97:遠く分たれし望みたち
いつだったか。約束をしたような気がする。
死が二人を分つまで、ずっと共に在ろう。互いで互いを補い合って、力を合わせて生きてゆこう、と。
時は昔を色褪せさせ、思い出をバラバラにして押し流してしまったけれど、その誓いはまだ覚えている。
姿が変わっても、世界が変わっても、約束が満ちても、二人はきっと忘れないのだろう。
まさかここまでだとは思わなかった。とある森の奥、適当な木の下で一時の休憩を挟みながら、ナツメグとキュリオスはHPの回復に努めていた。
今も追跡者は彼らを探して、森の中を駆け回っているのだろう。また発見されるのは時間の問題だ。それまでに少しでも持ち直さねば、とナツメグは深呼吸を繰り返した。
キュリオスの魔法が機能すれば、あの程度の敵を撃破する事も容易かったのだろうが。相手はじゃんじゃん魔法を使って来るのに、こちらは身一つで対処しなければならないというのは、凄まじく面倒くさい。
事前にそれを知っていれば、もっと攻撃アイテムなんかを溜め込む事も出来たのに。常備していた分はとうに使い果たしてしまったし、後どれ程保たせられるだろうか。
(……いや、『保つか?』じゃない。『保たせる』んだ)
いつの間にかすっかり弱気になっていた心に、彼は喝を入れた。回復薬はまだ有るし、キュリオスも魔法が使えないからといって即座に案山子になるタマではない。
残る武器は二本の短刀と己の肉体、それとキュリオスの頭脳のみ。盤石ではないが十分だ。ナツメグは二刀を握る手に力を込めなおすと、目を細め青黒い宵闇を見通した。
「なつめぐ」
ふと、キュリオスの囁き声がした。敵が来たのだ。マップを覗き込んでその配置を確認した後、彼女のハンドサインを合図に駆け出す。
間もなく、先ほどまで二人が居た辺りが爆破された。爆風を追い風にしながら、包囲の薄い所を突いて抜けようとする。
立ち塞がる二体のドロイドに対し、まずナツメグが武器を持っている手を素早く蹴り上げた。間髪入れず、キュリオスが蛇の尾で相手の足を払う。
武器を落とされ、バランスを崩した敵の隙を突いて、二人はその横を駆け抜ける。すぐに立ち直った敵が追いかけて来るが、地形を利用して撒こうと試みた。
だが敵は一体どうやってか引き離した筈の味方と連絡を付け、瞬間移動を利用して再び包囲を形成してくる。やはり誰にも見つからないように抜けなければ包囲からの脱出は無理か、とナツメグは歯噛みした。
(どうすべきだ……)
この戦闘が始まってから、もう10分は経っただろうか。残りは5分前後──それだけ生き残れれば、勝てる。
しかしどんなに終わりが見えていても、状況の悪さが変わるわけではない。さて次は如何にして切り抜けるか、とキュリオスに目配せしたその瞬間、不意に首の後ろ辺りがビリビリとした。
「キュリオスッ!!」
叫び、彼女の手を取り、飛び退く。瞬間、一帯に魔力の矢が殺到した。フレンドリーファイア上等といった量の魔法の嵐は、二人の戦術眼と機敏さを以てしても凌ぎきれないモノであった。
懸命に直撃を避けながら逃れようとするが、隠れる余裕も無いから敵にこちらの位置が丸見えで、故に逃げても逃げても魔法の飽和攻撃が追いかけて来る。転移は先ほど使ってしまったし、このままでは致命傷を負うのも時間の問題だ。
「──ィ、イ、ァアァァ……ッ!!」
駆ける中、キュリオスが妙な声を上げる。悲鳴か、力んでいるような声に聞こえるそれは、やがて一つの言葉を紡ぎ上げた。
「守、れッ!!」
放たれたその言葉が大気を震わせる。するとその想いに呼応したかのように、地面の土が盛り上がってドーム状の防壁を形成した。防壁はただの土とは思えない強度で、降り注ぐ魔法の雨を阻んだ。
「キュ、キュリオス……これは、一体……」
「魔法そのものが封じられたわけではない。翻訳機との交信が絶たれただけ。それに寄りかからず出来るのならば、可能」
要するに、これまで魔法の発動を補助していたモノが無くなってしまったけれど、魔法自体は無くなったわけではない。故にその補助無しで魔力を操る事が出来れば今でも魔法を使える、という事だろうか。
翻訳機とは一体何なのか、どうやったら魔法が使えるのか、疑問は尽きなかったが、後回しでいいだろう。すっかり役立たずだったMP回復のポーションを飲みながら、鬼気迫る無表情でキュリオスは結界の維持を続ける。
「これはどれくらい保つ?」
「……後40秒」
額に球のような汗を浮かべながら、彼女は答えた。いくら魔力を通わせ強化していても、元が土塊では強度も知れたものなのだろう。
それに、慣れない手法での魔法行使はやはり負担がかかるようで、MPと精神力の消耗が激しいようだった。ナツメグは頷き、彼女の身を横抱きにして持ち上げる。
「今だ、解除!」
「ん」
ナツメグの号令が発せられた刹那、土のドームが崩落した。キュリオスを抱いた彼は、その土煙を突っ切って、魔法攻撃の暴風の中を駆け抜ける。
掠った矢が服に切れ込みを入れ、薄い切り傷を残してゆく。二本のコードは両方とも半ばで千切れてしまった。後どれ程逃げれば良い、と疲弊に茹だった頭で考え始めた辺りで、右脚のふくらはぎに攻撃が直撃してしまった。
「がァッ!?」
衝撃と痛みに脚をもつれさせ、彼は転んでしまった。ギリギリキュリオスが怪我をしないよう身を捻って庇う事に成功したが、思いっきり体勢を崩してしまった。まずい、と思った次の瞬間、左肩が撃たれる。
「ぎッ、ギ……」
最悪だ。いよいよ年貢の納め時か、と彼は軽く目を伏せる。今から立ち直ろうとしても、きっと敵が追いつく方が先だろう。それに、脚の方の中り所が悪かったようで、足先の感覚が痺れてしまっている。走るのはもう無理だ。
「なつめぐ」
呻く彼に、キュリオスがふらふらと立ち上がりながら声を掛ける。そして数歩分敵の居る方に這いずると、両腕を広げて何やら瞑想し始めた。
「生きて屍を晒すより、死して記憶に残る方を選びたいんだ」
「……あ、アンタ、何を」
「願わくば、来世でもあなたの元に」
そう言い放ち、彼女は一瞬こちらを振り返った。疲労の滲むその顔の口元が、ほんの少し引き上げられているのを、ナツメグは確と認めた。
そして彼は全てを悟る。彼女が一体何をしようとしているのかを。
「──キュリオス! 馬鹿な事は止めろッ!!」
そんな必死の制止も聞かず、彼女は魔法を行使した。全身全霊で以て展開された光輝く防護結界が、降り注ぐ全ての攻撃を阻む。
文字通り捨て身の覚悟で発動された魔法は、とても強固な守りとなったが、同時にキュリオスの魔力だけではなく生命まで奪っているようだった。急速に減少してゆく彼女のHPゲージに、ナツメグは脚を引きずりながらそちらへ駆け寄った。
「キュリオス、ありったけの回復薬を使え! 死んで花実が生るものか、頼む、ワタシを置いて行かないでくれ!!」
「……ん」
極限の集中状態に在る彼女の為に、彼はその口元へせっせと薬を運ぶ。相手も焦り始めているのか、暴力的な魔法の烈風が更に勢力を増すが、純粋な遮断の力場は揺るがず二人を守り続けた。
後数分程度だろうか。残りの回復薬もたっぷりというわけではない。間に合え、と祈りながら、彼は対応を続けた。
イーアイレアの片隅。運良く破壊されずに残った民家にて、フュールは他の市民に紛れて避難し震えていた。
「魔法が使えれば……」
「どうして、こんな」
「私は善良な市民だったのに」
「死にたくない、死にたくねぇよお……」
ぼそぼそと、静寂を恐れた人たちが呟いている。死の恐怖の淵を臨んでいる今正気を保つ為には、沈黙を続けたくないのだろう。戦いとは無縁の生活を送ってきた者にとっては、尚更だ。
家主の厚意により、逃げ延びて来た者に開放されたこの家であるが、度々地響きや流れ弾に晒され、大分屋台骨が揺らいできている。それでも誰も逃げようとしないのは、壁と屋根が有る場所で安心していたいからだろうか。
フュールもそうだ。エルフは狙われないという事は分かっているが、巻き添えにされないというわけではないらしく、これまで多くのヒューマンやエルフが建物の倒壊や広範囲攻撃に巻き込まれて死ぬのを目にしてきた。
奴らの目的はあくまで『魔物』を殲滅する事であり、そうでない者の安全は二の次であるらしい。殲滅対象の者に確認された頭痛や吐き気などの症状は彼には顕れていなかったが、全く安心等出来なかった。
(けど、生き残らなければ……アージェンさんに失望されてしまいます)
ここなら壁が有るし、最悪の場合の肉壁もいっぱい居る。魔法が使えなくても、常人よりは戦闘慣れしているから、生き延びられる目は有る。作業用の小さなナイフが懐に有る事を確かめながら、彼は魔法書をぎゅっと抱き締めた。
アージェンは今どうしているのだろう──その思考に彼女を心配する気持ちが一切宿らないのは、彼女を不死不滅の象徴として崇拝する心が根底に有るからだろうか。
「大丈夫……大丈夫……」
生き残れれば、必ず迎えに来てくれる。そしてまた気ままな冒険の旅を続けるのだ。それを希望に、彼は叫び出したい程の恐怖を堪えようとした。
「ママー、何だか楽しいねっ! みんなでキャンプみたいっ」
「……そうね、そうかもしれないわね」
「けど、パパはどうしちゃったのかな? きゅーに怖い顔になって、どっか行っちゃって……」
「大丈夫よ、パパもきっとすぐに合流するわ。沢山走って疲れたでしょう? ほら、お休み……」
「うんー、分かったー!」
現状を理解していない子供の能天気な声を小耳に挟みながら、彼は魔法書の背表紙を撫でる。魔法さえ使えれば、もっと安全な場所を作れるのに。
願わくば、無事に生き延びられますように。それから、アージェンが恙無く生還してくれますように。徐にモノクルのレンズの汚れを拭いながら、彼は黙祷した。




