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DIVINE DELIVERANCE  作者: 藤山理想


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10/10

10#Facing Fate

 新しい一年が始まったというのに、私の周りには誰もいなかった。どこまでも静まり返った冬空の下、私は目的地に向かってのんびりと歩みを進めていく。


 冬の空気はどこまでも冷たく澄んでいて、カラッと晴れ渡った青空からは容赦のない寒さが突き刺さるように身に染みる。けれど、薄手のダウンジャケットが、冷気から私の身体をしっかりと守ってくれていた。


 神戸岩までの道のりは、歩いても歩いても辿り着かないほど果てしなく長いような気もするし、それでいて、手を伸ばせばもうすぐそこまできているような、奇妙で不思議な錯覚を覚える。


 一歩一歩、踏みしめるように。

 ゆっくりと、本当にゆっくりとではあるけれど、目的地に近づいてきていた。

 やがて、視界の先に見覚えのある景色が広がっていく。


 ごつごつとした岩肌、生い茂る木々、そしてあの日、思い出が刻まれたあの空間。

「……こんなところだったな」

 目の前に現れた景色をじっと見つめながら、私はぽつりと呟いた。溢れ出してくる様々な思いを胸に抱きながら、私はただ、その静寂に包まれた景色に深く思いを馳せていた。


 目的の場所には、少し大きめの岩がポツンと置かれていた。

 誰かが手向けた花が残っているわけでもない。ただそこに佇むだけの、何の変哲もない岩。飾りっ気のない、けれどどこか厳かな空気が漂うだけの場所。


 私はその岩の前に、ゆっくりと腰を下ろした。冷たい地面の感覚がダウンジャケット越しに伝わってくる。

「来るの、遅くなっちゃってごめんね」

 岩の表面をそっと撫でながら、私は小さく声をかけた。

 上着の懐に手を入れ、あらかじめ用意しておいたものを取り出した。真っ黒なパッケージのタバコ『DEATH』。それから、使い古されたライター。


 それらを、ロキの墓標の代わりである岩の上に、そっと並べて置いた。

「あんまり、吸いすぎちゃダメだよ」

 岩の上に置かれた黒い箱をじっと見つめていると、どこからか、煙草の煙の匂いと、彼がいつも浮かべていた不器用な笑みを思い出す。


「何から話そうかな……」

 私は膝を抱え、岩を見つめながらぽつりと呟いた。話したいことは山ほどあったはずなのに、いざとなると言葉がうまくまとまらない。


「レイラさんはね、いつもと同じで相変わらず元気だよ。最初のほうは、ロキさんがいなくなって本当に寂しそうだったけどね」

 彼女の姿を思い出しながら、私は少しだけ悪戯っぽく笑った。


「シンヤさんは、ちょっと変わったかな。たぶんロキさんがいなくなって、強がる相手が一人減っちゃったからかもしれない。最近はね、私以外の人の前でも、結構素のままでいるように感じるんだ。前よりもちょっとだけ、雰囲気が柔らかくなった気がする」

 私は岩の前の、冷たく乾いた地面にそのままストンと座り込んだ。お気に入りのダウンジャケットが汚れることなんて、今の私にはどうでもよかった。


「JINさんは……うーん、あの人はあんまり変わらないっていうか、相変わらず何を考えてるのかよくわかんないや」

 そこまで話して、私は少しだけ視線を落とした。

「結局……公安には入れてもらえなかったんだよね、私」

 自嘲気味に、寂しそうに笑う。


「あ、そういえばさ! 近畿支部で、私と同い年くらいの女の子と仲良くなったんだ」

 その子のことを報告したくて、私は言葉を続けた。

「冬華ちゃんっていうんだけどね。すっごい強いの。トレンチコートを着て、ベレッタとワルサーの二丁拳銃をバンバン操るんだよ。あの強さを見ちゃうと、確かに私が公安に入るのはまだ無理だったのかなって、ちょっと納得しちゃった」

 戦い振りを思い出しながら、私は言葉を続ける。


「でもね! あれから私、たくさんの落神を倒してきたんだよ!」

 誇らしさと、ほんの少しの甘えを込めて、私の声が自然と弾む。

「超再生する落神とか……あと、鎌を持った変な落神とか。本当に色んな奴がいたんだから」

 激闘の日々を懐かしむように遠くを見た。

「結構ギリギリの戦いも多かったけどね。でも、こうしてなんとか生きてるよ」

 満面の笑顔で胸を張ってみせた。少しは成長した私の姿を、褒めてほしいという気持ちを込めて。


「ロキさんみたいに、百年も落神を追い続けるなんてことは、私には逆立ちしたって無理だと思う。だけど……まだもうちょっとだけ、この世界で頑張ってみるからね」

 ダウンジャケットの上から、懐に眠る愛銃のグロックをそっと右手で押さえた。


「あ、そういえばさ。黒木翔吾って人、知ってる?」

 不意に思い出した男の顔が脳裏をよぎり、私は尋ねてみた。

「なんかね、ロキさんの過去のことを色々と調べてるみたいなの。今は私の学校の近くのコンビニで、にバイトしてるんだけど……もしロキさんの知り合いだったんなら、先に教えておいてほしかったな」

 まったく、人騒がせなんだから。私はクスッと小さく笑いながら、岩の上に置かれた真っ黒な『DEATH』の箱を、愛おしそうに指先でツンと突いた。


「きっと、まだまだ話せなかったことなんて、いっぱいあったんだろうね……」

 私は力無くに微笑んだ。

「あ、そうだ。イヴの日にね、みんなでクリスマス会をやったんだよ。荒波さんのお店を貸切にしてさ。やっぱり、クリスマスっていいもんだなーって、心からそう感じたよ」

 みんなでグラスを合わせて笑い合った、つい先日の温かい夜を思い出して、私の口元が自然と綻ぶ。


「さて。いきますか」

 私は重い腰を上げて、ゆっくりと立ち上がった。ダウンジャケットとズボンについた乾いた地面の土や汚れを、パッパッと両手で丁寧に払い落とす。


「またね、相棒」


 岩に向かって短くそう告げると、私は一度だけ深く息を吸い込み、神戸岩を後にした。

 帰りの道のりは、行きよりもどこか短く感じられた。頭の中を空っぽにしたまま、私はぼんやりと元来た道を歩いていく。


 やがて見えてきた寂れたバス停で、ちょうどやってきた駅行きのバスへと乗り込んだ。

 お正月ということもあって、車内はガラガラに空いている。私は中央あたりの誰もいない席を選んで、すとんと腰掛けた。

 窓の外に広がる冬の景色は、相変わらず凍てつくように寒そうだ。


 無機質な音を立てて前後のドアが閉まる。

 ゆっくりとバスが発車し、窓の外の景色が少しずつ、後ろの方へと流れ始めていく。

 バスは静かに走り出していた。




 その夜。私は、とても不思議な夢を見た。

 視界のすべてがぼんやりとした真っ白な空間。地面があるのかさえ怪しく、自分が地に足を乗せて立っているのか、それとも宙にふわふわと浮いているのかさえ判然としない、奇妙な感覚に包まれている。


 上も下も、右も左も、世界の境界線がどこにも無い。

 あ、これ、夢だな。

 自分の置かれた状況に、私は冷めた頭でそう思った。夢特有の、どこか他人事のような思考だ。


 このまま何も無い空間でぼーっと佇んでいても仕方がない。そう思い至った私は、ひとまず足を進めてみることにした。

 歩いても、歩いても、周囲の景色は一向に変わる気配を見せない。どこまでも、どこまでも、ただ純白がゲシュタルト崩壊を起こすように地平の彼方まで続く、果てのない風景。


 不意に、耳の奥へ滑り込んでくるものがあった。

 小さな小さな声。本当に細くて、今にも消えてしまいそうな掠れた声。意識をそちらへ向け、極限まで集中していないと、風の音と見紛って聞き流してしまうほどにか細い声だった。


 ――消えたくない


 その声が、どこから響いているのかは分からなかった。頭上からなのか、足元からなのか、あるいは自分の内側からなのか。

 私はさらに神経を研ぎ澄まし、その声の主を探ろうと耳を澄ませる。


 ――助けて


 はっきりと、そう聞こえた瞬間。

 視界が強烈な光に弾け、次の瞬間には、見慣れた探偵事務所の自室の天井が目に飛び込んできた。


「……夢、か」

 私は寝返りを打ち、大きく息を吐き出した。嫌にハッキリと詳細まで覚えている夢だった。心臓の鼓動がいつもより少しだけ速い。そして、妙に喉の渇きを覚えた私は、重い身体を引きずるようにしてベッドから這い出た。


 水分を補給しようとキッチンへ向かう途中で、机の上に置いてあった携帯を手に取り、画面で時間を確認する。表示された時刻は、深夜の二時を回ったところだった。


 こんな真夜中に目が冴えてしまうなんて。そう思ったまさにその時、手の中で携帯が激しく震え、静まり返った部屋に電子的な着信音が鳴り響いた。

 液晶画面に映っていたのは、オクの名前だった。

 こんな非常識な時間に電話を掛けてくるなんて、絶対に普通じゃない。

 胸の奥をざわつかせる嫌な予感を抱えながら、私は急いで通話ボタンをスライドさせた。








 BAR「gimlet」の店内は、いつもと同じように静まり返っていた。

 しかし、漂っている空気はいつもとまったく違う。シンヤも朝倉冬華も、私と同じようにカウンターの椅子に腰掛けていたけれど、新年の挨拶を交わすような呑気な雰囲気は微塵もなかった。肌を刺すような、張り詰めた緊張感が場を満たしている。


 カウンターの奥に佇むJINの目つきも、いつもより一段と鋭く、冷徹な光を宿していた。

 JINはグラスを磨く手を止めると、静かに口を開いた。

「神の子の観測に進展があった」

 その言葉が落とされた瞬間、元々重かった場の空気が、さらにずっしりと鉛のように重くなったような気がした。


「神の子の力が、ここへきて急速に強くなってきている。近いうちに必ず、この世界への誕生が確認されるはずだ」

 現実のものとしてこの世界に現れようとしている。その事実の重みに、私は思わず小さく息を呑んだ。隣に座る冬華の横顔も、心なしかいつもより険しさを増しているように見える。


「……そんで、俺らはどうすればいいんだ?」

 それまで黙って話を聞いていたシンヤが、いつものお調子者の仮面を完全に脱ぎ捨て、真剣極まる眼差しでJINを真っ直ぐに見据えて問いかけた。

「誕生が確認され次第、神の子を殺す」

 JINは短く、しかし冷徹で、有無を言わせぬ絶対的な響きを伴った声でそう答えた。

 彼の瞳には一切の躊躇いがなく、それが公安としての最終決定であることを示していた。神の子という存在を完全に排除する。その言葉の持つ凄惨な響きに、店内の温度が一度下がったような錯覚さえ覚える。


「……近畿支部は、それで納得してんのか?」

 シンヤは視線をわずかに動かし、隣に座る冬華に問いかけた。いつもはシンヤに対して冷淡な冬華も、今回ばかりは冗談の通じる空気ではないことを察している。

「近畿支部も同じ結論に至りました。神の子の誕生は人類の生態系そのものを崩壊させかねない。リスクは事前に摘むべき、というのが近畿支部の意向です」

 冬華は感情を一切交えない、酷く事務的で冷たい声で答えた。

「珍しいわね、関東支部と近畿支部の話が最初から合うなんて」

 私は手元のグラスを見つめたまま、ボソッと呟いた。別に皮肉を言いたかったわけでも、場を茶化す悪気など微塵も無かった。ただ、いつもなら縄張り争いや方針の違いで反発し合うはずの両者が、これほど迅速に同じ残酷な結論でまとまったことに、本気で驚いていたのだ。


「全支部が同意見だ」

 JINが私の呟きに短く返答した。

「それだけ恐れているということだ。これから生まれようとしている、稀代の厄災を」

 誰も言葉を返さなかった。静まり返った空間の重苦しさに、まるで鼓膜が圧迫されて耳が痛くなるような、そんな妙な錯覚に囚われる。

 世界を揺るがすかもしれないその標的の存在に、私たちは確実に巻き込まれようとしていた。


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