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春を忘れて大樹は眠る  作者: 夢山 暮葉
第二章:冬の終わりへ
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18:有形のまやかし


 エンウィードゥ大陸の、とある砂漠の国『ルブアス』に有る、オアシスを囲んだ小さな街。険しい環境でモンスターの生息数も比較的少ないが、その分この悪環境に適応した強力なモンスターが居る。アージェンたちは、そういう奴らを狩りつつまだ見ぬ場所を目指して進んでいた途中だった。

 アージェンは待ち合わせ場所の、街の中心部のオアシスのほとりに立ったまま、自らの迂闊さを呪う。これまで欠かさず守り続けて来た約束を、ここで破ってしまうだなんて。その上、破った事に21日間も気付かなかっただなんて。

 異常事態だったのだから仕方ない、と言い訳をする事は簡単だが、彼女は結構落ち込んでいた。何故ならば、フュールと組み始めてからこの方、待ち合わせに遅れた事が無い事に密かに誇りを感じていたからだ。


(やっちまったぜ……)


 約束だった月長の月2日の時点では、そこまで忙しくなかった。思い出していれば容易に達成出来た事だけに、後悔が募る。

 はぁ、と白い溜め息が漏れた。とりあえずここで丸一日待ってみて、駄目だったら本格的に捜索に乗り出すという事にする。


「……さむさむ」


 砂漠の夜は寒い。風が吹き付けると、顔や耳の体温がさっと奪われる。特に長い耳の冷え方は深刻で、時々グローブを填めた手で握って暖めないと、先端から段々痛くなってくる程であった。

 そうして寒さを凌ぐ作業以外にやる事も無いので、アージェンはぼんやりと夜空を見上げる。文明による汚染の殆ど無い空は、現実のそれでは見る事の出来ない幽かな星の光すらも明瞭にさせていた。

 雲の無い空に、ぽっかりと浮かぶ上弦の月。専ら『月』と呼ばれているこの星の衛星だが、正式名称は『ルラ』というらしい。そういえばこの世界も衛星は一つなのだな、と思う。

 異世界なら衛星の二つや三つ有っても良いのではないか、と一瞬考える。だがしかし、その場合地球とは環境が大きく異なってくるだろうし、そうしたら人間に近い種が発生する事も難しくなるだろう。変態なヒョの開発陣の事だから、そういう無駄に細かい事を考えて設定をしている筈だ。


(……空だけ見てれば、現実と変わりねーよなぁ……)


 星座なんかには頓着しない彼女だから、黄白い月が一つあれば、どんな空でも地球からの光景に見えた。けれども少し視線を降ろせば、現実の日本ではまず見る事の出来ないタイプの街並と、地平線の向こうまで続く砂の海が目に入る。

 と、同時に、少し離れた所に立つ、一つの人影も視界に入った。またナンパ野郎か、と一瞬身構えるが、相手の髪色を見てすぐに警戒を解く。青紫へのグラデーションがかかったモーブの長い髪は、アージェンの仲間である晴嵐以外はまず持っていない代物だ。


「……晴嵐?」


 いつも着ているセーラー服の上に、厚い生地のフード付き外套を纏ったその少年に、彼女は声をかける。すると、彼はバッと顔を上げ、フードを外しその中性的なかんばせを露にした。蛍光色っぽい黄緑の双眸が、これでもかと見開かれている。


「──し、しれーかんどのおーっ!!」

「うおあっ!?」


 そして次の瞬間、彼はアージェンの胸元に飛び込んで来た。驚きの声を上げながら、彼女はその小柄な身体を受け止める。


「しれぇかんどのぉ……うぅっ、ぐすっ、ぶじでっ……ご無事で、よかったっ……!」

「あー……悪かったよ。待ち合わせ、すっぽかしちまって」

「心配したのですよ!? 司令官殿、これまで約束破った事無かったのに、だのに……だから、何か有ったんじゃないかと……自分はっ……!」


 晴嵐はぱたぱたと朱色のコードを振りながら、アージェンに抱き着いたままぐずぐずと泣く。本当に心配させてしまったのだな、と改めて自らのずぼらさを呪いながら、彼女はよしよしとあやすように晴嵐の頭を撫でる。

 時間をかけて思う存分泣きじゃくった後、晴嵐は漸くアージェンから離れた。その辺りで彼はやっと正体を取り戻し、そして顔を真っ赤にし出す。


「あっ、もっ、申し訳ありません、司令官殿!!」

「良いって事よ。それより、本当にごめん。連絡も寄越せなくてさ」


 一応美少女のアージェンに、錯乱していたとはいえ堂々と抱き着いてしまったのだ。けれども、抱き着かれた彼女がいたたまれなさを堪えつつ冷静に返事をすると、それに引かれたように晴嵐も平常の表情に戻った。少し安心する。


「いえ、きっと司令官殿にも事情が有ったのでしょうから、気にしないのであります。

 そんな事より、フュール殿やレオロ殿に顔を見せてあげて欲しいのであります。あのお二方も、司令官殿の事を死ぬ程心配していましたから」

「いや、まだ夜中だろ? 流石に起きてねーんじゃねーか」

「フュール殿はともかく、レオロ殿の方はどうせ昼夜逆転しているのであります」


 ああ、とアージェンは低い声で納得する。フュールや晴嵐はそれなりに規則正しい生活をしているらしいが、レオロは放っとくと夜起きて昼寝るサイクルになる。デイウォーカーといえど一応は吸血鬼で、その上アルビノであるのだから、日光を浴びる生活をしたがらないのは致し方無いが。

 そして、さぁ、と彼女に声を掛けて迷い無く歩き出す晴嵐の後ろ姿を、慌てて追いかけ始める。早足で歩き、晴嵐と並んだ所で彼に合わせた足並みにしながら、アージェンは問いかける。


「奴らの宿泊先とか把握してんのか」

「21日前、司令官殿が来なかった時に、色々相談して決めていたのであります。きっと司令官殿はここに来るから、運良く鉢合わせられた者がすぐに連絡出来るように、って」


 アージェンが約束をどんな形であれ守り抜くと確信している、その台詞。呆れる程に深い信頼がくすぐったくもあり、同時に重く感じられた。もし彼女が本当にずっとここに来なかったら、彼らはどうするつもりだったのだろう。

 NPCだとはいえ、彼らにも生活が有る。こんな異郷の、砂漠のど真ん中の街に取り残される──自分自身を彼らの立場に置き換えて考え、アージェンはぞっとした。無事約束を思い出せて良かった、と本心から思う。


「……今度、何か手頃な連絡手段用意するかね」


 NPC相手にも、チャット程度の手軽さで使える物を。確か、そんな感じのアイテムが有った筈だ。ネリネ辺りに相談してみようかな、と頭の片隅で思考しながら、冷たい夜風に靡く晴嵐の髪を眺めた。




 予想通りバリバリ起きていたレオロを連れ、これまた予想通りぐっすり寝ていたフュールを叩き起こした後、アージェンたちはこの夜更けまでやっている静かな酒場に訪れていた。

 テーブル席を一つ占拠し、四人は顔を突き合わせる。そして少し飲み食いし、ある程度落ち着いた所で、アージェンは机に両手と額とを突いた。驚く三人に、そのまま捲し立てる。

 連絡も無く、長い間約束をすっぽかしていた事への謝罪。それから、アージェンを信じてずっと待っていてくれた事への感謝。

 言いたい事はそのたった二つの事柄だけだった筈なのに、だらだらとクソ長い口上になってしまったのは、酒の勢いかそれとも精神的に参っていたからか。恐らくは両方だろう。

 そうして、後半グダグダになった彼女の話が終わった所で、まず眠たげな目を擦りながらフュールが口を開いた。


「まぁ、どういたしまして……しかし、何か有ったのですか? この前聞いた、ユガタルファの天変地異と何か関係が?」

「天変地異って……んな大げさな。まぁ、関係有るっちゃ有るわな」


 あの地震と地割れの話は、尾ひれ腹びれを纏ってこのエンウィードゥの地まで届いていたらしい。アージェンは顔を上げ、自分の身に降り掛かった事をかいつまんで説明する。


「なーんかあの地割れが作用したのか、今こっちに居る“使者”が元の世界に帰れなくなっちまったんだわさ。それで、帰れなくなったそいつらをなんやかんやしたり、いざござに巻き込まれたりしてた」

「いざござ……大丈夫だったのか」

「ま、ノーダメージよ。血みどろの争いが有ったわけじゃないからな」


 心のHPはゴッチョリと持ってかれたがな、という弱音は胸中に吐き捨てた。同時に、アージェンはそれに関連する彼らへの警告を口にする。


「でだ。あんたら、暫くはユガタルファ大陸や他の“使者”には近づくなよ。絶対治安悪くなるから」

「どうしてなのでありますか?」

「“使者”っつってもピンキリで、皆が皆わたしみたいにルールとマナーを弁えてるってわけじゃないからだよ。

 その内、モヒカンとか世紀末覇王とかが出てくるわさ。帰れない、っつーのは──」


 「帰れない」と言った途端、今更に自宅の布団が懐かしくなって、美味しいアイスが食べたくなって──ぎぢ、と音が鳴るくらいに強く強く拳を握りしめた。皮のグローブを着けていなければ、きっと爪が掌に傷を付けていたくらいに。


「──わたしたちにとっちゃ、かなり重い事だしな」


 まだ、現実への思慕は捨てきれていない。それもそうだ、まだ24日間しか経っていないのだから。口調や声音に、そんなノスタルジーが滲まないように、彼女は努めてロールという名の仮面を纏う。何となく、レオロの視線を感じた。


「だからな、安全になるまでは、わたし以外の“使者”を見掛けてもホイホイ付いてくんじゃないぞ。あんたらの命は一つしか無いんだからさ」

「分かりましたけど……貴方も気を付けてくださいよね」

「了解なのであります」

「把握した」

「よろしい」


 不敵な笑みと共に、彼らへと言い聞かせる。とりあえず、これで一つ肩の荷が降りた。

 そうやって一度安堵すると、一気に全身の力が抜けてしまう。椅子の背もたれに思いっきり寄りかかりながら、彼女は深く息を吐いた。


「さてと……今からなんか狩ったりするのは流石に厳しいよな」

「ええ、ですね。まだ僕眠いです……ふわぁ」

「んじゃ、それはまた後日って事で」


 アージェンも他の三人も、今は何の準備もしていない。一先ず、目的の砂上船がここに停泊しに来る三日後に再び待ち合わせる事にして、この場はお開きと相成った。




 酒場を出て、それぞれ別の方向へ向かう晴嵐とフュールの背中を見送る。二人の姿が遠く小さくなった辺りで、アージェンは未だに自身の隣に居残るレオロの方に視線を向けた。


「で、何の用だい」


 彼が言わんとしている事は分かっていたが、アージェンはわざとらしくすっとぼけて言ってみせる。すると、彼は長い前髪に隠されていても分かる程に眉根を寄せた。頭の下の方で一つに纏められた伸びっぱなしの白い後ろ髪も、その所作に合わせて少し揺れる。

 三人の仲間NPCの中では一番新しい、吸血鬼に支配された村から救出されたデイウォーカー・レオロ。当初はガリガリに痩せ細っていた姿から一転、顔色の悪さはそのままだが立派な細マッチョになった彼の姿を、薄っぺらい笑みと共に見守る。


「わたしとて超能力者じゃないからな、だんまりじゃあ分からないよ」


 口元は牙を隠す為、巻いた赤いマフラーに埋もれている。やや暗く濃い赤のワイシャツに黒いネクタイ、その上にグレーの袖無しベスト、そしてベストよりやや明度の低い灰色のスラックス。

 その衣装は、アージェンが自身の趣味でコーディネートし、彼に押し付けたアバター装備だ。他にもいくつかのパターンの衣装を渡したが、レオロはこれが一番気に入っているようで、良く着ている。

 と、そんなふうにじろじろと相手を眺めていると、レオロも漸く観念したように鼻息を吐いた。片手でマフラーを上げ、どの角度からでも牙が見えないようにしてから、彼は徐に口を開く。


「腹が減った。血をくれ」

「ん、よろしい。アルコール入ってるが、それでも良いな?」

「この際、選り好みはしない。とにかく、渇いた……」


 そりゃそうだろう、とアージェンは一人頷く。吸血鬼の上位種ともいえるデイウォーカーは、必ずしも生き血の摂取を必要としないが、あくまで『生命維持には必要無い』だけで、吸血を求める本能は殆どそのままなのだ。

 普通の人の価値観で例えるなら、美味しいお菓子だとか、高級な料理だとか、そんな感じの物なのだという。人間は最悪点滴や流動食だけでも生きていけるが、美食を知っている者がそんな生活を続けたら発狂するだろう。


(難儀な生き物だよねぇ)


 そんな事を考えながら、彼女はレオロと共に人気の無い路地裏に入り込み、付与魔法と防御魔法を組み合わせた人避けの結界を張る。この場面だけ切り取ると、まるで恋人同士の逢瀬のようにも思えるな、とアージェンは少し笑った。

 周囲に誰も居なく、また結界を看破しそうな者が近くに居ない事を確認した後、彼女は短く詠唱をする。防御魔法で一つのコップを作り上げ、それをレオロに持たせた後、インベントリから良く研ぎ澄まされたナイフを取り出した。


「大人しくしてろよ。妙な動きをしたら、死なない程度にメッタメタにしてやるからな」

「……分かっている」


 装備画面を操作し、左手のグローブを取り外しながら、彼女はレオロを脅す。いつものやりとりだ。万が一噛まれたら堪った物じゃないから、ギロリと彼の顔を睨みつける。

 冒険者として鍛えられた彼の筋力のステータスは、アージェンが《魔性開放》をしても追いつけない程に高くなっている。もしも今彼が本気でアージェンに噛み付こうとしたら、恐らくは振り払えないだろう。

 けれども、そんな事をしたって意味が無いのは彼も重々承知しているから、大人しくアージェンの動きを待っている。感情の読み難い視線を受けながら、彼女はナイフを握る右手に力を込めた。


「フー……はッ!!」


 そして、その刃を左手首に深く突き立て、走らせた。鋭い痛みが襲う中、流れ出す血をレオロの持つコップの中に注ぐ。

 出血の勢いが弱まったら、ナイフで傷を広げたり新たな傷を付けたり。新品同然に磨き上げられていた刃が、どんどんと血で汚れてゆく。絶え間なく痛みが神経を焼くが、直接噛まれるよりはずっとマシだ、と涙を堪えた。

 リストカットの苦痛に耐えてまで噛まれたくない理由は、二つ有る。一つは、万が一にも魅了の状態異常を付与されたくないから。そしてもう一つは、単に自身の肌に他人の口が触れるというのが我慢ならないからである。

 そうしてコップに血が十分に溜まった所で、アージェンは回復魔法を使用し傷を癒す。傷口はかなり悲惨な有様になっていたが、L10の回復魔法なら僅かな痕すらも残さず消えてしまう。ついでに、出血で減ったHPも全快した。


「感謝する」


 アージェンがナイフの血を軽く拭う傍ら、レオロは短く言って、コップに口を付けた。仲間になったばかり、即ち本格的に吸血鬼として生き始めたばかりの頃は血を飲むのにも抵抗感が有ったようだったが、今となっては欠片程の躊躇いも無く飲み干す。


「お粗末様でした、と。それじゃ、また三日後に」

「ああ。……今度はすっぽかすなよ」

「二度も三度も同じ間違いする程、わたしゃバカじゃねーよ。si'e'ai、もひとつsi'e'ai」


 発動させ続けていた諸々の魔法を終了させ、ナイフを仕舞いグローブを着け直す。レオロが路地裏から出て行くのを見送りながら、彼女は転移先座標の設定を始めた。


(……ヘイゼルさんはどうしてるのかな)


 ふと、最後に見たヘイゼルの微笑みが目蓋の裏に蘇った。アージェンよりも重い責任と、ずっと傷ついた心を抱えて、彼女は今何をしているのだろう。

 そんな事を考えながら、彼女は何処何処ハウスへと転移する。一抹の寂寥をその胸に抱いたまま。

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