17:蒼玉のまぼろし
掌サイズの置き時計を、神経質に監視する。チッ、チッ、チッ、と、細い針が秒刻みに動くのを、アージェンはしかめっ面で眺めていた。
何処何処ハウスのすぐ近くに建設された、メンバーの為の宿舎。その一室、アージェンが使っている部屋に、四人のプレイヤーが集まっている。
部屋の主たるアージェン、むすっと眉間に皺を寄せたネリネ、青ざめた髭面を晒すラインハルト、今にも泣きそうな顔をしているルシフェル。そんな四人が、三本の針によって時間が刻まれる様子を、無言で観察していた。
低い、ちゃぶ台程度の大きさのテーブルの周囲に、ひしめき合うようにして集まり、ネリネお手製のアナログ時計を凝視している。その様は、何とも異様な雰囲気を醸し出していた。
「……」
チッ、チッ、チッ。ほぼ直上、しかし僅かに左に傾いた所を指している時針と分針の上を、銀の秒針が通り過ぎてゆく。残り、一分。
その一分を、針は六十等分に切り刻む。刻まれた一秒一秒が、残酷なまでに規則的に過ぎてゆくのを、彼らはただ見守る事しか出来なかった。
55、56、57。過ぎてゆく。58、59。ひたすらに。そして──00。真上を向いた三本の針が完全に重なり合い、日付が変わる。
「ッダァー!! ラッシャァーセェー!! 25日目突入! 25日目突入! ヒャアーッ!! 連続ログイン25時間目に突入した、スーパーアージェンさまだよー!! にゃもにゃもにゃもにゃも!!」
「オレは26時間目だぜェ! おっぱいぷるんぷるん!! ジーッヘッハァーイ!!」
「これが……ワシの、絶望……」
ログインしてから、24時間以上が経った。しかし、本当なら既に強制的にログアウトさせられている筈なのに、未だに彼らはヒョの中に居る。信じ難い現実に、彼らは狂乱した。
アージェンとルシフェルは二人で部屋の中を踊り回り、ラインハルトはその場で仰向けに倒れる。そうして部屋がどうしようもない絶望感に満たされる中、ネリネは静かに置き時計を回収し、自身のインベントリにシュートした。
「まさか、本当に風雲さんの言う通りになるとはね……」
メニューを閉じながら、彼女は小声でそう呟いた。その辺りで、アージェンたちも一旦落ち着き、元の場所に腰を下ろす。
「どうしよう……こんなの絶対おかしいって……」
「ありえん……」
アージェンもルシフェルも、ああして無理矢理テンションを上げなければ泣き出しそうなくらいに落ち込んでいたが、ラインハルトはそれすらも出来ない程に参っているようだった。仰向けになったまま、意味無く声を漏らす。
現実で、24時間が経過した。アージェン──五条あけみはこの日に有給を取っていたのでまだ大丈夫だが、そうでない者は悲惨だ。何せ、『ネットゲームからログアウト出来ないままズル休みをしてしまった』のだから。
理解の有る者なら、被害者であるプレイヤーを責めたりはしないだろう。けれども社会は、ゲームという娯楽に興じる者に対して厳しい。今回のバグが一定以上の騒ぎになっていれば分からないが、仮に無事ログアウト出来たとしても、お咎めを免れるのは難しい。
そんな中、いつもより数段無表情なものの、平静さを保っているネリネは強いと思う。幼女の姿をした彼女は暫し目を閉じて何やら考えた後、頬杖を突きながらこう言った。
「……泣いても笑っても、現実は変わってくれないわ。帰る方法を模索するか、それともこのままずっとこっちで生きていくか……どっちにせよ、頭を動かさなきゃ」
「そうだな……ショックだが、動かねーとな……」
衝撃に鈍っていた思考回路を再起動し、アージェンも考え始める。こんな事態になってしまったのならば、もう元の世界への帰還はすっぱり諦めた方が、精神衛生的に良いだろう。
となれば、こちらで生きていく覚悟を決めねばなるまい。生活基盤は有るし、こちらでの友人も居る。それらが揃っている中で最後に必要なのは、強固な意志による現実との決別だ。
心の中でガッツポーズをして未練を追い払おうとしていると、同じく復帰したらしいルシフェルが顔を上げた。そして、ローテンションながらも真剣に声を発し始めた。
「目下、一番の問題なのは……相談室が駄目だった奴だよな……」
相談室。バタフライエフェクト主導の治安維持作戦の一環として考案され、そして実際に設立されたそれを指す名詞を口にし、彼は左右で色の違う目を伏せる。その言葉を聞き、アージェンも眉根を寄せた。
「……アレなァ……」
直接関わっていないネリネさえも表情を曇らせ、ラインハルトに至ってはガタガタと震え出す始末だ。それほどに、アージェンたちは酷い不利益を被ったのだ。
(どーすりゃ良かったんだろうな)
回想する。──相談員の研修を終えた後、相談室は当初はそこそこ上手く運用されていた。しかし想定以上の利用者が殺到し、そのままパンクしてしまったのだ。
まず、八日目を過ぎた辺りから急激に利用者が増えた。その増加は予想の範囲内であり、一応は対応しきれた。しかし日を追うごとに相談室を訪ねる人は増え続け、同時にマナーの悪い者や理不尽なクレーマーまでもが現れ、そして15日目にして遂に処理能力を超えた。
その後は酷かった。疲弊しきった相談員が失踪したり、悪化した相談室の対応にキレた利用者が、会場のバタフライエフェクトハウスを破壊し始めたり。果てにはヘイゼルや風雲、それからアージェンを含む相談員たちに対して、怪文書や脅迫状が届いたりもした。
そんな具合で相談室をこれ以上続けるのは不可能と判断され、17日目に取り潰しと相成った。その後もヘイゼルたちに対する誹謗中傷は続き、直接罵倒がチャットでメールで送られてくるだけではなく、世界チャット等で堂々と罵られる程にまでエスカレートした。
「本当に、クソクソアンドクソだわ。もうクソがクソ過ぎて、もう本当クソ」
「……大変だったのね……」
語彙が貧弱になったアージェンの低い呟きに、ネリネが同情したようにそう言う。アージェン自身にも罵詈雑言は送られて来たが、それ以上にヘイゼルに悪意が行く事が許せなかった。ヘイゼルの事を悪く言う奴を片っ端からくびり殺したい気持ちは山々だが、それはさておき。
そんな状態になってしまった事から読み取れるように、プレイヤーたちのフラストレーションは溜まりに溜まっている。頓挫したとはいえ相談室の効果は一応出ていて、現状この世界の治安はまだ目立って悪化していないが、それもそう長くは保たないだろう。
「こっちに長期滞在する事、それ自体は悪くないと思い始めたが……如何せん、ゲームプレイヤーがなぁ……」
「ねぇ……」
ルシフェルのぼやきに、ネリネが同意の声を上げた。これから生きてゆくべき世界の治安が悪くなるのは、歓迎すべき事態ではない。かといって、彼らの独力でどうこう出来る程、現状の根は浅くない。
「……オレはさ、こっちでの仲間、失いたくないんだわ」
「わたしもだよ……」
「何か、ワシらに出来る事は無いのか……」
手詰まりか。自分とその周囲だけを守るのが、彼らに出来る精一杯だろうか。三人寄れば文殊の知恵というが、その文殊の知恵でも打開策が見出せない。
空気が際限なく重く苦しくなってゆく中、アージェンはかぶりを振って思索を打ち切った。そして明るい声を作ってこう言う。
「こんな事にうんうん悩んでても致し方無し。明るい事考えましょ、明るい事」
「例えば、どんな?」
「この24日間、嫌な事が多かっただろうけど、良い事も有ったでしょ? その辺話していきましょうよ」
「そうね……良いアイデアだわ、ジェンさん。少しでも気分を上向きにしていきたいし」
彼女の提案に、ネリネがぽんと手を叩きながら頷いた。ルシフェルもラインハルトも少し表情を明るくさせたので、まず言い出しっぺのアージェンが、記憶を辿りながら話し始める。
「わたしはー……そうだね、親友と色々話せた事かな。こういう時だからこそ、気の置けない人とダバダバ話せたのが幸せだったんだわ」
悲しい事に、一日目の時にヘイゼルとのんびり話した事以外に、目立った良い思い出が見当たらなかった。そんな裏事情は察されないように、当時の幸福な気持ちを思い出しながらアージェンは笑みを浮かべる。
「その人は、プレイヤーなのか? それとも、NPC?」
「プレイヤーだよ。とりあえず、わたしからはこのくらいかな……次、他の人」
ルシフェルからの質問に答えつつ、そこら辺で話を切り上げ、アージェンは他の発言を促す。すると、当初より大分マシな表情になったラインハルトが、彼女の次に口を開いた。
「良い事、な……そうだな、現実での今日、なんやかんやでサボれた事とかかね」
「わかるぅ~」
「ああ、それはオレも分かる、良く分かるぞ。……後が怖いけど」
彼の言葉に、ネリネとルシフェルがうんうんと頷いた。アージェンは折角の有給を滅茶苦茶にされた、という念の方が強いが、今は黙っておく。
「あたし的には、ひたすらアイテム調合に没頭出来たのが嬉しかったかしら。お陰で、遂に『爆発物製造』のレベルがカンストしたし」
「おお、そりゃおめでとう。そうか、いつか9801個の火炎瓶貰ったのが懐かしく感じるな……」
あの時村を一つ焼いた後もまだ余り、暫くメイン武器が火炎瓶になったりした事を思い出す。その所為で、いつの間にかNPCたちに『“白銀の放火魔”』なんて呼ばれるようになっていた事を知り、その名を言い出した奴に対する殺意を成長させたりもした。
それにしても、生産スキルをカンストさせるとは。普通のマスタリースキルなんかは普通に殴ったり殴られたりしていれば上がるが、生産系はそのスキルのアイテムを作らなければ経験値が入らないのだ。
材料を集めるのだって高レベルになればなる程大変だし、実際に作るのだって、インターフェースにアイテムを突っ込んでクリックでハイ完成、と出来る物ではない。材料を乾かしたり刻んだり煮込んだりで、一回の調合にゲーム内で数日かかるのはザラだ。
「流石は“ねりきん廃人”、わたしたちには出来ない事をやってのける。そこに痺れる、憧れるぅ!」
「廃人じゃないわよ、キャラレベルはまだ40ちょいなんだし。まぁ、長く苦しい道のりだったけど……その分、達成感もひとしお、って奴ね」
幼い顔にこれでもかとドヤ顔を乗せながら、ネリネは得意気に言った。リアルで人間にやられたらこれ以上無くうざい態度だが、ゲームの中だし人外なので許せる。
「で、ルシさん、おまえはどうなの?」
「うぇっ、オレか……オレは……んー」
流れるように掛けられたネリネの問いに、ルシフェルは短く唸って記憶を辿る。やがて「ああ」と言って、自分の思い出を語り始めた。
「NPCのエルフの仲間に、色々便宜を図ってもらえてさ。この24日間、悪意ばっか見てきたけど……あいつの善意で、大分中和された感有る」
「その人って、いつか一緒に居た……何だっけ、名前」
「ディーネイだ」
ネリネとラインハルトは知らないようだが、アージェンは一度だけルシフェルの仲間のNPCを見かけた事が有る。ディーネイというそのエルフの娘の、本物の銀の糸を束ねたような長い髪と、からっとした人の良い笑顔は、アージェンの記憶に鮮烈に焼き付いていた。
とある街をぶらついていた時、偶然ルシフェルとそのNPCが一緒に歩いているのとすれ違った事が有るのみだが、あんな美少女に色々助けてもらえたのならそりゃ心の傷も癒えるだろう。表情を動かさないルシフェルを見ながら、彼を羨ましく思う。
「ジェンさん、知ってるの?」
「偶然出くわした事が有るだけだけどな」
ロールプレイヤー同士でも、互いの仲間のNPCを知らないのは普通だ。ネリネの手下のコノハズクなんかは、彼女のアトリエを訪ねればすぐに会える。しかしそれ以外の場合は、プレイヤーを通して頼むなりしなければ会うのは難しい。そして、わざわざ頼んでまで会う必要も無いので、殆どの場合仲間には面識が無いのが普通になっている。
「あいつな、めっちゃ良い奴なんだよ……優しいし魔法の腕前も良いし、その上美少女だし、やっぱ二次元最高だよな……」
「全く、二次元の人外は最高だぜ」
「イェア」
そう言って、アージェンとルシフェルはハイタッチする。こうして人外萌えの歓びを分かち合うと、ちょっとテンションが上がって来た。
「と……こんな具合かね。どうだ、少しは心もあったまってきたかい」
「うむ……」
瞑目し、静かにラインハルトが頷く。悲壮感は薄れ、穏やかな希望と少しの安堵が綯い交ぜになった顔をしていた。他の二人も彼と同様、安らいだ表情を垣間見せている。
「じゃあ、オレはそろそろ行こうかな。手頃な所で、せっせとレベル上げでもしている」
「あ、じゃ、あたしも。久々に採取に出掛けないと、色々無くなって来てるし」
「なら、ワシもおいとまするか。ではな、アージェンさん」
その辺りで、三人は口々に別れを述べ、そして転移で消えて行った。賑々しさに包まれていたアージェンの部屋も、彼らが居なくなると急に静かになる。風雲建築の宿舎は防音も完璧であるようで、周りの部屋からの物音さえも聞こえない。
「っはぁー……」
静寂と寂寥に身を浸し、頭をゆっくりと冷やす。装備画面を開き、ブーツやケープ、及びそれらによって書き換えられている機能装備を外した後、彼女はごろりとベッドに横たわった。
帽子とグローブは手動で外し、現れる機能装備の兜と小手も取ってインベントリに仕舞う。すると、右手の甲に刻まれている半魔の証の紋章が目に入った。
「……こうなるんだったら、竜人にしとけば良かったかなぁ……」
半魔に対するNPCの厳しさを想起し、思わずそう呟いてしまった。現状、彼女の正体は仲間たち以外には露見していないが、もしバレたら、と考えると寒気がやって来る。
元々他の種として生まれた者が、儀式を通して『“魔神アルカディア”』と契約し、そして変化して誕生する種族、半魔。この儀式に、生きたヒューマンやエルフを贄として捧げたり、違法な薬物を使ったりする工程が有り、また半魔と化した者は大抵《魔性開放》状態のまま魔物に身を堕としてしまうので、半魔は普通人として扱われない。
アージェンはプレイヤーなので、誰かを生贄にした事も無ければ薬を使った覚えも無い。けれどもNPCたちから見れば、彼女は紛れもなくそういう存在であるというのは変えられない事実だ。そう考えると、仲間たち、特にフュールのぐうの音も出ない程の聖人っぷりには頭が下がる。
そこで、彼女は不意にある一つの事実を思い出した。ガバリと身を起こし、開きっぱなしのメニューを操作して、現在の日時を表示させる。
「あっあっあー……」
現実時間の方は、バグが発生した5月21日の21時丁度を示したまま停止している。ログイン・ログアウト周りと共に、ここもバグってしまっているらしい。
しかし、今そちらは然程重要ではない。彼女はゲーム内時間の方に視線を移す。月長の月・23日──仲間のNPCたちとの約束を21日間もすっぽかしていた事に気付き、アージェンは魂の抜けたような顔になった。
「ご、ごめんなさ~い……」
謝るべき相手はここには居ないが、それでも謝罪の言葉を口にしたくなってしまった。暫しの間脱力した後、手早く装備を整え直し、彼女は転移画面を操作し始める。




