98:デカダンス・ディザスター
宵闇の中、レオロは剣を鞘に納めて、アージェンは右腕を引きずらぬように気を付けながら、ひたすら走っていた。
背後から迫る敵の反応に、アージェンは爆弾を左手に取り出す。落とし穴の蓋たる岩を壊した音はしなかったから、恐らく地面を掘り進んで来ているのだ。凄まじい膂力である、まともに打ち合ったら勝ち目は無いだろう。
「レオロ! 飛べッ!!」
「応ッ!」
ならば、と号令を飛ばし、二人は飛び上がって手頃な木の上に移動する。そして、ドリルでも装備しているかのような速度で地中を進み距離を詰めて来る敵に対し、アージェンはタイミングを見計らって爆弾にマッチで火を点け投下した。
「見え見えなんだよ、バァーヤ!!」
投下された爆弾は、レアが地面から顔を出した所に直撃し、大爆発を起こす。相手が顔面に爆風を受けて悲鳴を漏らすのを聞き届けながら、二人は枝から飛び降り駆け出した。
「舐めクサりやがッテ!!」
穴だらけの身体と焼け爛れた顔をそのままに、敵は悪鬼の如き形相で追いかけて来る。怪物に追いかけられるタイプの夢でも見ている気分だ、とアージェンは走り、次なる罠へと誘導する。
だが学習したのか、地面から微妙に浮いて移動しているようで、草結びや落とし穴に引っ掛かる事は無い。振り子丸太も、超人的な勘と動きで躱されてしまう。
有効打が与えられないまま、殆ど追いつかれてしまいそうな所まで距離を詰められてしまう。焦りに心臓が跳ねるが、ここがあるトラップの設置地点である事を思い出し、ニヤリと口角を上げた。
「はぁっ……レオロ、もう駄目だ……」
「なっ、おまっ、こんな所でへたるなよッ!」
疲れきったふうを装って、アージェンは足を止める。驚いたレオロが咎めて手を差し出すが、間もなく敵が追いついた。
「けヒゃハ、随分トまぁ軟弱ダなァ。ま、イイ、時間が掛かラないナラ、そノ方がイイんだ」
左側の口角だけ裂けそうな程に上げ、レアは余裕たっぷりにゆっくりと近づいて来る。その足音から相手の位置を割り出しながら、アージェンは息を整えているフリを続けつつメニューを操作した。
「アージェン、どうしても走れないってんなら、おぶってでも──」
「その必要は無いぜ。獲物の前で舌舐めずりたァ余裕だな三下ぁ! 後悔しなァ!!」
そして取り出したるは弓と矢。左手に弓を持ち、巨大な右腕で矢をつがえる。だが稚拙な腕で敵の脚を狙った一の矢は、ふわりと浮かび上がられて躱されてしまった。その先を狙った二の矢も、簡単に躱されてしまう。
「キヒヒ、残念。慣れナい武器なんテ使うもんジャないね」
余裕綽々と、力量の差を見せつけるようにレアは空に浮かび上がる。どんどんと高度を上げているのを見て、アージェンはますます凶悪な笑みを浮かべた。
「ハッ、何もかも計画通りさ」
「は──ナッ!?」
枝葉の更に上へと飛ぼうとした敵が、そこに張り巡らされていた有刺鉄線に引っ掛かる。その瞬間を見計らい、近くの木からひっそりと垂れ下がっていたワイヤーを引っ張ると、鉄線が相手を拘束するように引き絞られた。
「ギッ、アああアあッ!?」
えげつない大きさと形状の棘が付いた物を選んだので、その痛みは尋常でない筈だ。もがけばもがく程苦しむ羽目になるだろう。おまけに即効性の有る神経毒も仕込んでおいたし、効けば良い足止めになる。
「よし、逃げるぞ!」
「……敵を騙すにはまず味方から、か」
アージェンは弓をその場に落としながら、レオロの手を軽く引き駆け出した。何処か呆れ気味に呟く彼と共に、身を捩る敵を置き去りに逃走を続ける。
敵が空を飛ぶ事を想定して仕掛けた罠だったが、ああも上手くいくとは思わなかった。力自体はとんでもないレベルだが、それを振るう頭がアホならば、出し抜きようはいくらでもある。
(このままやれば、いける!)
まだ戦いは始まったばかりだが、彼女はそんな確信をしていた。自然と笑みが浮かぶ。次に行うべき事を何パターンも考えながら、アージェンはちらりと後ろを振り返った。
「……!?」
すると、すぐ後ろ、数歩の距離しか離れていない所に、敵の姿が有った。先ほど浮かんだ甘い考えを嘲笑うかのように、そいつは一定の距離を保って二人を追いかけて来ている。
その姿には何処にも傷の痕跡は無く、服に空いていた筈の穴すらも無い。毒が効いている様子も無く、明確に怒りを浮かべていた様相すらも消え失せ、代わりに不気味な程の冷静さを纏った彼女は、必死に走る速度を上げるアージェンたちの後ろで呟き始めた。
「腑ニ落ちナイな。準備が良過ギる。こノレベるの用意なンて、ワタシのよウな脅威が有ルと知っテいなけレバ、しヨウとは思ワない筈ダ。……どこカラか知ったノか?
イヤ、はヤ、フむ、キミたチの因果ハ随分と複雑怪奇デ珍妙な絡まリ方をしてイるネ。成る程、II型ドロいドがねぇ……」
その台詞に、背筋に悪寒が走った。どういうカラクリかは不明だが、どうやらこいつはこちらの記憶か何かを読み取る事が出来るらしい。
となれば、罠の配置から作戦まで読まれているのではないか。その場合、準備して来た何もかもがおじゃんになってしまう。その事実に寒気がして、一瞬思考が停まった。
「“止まれ”」
その瞬間を見計らったかのように、いつかベネトナシュの神が発していた声と同様の不可思議な言葉が木霊する。どういうわけだかその命令には逆らえず、アージェンは金縛りに遭ったかのように硬直してしまった。
「……レ、レオロ、あんたは動くか?」
「動かねえ……くそッ」
正体不明の戒めを振りほどこうと全力を振り絞るが、うんともすんとも動かない。そうしていると、レアがこちらの前方にテレポートして来た。
「ウん、良い作戦だッタよ。キミタちは強者だ、敬意ヲ払おウ。だカラ、ワタシも舐めプハそロそろ止めテ、真面目に取り組ムとシよう」
悠然と語りながら、彼女は右腕を掲げつつ少し前傾姿勢になってみせた。そしてその目が閉じられると同時に、腕の輪郭が歪んだ。
「ワタシはレア。『イレア』ノ片割れニして、カリソメの王ガ一人。未ダ知ラぬ全てヲ知ル為に、糧トなれ、異邦人」
その腕が変貌し、銀の鱗と大きな爪を持つ異形のそれとなる。同時に彼女の背から、右だけの片翼が出現した。
銀に煌めく瞳が、アージェンの姿を射抜く。まずい、動かない、どうする、どうすれば──彼女が必死に思索を巡らせていると、敵は皮膜の右翼を広げてこちらに飛びかかって来た。
その凶悪そうな爪が向けられる先はアージェンの方。その事実に少し安堵しながら、彼女は自身の右腕に敵の爪が食い込むのを認めた。
硬質化した皮膚を貫き、肉も骨さえも引き裂き、そしてそのままブチッと引き千切られる。その痛みに、アージェンは言葉にならない悲鳴を上げた。
「あ、アージェンッ! この野郎ッ、止めろ!」
「ヤダよ。散々無様な目ニ遭わせラれたカらね、ちょっトしタ意趣返シだ」
悪戯っぽく舌を出してウィンクしながら、敵は千切った右腕を武器のように構える。今度は確実に殺しに来るのだろう。
痛みと失血で遠くなる意識を必死に繋ぎ止め、考える。ここで彼女が死んだら、次にはレオロが殺されてしまう。何か打てる手は──ふと、自身の右手の甲の紋様が目に入った。そして思い立つ。
一か八かだが、試す価値はある。確と両目を見開き、彼女は唱えた。
「──《魔神顕現》」
半魔にとっての最後の切り札が発動し、変貌が始まる。ゴキゴキと骨格が変形し巨大化し、それに伴われて全ての装備が外れてゆく。全身の皮膚が木の皮のような質感となり、背骨が歪んで復活した右手を地に付かせる。
時間制限が厳しく、ロストのリスクが怖過ぎるから殆ど使った事は無いのだが、しかし人の貌からかけ離れた肉体は嘘のように馴染んだ。あの金縛りも状態異常扱いだったのか、解けている。
先ほどまでよりずっと高くなった視点で、アージェンは瞠目する敵を睨む。そうしながら、未だ動けないレオロを庇うように立った。レオロが息を呑んでいるのが分かる──恋人が化け物の姿になれば、いくら理解していても驚くだろう、無理もない。
「……A侵食・暴走ケース……オイおい、マジかヨ、死ぬトカ生キるとカ、そウいうレべるノ話じゃなクナるンだぞ……」
やや顔を青ざめさせながら呟く女を見下ろし、アージェンは自身の目的を確認する。第一に、レオロを守り抜く事。第二に、自らの生存。破壊衝動が自我を猛烈に蝕み始めるが、彼女はそれをねじ伏せ敵の出方を窺った。
「まァ良い、取り返シがつかなクナる前にトどメヲ刺すノも情ケだ。……はァッ!!」
魔力の光を纏って突貫するレアに、アージェンは立ちはだかり受け止める。下手な鎧より硬い皮膚に敵の爪が食い込むが、しかし重傷には至らなかった。
困惑したかのように硬直した腕を、彼女はむんずと引っ掴む。そのままぶんぶんと敵の小さな身体を振り回して勢いを付けた後、ヒュンッと天高く投げ飛ばしてしまった。
「……あっ、動ける。アージェン、大丈夫か? 移動しよう!」
「イヤ……」
術者が離れたからか、金縛りの効力が失せたようだ。動けるようになったレオロが、アージェンの脚を軽く叩いて声を上げる。だが彼女はその提案を否定すると、可能な限り背筋を伸ばしてレアを投げ飛ばした先を見上げた。
敵は暫し与えられた運動エネルギーのままに飛ばされていたが、やがて重力の影響のが強くなった辺りで、バサッと一度大きく羽ばたいて空中に留まった。そして何やら聞き慣れない言葉で唱えながら、銀の右手と人型の左手の指で三角形を作る。
「レオロ、わたしの影に隠れているんだ」
「……ああ」
瞬間、敵の前面に光る大きな三角形が出現した。風の鳴くような音と共に、図形の内側に光の粒子が集束する。
何かの祝詞のような、神秘的な響きの言葉が木霊する。膨張する銀の光が、空も木々も明るく照らし出す。旭光の如き輝きに、空気がざわつき眠っていた動物たちすら目覚める。
「──“澄み渡る暁光よ、打ち抜けぇッ!!”」
敵の吶喊が耳に届いた──そう思った刹那、アージェンの視界は白く塗り潰されていた。網膜が焼かれ、視覚が失われる。彼女は咄嗟に腕を上げ、急所を庇った。
どすっ、と胸部を守っていた右腕に衝撃が入った。まだ目がちかちかしていてよく分からないが、どうやらあの光に貫かれたらしい。風穴の空いた腕は盾としての機能を全う出来なかったようで、左胸からも血が溢れ出していた。
「グ、うッ……」
「あ、アージェン、嘘だろう……?」
“魔神”に近づいた身体は、心臓をやられた程度では即死には至らなかったが、しかし致命傷である事は変わりなかった。回復薬を、とメニューに残った左手を伸ばそうとするが、二発目のレーザーにそれも焼き落とされてしまう。
激痛に血反吐を吐くアージェンと、そんな彼女に手持ちの回復薬を飲ませようとするレオロの前に、優雅に舞うようにレアの姿が降りて来た。翼を畳み、右腕を人のそれに戻しながら、彼女はてとてとと歩み寄ってくる。
「終ワりだネ。予想以上ニ時間がかカった……レイに怒らレるカナ。大人シくしてイれば、楽ニ終わらセてヤロう」
その左手に、刃状の魔力が形成された。一歩、また一歩と近づく敵の姿を必死にねめつけながら、アージェンはひたすら生き残りの方策を考える。
どうすればこの状態を打開出来るのか、せめてレオロだけでも──妙策よ浮かべと祈るように、振り下ろされる死の刃を恐れたように、彼女はぎゅっと目を閉じた。
そのままその瞳は二度と──。
「……アれ?」
焦りと困惑の滲むレアの声に、再びアージェンは目を開いた。生きている。新たな傷が刻まれた痛みも無い。すぐ隣に視線を移せば、驚いた様子だが怪我をしたふうも無いレオロの姿が捉えられた。
眼前に佇むレアは、左手の刃をこちらに向けたまま、苛立ちを隠さぬ表情でギリギリと手を動かそうとしている。だが何かに固定されているかのように、その手はビクとも動いていなかった。
「ナ、何、どウして動かナいの? 干渉……シかもこレハ、竜王ノ──アっ、やダッ、ヤめっ、あッあっ、あっアッあっあーうォええエエぇえェエえェえぇッギっごッガっギギぎギGigIgigiGIgIgiGiGggGggGGg」
意味不明のおぞましい叫びを上げながら、彼女はがくりとその場に崩れ落ちた。白目を剥き、魔力の刃も保てなくなったのか霧散させ、ビクンビクンと背をしならせて、口の端からは涎を垂らす。あまりに異様な光景に、好機で有る事すら忘れてアージェンたちはどん引きした。
「GigGogouyuk9gOgUGae7q7/w9……あ、h.de、ア、あっアー……ソ、うだ……ワタシ、ハ、殺さナ……こ、殺す、殺さ殺殺スさない殺害セ死殺ないヨ死ナせな殺ス殺す殺スなアアアアアアアアアッ!!」
両手で頭を抱え、ばたばたと翼を振り回し、彼女は苦悶する。アージェンは衰弱しきった身体を引きずり、どうにか敵から距離をとった。その間も、レアは頭を顔を首を掻きむしり手を血塗れにしながら絶叫していた。
「イッ、あ、アアあああアあアアアあアアあアアああアア!! あっウッいっうっキッあッおー……ワーター、dワタシ、わたwATasHiワタシワタわた0qdシたしタしワqdたシワタシ0qSiはアアアアアっ!!
かっ、ガッ、ヤ、だ……ワタ、し……や、ット、前ニ……進めル、ノに……ウ、うう、何なノ、王ハ何を考えテいるノ!?」
滂沱の涙を流しながら、彼女は大きく翼を広げる。そしてぶわりと飛び上がると、意志の光の失せた瞳でこちらを見下ろし、囈言のようにぶつぶつと呟いた。
「……遠カラずコイツは死ヌ、サもなクバ“魔神”トなる……デイウォーカーはとてモ貴重ダし、リスクを冒しテデも残す価値ハ有る……ウ、ううウ……。
“王権”の強制力、ココまデとはネ。一体何が起キていルのか、原因ノ究明をセねば……」
そう言い残して、彼女はすうっと姿を薄れさせ消えてしまった。もう敵が戻って来ない事を悟ると、気が抜けたアージェンはばたりと俯せに倒れる。
「お、おい、気をしっかり持て!」
「……おう。だい、じょぶ……」
緩んだ所から自我の崩壊が始まる。どのくらいこの姿でいたか正確には数えていないが、結構長かった筈だ。戻れるだろうか、と不安に思いながら、弱々しく「解除」と呟く。
すると、やや間が有って、バキボキと音を立てながら身体が元に戻り始めた。骨が拉げ、肉が捏ねられる激痛と共に、深く変質していた肉体から異形の要素が排除される。
「かっ、ぐ、いっ……うー……」
それは死ぬ程苦しかったが、泣き叫ぶ気力も最早残されていなかった。やがて完全に元の姿──装備は全部外れたままなので全裸だ──に戻った所で、レオロに抱え起こされた。
「大丈夫か? 俺が分かるか?」
彼の顔が視界に入る。肯定の声を上げようとしたが口が言う事を聞かなかったので、代わりに頷く事で応えた。
すると、ポーションの瓶の口が彼女の唇に当てられる。心臓の風穴がこれくらいで塞がってくれるのかは分からなかったが、ここまで頑張ったのに死んでしまうなんてごめんだ、と生への執念を燃やし、流し込まれる中身を少しずつ飲み込んだ。
けれども、意識が遠のくのは止められない。眠気に視界がぼやけ、レオロの顔の輪郭すらも捉えられなくなって、そしてそのまま現実からフェードアウトしていった。




