幕間04:王様の耳は猫の耳
夕日に照らされるサーザリア洋のど真ん中に、一つの小さな小舟がぽつんと浮かんでいた。四方八方を水平線に囲まれたその舟の上には、一人の少女が乗っている。
背中の半ば辺りでぱっつりと切り揃えられた黒髪に、縦に割れた瞳孔の金色の瞳。そして頭の猫耳をぴょこぴょこと潮風に揺らしながら、ゴシックロリータ風の可愛らしいドレスを靡かせる彼女は、エスポワールというギルドのマスター・シャノワールだ。
彼女は暫くの間、光の失せた瞳でぼんやりと海面を見下ろしていた。底の見えない深い蒼を眺めた後、不意に彼女は立ち上がり、そして思いっきり息を吸った。そして、沈みゆく太陽へ叫ぶ。
「太陽のっ、バッキャローッ!!」
その叫び声は、普段彼女が喋る時に使う気弱そうで儚げな声ではなく、女声としては低く太い声であった。一つ深呼吸して息継ぎをした後、彼女は次の叫びを発する。
「王様の耳はッ! ロバの耳ィィィィィアッ!!」
半分白目を剥きながら叫喚して、そのまま激しくヘドバンをし、そしてガツンと頭を舟の縁にぶつける。勢い良くぶつけたので少し額が切れ、HPが少し減った。
「い、いたたたた……」
結構痛くて、シャノワールはその場で踞って額を抑える。自分でわざとやった事なのだが、予想以上に痛かった。自分のアホらしさに笑いがこみ上げて来る。
「く、ひひひ、あっはっはっはっはっ……」
背中を震えさせ、悪役のような三段笑いを繰り広げながら彼女は天を仰いだ。雲一つ無い空は憎たらしい程に透き通っており、ちらほらと星々が姿を現し始めている。遥か彼方からシャノワールを見下す星たちをねめつけながら、彼女は涙を零した。
「はっはっはっ……なーんでこうなったかなぁ……はぁ……俺もうやだ……死にたい……」
笑い続けるのにも疲れ、彼女は枯れてますます低くなった声で呟く。再び俯き、だらだらと涙を流しながら誰にも言えない秘密を海に向けて吐き出し始めた。
「クソッ……本当は俺は男なんだよ……! そうだよネカマだよ何か悪いか!
こっちじゃ美少女演じてるけど、中身は40間近のキモータなんですぅ、メタボでハゲで独身の三重苦ですぅ~! チキショー!」
そう、シャノワールは実はネカマなのだ。それも、ネカマ暦二十年余のベテラン。そのネット上での振る舞いは、生半可な女性よりも可愛らしいと彼女──否、彼は自負している。
とはいえ、別に彼は歪んだ性癖を抱えているわけではなく、最初は単に『どうせなら自分好みの可愛い女の子を操作したい』程度であった。やがて、ネットゲームで女性アバターを使って丁寧語を話しているだけで、勝手に勘違いした男たちから優遇して貰える事に気付き、本格的にネカマをやるようになったという経歴だ。
「クソッ……なんで俺はVRでのネカマなんて物に手を出しちまったんだ……五ヶ月前の自分を殴りに行きたい……」
水面に映る、彼の好みドストライクの少女の姿を憎々しげに睨みつけながら、シャノワールは後悔に顔を歪めた。これまで彼はVRゲームには手を出さず、普通のパソコン等でやるネットゲームでのみ女性を演じていたが、五ヶ月程前にふと魔が差し、VRネカマデビューをヒョにて果たしてしまったのである。
ヒョでのネカマライフ自体は、どういうわけかギルマスに担ぎ上げられたり、時折取り巻きがガチで気持ち悪いと思う事は有ったけれども、悪くはなかった。ヒョというゲーム自体が楽しかったというのも有るが、“シャノワール”という別人の人生を日に数時間だけ味わうのは、中々に楽しかった。
「ううう、いやだ……このまま女の子になるのはいやだぁ……畜生めぇ……」
けれどもそれは、あくまで『架空のモノ』で『お遊び』だからこそ楽しかったのであって、このまま一生“シャノワール”として生きるだなんて真っ平御免だ。確かに現実の彼はどうしようもない奴だが、だからといってこんな形での性転換を受け入れられる程自身を悲観していない。
何が何でも元の世界に帰りたい。それが叶わないとしても、せめて男の姿になりたい。それが今のシャノワールの望みだ。
しかし現状帰れそうな目は無いし、アバターの見た目を変更する課金アイテムを使っても性別までは変えられない。叶わない夢であった。
「……そもそも、本当に俺は男だったのか? 最初から女の子だったんじゃね? 何か自信無くなって来た……」
長らく少女の姿で過ごし続けて来たからか、少しずつ現実の自分が薄れ始めている。このままでは、身も心も少女になってしまいそうだ。同時に、その方が楽だ、と思う心は日に日に勢力を増して来ている。
だがシャノワールは自身に往復ビンタを喰らわせて、その弱さを追い払う。そして現実の自分の輪郭を再確認するように、野太い声を作って叫んだ。
「うっせぇ黙れ、誰が何と言おうが俺は男だ! 男だったんだーッ!! ムギエェェェイッ!!」
サラサラの黒髪がぼさぼさになるのも厭わず、シャノワールはヘドバンを繰り返す。誰にも秘密を打ち明ける事が出来ず、それ故にこうして一人になれる場所で自身の正体を追憶し続けなければ、彼は“彼”である事を忘れてしまいかねなかった。
「はぁ……はぁ……でも、ギルマス、頑張んなきゃ……自治組織も……俺が潰れたらギルメンも潰れかねん」
そうして散々鬱屈を発散し、常並の英気を取り戻した表情になると、シャノワールは思考を目の前の現実に移した。何がともあれ彼女はエスポワールのリーダーであるし、そしてメンバーもその大半は下心に塗れているが曲がりなりにも信頼を寄せて来ている。
その信頼を裏切るわけにはいかない。残ったメンバーを導き守る為にも、彼女は潰れてはならない。望まない性転換は辛過ぎて笑えて来るレベルだったが、受け入れられないなりに進み続ける強さをシャノワールは持っていた。
「……帰るかぁ」
思う存分、鬱憤は晴らせた。彼女はメニューを操作して、転移先をエスポワールのギルドハウスに設定する。そして小舟の縁を掴み、舟を『持っている』状態にした後、転移を起動させた。
すると、舟ごと彼女の姿は海上から消える。こじんまりとしたギルドハウスの前に、舟に乗ったままで転移した彼女は、徐に立ち上がって舟をインベントリに収納した。
(……まだ課金ポイント余ってたよな。男にはなれないだろうが、男っぽい格好するくらいなら良いだろ……)
声には出さず、精神と肉体の性の不一致を少しでも何とかする算段を立てながら、シャノワールは歩き出す。急に彼女が男装を始めたら誰でも怪しむだろうから、少しずつイメチェンをしていこう。まずは髪をばっさり短くしてしまおうかな、等と思案を巡らせながら、ハウスに居るメンバーに声をかけ始めた。
第三章はここまで。
オマケの詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/9bb85407-0059-40d8-98b0-2e66fd3e17f8/5bfe44bc22f886d30cfa7a84fda6b149




