29:瓦解へのイントロダクション
何処何処ハウスのカフェ風スペースにて、何処何処中枢メンバーの四人は一つのテーブルに集まり、互いに近況報告をしていた。その一環としてネリネが語る、麻薬流行に関する調査結果を、アージェンは険しい表情で聞く。
「……ってわけで、すぐにキーマさんの方から通達が来ると思うわ。皆もドラッグには注意してね。あたし、友達、の事、失いたくないから」
簡潔に概要を述べ終えた後、何故か『友達』の部分を遠慮がちに言いながら、彼女は話を締めくくった。アージェンはルシフェルと一緒になって頷きながら、この前フュールに聞いた噂の事を想起する。
(あの時、フュールが言ってたのは、この事だったんだな……)
五日前フュールが言っていた、彼方此方で麻薬が流行しているらしいという噂。その時は取るに足らない流言と軽く受け流していたが、しかし背後にはプレイヤーの存在が有った。少し考えれば簡単に関連付けられていただろうに、と、アージェンは自身の浅慮さを自嘲する。
また今度、仲間たちに改めて警告しておく必要が有るだろう。フュールは真面目だし、晴嵐は絶対にアージェンを裏切らない精神構造なので何もしなくても大丈夫かもしれないが、レオロにはそこまで大丈夫と思える要素が無いし。
「あと、アージェンさんには中毒者の治療のお鉢が回ってくるかもしれないわね。……ヒョの魔法じゃ精神的な依存までは治せないけど、少なくとも肉体的な依存はあっという間に治せるから」
「ウッス。まぁ、精神までどうこう出来ちゃったら、現実が大変な事になるしね。もう現実帰れないけど、ハハッ」
マシンの説明書曰く、VR内の肉体は完全に別物だが、精神はほぼ同一のものであるらしい。だから、VRゲームには恒久的にプレイヤーの精神に干渉するスキル──例えば記憶操作等──なんかは存在しないし、現状作れないし、作ってはならない事になっている。
何故ならば、ゲームやってたら記憶喪失になってた、なんて事が起きたらすわ一大事になるからだ。もしゲームの魔法で現実の精神病患者が治せたら、それこそ医学界に革命が起きるだろうが。
「にしても、麻薬か。……そんなのに手を出す前に、少し視野を広げてみれば良いのにな……」
憮然とした表情で、ルシフェルはそう呟く。要するに彼は、ドラッグという何もかも捨てる道に走る前に、思い切ってこちらの世界の住人になるという採択をする方が賢いだろう、と言っているのだ。
それには、アージェンも割と同意だ。とはいえ、これまで全くNPCと関わって来なかったゲームプレイヤーたちにとってのそれは、恐ろしく敷居の高い選択肢だろう。
(無理もない……本当に、仕方の無い事だよ、これは)
そう思いながら、彼女は目を伏せる。しかしだからといって、犯罪に手を染めたプレイヤーがこの世界にあだなすのを見過ごすわけにはいかない。それが巡り巡り、彼女や彼女の仲間たちを傷つけるかもしれないのだから。
「ま、とりあえずはキーマさんの指示を待って……また忙しくなるかもしれないから、あいつらに連絡入れとかねーとなー」
左腕に三つ填めた通信腕輪を撫でながら、アージェンは仲間たちの顔を思い浮かべる。六日前ベルジャを発った後、昨日そこそこ大きな街に辿り着いて一先ず解散したのだが、この集会が終わったらすぐにでも連絡を飛ばそう。そう決意しつつ、彼女は翼を竦めて難しい顔をしているルシフェルの方に興味を移す。
「面倒だなー……暫くは約束入れないようにしないとな……」
「んー? ルシさん、ギルマス代理なんだから、面倒なら下に押し付けちゃえば良いじゃないの」
「そういうの、オレはやりたくないんだよ……権力を無闇に振りかざすのは……」
「ふーん、そう。……あんまこっちにかまけ過ぎて、ガールフレンドに愛想尽かされても知らないわよ」
「ングッ!?」
半分笑いながら投げかけられたネリネの台詞に、ルシフェルは呼吸の加減を間違えて咽せた。彼がげほごほと咳を繰り返し、どうにか喋れるように戻った所で、ネリネは更に追撃をかける。
「基本的に、女の子は待たされたりするのは嫌いなものよ。本気で彼女を落としたいなら、なるだけ彼女を優先して動くべきだわ」
「うう……だが、ディーネイは優しいから──」
「その優しさにあぐらをかいてるようでは駄目ね。どんなに優しい子でも、自分を蔑ろにされたら少なからず不満を抱くわ。
親切をされたなら、それと同等の親切で以て返す。間違っても、優しくされて当然なんて思っちゃいけないわよ」
「……そうだな。分かった、なるだけ彼女の事を優先しよう」
ネリネの言葉に、これは男女の仲だけの話ではないよな、とアージェンもうんうん言う。ルシフェルもそれに納得したように、一つ深く頷いた。
と、そこで、アージェンの心にふと魔が差した。口元の前で両手を組み、両肘を机に付いたポーズで目を閉じているルシフェルに、彼女はこう問いかける。
「そういや、彼女との仲はどの辺りまで進展したの?」
「えっ、ああ、現状は、こう……好感度稼ぎというか……そんな感じだ。なんつーか、急にグイグイ行くのは気が引けて……」
問われたルシフェルは、髪の毛を弄りながらそう答える。据わり悪そうに翼を上下させる彼に、アージェンは半目になりながら溜め息を吐いた。
「……ルシフェルさん、ディーネイちゃんと出会ってからはどれくらいになるの?」
「えっ……えー、β時代からだから、でもまだ一年いってな──いや、あいつから見ればウン十年か」
「そうかそうか。……そんくらい長らく仲間として友人として付き合ってりゃ、もうとっくに好感度はカンストしてるんじゃないか、ってわたしは思うよ」
これは経験則だ。吸血鬼に滅ぼされた村での悶着の際、同じくらいの期間仲間として連れ合って来たフュールは、アージェンが半魔であるという事を知っても、彼女の友たり続ける事を選んだ。
本来天敵同士であるらしい半魔とエルフですら分かり合える程長い年月なのだ、特にそうでもないルシフェルとディーネイなら尚更絆は深まっている筈だ──そこまで考えた所で、本当にエルフと翼人の間に確執は無かっただろうか、と不安になる。なのでアージェンは、種族周りの設定に詳しいラインハルトに話を振った。
「ねぇラインハルトさん、エルフと翼人って特に相性悪かったりしないよね?」
「えー……あー……どうだった、け、なぁー……」
しかし彼は、ぼーっとした声でふにゃふにゃと心無く答えた。そのまま『ス』と『フ』の区別も付かなさそうな顔で、明々後日の方角を虚ろに眺める彼の姿に、三人は怪しむ視線を向ける。
「ちょっと、いくらルシフェルさんの事が気に入らないからって、その態度はどうなの?」
「うー……せやなぁー……」
険しく投げかけられたアージェンの言葉に、しかしラインハルトは芯無く適当な同意を返すのみだ。やがて彼はインベントリから一本太い葉巻を取り出し始めたので、ネリネがあからさまに嫌悪感を剥き出しに顔を歪める。
「……タバコ、吸っても良いけどさ、場所を弁えてよ。あたし、タバコの煙大っ嫌いなんだよね」
「おー……そうかぁー……」
彼女がそう言うと、ラインハルトはふらふらと立ち上がり素直に外へと出て行った。それを認めた後、ネリネはアージェンに声をかける。
「よし、追うわよ」
「え? ……ああ、そうだね、分かった」
「な、何だ? どういう事だ?」
「説明は後。ルシフェルさん、五分経ってもわたしたちが戻らなかったら、状態異常耐性ガチガチに固めて追いかけて来て」
合点したアージェンは素早く装備を固め、一足先に歩き出したネリネの後を追った。アクセサリ系統を少し入れ替え、毒系のデバフ耐性を可能な限り高めながら、あの葉巻を吸いに外へ出たラインハルトを尾行する。
果たしてラインハルトは、建物から出て少し歩いた所で葉巻を銜え、もごもごと滑舌悪くロジバンを唱えていた。やがて火が点き、灰色の煙が上がり始める。その様子を木の陰から覗き見て、アージェンは小声で漏らした。
「十中八九、碌な物じゃねーよな……」
「ええ。ほぼ間違いなく、クロよ」
ネリネも、声を潜めながら彼女を肯定する。あの異様な態度だけでも十分怪しかったのに、それに加えてあの如何にもな葉巻と来た。自分の友人に限ってそんな事は、と楽観的な考えが囁くが、彼女はそれを追い払いながらラインハルトの様子を見守る。
二人の鋭い視線が向けられる中、彼はそれに気付いてないのか気にもしていないのか、静かに煙を吸っていた。力無く地べたに座り、時折意味も意志も無い声を漏らす。そんな彼のステータスを、アージェンはメニューから表示させる。
そうして開いたラインハルトのステータス画面に、燦然と輝く毒々しい絵柄のアイコンたち。それをタッチすれば、『幻惑L10』『昏酔L10』『依存症L10』といった文字と解説が出現する。
「クソが……」
絶望、失望、それから憤怒。それらの入り混じった低い呟きが、アージェンの食いしばった歯の隙間から零れ出た。暗澹たる心持ちに口を引き結ぶネリネと、彼女は軽く目配せをした後、徐に頭や右腕周りの装備を外した。
「《魔性、解放》ッ!」
そしてスキル名を吶喊し、アージェンは半異形の姿となった。この状態になると能力値が上がる他、状態異常耐性も通常時の数倍に跳ね上がる。
あの葉巻の副流煙も強い毒性を持ってる危険が有るので、使える保険は全て使っておく。普通《魔性開放》はこんな白昼堂々使えるものではないが、ここはプレイヤーの領域だ。半魔を咎めるNPCは存在しない。
「ッラァ!!」
そのままアージェンはラインハルトの元へ駆け出し、肥大化した右拳を彼に振り下ろした。彼は防御や回避行動をとる事もせず、無気力な佇まいのままアージェンの拳を受け入れ、殴り飛ばされる。
「……あー……」
彼女の攻撃をモロに喰らい、ごっそりとHPを削られたラインハルトがごろりと地面に横たわる。それを認めたアージェンは、すかさずネリネに声を飛ばした。
「ネリネェ! ワッパ!」
「はいよッ!!」
彼女の呼びかけに応え、ネリネは強化手錠を投げて寄越す。普通の鉄なら引き千切ってしまう者すらいるプレイヤーを捕らえる為の、特別製の手錠だ。巨大化した右手と、肌色以外は通常時のままの左手で、苦労しながらラインハルトを拘束する。
彼の両腕を後ろ手に手錠で縛った所で、ネリネも袖で口元を押さえながらこちらに歩いて来て、強力な接着剤と厚手の布をこちらに渡す。アージェンはそれを黙って受け取ると、やはり手こずりながらそれらでラインハルトの口を塞いだ。
「これで良し、っと。一先ず、宿舎の空き部屋にでも閉じ込めておきましょ。何か手がかりが有るかもしれないし、治療は後回しね……お疲れ、ジェンさん」
「ああ、お疲れ、ネリネさん。……まさか、ラインハルトさんが、こんな……」
アージェンは左手で目元を覆いながら、大仰に肩を落とす。麻薬流行の話を聞いた時点で、何処何処のメンバー内にも中毒者が出ているだろう、くらいの覚悟はしていたが、まさか中枢メンバーたるラインハルトがそうなっているとは思わなかった。
「クソ……クソクソアンドクソ……」
あまりの出来事に、身体が震える。信頼を裏切られたような気分だ。ネガティブな感情が、《魔性開放》状態である事も相まって増幅される。
そうして沸々と破壊願望が生じ始めた所で、少々感傷に浸り過ぎたか、とアージェンは頭を振る。元の姿に戻る為、メニューへ音声入力をしようとしたその瞬間、彼女の耳にネリネの呻き声が届いた。
「う……ヴくっ……あっ、がはっ、げほっかほっ!!」
「──ネリネさんッ!?」
入力を中止し、アージェンは膝を折り踞るネリネの元に駆け寄る。彼女のステータス画面を開くと、そこにはLは低いもののラインハルトが罹っていたのと同じ状態異常のアイコンが踊っていた。
周囲に、彼の葉巻の煙の気配は最早無い。だのにラインハルトと同様の症状が出ている──目に見えない程薄れてもなお、あの煙は効果を現す程の毒を帯びているというのか。
もがき苦しむネリネを視界に捉えながら、アージェンは逡巡する。その後、彼女は右手を掲げながら高らかに呪文を唱えた。
「ma'u'ei .iacu'i le dilnu cu nu'o cfari
.i .ii le blabi brife cu klama
.ije .a'onai ri le xunre xrula cu lebna ma'u'oi
zi'e'ai lo brife lo vindu danmo cu vimcu .ei!」
紡ぎ上げられたロジバンに呼応し、周囲の空気が鳴動する。その蠢きは風を生み出し、集って烈風となり海の方へと吹き抜けていった。
これだけ力一杯空気を入れ替えれば、流石に毒も吹き飛んだだろう。間髪入れず、アージェンは次に右手をネリネの方へ差し伸べ、魔法を紡ぐ。
「ma'u'ei le selsa'a mi lo xance cu ca vitke .e'o
.i le selsa'a mi lo voksa cu ca vitke .e'o ma'u'oi
zi'e'ai fe lo vindu la .nerinen. cu vimcu!」
発動したのは回復魔法。アージェンの手からこぼれ落ちた魔法の光が、彼女の身を蝕む状態異常を全て取り除き、ついでに毒で削れたHPも満たす。
「おーい、いつまで……って、何が有ったんだ!?」
そうしてネリネが快復した所で、アージェンの言葉通りにガスマスクを着けたルシフェルがやって来た。ヴィジュアル系な服装と無骨なガスマスクが、えも言われぬミスマッチ感を醸し出している。
「えー、ラインハルトさんがヤク中だったので確保した。で、ネリネさんがその毒にやられたけど、今治療した。
だからルシフェルさん、そこに転がってるラインハルトさんを適当な空き室に閉じ込めて! ネリネさんはわたしが運ぶから!」
「あ、ああ、了解したッ!」
端的な説明と要請に頷き、ルシフェルは拘束されて転がっているラインハルトの方へ駆けてゆく。アージェンはそれを認めつつ、異形の鉤爪がネリネの身を傷つけない様注意しつつ、右腕で彼女を抱き上げた。
「油断したわ……ごめんね、ジェンさん」
「気にしないでよ。あなたのアトリエに運ぶけど、良いかしら?」
「ええ……お願いするわ」
アージェンは右手で確とネリネを抱え、空いている左手でメニューを操作する。しつつ、ネリネの了承を得ると、エンウィードゥの雪山の中に有る彼女のアトリエへと転移先を設定し、そして起動した。




