幕間05:浮世の模範囚/常世の女王
世界は、いわば一つの歯車仕掛けだ。そして大多数の人々はそれを構成する歯車で、限られた極一部の人たちが仕掛けを操作し動かしている。
彼女はその仕組みを知る事が出来る程度に聡明であり、馬鹿のフリをして歯車に徹する方が楽である事を察せる程度に狡賢かった。だから彼女は“模範囚”という仮面を纏い、自分自身を殺して生きて来た。
しかしゲームの中では何者にもなれる。現実では出来ない事、やったら“模範囚”ではなくなってしまう事も、何だって出来た。
だから彼女はヒョでは仮面を捨てていた。そして自身の凶悪な本性の具現たる“ジャディスリィ”として、真に生きていた。
アスディの領海に存在する、市販の地図には載っていない小さな島。そこに、ジャディスリィのアジトは有った。
ブラッディリボンにはギルドハウスが無い。そんな分かりやすい本拠地を作っても、他のプレイヤーやNPCたちに襲撃されて壊されるのがオチだからだ。だからメンバーは各々でアジトを作っていたり、何処にも根を張らず好き勝手したりしている。
互いのアジトは、余程信頼関係が築けている者同士くらいしか知らないのが普通だ。ジャディスリィのアジトも、場所を知っているのは本人と、その『端末』たちだけである。
そんな、島に有る天然の洞窟を利用して作られた秘密の隠れ家の一室にて、ジャディスリィは無数の端末たちを従え、今回の麻薬騒動の黒幕三人を見下ろしていた。彼らの処遇を決定する為だ。
メトゥメタは、ボールギャグを噛まされ後ろ手に縛られて正座させられている。ロアノメィスはそれに加え、声帯を潰されていた。そしてニテイは、更に舌を抜かれ両手両足を捥がれた状態で、二人の隣に転がさせられていた。
「こんにちは、お三方。初めましての人も居ますね」
割と簡素な、しかしクッションだけは良いのを使っている椅子に座り、ワイングラスを片手に彼女は黒幕たちへ微笑みかける。あまりの事に心神喪失状態になっているニテイを除き、彼らはその清廉過ぎる微笑に震え上がった。
「皆さんのご活躍は、このわたしの耳にも届いていましたよ。何年も前からアスディをゆっくりと蝕み、食い物にしていたとか。
素晴らしいです、賞賛に値します。欲望の為に努力を惜しまないその姿勢、わたしは好きですよ」
好意的なその台詞に、彼らの警戒は少し緩んだ様だった。もしかしたら助かるかもしれない、そんな希望にNPC二人の瞳が輝く。
一方、ニテイは濁った瞳に涙を浮かべているばかりだった。まぁ彼女はとっくに何もかも挫けているようだから、致し方有るまい。
そんな彼女の傍ら、メトゥメタは必死に唸って助命を願う。声帯を潰されているロアノメィスの方は、それでも流し目やらを使ってジャディスリィを懐柔しようとしていた。
「うんうん、希望を求めて必死なその態度も、とってもわたしの好みです。そう、本当に──」
グラスの中身を一気に呷った後、空になったそれを近くの端末の一人に預ける。そして立ち上がり、彼女は徐にロアノメィスの方へ近づいていった。
そして彼の前で膝を折って屈み、相手の顎を掴んで顔を上向かせる。ボールギャグの所為で間抜けになっている美貌を、至近距離から見つめながら、彼女は長い耳を震えさせた。
「本当に、へし折り甲斐が有りそうです」
途端、彼女は素早く姿勢を変え、彼の顔を膝で蹴り飛ばした。衝撃でギャグが外れ、ついでに歯も何本か抜ける。突然の事に為す術も無く地面に這いつくばる男に、ジャディスリィは鮫のように笑いながらこう言い始めた。
「わたしね、意志の強そうな男の人をへし折って、踏みにじって、屈辱に塗れさせるのがね、だぁい好きなんですよ」
ころころと笑いながら、彼女は踞るロアノメィスの腹を一発蹴り上げる。すると彼は声にならない悲鳴を上げ、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら身振りで許しを請い始めた。そんな彼の様子を、ジャディスリィは詰まらなさそうに眺める。
「でも……あなたは弱いですね。面白くないです。種族もヒューマンだし。捕まって尚希望を見出そうとしていたその気概を、もっと出してくれれば良いのに。
あーあ、期待して損しました。弁償して欲しいくらいです」
ぐりぐりとロアノメィスの頭を踏みつけながら、彼女はメトゥメタの方をちらりと見る。だが彼もとうに心を折られ、目の前の恐ろしい少女の標的が自分でない事に幾ばくかの安堵を浮かべているのみだった。
これ以上彼女が楽しめる事は無いだろう。あんなデブのハゲオヤジを虐めた所で、何も楽しくない。ロアノメィスから足を退けつつ、ジャディスリィは周囲に佇む端末たちを見回した。
エルフやドロイドといった長命種族の男を中心に構成された、ジャディスリィの端末たち。様々な経緯で彼女の元に下り、そして彼女の信奉者となった彼らへ、ジャディスリィは柔らかに微笑みかけながら語る。
「端末の皆さん。彼らの処分をお願いします。
メトゥメタさんとロアノメィスさんは、先ほど言った通りに魔法で『再教育』してください。その後、アスディに帰還させてあげてくださいね。
ニテイさんはー……んー、そうですねぇ、彼女の錬金術スキルは役に立つかもしれませんし、再教育行きでしょうか」
NPCは、記憶や思想等を攻撃魔法で破壊し、回復魔法で書き換える事で、容易に洗脳する事が出来る。しかも、付与魔法による洗脳は制限時間が有るが、この方法での洗脳には時間制限は無いに等しい。
「けれど、プレイヤーは魔法でちゃちゃっと出来ないから、面倒なんですよねぇ……」
だがプレイヤーには、そういう仕様なのか、その手法は取れない。精神への攻撃自体は可能だが、精々一時的に混乱させたり、MPを減らしたりする程度が精一杯だ。
だからプレイヤーの精神をどうこうしたければ、魔法に頼らない方法でやる必要が有る。例えば、言葉と痛みで以て心を壊し、そこにジャディスリィを信奉するように刷り込むとか。
幸い、そのノウハウが彼女には有る。ここに居る数十人の端末たち──元は色々な所で生きていたNPCだった彼らは、精神操作の魔法は一切使わないまま自我を破壊し、彼女の手足として『生まれ変わらせた』モノたちなのだから。
「でもなぁ、わたしノンケだし……うん、こっちも皆さんにお任せします」
しかし、ケモノ自体はいけるのだが、生憎と同性を虐めて楽しむ趣味は無い。仕方ないので、これも端末に丸投げしてしまおう。その為の彼らなのだ。
「後は情報操作ですね。結構派手にやりましたし、NPCのお二方が居なくなって、アスディもちょっと混乱しているでしょうから。
とりあえずは全部儀式の演出だったって事にして……二人の行方不明はどうしましょうか。何か適当に考えて、怪しまれないようにしてくださいな。
では、作業を始めてください。──ああ、1さんだけは残ってください。わたしの暇潰しに付き合って欲しいんです」
『御意』
そして放たれた主の号令に、端末たちは声を揃えて短く応え、指名された一人以外は黒幕たちを連れて部屋を出て行った。ジャディスリィも、『1』と呼んでいる端末を連れて、この部屋から直に繋がっている私室へ戻る。
(これで、とりあえず一段落ですね。やりたかった事はやれたし、蒔きたかった種も無事蒔けました)
無数のぬいぐるみが並べられている、何とも女の子趣味な部屋にて、彼女はニコニコとボードゲームのセットを取り出す。それを机の上に置いた後、更に本棚に並べられているオルゴールたちの中から一つ取り出し、ぜんまいを巻いて机の端に乗せた。
元はオルゴール職人だった端末に作らせた、現実で彼女が好んでいた曲のオルゴール。何処か悲愴さを感じさせる音色が鳴り響く中、ジャディスリィは1へと上機嫌に微笑みかけた。
「ありがとうございますね、1さん。端末の皆さんのお陰で、わたしは無事世界征服への第一歩を踏み出せました」
「……勿体無きお言葉」
「後で、他の端末さんたちにも伝えて下さい。まだまだ道のりは長いですが、一緒に頑張りましょうね、って」
1は深く頭を下げ、了承と感謝の意を表した。そんな彼を満足げに眺めながら、彼女はゲームの駒を並べ始める。チェスや将棋と良く似ているそのゲームの駒を、ルール通りに配置しながら独り言を呟く。
「今回の結果は、わたしにとっては完全勝利です。キーマさんたちは違うでしょうけれど」
この度の目標は、アスディの傀儡政権の操り主たちを掌握するのが第一であった。だがそのついでに、《蓮の糸》の弱体化にも成功した。
わざわざニテイを有る程度泳がせた甲斐が有った、とジャディスリィは笑う。キーマにニテイの怪しい動きをスルーした事を問い詰められた時はああ言って誤摩化したが、実際は《蓮の糸》を弱らせる為にわざと見逃したのだ。
「次の段階への布石も打てました。……いずれ来たる時を待って、今は大人しくしましょう。
さて、準備が出来ました。ゲームをしましょう、1さん。先手は譲りますよ」
彼女が椅子に座り、対面の椅子を示しながら声を掛けると、1は静かに頷いてその席に着いた。オルゴールの櫛がピンに弾き鳴らされ、美しい音色を奏で続ける中に、兵士の姿を模した駒の打ち鳴る音が加わる。




