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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第二章:冬の終わりへ
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19:無終のあやかし


 遠く、遠くから、声が聞こえてくる。責める声、嘆く声、憤る声、罵る声。全て、総て、すべて、彼女自身に向けられた物だ。

 心の中に居る自分のうち一人が、貴様等にそんな事を言われる筋合いは無い、と叫ぶ。けれども同時に他の一人が、お前が余計な事をしたからだ、と自身を嘲る。


(……妄想が幻聴になり始めるとは、私も相当参っているわね)


 これまで幾度と無くぶつけられて来た罵詈雑言の幻を、ヘイゼルはぶんぶんと頭を振って追い払った。ギルメンには、こんなふうに弱っている所を見せるわけにはいかない。

 平時ならばいざ知らず、今や彼女はバタフライエフェクトのメンバーの拠り所なのだ。ねっとりと逃げたみが絡み付くが、今彼女が失踪すれば、手の付けられない惨状になる事は目に見えている。


「はぁ……」


 早く、一刻も早くこの状況を何とかしなければ、いつか潰れてしまう。ヘイゼルとて中身は普通の人間なのだ、身の丈に合わぬ、見返りも無い重責を負い続けて、尚正気でいられる程強い心は持ち合わせていない。

 何故、24時間経ったのにログアウト出来ないのだ。最初からこうなる事が分かっていれば、こんな重責を進んで背負いにいくなんて愚行はしなかったのに。再び溜め息が漏れる。


(ああ、もう、逃げたい……全力ダッシュで逃げ出したい……)


 重い心を抱えたまま、やおらにメニューを開く。そして彼女は、今滞在しているその辺の山奥から、バタフライエフェクトのギルドハウスへと転移した。




 バタフライエフェクトハウスの二階の、即席会議室。そこには、ヘイゼルも含め総勢42名のギルドマスターたちが集まっていた。先日再びメッセージを送ったギルマスたちの内、ほぼ全員が呼びかけに応じてくれたのだ。

 そんな大人数を収める事を想定してなかったこの部屋は、予想通りに鮨詰め状態になっていた。元々椅子は十数程しか用意してなかったので、あぶれた人たちは空いているスペースに立っている。

 次に集まって会議をする事が有れば、何処か別の場所でもっと広い会場を借りるなりした方が良いかもしれない。そう軽く反省しながら、ヘイゼルは黒板の前に立ち、呼吸を整え声を紡ぎ出した。


「──皆さん、今日はお集まり頂き、ありがとうございます。それでは早速、この現状を何とかする方法を考えていきましょう」


 現実で24時間経ち、マシンが強制的にシャットダウンされた筈なのに、未だにゲームの世界から抜け出せないこの状況。相談室が瓦解し、プレイヤーたちのストレスが軽減される事も無く溜まり続けているこの現況。打つ手が有るのかは分からないが、考えなければその是非すら分からない。

 ぐるり、と集った面子を見回す。前回の会議の時に集まった風雲やキーマ等の面々は勿論、大規模・中規模ギルドのマスターは大抵揃っているし、小規模な身内ギルドなんかのマスターもちらほらといる。ちなみに、今回も呼ばれなかったのにラスボスのこのみがここに突撃して来たが、キュリオスが追い払ってくれた。


「何か、考えが有る方は居ますか? 何でも良いです、些細な気付きでも、綿密な計画でも」


 正直な所、ヘイゼルには何も思いつかなかったのだ。今回の会議を開く事を決めた時、事前にキュリオスとナツメグと軽く対話をしたのだが、それでも妙案は思い浮かばなかった。

 それでも、42人も居れば何かしら案は出てくるだろう、と他力本願に塗れた希望的観測の問いかけに、一つの手が挙がる。小さなその手の主は、猫耳ゴスロリ少女のシャノワールだ。


「あの……今度はもっと大人数にも対応出来るようにして、相談室をやりなおすってのは……どう、でしょうか」


 その提案は、ヘイゼルも一度は考え、そして廃した物だ。少し難しい顔になりながら、一応彼女は黒板にそれを書き留める。

 再び相談室をやった所で、上手くいかないのは目に見えている。何故ならば、その崩壊の原因が、単に見通しが甘かった事だけではないからだ。

 多少人数がオーバーしただけなら、落ち着いて対応すれば何とかなった筈なのだ。ならば何故駄目になったのかといえば、ボールマウス愛好会の嫌がらせが有ったからに他ならない。

 相談室が始まったばかりの頃は、計画通りに奴らの興味はキュリオスに集中してくれていた。しかしその内、このみ自身が主催でない相談室が盛り上がっているのが気に食わなかったのか、取り巻きを使って相談員を消耗させに来たのだ。

 その結果は言わずもがな。奴らの嫌がらせさえ無ければ、もっとマシな結果に出来た筈なのに。


「……選択肢には入れておきましょうか」


 ボールマウス愛好会が健在な限り、相談室は失敗し続ける。それだけに限らず、長期間かけてやるタイプの計画は悉く邪魔されると考えた方が良い──それが、ヘイゼルたちの結論であった。

 そんな彼女の難しい顔を見て、シャノワールも他の者たちも、この案を実行するのが出来ない理由が有る事を察したようだ。暫しの沈黙と、チョークが黒板を叩く音の後、一人の男が挙手と共に口を開いた。


「んん、相談室は決定力不足で役割が持てませんな。ここは短期決戦以外有り得ない。

 既に24時間経過してるし、後大体48時間以内に解決しないと、現実の我らがお陀仏になってしまいますぞ。まぁ、我には具体案は思い浮かばないですがな」


 RGBで言えば00FF00な感じのドギツイ黄緑色の髪が特徴の、独特な喋り方をする竜人。彼は大規模ギルドの一つ『YAmmandヤマンド』のマスター、ヤテンだ。

 YAmmandとは、火力と耐久に重きを置いた育て方や戦い方をする者たちが集っているギルドである。中々に精鋭揃いの列強ギルドであり、リーダーたるヤテンの実力も高い。


(確かに……三日水分を摂らないと、そのまま死ぬって言うしね)


 短期決戦。長期的な計画は妨害される可能性が高いし、何より早くログアウトせねば命の危険が有る。もしかしたら現実の身体は病院だとかに保護されているかもしれないが、何の確証も無く楽観視は出来ない。

 ヘイゼルが黒板に書き込む音と、キュリオスがノートに万年筆を走らせる音が重なる中、風雲が右手を挙げた。ナツメグに促された後、彼はこう言う。


「短期決戦にするなら、NPCに聞き込みをするのが良いと思います。蛇の道は蛇、って言いますし……もしかしたら、あの地割れの詳細を知っている人とか、居るかも。

 今回のバグは、新ダンジョンの実装と共に発生しました。なら、解決の糸口もそこに有るかもしれない。……何の確証も無いですけど」

「ふむ」


 NPCと深く関わる、風雲ならではの提案だ。彼は更に言葉を続ける。


「神聖ユガタルファ王国エジャ領領主、エープラー・エジャ伯爵。あの方なら、何か知っているかもしれません。……それに、暴走したプレイヤーをボクたちが裁く許可も、偉い人から貰っといた方が良いと思うし」

「許可……ですか」

「はい。一応、ユガタルファ王国にも、他の多くの国にも法律が有って、法律から外れた者を裁く職業の者が居ます。いくら彼らの実力が不足しているからといって、勝手に裁いてしまうのはまずいと思うんです」


 彼のNPCに寄り添った意見に、顔をしかめる者は多々居た。けれどもヘイゼルは、彼の考えは尤もだ、と頷きながらチョークを動かす。

 この世界の住人たるNPCの反感を必要以上に買うのは、最悪の事態を考えるならなるべく避けたい。一生現実に戻れない、という可能性を見るならば。

 良い案を聞いた、と内心ガッツポーズをしながら、ヘイゼルは風雲の意見を黒板に書き込んでゆく。すると、彼の意見に触発されたのか、一人のハーフリングがぴょんぴょんと跳ねながら手を挙げ出した。


「はい、ダニエルさん」

「Hey,ワタシはデースね、前回の会議ではadoptされなかったという自治組織の実施が必要だと思いマース。

 短期決戦をするにしても、裏方での組織立ったjudgmentは求められると考えられるのデース」


 深い紺色の忍者装束に、『忍』『者』と大きく描かれた面頬。そしてどっかで見たようなデザインの額当てを着けた、金髪の男の子。何とも“NINJA”といった具合の格好をした彼はダニエル、『紙背文書しはいもんじょ』という大規模ギルドの頭である。

 かなりぺらぺらだとはいえ、所々怪しい日本語から分かるように、彼は外人である。ヒョは日本でしかサービスされておらず、英語版なんて物も無いが、わざわざ日本にやって来たり日本語を勉強したりまでしてプレイしたがる外人は、結構居るのだ。

 紙背文書は、そういった外人プレイヤーも多く集まるギルドだ。それ故、他ギルドとはひと味もふた味も違う雰囲気の集いとなっている。


「あのぉ」

「はい、どうぞ」


 そんな彼の言葉に続き、真っ赤なリボンで長い橙色の髪を結った精霊の少女が静かに手を挙げた。垂れ目と垂れ眉は人を見下しているような表情に見えるが、白目の部分が赤く、逆に本来虹彩が有るべき部分が白くなっている人外じみた瞳には、そういう類いの感情は宿っていない。


「……自治組織、良いと思いますよ、わたしは。所詮ニンゲンなんて、罰という抑止力が無ければ、簡単に罪を犯すのですから。

 多くの善良なプレイヤーの為にも、悪い因子はどんどん取り除くべきだと思います。あなたの為にも、わたしの為にも」


 行儀良く落ち着いた声音で、彼女は淡々と自分の見解を述べる。実の無い微笑みを仮面のように張り付けた少女の名はジャディスリィ、『ブラッディリボン』というギルドのマスターである。

 ブラッディリボンは、どちらかといえばロールプレイヤーギルドに分類されるギルドだ。けれども所属メンバーは皆ただのロールプレイヤーではなく、所謂『悪人ロールプレイ』をしている者たちである。

 基本的に普通のギルドは、倫理的に問題が有ると考えられる行為は禁止にしている。ギルドを立ち上げる際、後ろ盾の国から出される条件の一つが、そういうルールの制定なのだ。けれどもブラッディリボンにはそんなルールも無く、どんなに違法で外道な行いだろうが、少なくともこのギルドには許容されるのだ。

 プレイヤーに対してもNPCに対しても平等に無慈悲なブラッディリボンは、他のロールプレイヤーギルドともPKギルドとも一線を画した存在となっている。そんなギルドの設立者なのだから、きっと話は通じないだろうと思っていたが、しかし彼女はキーマと同様案外まともに見えた。


「わたしたちブラッディリボンのメンバーには、結構対人慣れしている子も居ますから、きっと悪いプレイヤーをやっつける一助になりますよ。まぁ、報酬が無いと動かないでしょうけど……」

「マスターである貴方から言って、動かす事は出来ないのですか?」

「無理です。わたしは確かにマスターですが、ただ設立者というだけなので、わたしの命令を聞くメンバーは少ないんです」


 ヘイゼルはてっきり、悪のカリスマ的にメンバーの人心を掌握しているものと思っていたが、案外そうでもなかったらしい。報酬か、とチョークを握った手を絶え間なく動かしながら考えを巡らせ続ける。

 確かに、いつまでもボランティアのままでは駄目だろう。本当に自治組織を始めるならば、ゲーム内通貨やレアアイテム等の報酬を用意し、構成員を責任で縛る必要が有りそうだ。

 いつも通りに丁寧で綺麗な文字で意見を書き終えた後、彼女は他に意見は無いかと出席者に視線を向ける。しかしもう手が挙がる事は無く、これで終わりのようだった。

 あまり多くの意見は出なかったが、それでも採用に値しそうな物は出揃った。チョークを置き、ぱっぱっと手を払いながら声を上げる。


「これで全部ですかね。それでは皆さん、次は出た意見を踏まえ、具体的にどうしていくかを考えてゆきましょう」


 そう言いながら、彼女は次から次へと発言する文章を考え組み立ててゆく。パズルのピースが噛み合うような快さと共に、ヘイゼルは滔々と喉と口と舌とを振るった。


「まずやるべきなのは、NPCからの情報の聞き込みでしょう。ええっと、エジャの領主の……名前は……」

「エープラー・エジャ伯爵です」

「そう、エープラーさん。その人に話を聞きに行きましょう。それが先決です。良いですね、皆さん?」


 同意を求めて声を掛け、異議の声が上がらない事を確かめた後、彼女はインベントリを開き、その中から以前作成した自治組織の計画書を取り出した。それを片手で持ち、コツコツと足音を立てて彼女は歩き始める。


「それから、まだ実行には移しませんが、得られた情報次第では自治組織の企画を動かし始めましょう。こちらにその骨子が纏めてあります。

 ……残念ながら、私の名前は一般の人たちには良く思われておりません。相談室が潰れてしまいましたからね。

 私が頭首になるのは、円滑な組織運営の為にならない。ですから──」


 彼女の足が向かう先は、円卓の椅子の一つに座る、目に痛い金髪の半魔の青年。PKギルドSAMSARAのマスター、キーマカレーだ。


「キーマさん。貴方に、自治組織の代表になって欲しい。貴方にはそれを成す事が出来る筈です」


 彼の名はまだ汚されていない。そして、一回目のヘイゼルの呼びかけに応じた聡明さを持っている。SAMSARAというそこそこ大きなギルドを率いる力も有るのだし、恐らくは最も適任な人物だろう──そう、ヘイゼルは断じたのだ。ついでに、長期計画である自治組織に何かしらしてくるだろうボールマウス愛好会への対処も、彼に丸投げしてしまえれば良い。

 計画書と共に言葉を差し出されたキーマは、ぱちくりと何度か瞬きをした後、こくりと一つ頷いて書類を受け取った。そして、ニッコリと如何にも胡散臭い笑みと共にこう返す。


「了解いたしました。ワタクシにお任せください」


 彼の色よい返答に、ヘイゼルは少しの安堵を滲ませ微笑む。これで一つ、責任が彼女の肩から降りた。


「ありがとうございます。それでは、NPCへの聞き込みに関してはこちらで煮詰めるとして……今日の所は解散と致しましょう。

 自治組織に関しては、キーマさんに一任します。とはいえ、こちらから指示するまでは正式には始動させないでください。あくまで、水面下で。

 皆さん、お疲れ様でした。また後日、お会いしましょう」


 そうして今回の目的を十分に達成出来た所で、ヘイゼルは閉会の言葉で以て纏める。閉塞した状況の突破口が垣間見えた事に、彼女は一抹の安堵を感じていた。

 NPCに聞き込みをすれば、有益な情報が得られる。24時間経ってもログアウト出来ない事を予言した風雲の言う事なのだ、きっと正しい筈だ。そう自分に言い聞かせつつ、彼女はギルマスたちが次々と転移で姿を消してゆくのを見送った。

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