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DIVINE DELIVERANCE  作者: 藤山理想


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9/10

9#Xmas Xrossroad

 それは、一週間後に予定していたクリスマス会の準備をしていた、よく晴れた昼時のことだった。


 事務所の机の上には、色とりどりのオーナメントや小さなクリスマスツリーの飾りが広がっている。私は事務所に遊びにきていたオクと一緒に、「クリスマスとはなにか」を熱心に説明していた。家族や大切な人と過ごす特別な日なんだよ、と教える私に、オクは不思議そうにしながらも楽しそうに頷いていた。


 そんな穏やかな空気を破るように、事務所のドアが静かにノックされた。

「はーい、どうぞ」

 私がドアを開けると、そこには見知らぬ女性が立っていた。明らかに一般人の雰囲気を持ったその人の登場に、予期せぬ探偵への依頼の訪れを予感して胸が少し跳ねる。

「こんにちは。どうぞ、中へお入りください」

 私は努めて落ち着いた声を意識しながら、彼女を室内のソファへと案内して座らせた。記憶喪失の青年であるオクは、突然の来客に警戒しているのか、あるいは興味津々なのか、私の後ろをぴったりと付いてまわっている。


 ソファに腰掛けた女性を改めて観察する。年齢は三十前後だろうか。落ち着いた雰囲気の黒髪ショートカットに、品のある小綺麗な格好をしていて、いかにも仕事のできそうな少し大人びた女性に見えた。

 女性は事務所を見回したあと、私に視線を戻して口を開いた。

「あなたが、こちらの探偵さんですか?」

「はい。所長代理の坂東心春と申します」

 私はあらかじめ用意してあった、黒い背景に「BlueMonday」のロゴと電話番号だけがシンプルに書かれた名刺を取り出し、丁寧に手渡した。

「まあ……お若いのにすごいですね」

 女性は名刺を受け取ると、少し驚いたように丸い目を見開いた。高校生にしか見えない私が所長代理を名乗ったのだから、無理もない反応だ。

「いえいえ、これでも一通りの仕事はこなしていますから」

 私は探偵っぽさを意識して少し格好をつけた風に返してみた。ロキが見ていたら鼻で笑われそうだけれど、依頼人を不安にさせないためのハッタリも時には必要だ。


「失礼いたしました。私、鈴木真夕と申します」

 女性――真夕さんは背筋を伸ばし、丁寧にお辞儀をした。私もそれに応じて、しっかりと頭を下げる。

「実は、調べて欲しいことがあってこちらに伺いました……」

 真夕さんは少し声を落とし、真剣な面持ちで話し出した。その間も、オクは私の後ろから真夕さんの顔をじーっと不思議そうに見つめ続けている。野生動物のようなその視線に気づいているのかいないのか、真夕さんは小さく息を吸い込むと、意を決したように核心を切り出した。

「私の、婚約者のことです」

「ご結婚されるんですね」

 私がそう言うと、真夕さんの表情がぱっと華やいだ。

「はい。実は、来週に式を挙げる予定なんです」

 本当に幸せそうな笑顔だった。見ているこちらまで温かい気持ちになってくる。


「おめでとうございます!」

 私は嬉しくなって、胸の前で小さく拍手をした。すると、私の背後にいたオクもそれにつられるようにして、パチパチとぎこちなく拍手をし始める。真夕さんは少し照れたように「ありがとうございます」と微笑んだ。

 おめでたい話なのは間違いない。けれど、そんな幸せの絶頂にいるはずの彼女が、わざわざ探偵事務所の門を叩いたのだ。


「それでお相手の方に、何かあったんですか?」

 私は少しトーンを落とし、本題へと切り込んだ。

「はい……最近、彼の様子がどこかおかしいんです」

 真夕さんの顔からさっきの輝きが消え、一気に暗い影が落ちた。

「どんな風にですか?」

「私を避けるような仕草をしたり、明らかに挙動不審だったりして……。でも、何かあったのって聞いても、いつも『なんにもないよ』って誤魔化すんです。私に言えないような何かを隠しているみたいで……」

 真夕さんはとても悲しそうな表情を浮かべ、俯いてしまった。

「だから、式を前にして彼に何が起きているのか、何かを隠しているのではないかを調べてほしいんです」


 顔を上げた真夕さんは、縋るような目で私を真っ直ぐに見つめた。

 私はそんな真夕さんの顔をじっと見つめ返した。その瞬間、私の鼻腔がわずかな違和感を捉える。気のせいじゃない。彼女の身体から、ほんのりと、けれど確実にあの忌まわしい「落神」の匂いが漂っていた。


 ただの浮気調査やマリッジブルーの相談じゃない。この依頼の裏には、落神が絡んでいる可能性がある。一般人である彼女をこのまま放っておけば、取り返しのつかないことになるかもしれない。この依頼は、私が絶対に受けなきゃダメだ。


「お任せください! しっかり調査しますね!」

 私は不安を吹き飛ばすように、ポンと胸を叩いて元気よく微笑んだ。

「ありがとうございます……! よろしくお願いします」

 真夕さんの顔に、ようやく少しだけ安心したような明るさが戻った。その横で、オクはまだ何かを感じ取っているのか、真夕さんの顔をじっと真剣な目で見つめ続けていたけれど、彼女が怖がらないように私はそっとオクの肩を叩いて宥めた。


 それから、真夕さんのお相手の名前や勤め先、最近の行動パターンなど、調査に必要なあらかたの情報を詳しく教えてもらった。一通りの聞き取りを終えたあと、お互いの連絡先を交換する。

「また調査が進んだら、すぐに連絡しますね」

 そう言って私が送り出すと、真夕さんは何度も頭を下げながら、事務所を後にしていった。ドアが閉まり、再び静かになった室内で、私は手元のメモに書き留めた婚約者の情報をじっと見つめ、これからの作戦を練り始めた。


「善は急げ、だよね」

 そう自分に言い聞かせ、私は翌日の高校の帰り道、真夕さんの婚約者が勤めているという会社へ向かうことにした。さすがに一人で尾行や張り込みをするのは少し心細かったから、昨日から何かを気にする様子だったオクも誘って一緒に連れてきている。


 会社の入り口が見渡せる少し離れた通りで、私たちは通行人の邪魔にならないように立ち並び、他愛のない話をするフリをしながらその時を待った。

 十七時を少し回った頃、オフィスの自動ドアからスーツ姿の会社員たちがどっと吐き出され、それぞれの帰路へと着き始める。


「心春さん、あれ」

 私の服の袖をオクが小さく引いた。彼の驚異的な視力が、人混みの中から目的の男性を瞬時に見つけ出してくれた。

 私も手元の携帯で預かっていた写真を取り出し、彼の指差す先を確認する。間違いない、真夕さんの婚約者――鈴木正樹さんだ。

 けれど、写真で見た優しそうな笑顔とは裏腹に、実際の彼はまるで何日も徹夜を重ねたかのようにひどく疲れ切った顔をして、力なく足を引きずるように歩いていた。


 このまま気付かれないように後ろを付けて、何か異常事態が起きないか様子を見るのが探偵のセオリーかもしれない。けれど、あまりにも彼の顔色が悪く、今にも倒れてしまいそうなほど不安な様子だったため、私は回りくどいことは抜きにして直接会話を試みることに決めた。


 足早に距離を詰め、彼の背中に向かって声をかける。

「あの、鈴木正樹さん……ですよね?」

 オクも私のすぐ後ろにぴったりと寄り添い、静かに見守ってくれている。

 声をかけられた正樹さんは、びくりと肩を震わせて振り返った。ひどいクマの浮き出た目で私たちを見ると、特に疑う風でもなく、染み付いた習性のようにぺこりと頼りなく頭を下げた。

「あの、鈴木真夕さんのことで少しお話があるんですが、今、お時間大丈夫ですか?」


 私が真夕さんの名前を出した瞬間、正樹さんは弾かれたように目を見開いた。驚愕と、それから何かを恐れるような怯えの表情がその顔を駆け抜けていく。彼は喉を何度か鳴らしたあと、消え入りそうな小さな声で「……はい」とだけ返事をした。


 私たちは近くにあった落ち着いた雰囲気の喫茶店へと移動し、奥のボックス席に腰を下ろした。

 席についてすぐ、私は自分が「BlueMonday」という探偵事務所のもので、真夕さんから彼の様子を心配して調査を依頼されたことを、誠実に、かつ手短に自己紹介として伝えた。

 やがて注文した三人分の飲み物がテーブルに届き、コーヒーの香りがふわりと香り、店内の喧騒が少し遠のいたように感じられた頃、私は核心に触れる質問を投げかけた。


「正樹さん。最近、何かおかしなことや、普段と違う変わったことはありませんでしたか?」

 正樹さんは机の上のコーヒーカップを両手で包むように握りしめていたけれど、その指先は小さく震えていた。彼は一度深く、重いため息を吐き出すと、濁った瞳をゆっくりと私に向けて、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 しかし、その口から語られた内容があまりにも、常軌を逸した恐怖に満ちていたため、聞き手である私は相槌を打つことさえ忘れ、完全に言葉を失ってしまった。


 それが、昨日までの出来事だった。

 そして今日。十八時に「BlueMonday」の事務所へ、鈴木正樹さんと真夕さんのお二人で来てもらうようにアポをとっていた私は、オクと一緒に静まり返った部屋でその時間を待っていた。

 いつもなら、オクと他愛のない世間話をしたりして賑やかに過ごしているはずだ。

 けれど、今の私にはどうしても明るく言葉を交わす気になれなかった。昨日、喫茶店で正樹さんの口から語られたあの悍ましい告白が、今も耳の奥で生々しくこびりついて離れない。


 オクも私の沈んだ空気を察しているのか、それとも彼なりに何かに警戒しているのか、窓辺にぼんやりと佇んだまま、冷たい冬の景色が広がる外をじっと見つめている。


 私は安楽椅子に深く腰掛け、ただ時計の針が刻む音だけを聴きながら、約束の時間をじっと待っていた。部屋の隅にある小さなクリスマスツリーの飾りが、今の重苦しい空気とは対照的で、余計に胸を締め付ける。


 十八時を少し回る前、静寂を破るように、コンコンと控えめな音がドアを叩いた。

 張り詰めていた身体を強引に動かし、私はソファから立ち上がって入り口へと向かう。ドアを開けると、そこには昨日よりもさらに顔色の悪い正樹さんと、そんな彼の腕を不安そうに支える真夕さんが立っていた。


「お待ちしてました。どうぞ、中へ入ってください」

 私は努めて穏やかな声を意識しながら、二人を温かい室内へと迎え入れた。

 お二人は、昨日とは打って変わって酷く緊張した面持ちのまま、並んでソファへと腰掛けた。

 私はロキの安楽椅子から移動し、お二人の対面にあるソファに座る。オクは何も言わず、けれど私の決意を支えるように、スッと私のすぐ後ろに立って静かに見守ってくれた。


 重苦しい沈黙が部屋を満たす。私は手元で硬く握りしめていた拳を、そっと膝の上で開いた。

「単刀直入に言いますね」

 私は、胸を締め付けられるような言いにくさを必死に堪えながら、昨日、正樹さんの口から語られた残酷な真実を、目の前の女性へと紡いだ。

「鈴木真夕さん。あなたは……一か月前に、事故で亡くなっています」

「え……?」

 真夕さんは一瞬、私が何を言ったのか理解できないというように、呆然と、驚いた顔をした。そして、隣に座る最愛の婚約者へと視線を向ける。


「正樹……? どういうこと、これ……何かの冗談、だよね?」

 真夕さんに縋るように名前を呼ばれた瞬間、これまで必死に感情を押し殺していた正樹さんの目から、堰を切ったようにボロボロと涙が溢れ出してきた。彼は顔を覆い、ただ激しく肩を震わせて泣き崩れることしかできない。

 その涙が、私の言葉が紛れもない事実であることを、何よりも雄弁に物語っていた。


 真夕さんの顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。私は胸の痛みを堪え、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、決定的な事実を静かに、けれどはっきりと告げた。

「あなたは……人間ではありません。真夕さんの『生きたい、正樹さんと結婚したい』という強い未練か、あるいは正樹さんの『失いたくない』という深い哀しみから生まれた……落神です」

「おちがみ……?」

 真夕さんは、初めて耳にするその奇妙な言葉を不思議そうに呟いた。自分の白い両手のひらを見つめ、それからもう一度、私へと視線を戻す。


「私はすでに死んでいて……人間では無い、ということですか?」

「……そうです」

 私は胸をえぐられるような痛みを覚えながらも、現実から目を逸らさせないために、しっかりと力を込めて頷いた。

「だから……正樹の様子が変だったんですね」

 真夕さんは合点がいったというように、静かに、そしてどこまでも優しい眼差しで隣の正樹さんを見つめた。


 一ヶ月前、最愛の婚約者を事故で亡くした正樹さんの前に、何事もなかったかのように彼女は現れたのだ。最初は奇跡が起きたと狂喜乱舞したかもしれない。けれど、日が経つにつれて彼女の身体から放たれる僅かに感じる異様な気配、そして彼女を「人間ではない」何かだと感じる恐怖に、正樹さんは精神を擦り減らし、怯え、けれど彼女への愛ゆえに拒絶もできず、ただ一人で苦しみを抱え込んでいたのだ。


「ごめんな……ごめんな、真夕……っ!」

 正樹さんは顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら、絞り出すような声で、何度も、何度も謝罪を繰り返していた。真実を隠し、彼女を恐れてしまった自分を責めるように。

「そっか……私、あなたをずっと苦しめていたのね。ごめんなさい……」

 真夕さんは静かに俯いた。その綺麗な瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちて、彼女の膝の上を濡らしていく。


「真夕……! 真夕、違うんだ、俺は……っ!」

 正樹さんは耐えかねたように、真夕さんの細い身体を横から強く、壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめた。真夕さんもまた、彼の背中にそっと愛おしそうに手を回す。

 二人の痛々しいほど純粋な愛の形を前にして、私はただ、じっとそれを見つめることしかできなかった。


 私の左内ポケットの中には、いつも通り冷たいグロックが収まっている。

 引き金を引けば、彼女をこの世界から消し去ることは容易い。けれど、こんなにも互いを想い合い、涙を流している彼女を、ただ「落神だから」という理由だけで機械的に消していいとは、どうしても思えなかった。


 でも――このままでは彼は過去に囚われたまま、決して前へ進むことはできない。

 正樹さんのため、そして、真夕さん自身のために、私はどうするべきなのか。正解の見えない問いの前に、私の心は激しく迷い、揺れ動いていた。


「探偵さん。ありがとうございました」

 真夕さんは涙を拭うと、意を決したようにソファからゆっくりと立ち上がった。その隣で、正樹さんも彼女の手を握りしめたまま、引きずられるようにして立ち上がる。

「私は……ただの偽物だったかもしれない。だけど」

 真夕さんは愛おしそうに正樹さんを見つめ、その濡れた頬にそっと手を添えた。

「正樹を愛していた気持ちに、嘘はなかったよ。本当に、幸せだった」

「真夕……」

 真夕さんは正樹さんの胸の中へ、吸い込まれるように静かに飛び込んだ。正樹さんは、二度と彼女を離さないとばかりに、その細い身体を壊れるほど強く、強く抱きしめる。


 消さなければいけない。けれど、銃弾で傷つけて終わらせるような結末は、絶対に間違っている。

 過去に縛られない為に。正樹さんが未来に進められるように。

 私は意を決して、二人のもとへと一歩を踏み出し、そっと立ち上がった。そして、正樹さんの胸に顔を埋める真夕さんの背中へと、私の右手を優しく置いた。


 私の中に眠る、神の寵愛の力。それを意識の底から引き出し、手のひらへとじわりと集めていく。私の手から溢れ出た温かな光が、真夕さんの身体を包み込むようにして、淡く、優しく輝き始めた。


 銃はいらない。彼女の未練を、その存在ごと優しく包み込んで還してあげるんだ。

「愛してる、正樹」

 真夕さんは、彼の鼓動を確かめるように小さく呟いた。

「俺も……俺も愛してる、真夕……っ!」

 正樹さんの震える返事が終わるか終わらないかの、その一瞬のことだった。

 真夕さんの身体は、光の粒子となって静かに、そして美しく空へと溶けていった。

 腕の中の確かな温もりが消え去り、彼女が着ていた品のある小綺麗な服だけが、音もなく床へと崩れ落ちる。

 そこには、もう落神の気配は一切残っていなかった。


 真夕さんの服を大切そうに腕に抱え、涙の跡が残る顔で、正樹さんは最後まで私に「ありがとうございました」と何度も何度もお礼を言って、夜の街へと帰っていった。

 ドアが静かに閉まり、事務所には元の静寂と、私とオクの二人だけが残された。


 私は糸が切れたように脱力し、安楽椅子に深く腰掛けた。少し前までそこにあったはずの、切なくも温かい光の余韻が、冷え切った部屋の空気の中にまだ微かに残っているような気がした。


 オクは窓辺からゆっくりとこちらへ歩み寄ると、私の傍らで立ち止まり、静かに聞いてきた。

「あの人は……何か悪いことしたの?」

 彼の純粋な瞳が私を見つめている。私は膝の上で硬く拳を握りしめ、喉の奥から絞り出すようにして、静かに答えた。

「……してない。誰も、何も悪いことなんてしてない」


 私の答えを聞いたオクはそれ以上何も言わず、再び重い静寂が私たち二人を包み込んだ。

 どれくらいの時間が流れただろう。部屋の隅で小さく明滅するクリスマスのイルミネーションを眺めていたオクが、ぽつりと、独り言のように呟いた。

「あの二人は……助かったのかな」

「……わからない」

 そう答えるのが精一杯だった。

 言葉を発した瞬間、視界が急激に歪んだ。一度溢れ出した涙はもう止まらなくて、私は顔を両手で覆い、安楽椅子の上で声を上げて泣いた。





 今年のクリスマスは平日だったこともあり、私たちはイヴの夜に集まってパーティーをすることに決めた。

 会場について荒波さんに相談してみたところ、「それは面白そうですね! 是非、三葉を貸切にして派手にやりましょう!」と、いつもの穏やかな笑顔で快く応じてくれたのだった。


 実を言うと、私が三葉を訪れるとき、自分以外のお客さんの姿をほとんど見かけたことがない。だからわざわざ貸切にしなくても普段の店内とあまり変わりがないのでは、なんていう余計なことが一瞬頭をよぎったけれど、荒波さんの粋な計らいを前にそんな野暮な言葉は口が裂けても出さなかった。


 パーティーの当日。私たちが事務所で色々と頭を悩ませながら作ったクリスマスの飾り付けは、荒波さんの手によってお店のあちこちにセンス良く綺麗に配置されていた。

 落ち着いた和風の店内に、色鮮やかなオーナメントや上品なガーランドが不思議とマッチしていて、どこか隠れ家のような特別な空間が出来上がっている。

「へえ、すごいな。あそこのランプの飾り方とか、すごく綺麗だ」

 一緒にやってきたオクは、店内に施されたクリスマスの飾りに感心したように視線を巡らせていた。どこか人懐っこく少し可愛い雰囲気を纏った彼が、嬉しそうに目を細めてキョロキョロと店内を見回している。

「ふふ、頑張って作った甲斐があったね。オク、今日は美味しいものをたくさん食べてね」

「うん、楽しみにしてる。心春さんもいっぱい食べなよ」

 オクは私に視線を戻すと、少しはにかむような優しい笑みを浮かべて頷いた。


 そんな私たちの会話に応じるように、キッチンの奥からは、お肉の焼けるジューシーな音と一緒に、なんとも言えない香ばしくていい匂いがふわりと漂ってきた。荒波さんが腕によりをかけたクリスマスならではの特別な料理の気配に、私の胸は期待で自然と高鳴っていった。


「少し早かったかしら?」

 澄んだ声と共に、お店の引き戸が開いてレイラさんが入ってきた。

 驚いたことに、今日の彼女はいつものビシッとしたグレーのスーツ姿ではない。柔らかい素材のニットにスマートなロングスカートを合わせた、カジュアルでありながら洗練された大人のお洒落な私服に身を包んでいた。

「レイラさん! すごい素敵です! いつもと雰囲気が違ってめちゃくちゃ綺麗!」

 私が思わず興奮気味に服装を褒めちぎると、レイラさんは少し頬を染めて、困ったようにクスッと笑った。

「もう、やめてよ。お世辞を言っても、用意してきたプレゼント以外は何も出ないわよ?」

 そう言って彼女が掲げた手には、綺麗にラッピングされたいくつかの袋が握られていた。

 ちょうどその時、料理の区切りがついたのか荒波さんがキッチンから顔を出した。

「レイラ様、お久しぶりです。本日はお越しいただきありがとうございます。どうぞ、お好きな席に座ってお待ちください」

 荒波さんは相変わらずの丁寧な一礼で行き届いた挨拶を済ませると、すぐにまた賑やかな音が響くキッチンへと戻っていった。


 レイラさんがオクの隣の席へと腰掛け、お互いに「こんばんは」と軽く挨拶を交わしていると、再び入り口の戸が勢いよく開いた。

「おぅ、メリクリー!」

 特大のテンションの高さと共に現れたのは、十二月だというのに相変わらずド派手なアロハシャツを羽織った金髪のシンヤさんだった。そして、そのすぐ後ろには、対照的に酷く居心地が悪そうな、少し不機嫌そうな顔をした冬華ちゃんが立っていた。

「シンヤさん! 冬華ちゃんも来てくれたんだね、いらっしゃい!」

 私が嬉しくなって声をかけると、シンヤさんは白い歯を見せて豪快に笑った。

「おうよ! gimletの近くを冬華が暇そうに歩いてたから、クリスマスに一人飯は寂しいだろってことで連れてきたわ!」

「勝手に拉致されただけです」

 冬華ちゃんはシンヤさんを鋭い目付きで睨みつけると、ため息混じりに小さく呟いた。

「……私は、ただご飯を食べにきただけですから。勘違いしないでください」

 そう静かに告げると、彼女は私たちから少し離れたカウンターの端の席へと真っ直ぐに向かい、すとんと腰掛けた。相変わらずツンとした態度だけれど、こうして声をかけて断らずに付いてきてくれたことが、私は嬉しくてたまらなかった。


「これで全員集まったのか? あの、お嬢ちゃんが仲良くなったとかいう男は呼ばなかったのか?」

 シンヤさんはカウンターの冬華ちゃんの隣の席へと陣取ると、背もたれに腕を回しながら私に話しかけてきた。

 彼が言っているのは、きっとコンビニでバイトをしている翔吾のことだろう。

「 今日は予定があってダメだったから、これで全員です」

 私がそう答えると、隣のテーブル席でオクと話をしていたレイラさんが、敏感にその言葉に反応して弾かれたように顔を上げた。


「ちょっと待ちなさい、なになに? なんで私の知らない心春ちゃんの男の情報を、あんたが先に知ってんのよ!」

 レイラさんはシンヤさんをキッと睨みつけながら、少し声を荒らげた。心春のことは私が一番よく知っているはず、という彼女のプライドに火がついてしまったみたいだ。

「 これからは俺がお嬢ちゃんの新しい保護者枠ってことだな!」

「はあ!? 冗談じゃないわよ、あんたみたいなアロハ男に保護者が務まるわけないでしょ!」

 シンヤさんが豪快に笑い飛ばすと、レイラさんはますますムキになって反論する。そんな二人の賑やかなやり取りを、冬華ちゃんは心底呆れたような目で見つめ、オクは楽しそうにクスクスと笑っていた。


 その時、タイミングを見計らったようにキッチンから荒波さんが現れた。その両手には、綺麗に磨かれたガラスのグラスと、冷えたシャンパンのボトルが恭しく抱えられている。

 もちろん、まだ未成年である私と冬華ちゃんはアルコールは飲めないので、私たちの前には色鮮やかな特製のフルーツジュースが注がれたグラスが置かれた。大人の三人には、シュワシュワと心地よい音を立てて黄金色のシャンパンが注がれていく。


 全員の前にグラスが行き渡ったのを確認すると、荒波さんはトレイを小脇に抱え、いつものようににっこりと優しく微笑んだ。

「さて、温かいお食事をお出しする前に、まずは皆様で乾杯といたしますか」

「よし、それじゃあ乾杯するか!」

 シンヤさんが大きな身体を揺らしながら威勢よく立ち上がり、グラスを高く掲げた。それに合わせるようにして、冬華ちゃんもどこか気恥ずかしそうにしながら、ゆっくりと自分のグラスを持ち上げる。


 レイラさんはといえば、もう待ちきれないといった様子で、早く飲みたそうな目をらんらんと輝かせながら黄金色の泡を見つめていた。その隣で、オクもグラスの中でシュワシュワと綺麗に弾ける炭酸の泡を、新奇なものを眺めるような愛らしい目で楽しそうに見つめつつ、私と息を合わせてグラスを掲げている。

「メリークリスマス!」

 シンヤさんの音頭に合わせて、みんなでグラスを静かに、けれど心地よい音を立てて合わせ合った。


 私も自分のグラスに口をつけ、特製のジュースを一口含む。その瞬間、いちごやマスカットの芳醇で甘いフルーツのいい香りが、鼻の奥へと一気に広がっていった。

「お待たせいたしました。まずは前菜からどうぞ」

 荒波さんが絶妙なタイミングで、キッチンから出来立ての料理を少しずつ運び出してきた。お皿の上には、崩してしまうのが勿体無いほど色とりどりに盛り付けられた前菜が並んでいて、見るからに美味しそうだ。

「うわあ、荒波さん、これ本当に綺麗ですね!」

「おいおい、最高じゃねえか!」

 料理が並んだことで、席の空気はさらに一段と華やいでいく。オクもレイラさんもシンヤさんも、そしていつもは仏頂面の冬華ちゃんですら、美味しい料理を前にして、みんな本当に楽しそうに言葉を交わし、笑い合っている。

 賑やかで、温かくて、誰も傷つかない優しい空間。


 私はみんなの笑顔を視界の端に収めながら、賑わうその場からそっと少しだけ離れ、店の窓際へと歩み寄った。

 窓の外に広がる裏路地は、店内の喧騒とは対照的に、冷たい冬の夜の闇の中に静かに佇んでいる。街灯の光が、凍てつくアスファルトを白く照らしていた。

 窓ガラスに映る自分の顔を見つめながら、私は誰にも聞こえないほどの小さな、掠れた声でぽつりと呟いた。

「いいもんでしょ? クリスマスって」

 もちろん、暗い裏路地からも、静かな店内からも、私の言葉に対する返事は何も無かった。

 でもきっとこんな返事をしてくれるんだ。

「ああ、そうだな」って。

 呆れたように、けれどどこか嬉しそうに私の頭を撫でながら笑い返してくれる、そんな優しい顔がはっきりと浮かんでいた。

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