32:穢れの行侵曲
ラインハルトの捕縛劇と、プレイヤー産の強力ドラッグの件をキーマに報告した後、彼によってアージェンたちは緊急任務を与えられた。即ち、他の中毒プレイヤーの捕獲任務である。
何処何処メンバーは総じてレベルが低く、平時であれば戦闘が予想される作戦には駆り出されないのだが、今回は非常時だ。麻薬の毒に侵されてか、本来の武力部隊のメンバーにも出動命令に応じない者が居て、それ故に彼女たちまでも出張らなければならない事になったのだ。
毒煙から身を守る為、ガスマスクや毒耐性のアクセサリで固めたアージェンとルシフェルは、正気の何処何処メンバーと共に、まず自治組織参加ギルドのハウスから攻め始めた。《魔性開放》は一日一回しか使用出来ないし、他のギルドハウスの中にはNPCの街のまっただ中に在る所も有るのだ。
そうしてキーマからの通達への返事が無いギルドから優先して乗り込み、予想通りに中毒になっていたプレイヤーたちに、治療と拘束を施した。捕獲した中毒者たちの内、治療によって正気を取り戻せた者は解放し、希望者はこの緊急任務に携わらせる事と相成った。
正気を取り戻せなかった重症者は、キーマが相応の処分を与えるという事で彼に引き取られていった。一体どんな処分をするのかは教えてくれなかったが、引き渡す際に見た不敵そうな表情からするに、ちゃんと考えてはあるのだろう。
ただ、ネリネによる詳しい調査の為に、ラインハルトだけは何処何処の手元に残された。今も宿舎の空き部屋で、禁断症状に泣きわめく彼を実験台に、ネリネが依存症状を和らげる方法を模索している筈だ。
(っは、あぁ~……に、しても……本当、どっと疲れたわ……)
今日──否、昨日の出来事のあらすじを脳裏で反芻しながら、アージェンは宿舎自室のベッドでごろつく。中毒者は皆大人しかったので大怪我はしなかったが、精神的に参ってしまったのだ。
一通りのギルドハウスを調べ、中毒者を捕縛し終えた頃には、とうに日付が変わっていた。任務から解放された後一休みも入れたので、今は琥珀の月19日の朝である。
(次の指令が来る前に、あいつらに連絡入れなきゃ……)
数多のギルドハウスに屯していた中毒者は大体捕らえ終えたが、それ以外の場所にも中毒者は居る筈だ。この束の間の休息が終われば、今度はそちらの捜索と捕縛の任務が降って来るに違いない。
一体何時になったら一連の騒動が終わるか、彼女には見当が付かない。だから今の内に忙しくなった事をNPCの仲間たちに伝え、次の待ち合わせに来れないかもしれないと言っておいた方が良いだろう。
今の時間は9時ちょっと前。仲間たちの居る辺りの時間は二時間前だから、大体7時くらいだ。この時間帯なら、相手に迷惑になる事は無いだろう。
アージェンはううんと身を起こし、左腕の三つの腕輪を外して枕の上に並べた。三つ並んだそれらの内、まずパステルグリーンの物を手に取り、起動ボタンを押す。フュールに渡した物と対になっている腕輪だ。
するとMPがほんの少し消費され、同時に腕輪が変形し丁度受話器のような形状となった。耳にスピーカーを宛てがえば、何処か懐かしいコール音が聞こえて来る。エルフ耳だとちょっと勝手が違うな、等とぐにぐに位置を調整していると、やがてコール音が途絶え、代わりにフュールの声が飛び込んで来た。
『あ、アージェンさんですか?』
「ああ、わたしだ、アージェンだ。聞こえてるか、フュール?」
『ええ、問題なく聞こえています。それで、何の御用でしょうか?』
「ちょっと“使者”同士のなんやかんやが忙しくなっちまってな、次の待ち合わせに来れなくなるかもしれない。追ってまた連絡するが、留意しておいてくれるか?」
『え……ええ、分かりました。他の皆さんにはどうします?』
「あの二人にも、わたしから連絡する。つーわけで頼んだわ。
後、最近“使者”の間で強力なドラッグが流行っててな、その煙を吸うとそれだけでぶっ倒れちまうって代物なんだ。だから、わたし以外の“使者”には絶対に近づくなよ」
『えっ何ですかそれ……』
通信機越しの声にも、彼の動揺が乗っている様だった。言葉を失った様子のフュールに、アージェンは続ける。
「事件の全貌は、まだわたしにも分からん。気になるってんなら、全部解決した後に顛末でも話してやるからさ、それまで気を付けて待っててくれ」
『……分かりました。アージェンさんこそ、気を付けてくださいね』
「気遣い、ありがとよ。じゃあな」
『ええ、また』
相手の顔は見えないが、それでも彼の心配と信頼は伝わって来た。軽く笑いながら別れの言葉を告げ、受話器の取っ手の背に付いているボタンを押して通話を切る。
するとたちまち元の腕輪型に戻った通信機を枕の上に戻し、次にアージェンは晴嵐のと対になっている物を取った。先ほどと同様の手順で起動し、相手が出るのを待つ。
『マルロクゴーゴー、こちらII-E4-9999ZZ。司令官殿でありますか?』
「ああ、わたしだ。聞こえるか?」
『はい、バッチリなのであります! それで、本日はどんな御用でしょうか?』
まだ朝早いだろうにキビキビとテンション高く応対してくる晴嵐に、アージェンはかくかくしかじかと用件を伝える。すると、最初は明るかった彼の声音が、段々暗くローテンションになっていくのが分かった。
「──つーことなんだ。分かったか?」
『……了解しました。けれど、司令官殿、自分は悲しいのであります。どうして、最初からこの晴嵐を頼るという選択肢が無いのでありますか?』
予想していなかった台詞に、アージェンは返答に詰まった。プレイヤー同士の事で仲間たちに頼る事なぞ、考えてもみなかった。頭を掻きながら、彼女は数秒程黙り込む。
「あー……んだな、今回は本当に危険だから駄目だけど……また今度の機会に力を貸してくれるかい」
『危険な時こそ、自分は司令官殿のお力になりたいのであります!』
「あんたらは絶対に死なせたくないんだよ、わたしゃ。“使者”は最悪死んでも蘇れる、だがあんたらはもし死んじまったらそれきりだ。……分かって欲しい、晴嵐」
確かに、彼らと組めばアージェンたちの戦闘力は飛躍的に上昇するだろうが、高レベルのプレイヤーと真っ向から戦う可能性が有る以上、彼らを巻き込むという選択は採れなかった。万が一にも、彼らを殺されたくない。
『ううう~……分かったのであります。それが指令だというのであれば……』
「頼んだぞ、待機も立派な仕事だ。じゃあ、また」
晴嵐は何とも不服そうに唸ったが、最終的には了承の返事をした。相手が納得してくれた所でアージェンは通話を終え、最後にレオロのと繋がっている淡い赤の腕輪を取る。
三回目の起動作業をして、受話器の形に変化したそれを顔に当てる。これまでの二回の使用により、エルフ耳での据わりの良いポジションは導き出せたので、スムーズにやれた。
しかし、肝心の通話相手が何時まで経っても出て来ない。他の二つは問題なく通話出来たのだから初期不良という事も無いと思うし、どうせ彼が寝ぼけているだけだろう、と彼女は呆れながら辛抱強く待つ。
やがて一分程待った所で、漸くコール音が途絶え、向こうが通信機を取る音が聞こえた。普段よりも数段低い、不機嫌さが溢れ出る声でレオロが応じる。
『……何だ……』
「よぉレオロ、聞こえるか? 朝早くにすまんな、連絡が有ってな」
『用件を……早く……』
何とも眠たそうな彼の声に、しっかり記憶してくれるのかちょっと不安になりながら、アージェンはまるまるうまうまと話す。そうして彼女が必要事項を伝え終えると、レオロは先ほどより幾分かハッキリした様子でこう言い始めた。
『また、“使者”のいざござか……』
「ん」
『その言いぶりからするに……俺が関われる案件じゃあ無いんだよな。関わらせたくないんだよな』
「そうなる。察しが良くて助かるよ」
『そうか……了解した。なら、また連絡を待つ。健闘を祈る』
いつの間にか眠気の失せていた声音で、彼はそう言った。アージェンの敢闘と無事を願う言葉を心地よく思いながら、彼女はそのまま別れの言葉を告げ通話を終えようとする。
──と、その瞬間、凄まじい爆発音が聞こえた。一拍遅れ、濁声の叫びが宿舎中に響く。
何処か聞き慣れた色を薄く残した叫喚に、アージェンはバッとベッドから降り、通信機を構えたまま装備を整えた。今の音はレオロの元にも届いたらしく、彼は困惑とともにこう言う。
『お、おい、今の音は何だ!?』
「知らん! ごめん、切るわ! じゃね!」
『ちょっ、待っ──』
のんびり彼と話してる場合ではない。通話を切った後、腕輪の姿に戻るのも待たずに彼女は通信機をベッドの上に放る。
そしてメイスと盾とをそれぞれの手に構えた後、乱暴に扉を開けて廊下に出、先ほどの轟音の源目がけて駆け出した。
階段を上り、三階に上がる。ここは他の階に比べて空き部屋が多く、ラインハルトが閉じ込められている部屋もこの階だ。恐らくネリネかラインハルトの身に何か有ったのだろう、と決め打ちしてそこを目指す。
機能装備の鎧の所為で低くなっている敏捷度で、あくせくと走り抜ける。やがて新鮮な血の臭いが鼻を突き始めた所で、彼女はラインハルトが監禁されている部屋の前に辿り着いた。
一も二も無く突入しようと、思いっきりドアノブを引く。──しかし鍵が掛かっていたらしく、扉はガチリと鳴るばかりで開かなかった。
「ッファアック!!」
扉を口汚く罵りつつ、彼女はメニューを開き、ドアの向こう側へ転移する。すると血の臭いがより一層濃厚になると同時に、彼女の目がそこに広がっていた惨烈なる光景を捉えた。
「ひ」
血だまり。血飛沫。肉片。
焦げ付いた床と壁とに、盛大にぶちまけられたそれらの中心に、ネリネが居た。
──何かに吹き飛ばされてぼろぼろになった姿を晒しながら。
「ね……っ! っ……!!」
一応、人の原型は残っていた。だが腹部からは潰れて焦げた臓物がはみ出し、折れた肋骨が胸部から飛び出し、四肢も半分程捥げて焼けた断面を晒している。頭部は比較的傷が少ない様だったが、それでも彼女の命が今にも尽きようとしているのは一目見ただけで分かった。
もう声を上げる気力も残っていないようで、片方しか無い露草色の瞳で、彼女はアージェンに無言の視線を投げ掛ける。それでどうにか正体を取り戻したアージェンは、いつの間にか止めていた呼吸を再開しつつ、詠唱を始めた。
「ma'u'ei lo carmi brife be lo manku
.i lo noi vimcu ri ku'o kamcni lo voksa cu nenri
.ije .uu mi sanga .i .uiru'e mi ka'e sanga
.i ja'o .ui mi ca za'o ka'e fapro
.i ki'u la'e di'u ko ji'a fapro .e'o .i ko ji'a na morsi .e'o ma'u'oi」
過不足無く治療を行うのに必要な、慈しみや哀れみといった感情を呼び起こし、一つ一つ確かめるように、彼女は呪文を組み立て、慎重に震える声に乗せる。注意深くやらねば、間違えて攻撃魔法を使ってしまいそうな気分だった。
「zi'e'ai .ai mi la .nerinen. cu tolxai .uo!」
そして最後の実行文を唱えると同時に、アージェンはメイスを掲げ、回復魔法L10を発動する。すると何処からともなく非実体の白い花びらが現れ、ネリネの上に降り注いだ。
すると花びらが触れた所から、彼女の身体が癒え始めた。はみ出た内臓や骨が本来有るべき場所へ戻り、潰れ弾けた肉も元の姿を取り戻し、消耗したHPも瞬く間に満ちてゆく。
「……あ、けふっ。た、助かったわ……ありがとう……」
HPが全快し、『骨折』『内臓破裂』等の状態異常も全て消えた所で、彼女はやっとといった様子で弱々しく礼を述べた。アージェンの手を借りて立ち上がり、夥しい血痕の中心から立ち退きながら、彼女は苦々しい声で話し出す。
「ラインハルトさんに、逃げられたわ……口を塞いでたし、大丈夫だと思ったけど……メニューから、爆弾を使われて……ご覧の有様よ……」
「な……」
多少滑舌が悪くてもメニューには音声入力出来るから、まさかとは思っていたが、本当にそれで逃げられてしまうとは。認識が甘かったか、とアージェンは舌打ちをする。
「自分が作って、売った爆弾で致命傷を負うとか、皮肉よね……。我ながら、流石の威力だったわ……。
それと……ラインハルトさんで色々、実験したけど……何の成果も得られなかったわ……ごめんね……」
つい先刻自身の身に降り掛かった惨劇の記憶に、ネリネは弱々しく震えながら、鳴る歯を抑えながら必要な情報を伝える。それを受け取ったアージェンは、彼女の謝罪に首を振りながらこう答えた。
「成果を得られなかった、ってのも立派な情報だ。有り難く受け取るよ」
「……良かった……。ルシさんにも、この事を伝えて……ちょっと、あたし、休みたいわ……」
「分かった。自力で移動出来る?」
「アトリエに戻れば、コノハズクが居るから……」
「ん。ゆっくり養生してね」
ネリネは緩慢な動作でメニューを弄り、転移でこの場から姿を消した。残されたアージェンは、惨状を晒す部屋を見回しながら、まずルシフェルへと個人チャットを送り始める。
ラインハルトの逃亡とネリネの重傷、その事をキーマへと報告して欲しい事。それらを伝える文章を綴って送信しつつ、部屋の鍵を内側から開けて自分の部屋へと戻り始めた。




