30:雪色の計らいが揺れる
ネリネのアトリエにて、轟々と炎を揺らす薪ストーブの傍らに、四人の人影が集っていた。ネリネ、コノハズク、ルシフェル、そしてアージェンの四人である。ヤク中と化したラインハルトを捕縛し、副流煙の毒にやられたネリネをこのアトリエに避難させた後、ルシフェルもこちらに呼び寄せ、臨時の作戦会議と相成ったのだ。
「とりあえず、これを回収して来たわ。……拾った時はまだ火が残ってて、それで煙にやられてしまったようだけど」
来客用の、薄らと埃を被っていた椅子に座るアージェンとルシフェルを、大きな安楽椅子に着いたネリネは、完全には回復しきっていない顔色で見渡す。しながら、彼女はインベントリから火の消えたあの葉巻を、目前のテーブルに取り出した。
「で、軽く調べてみたわ。まぁ、予想通り幻覚・昏酔作用と中毒性の有るイケナイタバコだったわけだけど、その材料が、ね」
そう言って、彼女は自身の背後にて仁王立ちするコノハズクに目配せする。すると、彼はその手に持っていた籠を、静かに机の上に置いた。そこには、乾燥させた数種類の薬草が入っている。
「マンドラゴラの葉っぱやら、アルビノリリィの球根やら。どれも一般には流通してなくて、手に入れようと思えば適正lv80とか90とかの魔境に赴かなきゃならない代物ばかりだったの。
勿論、そんな有る意味高級なドラッグは、今まで一度も流行した事が無かったわ。あたしが知る限りは、ね。他にもっと利益の上げやすい物が有るもの」
一通り葉巻の材料と同じ物を見せ終わった後、コノハズクは籠を回収しつつネリネの背後に戻って、存在感を薄れさせる。そんな彼の所作を眺めながら、アージェンはネリネの説明から導き出される事実に眉根を寄せた。
「……つまり、プレイヤーか」
「そういう事。NPCがこんな物作るとは考え難いからね、きっと高レベルのプレイヤーよ」
手に入れるのが困難なレア素材でも、それが有る場所が険しいというだけならば、高レベルのプレイヤーであればいくらでも入手しに行く事が出来る。ネリネの肯定を受け、アージェンはますます顔を渋めた。
「まぁ、それだけレアな素材をふんだんに使ってるもんだから、その効果も凄まじい筈よ。それこそ、数秒まともに煙を吸えばその魂は異世界トリップ、葉巻一本吸い尽くした頃にはもう重度の依存症、ってレベルね」
「じゃあ、ラインハルトさんは」
ルシフェルの絶望じみた声に、ネリネは首を横に振る事で応えた。バッドステータス自体は治せるだろうが、破壊された精神は簡単には元に戻らないだろう──そんな想いを込めて。
「……とにもかくにも、報告だ。キーマさんに報告を上げよう。感傷に浸るのはその後だ」
苦虫を噛み潰すように歯を食いしばりながら、アージェンはそう言ってメール画面を開いた。そして新規作成画面にアクセスし、高レベルのプレイヤーが作っていると見られる、強力なドラッグが流通し始めているかもしれない、と入力していく。
「何処何処のメンバーにも連絡を。ルシフェルさん、お願い」
「ああ、分かった。──と、丁度キーマさんからのメールが来たし」
「じゃあわたしがキーマさんへの連絡の文面作って送るから、それを適当に推敲してルシフェルさんから送って」
「了解だ」
ルシフェルは頷き、メニューを操作し始める。チャット画面に彼のギルド向け発言が並ぶのを横目に捉えつつ、アージェンは素早く報告書を仕上げルシフェルへと送信した。
「プレイヤー産の麻薬、ですか」
何処何処のマスター代理・ルシフェルから届いた報告書を、キーマは険しい顔で眺めていた。メールの仕分け作業をし続けるキュリオスの傍ら、彼は左手で顎を撫で付け、如何に采配すべきかと考え込む。
この世界で元々流通していた薬物であれば、プレイヤーが場所を弁えて使用する分には目溢しするが、プレイヤーがより強力な物を作って流通させるのまでは見逃せない。まともな流通が始まればNPCの手にも渡ってしまうだろうし、そうなるとNPCがプレイヤーの被害に遭う事になってしまう。
自治組織の設立目的には、暴走したプレイヤーからNPC含むヒョの世界の安寧を守る事も入っているのだ。その為には、どうにかしてこれを流通させている者たちを取り締まらねばならないだろう。
(敵は随分と上手だな……)
以前シャノワールたちに調べさせた時には、こんなプレイヤー産の麻薬が出回っている、という話は無かった。彼女たちがこれ程大事な事を見落としたり、報告し忘れたりしたとは思えないから、恐らくは彼女たちの調査が終わった後に流通し始めた物なのだろう。
情報収集終了から報告を上げるまでに、少し空白期間が有っただろう。キーマの元へ情報が行くのを少しでも遅らせる為、相手はその僅かな隙を突いたと見る。ルシフェルという優秀な組織員のお陰で、遅れは最低限に留められたようだが。
始まったのが至極最近となれば、まだそれほど大規模な流行には至っていない筈だ。今すぐ手を打てば、一大パンデミックになる前に根絶する事が出来る。
「……しかし、どう手を付ければ良いのやら」
報告に有ったラインハルトなる人物の入手ルートから攻めていくのが定石だろうが、曰く彼は最早完全に前後不覚状態で、禁断症状まで出始めた今聞き取りをするのは難しい、との事だった。
ならば、他の中毒者から話が聞ける程度に正体を保っている者を探し、そこから情報収集の手を広げてゆくしかないだろう。……流通開始からまだそれ程経ってないだろうに、被害者が心神喪失になってしまう程強力なドラッグなのだから、話が聞ける人が見つかる可能性はかなり低いが。
それに、とキーマは額に手を当てる。
(黒幕は何故、こんな事を? こんな事をして何になる?)
何よりも分からないのはそれだ。幾つものレア素材を惜しげも無く使ったドラッグを流通させて、一体どんな利益が得られるというのだろうか。
単純に、それを売って得られる金銭だけが目的でないのは確定的だ。あまりにも非効率的過ぎる。ならばこの麻薬を流通させ、中毒者を増やす事自体が目的なのだろうか?
そう考えると、色々と納得がいく。目に見えない程の副流煙でさえ、レベル40程度のハーフリングが倒れる程の毒性を持っていたのだ、人がそれなりに集まっている所で焚けばあっという間に皆中毒になってしまうだろう。
となると、中毒者を増やしてどうするのだろう、という疑問が湧く。中毒者の症状について詳細を記された部分を読み、様々な推測を巡らす。前後不覚、何を言っても空返事、命令は意外と素直に聞いた──不意に、情報の点と点同士が繋がり合い、そして一つの答を導き出した。
「……プレイヤーを無力化するのが、目的……なのか?」
黒幕の目的にそれを設定してシミュレートしてみると、見事に辻褄が合った。そして、プレイヤーを、ひいては《蓮の糸》を無力化して一番得するのは一体どんな者か、と考えれば、黒幕の輪郭が少しずつ露になってくる。
《蓮の糸》は自治組織だ。《蓮の糸》の存在は、プレイヤーによる犯罪の抑止力となっている。悪さがバレれば逮捕され、罰金を取られたり禁固されたりする──それを都合悪く思うのは、犯罪がしたいプレイヤーくらいだろう。
わざわざ犯罪をしたがるプレイヤーなぞ、そう多くはない。それこそ、それを生き甲斐としていた者──ブラッディリボンに所属するロールプレイヤーくらいだろう。
(ブラッディリボン……ジャディスリィなら、何か知っているか?)
一応、ブラッディリボンのマスター・ジャディスリィは、《蓮の糸》への協力を表明している。蛇の道は蛇、直接的にブラッディリボンが関わっていないにせよ、彼女ならばキーマよりも様々な事を掴んでいるやもしれない。
「よし……」
キーマはメニュー画面を操作し、ジャディスリィへの個人チャットを入力し始めた。そして彼女を呼び出す文面が完成すると同時──コンコン、と行儀の良いノック音が扉の方から届いた。
「はい、どうぞ」
送信しようとした手を止め、その音に答えながら彼は顔を上げ扉の方を見る。するとゆっくりと開かれた扉から、丁度彼が呼びつけようとしていたジャディスリィの姿が現れた。
「……ジャ、ジャディスリィさん?」
「こんにちは、キーマカレーさん。突然お邪魔してごめんなさい、けど、どうしても相談したい事が有りまして」
彼女はにこやかに言いながら、扉を閉めキーマの方へ歩み寄る。腹に一物抱えていそうな、しかし抱えているモノの正体を悟らせない、底知れない笑顔だ。
「相談したいのは、麻薬流行についての話です。ねぇキーマさん、あなたはプレイヤー産の高級ドラッグの事は、もうご存知ですか?」
満面の笑みと共に投げかけられた彼女の問いに、キーマは逡巡し、そして頷いた。すると彼女は赤と白の人外じみた目を瞬かせ、ほんの少し緊張を緩めたようにエルフ耳を動かした。
「良かった、もしこの程度の事も突き止められないような人だったら、わたしどうしようって思ってました。
そんなお馬鹿さんと一時的にでも手を組んでいたなんて経歴、わたしにとって恥でしかありませんから」
「ハハハ……」
刺々しい発言を一切オブラートに包まず口にする彼女に、キーマは曖昧に乾いた笑いを返す事しか出来なかった。柔らかで優しげな声音と、磨き上げられた語り口の丁寧さが、彼女の毒舌を一層際立たせている。
「まず、キーマさんはどの辺りまで知っていますか?」
「えー……知っているのは、極最近プレイヤー産の超強力なドラッグが出回り始めた、という事くらいです。推測なら、アナタのギルドメンバーが噛んでいそうだ、だのと色々考えておりますが」
「そうですか、分かりました。ではわたしの知っている事を話してゆきましょう。まず、その推測ですが、当たっています」
キーマがどれくらい情報を持っているかを確認した後、ジャディスリィは空いているソファに座りながら、自身の知る事を開示し始めた。絶え間なくこちらの様子を窺いながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「我がブラッディリボンに属する、『悪人ロールプレイヤー』が一人、『ニテイ』。彼女が、この麻薬流行の黒幕です。
彼女が動き始めたのは、大体一ヶ月くらい前からでしょうか。時折ギルメンに護衛依頼をしたり、外部のプレイヤーにアスディで入手した麻薬を委託販売させたりしていました」
話し始めた彼女に、キーマは開いていたメニュー画面を全て閉じつつ、彼女の対面のソファへ移動する。キュリオスがちらりと一瞬こちらを見たが、すぐに自分の作業へ戻った。
「……それが真実である証拠は?」
「えー、わたしを疑っているんですか? 悲しいです……わたし、嘘は大嫌いなのに……」
「失礼でしょうが、簡単に信用出来る材料が無いのですよ、アナタには」
「うーん……でも、この場ですぐ見せられる証拠は無いんですよ。でも本当です、誓って嘘は吐いていません」
キーマが疑いの目を彼女に向けると、ジャディスリィは心細げに上目遣いをしてみせた。そんな相手を彼は暫く観察し、嘘自体は言ってなさそうだと断じる。
「……分かりました。一先ずは信じましょう」
いつまでも疑い続けていても何も始まらない。信じられる根拠は見当たらないが、それでもジャディスリィの情報は貴重な物だ。そう考えた彼は、疑念を一先ず脇に除けて、ジャディスリィへと質問をぶつける。
「まず。何故、最初にその動きが有った時に、ワタクシに伝えてくれなかったのです?」
「ああ、それですか。簡潔に言いますと、その動きだけでは怪しめなかったからです。
護衛依頼は全然怪しい事じゃないですし、麻薬の販売だって、以前は運営に垢BANされない程度に小規模だったとはいえ、元々やっていた事でしたので。委託先にも、売るのはプレイヤーに対してのみ、って指定してたみたいでしたし」
自分には何の落ち度も無い、と言わんばかりにジャディスリィは肩を竦める。実際、現状という結果を踏まえて見ればニテイなる人物の行動は怪しいが、結果を知らない当時では疑えなかったのだろう。
「まぁ、良いでしょう。その委託先の人は分かりますか?」
「はい、わたしの調査で分かった限りの委託先は、こちらの名簿に纏めてあります。ちなみに、委託先もプレイヤーのみだった模様です」
彼女はインベントリから一枚の紙を取り出し、キーマに渡した。手書きの名簿には、ニテイが麻薬の販売委託をした相手の名前に、分かる者はレベルや所属ギルド、見た目の特徴等も列挙されていた。
「出来る範囲で直接会いに行ったり、こっそり覗いてみたりもしたんですけど、何というか……わたし的に“怖い”人ばかりでした」
「……アナタのような方が恐怖するような人、とは?」
「善意ですよ。善意の悪人です。麻薬の委託販売を請け負ってる人たち、皆善行だと思ってドラッグを売ってたんです。
“帰れない”っていう辛い現実から、プレイヤーを解き放ってあげてるんだ、って……ニコニコしながら言ってました。……心底、気持ち悪かったです」
取り繕ったような笑顔を一時消し、ジャディスリィはこれでもかと顔を歪めて嫌悪を露にした。きっとそれは、彼女なりの悪の美学に反していたりするのだろう。
そんな彼女という人格の本質の一片を垣間見ながら、キーマは手元の委託先名簿にざっと目を通す。レベルはバラバラだったが、あの『ボールマウス愛好会』のメンバーたちが目立った。というか、所属ギルドが判明している者の内、九割以上がボールマウス愛好会だった。
「ボールマウス愛好会……また出て来ますか」
「数の力を得た馬鹿は、本当に手が付けられませんからね。ニテイさんはそこに着目して、実行者に彼らを選んだのかもしれません。
……っと、閑話休題。犯人はそうして普通の麻薬の常習者を増やした後、キーマさんたちの嗅ぎ回りが終わるのを見計らって、特製の強力ドラッグをプレイヤーに売り始めました。
そして、爆発的な汚染力を持つ薬物で以てプレイヤーを無力化し、最終目標達成の為のお膳立てを完遂する……それがニテイさんの、今回の麻薬流行の目的です」
今回の事件の真相を一通り話し終えた彼女は、ふぅ、と一息吐き顔を上げて目を閉じる。一仕事終えたような顔になった相手に、しかしキーマは訝しげにこう問うた。
「その、ニテイという人の目的は、プレイヤーを──《蓮の糸》を無力化する事だけではない、という事ですか?」
「ええ、あくまでそれは彼女にとって前段階に過ぎません」
「なら……最終目標とは、一体?」
自治組織を崩壊させた後にやる事なんて、十中八九碌な物ではないだろう。青白い顔を険しくするキーマに、ジャディスリィは答える。
「──世界征服、とでも形容しましょうか。この世界の支配が、ニテイさんの目的です」
楽しげに、本当に楽しそうに、耳をぷるりと震えさせ、目を緩やかな曲線としながら。




