22:夜風にざわめく
ここ数日、ヘイゼルは働き詰めであった。
キーマと情報を共有したり、NPCに渡りを付けて、自治組織の下準備を進めたり。生きて帰る為には一刻たりとも無駄には出来ず、それ故に恐ろしいまでの過密スケジュールとなっていたのだ。
しかし忙殺された甲斐有って、ヒョの世界の大半の国家にプレイヤーを裁く許可を貰う事が出来た。国によっては渋られたりもしたが、共に赴いた風雲の説得によって、最終的には承諾された。彼の影響力は偉大だ。
広い国土を有する国には大体許しを貰えたし、残りの国々に関しては、後で適宜キーマたちにやってもらえば良いだろう。彼は半魔だが、高レベルならば帽子無しで正体を隠す方法も有る。
明日には会議を開いて、自治組織の人員募集を始めたり、新ダンジョンの事を広めるように伝える予定だ。この先も相当忙しいだろうが、これまでよりはわりかしマシな筈だ。
そして彼女は今、同じく多忙を極めているナツメグとキュリオスと共に、忙しさの隙間を縫ってエジャの世界樹広場にやって来ていた。丁度レモンのような形で輝く月が、遥か上空の衛星軌道上から夜の広場を照らしている。
「……相変わらず、深い溝ね」
「安全に降りようとしたら、どれだけMPが必要になるか……あー、面倒」
「止まり……」
三人はそれぞれに地割れを覗き込みながら、口々に感想を漏らした。中でも、極度の面倒くさがりなのにヘイゼルと同様に凄まじい忙中に在ったナツメグの声は、普段の無気力さに涙声が加わっている様に聞こえた。
そんな中、キュリオスはラミアの種族スキルで化けさせた二本の脚で溝の縁まで歩いて、そこで膝を折って座り身を乗り出した。そっとルビーの填まった銀の輪を持った片手を闇の中へ伸ばし、呪文を唱える。
「ma'u'ei cusku lo .ai valsi
.i cusku lo .ai gismu .e lo .ai cmavo ma'u'oi
zi'e'ai ri'e nauco'a bu'u mo'ica'uvu cecla .ia lo .a'e tergu'i sai」
きらきらと輪が強烈な光を放ったかと思うと、ルビーの部分にその光が集結し、やがて光の球となって地割れの中へと飛び込んで行った。魔法特化の彼女が全力で生成した光は、暫くの間その光をこちらに届けながら奥へと進んで行ったが、やがてそれも見えなくなった。
「あらまぁ……」
「si'e'ai。……深淵」
地割れの深さを再確認したキュリオスは、魔法を終了させて立ち上がった。銀の輪を仕舞いながら、彼女はこちらに振り返る。ヘイゼルはその視線に頷き、二人への指示を述べ始めた。
「まずは、ここで例の呪文を唱えてみましょう。キュリオスさん、ナツメグさん、お願いします」
「分かった」
メニューを操作し、二人のステータスを表示させる。ナツメグのレベルは100、対してキュリオスのレベルは96。殆ど大差無いレベルの二人だが、キュリオスの推測──新ダンジョンに入れるのは100レベルのプレイヤーのみという──の是非を確かめるには十分だ。
ヘイゼルは万が一の事態に備えて、数歩離れた所で呪文は唱えず二人の動向を見守る。間もなく、キュリオスは暗記を頼りに流暢な発音で、ナツメグはカンペを見ながらべたべたな日本語発音で、世界樹の伝承詩を謳い始める。
「.i doi .iugdracil la .iugdracil──」
「い・るぉ・しぇんさ・しめね・べ・ど・しゅ・しぇぶに・み──」
そこそこの長さが有る呪文を、まずキュリオスが唱え終えた。……しかし、何も起こらない。心無しか拍子抜けしたように、彼女は時折噛みながら唱え続けるナツメグの方に目を向ける。
「──い・なう・どい・ぷるた・べ・るぉ・せるぱは・こ・しょは・かるり・あほしゃい」
やがて、無事にナツメグも全文を読み上げ終えた。すると、キュリオスの時には何も起こらなかったのに、今度は地割れの奥から呼応するような声が聞こえて来た。
『.i doi sicpi le sicpi…….i doi gusni le gusni……』
大地の底から響く、ソプラノの歌声のような、しかし掠れていて今にも消えてしまいそうな声。やはりレベル100が条件だったか、発音は下手でもいけるのか、等と確認出来た事実を脳裏に刻みながら、始動したイベントの出方を窺う。
『zi'e'ai ko klama .e'o.iu ti nau』
先ほどより幾分かハッキリとした声で、歌声の主は何やら唱えた。魔法を発動させる機能語が聞こえた、とヘイゼルが思っていると、不意にナツメグの姿が淡い光に包まれ始めた。
「ちょっ、ナツメグさん!?」
「な、なんじゃこりゃあっ!?」
自分の身体を見下ろしながら、ナツメグは叫ぶ。普段の不動の冷静さは何処へやら、彼は二本の緑色のコードまでばたつかせ、焦りと困惑を露にしていた。
「きゅ、キュリオス、何か分からないか!?」
「あ、あ、なつめぐ……!」
声を掛けられたキュリオスは、どもる声で彼の名前を呼びながら、彼の身体に抱き着いた。細い腕で力一杯ナツメグを抱き締め、そのまま彼を地割れから離れさせようとした。
しかし、硬直したナツメグの身体が一歩動く前に、地割れから一本の光る紐のような物が伸びて来て、ナツメグを捕まえた。刹那、彼の姿は粉々になって消え失せ、同時に紐も消える。
「え、う、あ……」
「……ダンジョンへの入場イベント……かしら?」
キュリオスは宙を掻いた腕で、そのまま自身の肩を抱いた。その傍らで、ヘイゼルは希望的な推測を口にする。しつつ、彼女はメニューからチャット画面を開き、ナツメグに対する個人チャットを送信した。
『ヘイゼルです。ナツメグさん、無事ですか? 返信をお願いします』
送った後、次に彼女はフレンドリストを開く。結構な数のプレイヤーが登録されているそのリストを見渡し、ナツメグのログイン状態を確認する。そこには、ログイン中である事を示す青のランプが点いていた。
(とりあえず、彼が行った先もゲーム内ね)
現在位置まではフレンドリストから読み取る事は出来ないが、恐らく彼は無事に新ダンジョンに入れたのだろう。消えたかのようなエフェクトは心臓に悪かったが、きっとそうだ、そうに違いない。
そう考えながら暫く待つ。が、いつまで経ってもナツメグからの返信が無い。芽生える不安の種に冷や汗を垂らしながら、ヘイゼルは今一度チャットを送る。
『ナツメグさん、返信をお願いします。出来ないならばせめて、転移で帰還だけでもしてください』
しかし、返答は来ない。その事実に、ヘイゼルは唸りながら地面を蹴り付けた。激情に知性が侵されそうになるが、どうにか心を押さえつけて考えを巡らせる。
「……『彼はチャットも転移も出来ない状態に有る』と仮定すると、メニューが開けなくなっているのかしら。
それに、完全に一方通行なダンジョンみたいね。出るには、恐らく、ダンジョンをクリアする必要が有る……デスルーラで外に出られる保証も無いし……」
この事態は予想外だった。思考をそのまま声にして吐き出しながら、ヘイゼルはキュリオスの方に視線を移す。いつの間にかラミアの本性を露にしていた彼女は、ぶらりと両腕を力無く垂れさせたまま地割れを覗き込んでいた。
「キュリオスさん」
「……」
「一旦戻りましょう。私たちだけでは、ナツメグさんを救出する事は出来ません。ここは撤退して、作戦を練り直す必要が有ります」
ヘイゼルがそう言うと、キュリオスはゆっくりとこちらを振り返った。赤縁眼鏡越しの暗い水色の瞳で、何の感情も纏わずにヘイゼルを見て、そしてこくりと一つ頷く。
その所作を認め、ヘイゼルはバタフライエフェクトのギルドハウスへと転移した。そしてそのまま、疲弊した頭に鞭打ち思索を繰り広げ始める。
(弱ったわ……弱り過ぎて衰弱死しそうだわ……)
ナツメグの喪失は、そのままキュリオスの能力の半分以上の喪失でもある。彼女の異様なまでの頭の回転の早さと良く冴えた勘は、ナツメグという翻訳者が居て始めて100%発揮されるのだ。
(……ますます、時間をかけられないわね)
彼が入って行ったと思われる新ダンジョンが安全な場所である可能性は、極めて低い。レベル制限が有る程のダンジョンなのだ、桁違いの強敵や悪質なトラップが待ち構えていると見て間違いないだろう。
デスルーラで帰ってくる可能性も無きにしも非ずだが、それでもそんな場所に彼を長時間置いておくわけにはいかない。また予定を詰めなければ。
(ウルトラ逃げたい……凄く投げたい……)
胸の内でだけ弱音を吐いて、ヘイゼルは両手で頭を抱えた。
翌日。予定通りに開かれた会議は、バタフライエフェクトのギルドハウスではなく、同じモルトゥクに有る多目的ホールの一室を借りて行われていた。普段は専ら劇場として使われている広い部屋の中に、いくつもの長い机と椅子とが並べられ、そしてその椅子の全てに計48名のギルドマスターが着いていた。
会議メンバーに誘われる等して前回より六名程増えたマスターたちを、ヘイゼルは大きな黒板の前から見渡した。前回のぎゅうぎゅう詰めもそれはそれで奇観だったが、こうして広い場所で一様に席に着いている様も壮観である。
黒板の前に他とは別に設置されている席で議事録用のノートを開いているキュリオスに、ヘイゼルは目配せする。ナツメグの空席を無言で見つめていた彼女は、ヘイゼルの視線に気付くと小さく頷いた。
「さて、それでは、会議を始めましょう。今日は自治組織の事と、新ダンジョンの事です」
今回はやる事が決まりきっているので、気が楽だ。まず、黒板にカリカリと書き込みながら、新ダンジョンについて分かった事を発表する。
入場にレベル制限が有る事、一度入ったらクリアまでは出れなさそうだという事、内部と外部ではチャットでのやり取りも出来ないという事、もしかしたらメニューが開けないのかもしれないという事。ナツメグのお陰で判明した事実を、ヘイゼルはただ淡々と話す。
「……それって、滅茶苦茶危険って事じゃないですか」
そう呟くのはシャノワール。猫耳を不安げにぺたりとさせながら、彼女は消え入りそうな声音で言った。それにどう答えようか、とヘイゼルが口を開くより先に、ヤテンが彼女にこう返す。
「んん、今日和見するのは有り得ない。ここはレベル100の実力者を集めて、ダンジョンに挑ませるに限りますぞ。確かに一方通行というのは不安ですが、そこは必然力で道を切り開くのですぞ」
次いで、ヤテンの隣に座るダニエルがこう続けた。
「どうせプレイヤーは死にません、何度でも蘇りマース。ガンガンいこうぜ、で問題はnothingだと思うのデース」
彼らの意見に、ヘイゼルは内心頷く。ダンジョンに行く以外に解決の糸口は無いし、ゲームの中に居る限り、プレイヤーは死んでもリスポーンするのだ。多少前のめりになったって支障は然程無い。
「ええ、私たちに逃げ道は無いですからね、前へ進むしか有りません。……そして、次、自治組織の件です。キーマさん」
「はい」
ヘイゼルのパスを受け取り、キュリオスの隣に座るキーマが応える。彼は手元の資料を確認しながら、自治組織の概要を説明し始めた。
無力なNPCの代わりに、秩序を破るプレイヤーを裁く組織である事。参加者には、実力とやる気と責任感の有る人物を求める事。希望者は軽く面接等を通して、適任と思われる者を選出するという事。
それから、構成員にはゲーム内通貨やレアアイテムによる報酬を支払う事や、ちゃんと休日も用意する事、対プレイヤーの戦いを有利に進める為の技術や知識を与える事も伝えた。話し終えた所で、キーマはダンジョンの件も視野に入れてこう締めくくる。
「……というわけで、もしレベル100のプレイヤーが全員ダンジョンに行ってしまうと、それはそれで困るわけなのですよ。
ので、その辺りも考慮して、ダンジョンに行く組と居残り組を分けて頂きたく願います」
暫しの間、チョークが黒板を走る音と、ひそひそ声で交わされる会話だけが会議室の静寂を振るわせる。やがて彼の言葉の要約を黒板に書き終えた辺りで、ヘイゼルが再び声を上げた。
「えー、ですので、皆さんはギルメンの方々に、ダンジョンの事と自治組織の事を告知してください。
自治組織への参加希望者は、まずマスターがその名簿を作って、メールを使ってキーマさんに提出してください。タイトですが、ゲーム内時間で明後日の正午までにやってくださいね。
ダンジョンの方は、こちらからは特に何も言いません。各自で自由に準備して、自由に攻略してください。……ああ、こちらに、ダンジョンに入場する為の合い言葉のプリントが有ります、活用してください」
インベントリから大量の紙の束を取り出す。エジャ伯爵家に伝わっていた伝承詩のふりがな付きの写しと、ダンジョン突入に当たっての注意事項が書かれた物だ。このゲーム内にプリンターは無いが、その代用として魔法が有る。
それをキュリオスたちのテーブルの端に重石と共に置きながら、ヘイゼルはギルドに所属していない野良プレイヤーにも、世界チャットを通してこの事を伝える事を語った。野良の自治組織希望者は基本的にはキュリオスに受付させるが、適宜ここに居るマスター経由で応募しても良いとする事も。
「以上が、今回告知する内容でした。何か質問は有りますか」
そう言って少し待っても、疑問の声は上がらない。ヘイゼルは満足げに頷き、こう締めた。
「では、今日の会議はこれで解散と致しましょう。皆さん、お疲れ様でした。自治組織の件や新ダンジョンの事、よろしくお願いしますね。〆切、守ってくださいね?」
最後のはかなり切実だ。一刻も早くナツメグを助けに行きたい現状、予定を遅れさせられると本当に困る。とはいえ、48人も居るのだ、全員が〆切を守ってくれる人である可能性は絶望的に低い。
努めて期待値を下げながら、転移で次々と消えてゆくギルマスたちの姿を見送る。そうしてヘイゼルとキュリオス以外の全員が退出した所で、キュリオスが魔法を使って椅子やら机やらを片付け始めた。




