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ED-B:雪解け


 あの1000秒間が終わってから、一ヶ月。ジャディスリィの支配下だったケヴルーアの国々は、何処も戦渦のただ中に在った。

 絶対的な支配者・ジャディスリィが死に、殆どの人外種族が殺し尽くされた今、強者の座を失ってまだ日の浅いヒューマンたちが立ち上がらない理由は無い。僅かに残った人外たちを追いやり、彼らは元の鞘に収まろうとしていた。

 そんな混乱の中、レニノは奔走していた。ブラッディリボンの仲間たちを、ヒューマンの魔手から救い出す為だ。今からヒューマンたちに抵抗するのは無理が有るが、悪しからず思っていた同志たちを見捨てるわけにはいかない。

 あの時預かったジャディスリィの遺書には、大方の予想通りレニノを後継者とする旨が書かれていた。だが彼女を突き動かすのはその言葉だけではなく、ほんの数年程度だったが確かに仲間として付き合って来た人たちを助けたい、という確固とした決意も有った。


(そーっと、そぉーっと……)


 生き残った仲間たちには、いち早く人里から逃げ出し身を隠せた者も居れば、ヒューマンに捕まって囚われの身となっている者も居た。虜囚とされた者の殆どは、死刑や残酷刑の執行待ちで、既に処されてしまった者も居るようだった。

 だがまだ殺されていない人も居る。レニノはそんな者の情報を探し、ヒューマンどもの手から救出する為に動いていた。今も、2と呼ばれていたエルフが囚われている牢獄に侵入している。

 一人しか居なかった看守は首を絞めて落とし、静かに迅速に虜囚の居る檻を探す。ずば抜けた隠密の才能が有るわけではないが、協力者が用意してくれた魔法のマントやブーツが、彼女を即席の天才としてくれた。

 とはいえ、看守を倒してしまったから、そんなにうかうかしてられない。装備は気配を限りなく薄くしてくれるが、透明人間になれるわけではないのだ。暗い廊下に並ぶ格子を見、ここじゃない、ここでもない、と2の姿を探す。


(……ここかな)


 そうして澱んだ闇の中を進み、廊下の最奥、小さな覗き窓が付いただけの鋼鉄の扉の前に辿り着く。他の檻には生きている者は居なかったし、2が居るとすれば消去法でここしか無い筈だ。

 看守から奪取して来た鍵束を取り出し、何重にも掛けられた鍵を解いてゆく。中にはダイヤル式の南京錠も有ったが、試しに一つずつ右にずらしてみたら、すぐに開いた。ずさんである。

 重い扉をそっと開け、レニノは部屋の中を覗き込む。すると、中に居た人物がのそりと少し身じろぎしたのが捉えられた。深い闇の中目を凝らせば、ぎょっとする程血塗れ泥まみれだが、彼が間違いなく2である事が分かった。


「……ぉ、……、ぇ……」

「無理に喋らなくて良いです。助けに来ました」


 食事どころか飲み水すら満足に与えられてないのだろう、彼は何か言おうと口を開いたが、まともな声は出ず、唇が切れて血が流れただけだった。

 外の方に耳を澄ます。まだ侵入に気付かれた気配は無い。それを確認しつつ、レニノは腰に提げていた水筒を持ち、蓋を開けて彼の口元にあてがった。すると、彼は信じられない程の力で水筒をひったくり、勢い良く水を飲もうとして咽せた。


「ぐ、ぐふっ!」

「……それだけの気力が有るなら問題無いですね」


 やや呆れ気味に呟きながら、彼女は取り落とされた水筒を回収する。最後の気力を振り絞ってしまったのか、2は糸が切れたように倒れ込んだ。そんな彼に寄り添いながら、左耳に輝く桃色のピアスに軽く触れると、レニノはぼそりと呟く。


「無事目標を保護しました。回収をお願いします」

『ん、オッケー』


 耳元で囁くような声の返答がして、間もなくレニノの背後に二つの人影が現れる。彼女の奮闘を手助けしてくれている協力者・ネリネと、その従者のコノハズクだ。


「はたまた、随分と陰気な所に閉じ込められていたようね。しかもボロボロ……全く、ヒューマンもヒューマンでゴミクズね」


 やれやれ、と肩を竦めながら、ネリネは従者に目配せする。それにコノハズクは頷くと、両腕を広げて場に居る四人を黒い霧で包んだ。

 やがて靄が晴れると、そこは温かな空気の満ちる部屋だった。エンウィードゥはリンデネア山脈の片隅に在る、ネリネの本拠地たるアトリエだ。

 囚われの仲間たちの居る場所の目星を付けたら、ああしてこっそり捜索し、確保したらコノハズクの力でさっさと帰還する。何度か繰り返して来た作戦だ。帰り道の事を考えず強気に突入出来るのは、やはり心強い。


「さっ、レニノさん、この子を部屋に運んで。あっちの廊下に入って三番目の部屋が空いてるわ」

「了解です」

「コノハズクは彼女に付いてって、彼に治療を施してあげて。あたし、飴湯作って来るから」


 衰弱し切った2の身体をどうにかこうにか抱え上げ、レニノは指示された通りの部屋に向かう。付いて来たコノハズクに扉を開けてもらって、綺麗に整えられてある二段ベッドの下の段に彼を寝かせた。

 結局、彼は安堵からか意識を失ってしまっている。コノハズクに治療を施されても、固く閉ざされた目蓋が開く事は無い。処刑も待たずに死にそうな程、彼は弱り切っていたのだ。

 万が一処刑前に死んでいたとしても、晒し首にしたり八つ裂きにしたりしていたのだろう。そうされた者たちも、彼女は目の当たりにして来た。

 全く、ヒューマンも酷い事をする。ジャディスリィも似たような事をやっていたので、強気には言えないが。


「……間に合って、良かった」


 ほうっとレニノは息を吐き、耳を垂れさせる。頑張って探したのに、対面したのが冷たくなった彼だったら、またショックを受ける所だった。……間に合わなかった人も多かったが、それでもまだ慣れそうにはない。

 さて、いつまでも汚れた格好のままでは可哀想だ。目につく所だけでも拭いて、清潔な寝間着に着替えさせようか。そう思って、レニノは物を使う許可を得る為ネリネの元へ向かった。




 どうやら今回は間に合ったらしい。甲斐甲斐しく2の看病を行うレニノの姿を眺めながら、ネリネは備蓄食糧のドライフルーツをもそもそと咀嚼していた。

 これで、救出出来た元ジャディスリィ麾下の者たちは、全部で五人。残りの行方不明者は、後四人だ。とはいえ得られた情報からするに、残りは皆ヒューマンの魔の手から逃げ出せた者だけであるようだし、実質救出作業は殆ど終わったと見ていい。

 それでもいつ彼らがヒューマンどもに見つかってしまうか分からないし、速やかな保護が求められるだろうが、処刑を待つばかりの者は居なくなったのだ。レニノの表情にも、深い安堵の色が見られた。


(それでも、助けられなかった子も多いけれど)


 間に合わなかった者、間に合いはしたがそのまま帰らぬ人となった者たちは、全部で11人。彼らの亡骸は、何処何処ハウスの在った島に弔ってある。

 特別に親しい者は居なかったが、それでも確かに一時は友だった者たちだった。彼らを生かす為に、ネリネは薬を卸していたのだ。はぁ、と彼女は溜め息を吐く。


(……ま、レニノを手助けするのは良い暇潰しだわ。あたしの人生が終わるまで、精々楽しませてもらいましょ)


 さて、感傷に浸るのはここまでだ。自分の食事──“使者”を辞めてから、飲食や睡眠をちゃんととらないと駄目になった──は終えたし、次に保護した者たちの分の食べ物を運びに行こう。

 しかし最近、備蓄が少しずつ心もとなくなって来た。金や物々交換に使えそうな物は有るのだが、生憎と何処も先の混乱からの復興に手一杯で、余所者に分ける程の余裕が無いようなのだ。

 早い所補給の目処が立つと良いのだが、最悪サバイバルごっこをしたり火事場泥棒をする必要も有るか、と彼女は額に手を当てた。“いどのす”との約束も有るし、あまり悪事に手を染めたくはないが。

 と、そんな事を考えていた所で、玄関の呼び鈴の音が聞こえた。ネリネは地下の倉庫に向かおうとしていた足を止め、とてとてとそちらの方へ駆ける。


「誰かしらー?」

「わたしだ、アージェンだよ。それとレオロ。お求めの情報とか持って来たよー」

「……とても寒い。早く入れてくれ」


 そういえばこの時間に来ると連絡が入っていたな、と思い出し、ネリネはドアを開けた。冷たい風が吹き込むと同時に、転がり込むようにアージェンとレオロが入って来る。


「うおおおーっあったけぇーっ。身に染みるわー……」

「そりゃそうよね。で、今回の情報は?」

「ネリネさんがまともに取引出来そうな地域とか、後レニノさんたちの潜伏先に出来そうな所についてだ。後者は幾つか候補が有るけど、結局何人くらいになりそうなの?」

「この先、首尾良く全員助けられれば、レニノさん含めて10人ね」

「うっわめっちゃ増えてるぅ……大丈夫かなぁ」


 こちらから突きつけられた返答に、アージェンは困ったように相方と顔を見合わせる。やはり二桁にも達する難民の受け入れ先となると、相当限られて来るのだろう。

 彼女には、何かと忙しいネリネの代わりに、欲しい情報を集める事を依頼している。アージェンとて決して暇人というわけでは無いが、友の誼と報酬によって自らのリソースを割いてくれているのだ。


「ま、後者は急ぐ話でも無いし、駄目そうなら新しく探せば良いのよ。頼むわね」

「うん、まぁ、頑張るよ。とりあえず、今日は前者だけでも」

「ん、ちょっとやる事が有るから、詳しい話は少し待ってて。そっちの部屋に居て頂戴」


 応接間の方を指差しつつ、ネリネは今度こそ倉庫に向かう。その途中で治療を終えたコノハズクと合流し、保護したレニノの仲間たちの為の食べ物を見繕い始めた。

 ジャディスリィ直属の配下であった彼らにはまともな名前が無いが、今後普通の社会に溶け込んで暮らすなら、ちゃんとした呼び名が有った方が良いだろう。ケヴルーアを離れてしまえば捕まる心配も無いだろうが、変に目立つべきでもない。後でレニノを通して提案しておこう。


(しっかし、レニノはこの先どうするのかしらね。彼らの面倒を見るのは良いけど、何か目標とか有るのかしら)


 曰く『遺書によりジャディスリィの後継者に指名された』との事だが、彼女が成し遂げようとした事を再びやり直そうとするのだろうか。それともただの一人のハイエルフとして、十人並みの余生を送るのだろうか。

 まぁ、レニノはまだ気持ちの整理がついてないようだし、気長に結論を待とう。ネリネも、とある一つの最終目標以外は、殆ど行き当たりばったりでやっているのだし。


(……ルシさん、助けられるかしらね)


 その最終目標とは、時空の狭間に消えてしまったルシフェルを救出する事だ。手掛かりは全く無く、“いどのす”に頼んでも匙を投げられてしまったのだが、だとしても不可能だと決定されたわけではない。

 どうにか彼を見つけ出す事が出来るか、そんな事は不可能であると証明されるか、もしくは自分の命が尽きるまで。気負いすぎない程度に目指し、探求すると彼女は決めたのだ。何の目的も無い人生なぞ冗長になるだけだし。


「……よし。コノハズク、これとこれ、運んで。あたしに付いて来なさい」


 無言のまま頷く従者を見上げながら、ネリネは歩き出す。一先ずレニノが落ち着くまでは、彼女の手助けに注力しよう。ルシフェル捜索に乗り出すのは、それからだ。

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