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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第二章:冬の終わりへ
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幕間02:閉鎖メルヘン

 彼女──葉山はやま美穂みほの現実での記憶は、六歳の頃の物が最後だ。

 それは、小学校に上がり、両親と姉と連れ立って、ウキウキしながら通学路を歩いた記憶だ。ピカピカのランドセルを背負い、『1ねん2くみ・はやまみほ』と綺麗な字で書かれた名札を胸元に付けた彼女は、初めての学校に人生最大級の興奮をしていた。

 彼方此方駆け回る彼女と姉に、両親はそんなに動き回ったら危ない、と注意をする。姉妹は一応承諾の返事をするものの、きゃっきゃっと飛んで跳ねるのを止めない。

 両親も半ば諦めムードで、今日ばかりは仕方が無いか、と言わんばかりに苦笑いを浮かべている。それほどまでに、彼女は学校を楽しみにしていたのだから。

 友達100人出来るかな、だとか、クラスメイトはどんな子たちなのだろう、だとか。無邪気な期待にはしゃぐ幼女の顔には、満面の笑みが浮かべられていた。

 しかしその幸福な筈の記憶は、彼女が校門に辿り着く前に途切れてしまっている。断絶の直前の記憶は滅茶苦茶で、全身がとにかく痛かった事と、姉の青ざめた顔と、何故か遠くに転がっていた自分の腕と──それから、真っ赤に染まった名札くらいしか覚えていない。




 そこから先の記憶は、『現実』と言えるのかどうか微妙な物ばかりである。

 断絶された記憶の次に有るのは、ひたすらに『何も無い』記憶だ。

 本当に、何も無かった。両親や姉の姿、自室の風景なんかは勿論、空気も光も闇さえも無く──自身の肉体も時空すらも欠落していた。何かを見る事も聞く事も言う事も出来ず、だのに思考し続ける自分の意識だけが存在していた。


(ここは、どこ? お母さん、お父さん、学校は? お姉ちゃん、どこ?)


 必死に叫ぼうとしても、声にならない言葉だけが意識の中を掠めるばかりだ。じたばたと暴れたくても、身体が無いのでどうしようもない。


(ねぇ、誰か、答えて! ボクは今どこにいるの!? ボクはどうなっちゃったの!?)


 叫ぶ事が不可能であると悟った彼女は、その代わりに強烈に思念を発しようとする。しかし、声無き声を聞き取れる者も、耳無き彼女に答を届ける術を持つ者も、ここには存在しなかった。


(誰か! 助けて! お願い!! ボクはここに居るんだ、ボクは助けを求めているんだ!!

 誰か! お願い! 助けて! ボクだ! 助けて! お願い! 助けて! お願い! お願い! 誰か! お願い! ここに居る! 助けて! 助けて! ボクはここだ! 助けて! お願い! 助けて、よぉ……!!)


 叫び、叫んで、叫び続けて──しかし返答が来る事は無い。何も出来なくて、しかし退屈さや寂しさを感じる心は残っていて──正気を保てた期間なぞ正確には分からないが、間もなく彼女は発狂した。

 六歳児の心に、この孤独は重過ぎたのだ。




 どれ程の間、狂乱し続けていただろうか。一周巡って悟了し、何かの境地に至った彼女は、自らの想像力をフル回転させ、無の中に自分の世界を作り上げていた。

 ここはきっと死後の世界なのだろう。現世において『あの世』には天国と地獄が有るとされていたのは、こうして無に自分の妄想をぶちまける事が出来た者にとってはここが天国で、それが出来なかった者にとっては地獄以外の何物でもないからだ。

 そんなあの世において、彼女は『天国行き』を果たす事が出来た。理想の世界、理想の自分、理想の友達を、自らの妄想から具現化させる事に成功したのだから。

 憂い無き平和の王国、その治世を守る女王たる彼女、そんな彼女を讃え平伏す臣下や騎士たち。大好物のプリンもオレンジジュースも、望めばすぐに手に入る、死せる彼女の為の楽園。

 けれども、どうしても、妄想から家族たちを作る事は出来なかった。きっと今も生きているであろう彼らを作るのは、彼らをこちらに近づける行為である気がして。

 何もかもが揃う筈の世界、なのに大切な物が欠けた世界。そんな閉ざされた理想郷で、どれ程の時を過ごしただろうか。

 そうして忘れてしまう程の時を経たある日、彼女の王国に来訪者が現れた。




 王国の女王であると同時に、この王国そのものでもある彼女は、その“異物”の存在をいち早く察知した。自分が作った物ではないモノが有る。

 すぐさま彼女は最も信頼を置いている騎士の一人に命じ、“異物”たる何かを王宮に招かせる事にした。害意が無いようならば丁重に、有るならば無理矢理捕らえてでも。

 間もなく、彼女の元に“異物”がやって来た。王国の片隅でぼんやりと歩いていた所を発見され、そして連れて来られたその男は、確かに作った覚えも無ければ現実で見た覚えも無い人間だった。


「……キミは?」


 あちらこちらに輝く星があしらわれた黄金の王宮にて、彼女は三日月の玉座に座したまま、二人の白銀の騎士に挟まれて立つその人間に、手に持った一等星のステッキを向けて問う。煌々と輝く神秘の力を秘めた星を向けられて尚、彼は怯えを見せることすらせずこう答えた。


「私の名前は有明ありあけ哲也てつや。研究者で──美穂ちゃん、君のご両親に頼まれて、ここにやって来たんだ」


 忘れかけていた自分の名前を呼ばれたのと、死後の世界である筈のここに生きているらしい人間がやって来た事に、彼女は瞠目した。頭に戴く太陽の王冠がずれたのを直しながら、次ぐ彼の言葉を聞く。


「話をしよう。現実の君がどうなっているのか、知りたいだろう?」


 有明哲也と名乗ったこの男の言葉に、女王は煌めく夜空の瞳を少し細めた。逡巡した後、彼女は頷く。


「分かった、話を聞こう」

「ありがとう。それじゃ、何から話そうか……」


 男が話したい事は膨大に有るらしく、彼はううんと言い淀む。ならば、と彼女はこちらから質問をする事にした。


「そうだね……あの小学校の入学式の日、一体何が有ったのか、キミは知ってるかい?」

「……知らないのか」

「死んだんじゃないか、程度の予測は立ててるけどね、あの前後の記憶は曖昧なんだ」

「いや、君は死んでいない。今も、病院のベッドの上で一応生きている。あの日君は車に轢かれて、しかし九死に一生を得たんだ」

「……ボクは、生きてたの?」


 告げられた衝撃的な事実に、今度こそ彼女は狼狽えた。生きているという事は、ここは天国等ではないのか──妄想の土台が揺さぶられ、王国の存在が不安定になる。


「生きている……とはいっても、寝たきりだけれどね。植物状態……といっても、君には分からないか。とにかく、現代医学では君を目覚めさせる事は出来なかった。今も出来ない。

 そして、完全に外部の現実世界と隔絶された無の中、君は夢を見始めた。恐ろしく精巧な明晰夢を。この世界の正体は、君の見ている夢なんだ」

「へぇ……夢、だったんだ」


 感情の滲まない声で、彼女は有明の言葉をオウム返しにする。土台の崩れた空想は脆い。世界から色彩が消え、明度が消え、境界線が消える。彼女自身の姿すらも薄れ消え、何時しかの無と自意識だけの世界が露になる。

 しかしそんな中でも有明の姿は鮮明なままで、ああ本当に“異物”なのだな、と彼女は思った。王国の崩壊に驚いた表情を見せながらも、有明は言葉を続ける。


「で、そんな君の夢の中に、他人である私が何故入り込めているのか──私は今、人の魂を弄ってそうこうする『人工明晰夢装置』という代物を開発していてね、その実験の一環として、私と君の夢を共有するという試験を行ったんだ」

「成る程、キミはボクを実験台にしたんだね」

「無断で君の夢に侵入した事は、謝る。他に居なかったんだ、君の程良く出来た明晰夢を見続けている人は」

「うん、許すよ。えーっと、となると、キミは現実のボクに何らかの形で接触しているんだよね。なら、ボクの家族がどうなってるか、知ってるよね?」


 彼女が寝たきりになった原因を知っている彼ならば、少なからず彼女の家族の事も知っている筈だ。有明は頷くと、答える言葉を紡ぎ始める。


「ああ。結論から言えば、君の家族は健勝だ。君の事故から二年経ったが、ご両親も姉君も、そこそこに前向きに人生を歩んでいる」

「それは良かった、安心したよ。……というか、まだ二年しか経ってないんだ」

「うむ、正確には一年と十ヶ月だが」


 十年は経ったのではないか、と彼女は思っていたが、実際にはその五分の一以下であった。拍子抜けしたような気分になりながら、確かに人の枠をはみ出た精神を感じさせる声で、彼女はこう言う。


「とにかく、ボクに現状を正しく認識させてくれて、皆の無事を伝えてくれて……どうもありがとう」

「結果として、君の夢を壊してしまったようだが」

「そんなもの、また作り直せば良いだけの話さ。ほら」


 申し訳なさそうに言う有明に、彼女は想像と妄想に集中する。すると、多少美化された葉山美穂の姿と、コタツの有る小さな和室が出現した。そのままそそくさとコタツの中に下半身を潜り込ませる彼女を見て、有明も遠慮がちにコタツに入る。


「流石だな、ここまで夢をコントロールしているとは……」

「えへへ、そうかな。褒めてもらえると照れるね」


 にひひとわざとらしい笑い声を上げながら、彼女はコタツの上に有るミカンを一つ取り、皮を剥き始める。そんな彼女の様子を見ながら、不意に有明は真剣な表情になった。


「それで、だが。改めて、人工明晰夢装置完成の為に、私の実験に協力してはくれないか。決して危険な事はしないし、させない」

「ん、良いよ。何だか面白そうだし……完成の暁には、ボクを家族と会わせてくれる?」

「約束しよう」


 力強く頷く有明に、彼女は今度は偽りではない満面の笑みを浮かべた。




 有明は人工明晰夢を利用し、ゲームを作りたいのだ、と語った。明晰夢は上手く利用すれば、高度な仮想現実となりうる──それは葉山美穂の夢が証明している。

 他にもいくらでも応用しようの有る技術であるし、有明がその研究にかける情熱は凄まじかった。彼女もまたその熱意に応え、真剣に実験に協力した。

 その甲斐有って、初めて彼女と有明が接触してから一年後、人工明晰夢装置が完成した。同時に、彼女は家族と約三年ぶりに邂逅した。

 中学生になった姉と、少し老けた両親と。六歳の時のままの姿な夢の中の彼女に、家族たちは以前と変わらずに接してくれた。この再会を実現させた有明に、彼らも甚く感謝している様だった。

 装置の完成から間もなく、最初の人工明晰夢による仮想現実──VRのゲームが発売され始めた。プログラムによって夢の中に妄想を形作り、具現化した夢想を楽しむゲーム。有明曰く、大反響であったらしい。

 そして彼女も、専用にチューニングされたマシンを使い、VRゲームを楽しめる様になった。その内、VR世界からネットに繋いだりする事も出来る様になって、彼女の夢はぐんと広がった。

 自分の協力の成果が、日本中、否世界中の人々を楽しませている。ネットを通して知るその事実は、何よりも彼女を楽しませた。

 何年経っても、現実の美穂の身体は治らなかった。けれど、彼女は十二分に人生を謳歌していた。




『眠りの中でネットの海を彷徨い、面白そうなコンテンツを見つけたら消費する。そんな日々を九年間程繰り返した果てに、ボクは《HYO》というゲームを知った。

 好きな言語の一つであるロジバンを使ったゲーム、という事で目を付けたこれは、大いにボクを楽しませた。まるで本物の異世界の如く作り込まれたその明晰夢は、ボクの全力でも作り出す事の出来ないレベルの代物だったから。

 登場人物たちも良く出来ていて、恐らくもう二度と叶わないであろう、現実で顔を合わせての生のコミュニケーションをしているような気分にもなれた。人助けをすれば感謝をされて、そんな事を繰り返しているうちに、沢山の友達が出来て。

 異世界の価値観を持つ彼らとの交流が、嬉しかった。惑星ウィナンシェの彼方此方を冒険するのが、楽しかった。

 そうしてヒョで遊ぶ傍ら、ボクは同じような楽しみ方をしている者たちに声を掛け、そしてギルドを立ち上げた。──何処何処という、最初のロールプレイヤーギルドを』


 今は風雲と名乗っている彼は、自身の生い立ちをノートにしたため終えた所で、コトリとペンを置いた。大量の文章を書いた事による疲労感が、目と肩周りを中心に襲いかかる。

 その疲労のままに、彼は椅子を立ちベッドに向かって倒れ込む。何処何処のギルドハウスに併設された宿舎の一室で、彼は無数のノートへ自身の考え等を吐き出していた。


(……何が役に立つか、分からないからこそ)


 そう遠くないうちに、ヘイゼルは仲間を引き連れて、世界樹広場の新ダンジョンに挑むだろう。現実へ帰る手段を模索する為に。

 その時には、風雲も付いて行くつもりだ。すると、長い間帰って来れなくなる可能性も有る。その間に彼の知識が必要とされた時の為に、彼はこうして役に立ちそうな全てを書き留めていたのだ。

 彼の膨大な知識と独特の視座からの、今回のバグに対する考察。それから、先ほど書き終えた自身の生い立ちや、元々wikiへの加筆の為に書き留めていた、この世界の仕様について等を纏めた物等々。積み上げられた使用済みノートは、堆く山を形成していた。

 自治組織の下準備が始まればまた忙しくなるだろうが、考え得る限りの事は全てノートに書き出した。達成感を胸に、風雲はもそもそと布団の中に潜る。


(ボクの行動が、ボクの存在が……誰かの助けになったら良いよね。現実では殆ど死んじゃってるボクが、現実で生きてる誰かの人生に影響を及ぼすって、凄い事だよ)


 有明の作ったVRの技術が無ければ、彼──否、彼女は今もあのひとりぼっちのユートピアに居たのだろう。しかし彼は今こうして生者の中に混じり、そして生者たちに少なからず影響を与え続けている。


(多くのプレイヤーとNPCにとって、幸福な結末を。その為に、ボクはこの力と知識を尽くす)


 強烈な決意を胸にしながら、彼は静かに目を閉じた。視界に暗闇が広がる。

 他人が避ける事を進んでやるのは、常軌を逸した自己顕示欲を満たす為。善行を積むのは、誰かの記憶に“風雲”という存在を残す為。常人の域をはみ出した彼の心に渦巻く願いを叶える為に、彼は尋常の域を超えたその力を振るう。

第二章はここまで。

おまけの詠唱和訳→https://www.evernote.com/shard/s282/sh/1692b324-d1fa-4816-be26-586c90922ccf/b2ebf4e21457da8da1df6b2faf89c6a6

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