源らしい液体の中に、彼女は無抵抗にダイブする。
そして、その透明な液体が素肌に触れた瞬間、焼けるような痛みが襲いかかって来た。その痛みで漸く、彼女は正気に返る。
「──っあ、あああああああああ──ッ!?」
熱烈な痛みに思考の靄が晴れ、視界が澄み渡り、聴覚もクリアになる。葉っぱの変化した巨大な靫に溜まったこの液体は、獲物を誘う香りを放つ蜜であると同時に、捕らえた物を養分にする為の消化液でもあったのだ。
「しっ、司令官殿!!」
「──.i doi fapro be mi ko binxo lo fagri festi ma'u'oi!」
晴嵐の叫び声と、フュールの必死の詠唱が聞こえて来る中、アージェンも捕食器の中から脱出しようと靫の内壁をよじ上ろうとする。だが犠牲者を逃さない為にか中は滑りやすくなっていた上、消化液に焼かれた四肢には上手く力が入らなかった。ならばとナイフを取り出し、葉を切り裂いて抜け出そうとするが、植物とは思えない程頑丈で全く歯が立たない。
「zi'e'ai ri'e doi fagri ko jelgau!」
そうこうしているうちに、フュールの魔法が発動した。炎の燃え上がる音と共に、植物が悶え苦しむように揺れる。
それに合わせてアージェンももみくちゃにされる。腕の皮膚がずるりと剥け落ちる感触がしたが、それに悲鳴を上げようにも、もがく最中消化液を飲み込んでしまったから、喉は既に使い物にならなくなってしまっていた。
せめて詠唱が出来れば、防御魔法なり何なりでダメージを防ぐ事も出来たのだろうが。少しでもダメージを減らそうとじたばたしていると、やがてフュールの炎が捕食器を焼き破った。そうして出来た抜け穴から、消化液もろともアージェンは脱出する。
「アージェンさんっ!」
「気を抜くなフュール! まだ敵は生きている!!」
ぐったりとしたアージェンに駆け寄ろうとするフュールを抑えつつ、レオロが植物に飛びかかった。晴嵐の狙撃で地面や木々に縫い付けられた触手のツタを切り裂き、葉っぱの靫を細切れにする。
だがその身体の大半をみじん切りにされても、敵はまだピクピクと動いている。するとそれを認めたフュールが、とどめの魔法を詠唱した。
「zi'e'ai .o'onai ko jelca gi'e mrobi'o!」
彼の声に呼応して、勢いを失いつつあった炎が再び燃え上がり、植物の魔物を舐めてゆく。やがて全ての触手が焼け落ち、靫までもが灰となって崩れ去った辺りで、三人は漸く警戒を解いた。そして、地面に広がった消化液の中に転がるアージェンの元に駆け寄る。
「司令官殿、司令官殿! 返事をしてください!」
「……僕の魔法じゃ、治せるかどうか……」
自分の怪我がどの程度かは分からないが、彼らの声音から察するに、多分もの凄く酷い事になっているのだろう。フュールも晴嵐も一応回復魔法が使えるが、アージェンのそれには遠く及ばないレベルだから、彼女を治すのは難しいだろう。
先の戦闘でフュールも消耗しているし、真っ当な治療は諦めた方が良い。なにより、プレイヤーにはもっと手っ取り早い回復手段があるし。
「……エ、ゲホッ……、お、ぉ……」
「な、何だ」
焼かれた喉で血を吐きながら、彼女は呼びかける。レオロ、と言ったつもりだったが、どうやら伝わったらしい。動揺を乗せた声で返す彼に、アージェンは感覚が比較的残っている左手で自分の首を叩いて見せた。
──介錯を。
『デスベホマ』。データ的なデスペナルティが比較的軽いヒョでは、比較的良く使われるテクニックだ。三人が困惑するのが伝わって来るが、やがてレオロが剣を構え直す気配がした。
「許せよ」
瞬間、首から下の感覚が完全に失せた。許しを請う必要なんて無いのに、とHPが急速に減少すると共に遠ざかってゆく意識の中、思う。




