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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第四章:喪われた友に流す泪
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36:嘘吐きは笑う

 曖昧な視界。何かに焦点を合わせようとすればその何ががふわりと消え、ならば全体的に見ようとすれば何もかもの境界線が曖昧になりぼやけ混ざってゆく世界。

 そんな風景をバックグラウンドに、確とした姿かたちを伴って佇む一人の女性の背中を、彼女は捉えた。朱色を基調とした衣装に、赤銅色の長い髪の女性──ヘイゼルだ。


(ヘイゼルさん)


 こちらに背を向けて進むヘイゼルに、彼女は追い縋る。しかしヘイゼルの足は速く、中々追いつけない。それどころか徐々に離されていく距離に、彼女は焦った。


(ヘイゼルさん!)


 呼び止めようにも、声が出ない。手を伸ばそうにも、腕もとうに失われてしまっていた。

 そう、そもそも彼女は自身の姿を忘れていたのだ。その事実を思い出し、脱力したようにヘイゼルを追うのを止める。

 するとその途端、遥か前方を歩いていたヘイゼルが足を止めた。同時にヘイゼルと彼女の距離が一気に縮まり、ヘイゼルの背がすぐ近くにまでやって来る。突然の事に驚いていると、徐にヘイゼルがこちらを振り返り始めた。


「……誰?」


 そしてヘイゼルはそう問いかける。出来損ないの人形のような、へたくそなクレヨン画のような顔をこちらに晒しながら。


「私は貴方を知らないわ」


 最後に見たヘイゼルの姿そのものだと思っていたのに、いつの間にかヘイゼルは何かの抽象画のような形になっていた。変貌したヘイゼルは冷たく言い放ち、そのまま再び前を向いてしまう。


(待って……)


 ヘイゼルが遠く離れてゆく。そして遠くに有る、ヒョで出会った友人や、知り合ったNPCたちの列の中に加わる。こちらに無関心に背を向けている彼らは、彼女の姿を捉えない。彼らは“アージェン”の友人であり、“五条あけみ”とは無関係なのだ。

 代わりに彼女を見るのは、現実で関わって来た人々。同じく出来損ないの人形のような姿をとった彼らが彼女を囲み、彼女の記憶に刻まれている言葉をノイズ混じりの声で再生し始める。


『やっぱ男の子が欲しいよなぁ』


 父親。


『はぁ……やっぱ、あんた、女の子なのよね……』


 母親。


『えー、五条? ああ、キモイ』

『なんかネクラだよね。触りたくないわー』


 同級生。


『いじめは無い。そうだよな、五条?』


 中学の担任。


『んー……五条あけみさん、ねぇ……分かる? キミ程度の人材、いくらでも代わりが居るんだよね』


 酷い圧迫面接官。


(やめて……思い出したくない……)


 心の底に蟠り続ける、憎悪や憤怒の感情と、その原因たる記憶たち。それらが彼女の意志とは関係なく周りに浮かび上がり、そして彼女を冷たく嘲る。

 忘れたいもの、無かった事にしたい過去。治らないなりに塞いで目を逸らしてきた膿んだ傷を掘り返す彼らに、彼女は耳を塞ごうとする。だが手も足も無かったし、塞ぐ耳も無かった。


「消え去れ」


 不意にそんな声が聞こえた。同時に、まず父親の出来損ないが何かに殴り潰されて消える。そして彼の代わりに現れたその姿は、“アージェン”の物だった。


「なぁ、これで分かったか?」


 冷えた琥珀の視線が、彼女を突き刺し貫いている。そのまま無慈悲に無表情に、“アージェン”は《魔性開放》し異形の姿を露にした。


「……ヘイゼルさんの親友はあんたじゃなくて、“レイス”でもあるわたしだ。フュールや晴嵐、レオロのまとめ役なのもわたしだ。ルシフェルさんやネリネさんの友人なのも、わたしだ。

 今やこのわたしは唯一無二の存在。だがあんたにはいくらでも代わりが居る。どっちの方がより価値有る魂か、あんたにも分かるだろ?」


 “アージェン”はそう丁寧に説明しながら、異形の右腕を振るって次々と人形たちを滅ぼしてゆく。


「“わたし”の弱さ、悪、痛み、苦難、その全てを“あんた”にして、そして捨てる。

 そーすりゃ、“わたし”はまっさらな状態で再スタート出来るんだ。本質は変わらないだろうけど、少なくとも腐ったような傷は無かった事に出来る。

 だから──」


 そして一つ残らず出来損ないを片付けた後、“彼女”は最後に彼女自身へと拳を向けた。


「“わたし”がまともな奴に戻れるように、弱みを抱えて消え去れ“五条あけみ”!!」


 彼女は無抵抗に潰された。意識が断絶する。




 目が覚めると、そこには見慣れた天井が有った。宿舎の自室の天井だ。

 まずメニューを開き、現在の時刻を確認する。琥珀の月23日、23時32分──もう夜中だ。途絶えている記憶を辿り、何故ここに居るのかをアージェンは想起する。


(えーっと……作戦終わった後、そのまま寝ちまったんだっけか)


 と言う事は、誰かが彼女をここまで運んでくれたのだろうか。何処何処の宿舎に運ばれたという事は、やってくれたのはネリネかルシフェルだろう。後で礼を言わなければなるまい。


(……なーんか、寝た気がしない。ゲームの中だし、ってったらそれまでだけど……)


 とても嫌な、悪い夢の記憶が断片的に残っている。忘れたいトラウマを掘り返し、それをまざまざと見せつけられたような、そんな記憶。その所為で寝覚めが悪いのだろうか。

 本当に疲れている。確かに麻薬騒動は収束し、肩の荷も降りた。しかし今回全力を振り絞って得られた結果は現状維持という物でしかなく、彼女の心にぽっかりと空いた穴は埋められずじまいであったのだから。

 骨折り損だ、という念が湧く。報われていない、と苛立ちが心に暗い色を落とす。


「やだなぁ……」


 その言葉は、現状と自身の心境、両方に向けられた感想であった。欲求が無駄に複雑になっている。彼女は寝台の上でもそもそと寝返りながら、要するに自分は何を求め、何が叶わなくて苦しんでいるのかを考え始めた。


(……つまるところ、わたしはヘイゼルさんと話したいんだな……)


 そう苦労せず、彼女は思考の単純化に成功した。アージェンの心の空隙を満たすもの、それはヘイゼル。今すぐヘイゼルが帰って来てくれさえすれば、彼女の苦しみは一気に和らぐのだ。


「……はぁ……」


 だがそう簡単にその望みが叶う程、現実は甘くない。泣いても叫んでも、ヘイゼルは帰って来ない。


(わたしは……一体いつまで、正気を保てるのかな……)


 絶望に乾いた彼女の心を潤してくれるのは、ヘイゼル以外には存在しない。唯一の癒しであり、かけがえの無い絆たるものが手元に居ない今、まともでいられる期間はそう長くはないだろう。

 ラインハルトは未来の自分の姿だ。いつしか彼女も、彼のようになってしまうのだろう。ならばその前にいっそ──と彼女は自殺を考えたが、ゲームの中では死ねないのであった。


(……じっとしてると、余計な事ばかり考えていかんな。レベラゲしよう。また今回みたいな、今回以上の事が起きるかもしれんし)


 適当に雑魚でも狩って、小遣い稼ぎを兼ねた経験値稼ぎでもしよう。自身の低レベルが、今回の作戦をいくらか妥協させてしまったのはよく分かっているから。

 今回は、アージェンに合わせた魔法でも上手くいった。だが次はどうか分からない。次も彼女にお呼びがかかるとは限らないが、実力を付けておくに越した事は無い。


(でも……一人だとまた余計な事考えそうだよな……)


 ヒョの戦闘はとてもリアルで緊迫感の有るモノだが、それでも弱い敵ばかり相手にしていると単純作業になりがちだ。となると、余計な思考に気が持ってかれてしまいかねない。

 ならば適当に誰か誘おうか。そう思い、彼女は左腕の腕輪を見る。それらのうちパステルレッドカラーの物のボタンを押すと、受話器に変形した通信機を耳に当てた。

 そして十数秒間程コール音が鳴った後、向こうも腕輪を起動させた音が聞こえた。アージェンは常並を取り繕って声を上げる。


「もしもーし、レオロ? ちょっと良いか?」

『……アージェンか。一体何の用だ、もう夜だぞ』

「あんた的には今からが良い時間だろ? ちょいと付き合ってくれねーか?」

『まぁ、そうだが……何をするんだ』

「適当に雑魚狩り。むっしょーに身体を動かしたくて仕方が無いんだ」

『……分かった。何処で落ち合う』


 突然の要請にも関わらず、意外とすんなり受け入れてくれた。彼に感謝しながら待ち合わせる場所を決めて、通信を終える。


(よっし……行くか)


 ベッドから降りて、装備を整える。そしてしっかりと戸締まりを確認した後、転移を起動しレオロとの待ち合わせ場所へ向かった。




 アージェンが指定した場所で少し待つと、間もなくレオロもやって来た。片手を上げ、彼女は自身の所在を示す。


「よ、レオロ。良い夜だな」

「ん……そうだな、静かで良い」


 ここの現在時刻は22時ちょっと前、既に街は静まり返っている。場所によってはまだ盛況な所も有るだろうが、少なくとも彼女が今居る辺りは静寂に包まれていた。

 夜は城壁の門が閉まっており、基本的に出入りが出来なくなっているが、転移が有ればそんな事は関係無い。クールタイムが終わるのを待ち、街から少し離れた街道沿いの場所に転移する。

 基本的に、大きな街道や街の周辺は強いモンスターが出ない。街が有るから強いモンスターも討伐され尽くして居なくなったのか、それとも元々強い奴が居ない土地に人が集まり街が出来たのか、その因果の順序は誰にも分からないが。

 なので、アージェンたちのレベルに合った『雑魚』を見つけ出すには、少し街から離れた場所でやる必要が有る。かといって離れ過ぎると処理し切れない強敵が出て来たりするし、ロケーションの見極めが重要なのだ。


「……それで、何で俺を呼んだ?」

「そら、こんな夜からフュールや晴嵐を連れ回すわけにゃいかないじゃん?」

「そうじゃなくて……今まで、お前、わざわざ雑魚狩りに俺らを呼ぶ事は無かっただろ……」


 その彼の疑問は尤もだった。アージェンは今まで自身のレベル上げに仲間を呼ぶ事は殆どしなかったから、急にレオロを連れ出した事が謎めいて映るのだろう。

 理由は単純だが、それを正直に話せばその理由までもが訊かれるだろう。ならば適当に誤摩化そうか──そう思ったのだが、彼女の口は素直に心中を打ち明けた。


「……一人だと、色々考えちまってな」

「色々?」

「余計な事さ。……この前、親友が居なくなった、ってったろ。それをまだまだ引きずってんのさ」


 他にも考えてしまう事は有ったが、一番の要因はそれだ。雑魚狩りの時に使用する、両手持ちの大きなモーニングスターを素振りしながら、つらつらと内心をかいつまんで語る。


「あの人に逢いたい。あの人と話したい。だけどあの人は帰って来ない。

 ……はぁ、淋しい。他にも友達は居るのに、あの人が居ないだけで、心の隙間が埋まらない──と、お出ましか」


 と、その辺りで、それなりの声量で話していたからか、それを聞き取ったモンスターたちが近寄って来た。レオロもそれに気付き、剣を抜き構える。ほぼ我流だという彼の構えは、しかし数年間身を戦いに晒して来た結果の閑雅さを纏っていた。

 示し合わせたかのように二人は背中合わせに立ち、こちらを囲もうとして来る雑魚どもを見渡す。メニューから敵のステータスを開示設定で表示させながら、アージェンはレオロと一瞬視線を交わした。


「ふッ!」

「──セイッ!」


 そのまま戦闘へ移行する。いつもの守る戦い方ではなく、敵を積極的に攻撃する立ち回りで、集まった雑魚たちを殺してゆく。

 レオロも普段通りの動きで、流れるように的確に急所を突き、敵の命を奪う。最初の頃は武器を持つのも怖がってた彼だが、こうして見るとその時期が夢か幻だったかのようだ。


(今度、レオロとかの戦ってる所をのんびり観戦したりしたいよな……ま、難しいだろうけど)


 そんな他愛も無い事を思いながら、アージェンは敵を潰す。やがて近寄って来たモンスターを全て殲滅し終え、辺りに静けさが戻った所で、呼吸を整えながらレオロが口を開いた。


「俺では……代わりにはならないか」

「あ?」

「居なくなった、お前の親友……俺には、連れ戻したりは出来ないだろうが……代わりにはなれないか?」


 ぶん、と得物を振って血を払う。しながら、アージェンはレオロの方に振り返った。


「……あんた、本気で言ってんのか?」


 彼もいつの間にかこちらを向いていたが、その表情は前髪とマフラーに隠れていて見えない。その為何を考えているのかは読めなかったが、少なくとも単なる冗談で先ほどの台詞を吐いたようには見えなかった。

 だからこそ、アージェンの表情は歪になる。これでもかと見開かれた双眸と、感情の失せた口元と。


「あの人の空隙を埋められるのは、あの人自身だけ。間違っても、全くの別人なあんたにゃ埋められない。

 まさか女装でもしてあの人の真似をしてくれるわけじゃああるまいし、軽々しくそういう事を言うなよ、レオロ。あの人を冒涜しないでくれ」


 と、そこまで捲し立てた所で、彼女は自分のやっている事の馬鹿らしさに気付いた。こんな事、レオロに言ったって何にもならない。ぶんぶんと頭を振り、いつの間にか自身の思考回路に踊り出ていた余計な考えを追い払う。


「──ごめん、言い過ぎたわ。忘れてくれ……」

「いや……構わない」


 地雷を踏まれたからって、我を失い過ぎた。平謝りする彼女に、レオロは案外あっさりと許す。


(でも、色々吐けてスッキリしたかな。愚痴なんて、今じゃ中々ぶちまけられないし……)


 以前はヘイゼルと話す中で日頃の愚痴なんかもぶつけていたのだが、彼女が失われた今その相手は居ない。ルシフェルやネリネは、友人ではあれど親友ではないし。まぁ、親友じゃないのはレオロも一緒なので、愚痴るのはこれっきりにしなければなるまい。

 そんな具合に自身の馬鹿げた行動の理由やらを分析していると、不意にレオロがとんでもない事を言い出した。


「それで……女装すれば良いのか?」

「はい? ……まさか、真に受けたのか?」

「えっ」

「えっ。あ、アレは言葉のあやという奴でな、実際にあんたに女装して欲しいわけじゃないんだからな? ていうか見たくない」


 背が高く体格も良くて如何にも男らしい男なレオロに女装されても、ただひたすら困るだけだ。そんな彼にヘイゼルの真似をさせた所で、それこそヘイゼルに対する冒涜である。

 だけれど、彼は間違いなく真面目にアージェンの望みを考察してくれたのだ。その結果はともかく、レオロはどうにかして彼女の為に何かしようとしたのだ。


「でも……気持ちは嬉しいよ、レオロ。ありがとな、気を遣ってくれて」

「……どういたしまして」


 笑顔を作り、礼を述べる。彼はヘイゼルの代わりにはならないだろうが、しかしそれとはまた別の部分を埋めてくれている存在だ。そう考えれば、現状を守る事が出来たというのは立派な成果だ。

 あのままニテイの謀略を放っておいたら、その時こそプレイヤーの殆どが駄目になり、NPCたちにも大きな被害が出ていただろう。それを防ぎ、これ以上自身の心が傷を負うのを回避する事が出来た。そんなポジティブシンキングで、アージェンは再び前を見る。


(うん……こいつらだけは絶対に守り抜こう。何としてでも、今度こそは……)


 失われた物は戻らない。だが今有る物を守る事は出来る。少しでも自身の発狂を遅れさせる為に、彼女は決意した。

 と、そこいらで、血の臭いを嗅ぎ付けたモンスターの第二波が近寄って来た。二人は会話を中断し、再び武器を構える。


「じゃ、続きといきますか。まだまだ夜はこれからだ、じっくり楽しもうぜ?」

「……ああ、背中は預ける。俺より先にバテるんじゃねえぞ」


 敵のステータスを呼び出しながら、目的が正常に再設定され平常運転を再開した思考回路で、どう動くかをシミュレートする。そして最初の一体が吶喊し飛びかかって来たのに合わせ、アージェンはモーニングスターを振るった。

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