93:lo ranmi cu fanmo
大いなる神樹ベネトナシュの恩恵の元に在るエルフの国・アルファルドでは、やっぱり異常事態が起きていた。
首都ヒドレの中心地に在る大樹にぐるぐると巻き付く大蛇は、土着の守護神と崇められている、ベネトナシュの白蛇だ。数週間前に出現して以来、彼の神はずうっとそこに蜷局を巻いている。
顕現した当初は敬虔な信徒が狂喜乱舞したり、興奮し過ぎた最高権力者の長老が危篤になって先日亡くなったりしたが、その内人々も慣れて気にしなくなってしまった。新たな竜や空を飛ぶ人影が増えても、それを風景の一端と捉えるようになったのだ。
いつの間にか自ら光を発する程になった神樹を見上げながら、アルファルドの民は今日も変わらぬ日常を過ごす。頭上を飛び交う人外の者に気をくれる事も無く、ただ目の前だけを見て生きてゆく。
平穏の終わりがすぐそこに迫っているとも知らぬまま。
壮観だ。これほどの同胞たちが一堂に会するのだなんて、生まれて初めてかもしれない。高い風に白い三つ編みを揺らしながら、彼女はベネトナシュの樹に集ったはらからたちを見渡した。
「1000年の眠りは……長かったのか、短かったのか……」
自分たちが顕現すら出来なくなって、最後まで残っていた彼女も眠りに就いてから、ほんの一瞬過ぎただけのように思える。だが、イーアイレアもアルファルドも、これまで見て来たどの国も、見る影も無く様変わりしてしまった。
人の在り方も大きく変わった。ヒューマンと同等、あるいはそれ以上の立場に立つようになったドロイドたち。すっかり人種の一つとして溶け込んだ魔物ども。それから──“えあると”。
歪曲した時空と枯れた自分たちを癒すため、随分と他の歪みを許容してしまった。だがそれもこれで終わる。11日後に展開される予定の、“いどのす”とウィナンシェ旧人類による、最後の共同戦線によって。
「わたしを拾い上げてくれたあいつらも、わたしに酷い事をしたあいつらも、今は皆等しく土の下、か……」
旧人類に1000年の時を生き延びられる者は無い。だから、覚悟はしていた。だけども、きっと自分が目覚めた時には笑顔で迎えてくれるのだ、と何処かで期待していたのかもしれない。
だが現実は残酷だ。そんな夢想が叶う筈も無く、彼女を迎えたのは友の子孫で、広がっていたのは衰退した世界だった。変わらないのは、同胞たちくらいか。
「レイ」
不意に、隣に佇む半身が声を発した。自らの名を呼ばわる声に、彼女は顔を上げる。ややぎこちのない表情をしているのは、顔が全部有る状態が久しいからだろう。
「何かあった?」
「みんなガ集まッタ。『王』亡キ今、音頭を取ルのはレイしか居ナい」
「ああ……そうだね、レア。我らが『竜王』様も、もうすぐ復活するんだけど……それまでは、もう少しだけわたしが代理だ」
人型を象る者、竜の姿で佇む者、もっと別の変化をしている者。多種多様の姿と魂を持つ同胞らへと、レイは向き直る。
この世界樹冬眠計画の“いどのす”側の代表として、また竜と人との架け橋として仲間たちを引き続けた彼女に、皆の注目が集まっている。そのプレッシャーを凛と真っ向から受け止めながら、彼女は口を開いた。
「同胞たちよ! 長い、永い眠りの時は今終わった! 残るは最後の後始末──それにより我らが母なるウィナンシェは正常に戻り、後顧の憂いが今度こそ消えて無くなるのだ!」
テレパシーで一気に意思伝達をする事も可能だが、ちゃんと演説を聴かせた方がテンションの上昇度が高い。腹の底から声を出して、全ての同胞に想いを届けんと彼女は続ける。
「……思えば長かった。冷たくて熱い海を漂い、時には時空の介在さえ赦されぬ狭間を駆け抜けて幾星霜。我らが父はやっとの想いでこの星に辿り着いた。
だのに、漸く掴んだ輝きさえも、死にかけだった。自らの在るべき姿も、無窮の苦難の意味すらも忘れて、過ごした無為の時も長く。
それが、やっと終わるのだ。塵となった友の上に、数多の魔物の屍を積み上げ、歪曲の世界を正す。そして今度こそ、わたしたちの物語を始めよう!!」
高らかに思いの丈を語りながら、レイは右手で拳を作り、天高く掲げる。金色の瞳に熱情を宿して、彼女は諭すように檄した。
「その為に、殺せ。この星に蔓延る全ての魔物を殺せ。
蹂躙する必要も無い、苦痛を与える必要も無い──ただ、速やかに殺せ。
徹底的に殺害せよ。一匹残らず殲滅するのだ。
この世を不法に占拠する不届きなる種族どもを殺せ。
人々を脅かすモンスターどもを殺せ。
我らの力を盗み取る不遜な“えあると”どもを殺せ。
これは戦争ではない。我らの生存を賭けた闘争である」
静かに、言い聞かせるように、ただ殺せと唱える。同胞たちの表情は殆ど変わっていないが、しかしその心が熱を持ち始めている事が、一部共有されている精神から伝わってきた。
「──皆! 殺ソう! 生きル為に!!」
レアの援護射撃。それを皮切りに、集っていた“いどのす”たちが唱和し始めた。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「殺そう! 殺そう! 殺そう!」
「こ、殺せ! 殺せ! 殺せッ!!」
「正せ! 正せ! 世界を正せ!」
「一つの終幕と新たな始まりを! 我らの物語の始まりを!」
大合唱となった殺意の叫びと共に、常規を逸した熱狂が渦を巻く。レイの煽動にあえて乗り、自らのモチベーションを確認する同胞たちを眺めながら、彼女は荒く息を吐いた。
『竜王』という絶対者が居ない今、同胞の意志をしっかりと統一するには、こういうアナログな手法をとらざるを得ない。恥ずかしいし、出来ればこれっきりにしたい所だ。
ビリビリと空気が震撼する中、彼女はもう一度思いっきり息を吸い、吶喊する。
「皆で手を取り合い、我らの全身と全霊を以て立ち向かおう! そして試練を乗り越え、新たなる楽土へと至らん!
苦難の意味を取り戻し、狂った世界を正し、我らを信じて託してくれた異種族の友の為に! 成し遂げよう!!」
場のボルテージが最高潮に達する。お祭りだ、と何処か暢気に意気込む者や、聖戦だ、と使命感に燃える者等々、様々な種類の気迫がこもってゆく。
ほろり、と頬を温い液体が伝った。どうやら、自分も相当興奮しているらしい。もしくは、今になって寂寥が溢れ出して来たのか。
(追善合戦、って所かな)
死者は何も望まない、望めない。だが、彼らが最期までそれを望んでいた事は確かだ。ならば手向けに最善の結果を捧げるのみである。
「……では、手筈通りに」
〆の言葉を静かに放つ。それを合図に、同胞たちが銘々飛び立ったり姿を消したりしていくのを、彼女は見送った。
そんな中、ふとレイは一人の同胞の姿に目を留めた。真っ黒な影のような姿をした背の高い男は、狂騒の香りに酔う事すらせず、目を閉じたまま佇んでいる。
(あんな奴、居たっけ?)
同胞の姿かたちは全部覚えている筈だ。だのに、彼の姿には心当たりが無い。一言も発する事無く姿を消す彼の居た場所を見つめながら、レイは頭を捻る。
眠っている間に新しい者が生まれていたのだろうか。そんなケースは発生確率が低過ぎるので意識の外だったが、そう考えるとそれらしい記憶が浮かび上がる。どういう偶然か“いどのす”の元に辿り着いた“えあると”に、好奇心から同胞を付けたような記憶が。
「数奇だな……」
「レイ?」
「七割成功する事は割と失敗するけど、思いもよらぬ所で小数点以下の確率を引く事も有るんだね、って事」
「……アア。彼カ。コノハズク、と名乗っテいるらしイが」
心すらも共有する“いどのす”たちの中に在って、彼の心はこちらには深く閉ざされ読み取る事が出来ない。一体彼は生まれてから何を見、何を思ったのか──興味は尽きない。
とはいえ、その好奇心を満たすのは後でだ。レイはレアと目配せをし合い、それぞれ行動を開始した。
十一章はここまで。




