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DIVINE DELIVERANCE  作者: 藤山理想


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7/10

7#Seeking Sense

「よう。久しぶりだな」

 差し出したお菓子のバーコードを読み取っていた目の前のコンビニ店員から、不意にそんな風に声をかけられた。


 最初は、全く誰だか分からなかった。『黒木』と書かれた名札をパッと見て、それから整った彼の顔をじっと見つめる。ストレートの黒髪からぼーっとした目を覗かせている。


 記憶の引き出しが急速にひっくり返り、いつぞやのピンチの時に私を助けてくれた、あの「翔吾」という男の人だと気づいた。

「え? 心春ちゃん、知り合い? ……まさか彼氏!?」

 私の隣にいたまきまきが、待ってましたとばかりに目を輝かせ、え?誰?誰?と私の顔と彼の顔を交互にしきりにキョロキョロと見比べながら騒ぎ始めた。


 正直に言うと、ここ最近はいろいろなことがありすぎて、この人のことなんて完全に頭から忘れていた。ロキさんを調べていたあの翔吾が、まさか私の通う高校のすぐ近くのコンビニで、こうして店舗の制服を着て働いていたなんて、驚きを通り越して一瞬頭が真っ白になる。


 季節は進み、あれほど頭を悩ませていた文化祭も無事に終わりを迎えた、10月ののんびりとした放課後のこと。今日の部室でのお茶会で食べるお菓子でも買いに行こうと、オカ研の部長であるまきまきと一緒にこのコンビニにふらっと立ち寄っただけだったのに、まさかレジの店員が彼だなんて、どんな巡り合わせなのだろう。

「袋いる?」

 翔吾は私の動揺など露知らず、淡々とした手つきでレジ袋を広げながら尋ねてきた。

「あ、はい。お願いします」

 私はできるだけ普段通りの声を装って返事をしたけれど、隣に立つまきまきの視線が痛い。彼女は私の表情と翔吾の振る舞いを、まるで面白いドラマでも見るかのようにじーっと観察している。さっきの挨拶のせいで、二人の間に何かあるのではないかと勘繰っているのは明白だった。


 ようやく会計を済ませ、さっさとこの場を離れようと背を向けた、その時だった。

「今日の夜、連絡するから」

 背中越しに、翔吾の低い声が聞こえた。

 え? と思い、足を止めて思わず振り返る。けれど、彼はすでに次のレジ待ちのお客さんの接客へと意識を向けており、私と言葉を交わす余地は残されていなかった。一体何の用があるのか。疑問が渦巻くけれど、忙しそうにレジを打つ彼の背中には、もう話しかけられそうになかった。


 コンビニの自動ドアを抜け、外のひんやりとした放課後の空気に触れて一息つく間もなかった。

「さて、心春ちゃん!部室でゆっくりお話ししようじゃないですか!」

 肩にまきまきの腕がぐいっと回され、私はその勢いに逆らえずに引きずられていく。彼女はさっきの出来事が面白くてたまらないといった様子で、興味津々に目を輝かせていた。

 あぁ、面倒なことになった。心の中で大きくため息をつきながら、私は逃げ場のない部室へと連行されていくしかなかった。


 部室に戻った後は、買ってきたお菓子を広げながら、まきまきと香織による容赦のない尋問会が幕を開けた。

 どうやら最近、学校の近くにあるあのコンビニに、新しくイケメンの店員が入ったと生徒の間で密かに噂になっていたらしい。まさかそれが翔吾のことだったなんて。

 しかも、その噂の彼が私の知り合いだったというのだから、恋バナに飢えている二人がこれを見逃すはずもなかった。

「で?いつから付き合ってるの!?」

「あのお顔は絶対に心春のタイプでしょ!」

 次から次へと浴びせられる質問の嵐に、私はただただ圧倒されるばかりだった。

「本当に彼氏じゃありません!」

「付き合っていませんってば!」

 そんな言葉を、文字通り二十回は繰り返したところで、ようやく二人は「ちぇー、本当につまんないの」と肩を落として信じてくれた。嘘は言っていないのだけれど、ここまで誤解を解くのにエネルギーを使うとは思わなかった。

 二人が楽しそうにお菓子をつまみながら別の話題へ移っていくのを見ながら、私は心のどこかでホッとしていた。

 ただ翔吾が言っていた「今日の夜連絡する」という言葉が、頭の片隅でずっと小さなトゲのように引っかかっていた。





 時計の針はすでに夜の11時を回っていた。ソファに腰掛けたまま、私は押し寄せる猛烈な眠気と必死に戦っていた。ウトウトと頭が揺れ、油断すると勝手に閉じていってしまう瞼を、気力だけでなんとかこじ開ける。


 連絡すると言うから健気に待っていたのに、一向に通知が鳴る気配がない。もう限界だし寝てしまおうか、と諦めて立ち上がろうとしたその時、ローテーブルの上のスマートフォンがぶるぶると震え、着信の合図を始めた。


 やっとか……、と半分呆れながら画面をタップし、耳に当てる。

「ごめん、待った?」

 受話器の向こうから聞こえてきたのは、こちらの状況なんてお構いなしの、どこまでもマイペースな翔吾の声だった。

「めっちゃ待ちました」

 少しだけトゲを混ぜてそう返したけれど、翔吾はその嫌味を綺麗にスルーして、淡々と核心の言葉を続けた。

「神殺しの相棒の力を借りたい」

 耳に飛び込んできた予想外のワードに、私の頭から一気に眠気が吹き飛んだ。神殺し。それは間違いなく、ロキさんのことだ。驚きを隠しきれないまま、私は声を潜めて問いかける。

「……誰から、それを聞いたんですか?」

 どこでその情報を手に入れたのか、問い詰めたかった。けれど、翔吾は私の疑問には一切答えず、ただ自分の要求だけを突きつけてくる。

「今から行ける?」


 私は内心で大きなため息をついた。この人はもしかして、他人の質問に答えるという会話の基本が苦手な人なのかもしれない。こちらの都合も、質問も、すべて置き去りにして話が進んでいく。

「準備するので、ちょっと待っててください」

 諦めてそう伝えると、翔吾は短く「バイクで迎えに行くから」とだけ告げ、こちらの返事を待たずに一方的に電話を切ってしまった。ツーツーという非情な電子音が室内に響く。


「はぁ……」

 誰もいない部屋で、今度は隠すこともなく大きなため息を吐き出した。

 それでも、彼がわざわざ私を頼ってきたということは、それだけ切羽詰まった事態が起きている証拠だ。

 私は急いで自室のクローゼットを開け、体を動きやすく保護してくれる戦闘服へと着替えた。カバンの中から愛銃であるグロックを取り出し、腰のホルスターへと確実に収める。さらに引き出しを開け、予備のマガジンを数本掴むと、上着の内ポケットへと滑り込ませた。

 カチャリ、と金属の冷たい感触が体に馴染む。準備を終えた私は、再びソファに深く腰掛け、静かにバイクのエンジン音が近づいてくるのを待った。


 しばらく待っていると、静まり返った夜の底から、重低音のエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。

 私はソファから腰を上げ、クローゼットの奥でしばらく出番を失っていた赤のフルフェイスヘルメットを掴み、外へと踏み出した。


 建物の外に出ると、案の定、翔吾がバイクから降りて立っていた。低く不気味に響く排気音が、張り詰めた夜の空気をビリビリと震わせている。そのシルエットは、アメリカンの大型クルーザーを思わせる、どっしりとした落ち着いた車体だった。


「それで、どこに行くんですか?」

 私は歩み寄りながら、単刀直入に尋ねた。

「山だな」

 翔吾は相変わらず、短くそれだけを答える。

 どこの山なのか、そこで何があるのか。おそらくこれ以上質問を重ねたところで、まともな会話にはならないだろう。そう察した私は、深く追及するのを諦めて小さく息を吐いた。

「じゃあ、行きましょうか」

 私が諦めてそう言うと、翔吾は自分の黒のフルフェイスを頭から被り、無言のままバイクにまたがった。

 そして、シートの後ろの席を手のひらでポンポンと軽く叩き、乗れと促してくる。

 私も持ってきた赤のフルフェイスをしっかりと被って、彼の後ろの席へと乗り込んだ。加速の衝撃で振り落とされないよう、翔吾の腰のあたりにしっかりと掴まる。

 彼がスロットルを回すと、さらに激しくエンジンが吹け上がり、大型バイクは夜の闇を切り裂くようにして目的地へと走り出した。迫り来る冷たい夜風を感じながら、私はこれから向かう未知の戦場に向けて、ヘルメットの中で表情を引き締めた。


 街の灯りがすっかり遠ざかり、代わりに深い闇と不気味な静寂が辺りを支配していた。どこかもよく分からない、完全に街の喧騒が消え失せた山道。


 翔吾はバイクを静かに路肩に停め、カチャリとフルフェイスのヘルメットを脱いだ。ここが目的地なのだと察した私も、同じように赤のフルフェイスを取り、シートから足を下ろして地面に降り立った。夜の山の空気はひんやりと冷たく、肌を刺すようだ。

「こっち」

 短くそれだけを告げると、街灯も届かない暗い森の奥へと向かってゆっくりと歩き出した。

「どんな落神なんですか?」

 私は彼の少し後ろ、横に並ぶような位置につけながら、これから戦うことになる相手について尋ねた。相手の特性を知っておかなければ、グロックの弾を無駄にするだけになってしまう。

「殺しても殺しても、起き上がってくる」

 前を見据えたまま、翔吾の低い声が返ってきた。

「復活するってことですか?」

「超再生って感じ」

 相変わらずの短い返答だったけれど、その言葉の意味するところは重かった。どれだけ致命傷を与えても、瞬時に肉体が修復されてしまうのだろう。

 なんとなくだけれど、自分の力だけではどうしてもその落神を倒しきれなかったから、翔吾は私の力を借りに来たということなのだろう。そう勝手に納得することにした。これ以上細かく理由を聞いたところで、どうせこの人はまともに答えてくれなさそうだったから。


 ふと彼の横顔から視線を落としたとき、私は翔吾の背中に奇妙なものが括り付けられていることに気がついた。いつの間に背負ったのか全く分からなかったけれど、それはどう見ても、ただの無骨な一本の鉄パイプだった。

「もしかして、翔吾さんの武器って……それなんですか?」

 私は思わず、信じられないといった口調で尋ねていた。

「そう。さっき拾ってきた」

 翔吾は表情一つ変えず、事も無げに淡々と答える。

 彼は落神を倒しながら各地を転々としている、という話を聞いていた。だから私は、てっきり彼が何か特別な神刀や、異能の込められたすごい武器でも持っているのだと勝手に思い込んでいた。

 まさか、その辺の工事現場にでも転がっていそうな鉄パイプで戦っていたなんて。そんなもので本当に超再生の落神に対抗できるのか、急に目の前の相棒が心許なく見えてきて、私の胸に少しだけ不安がよぎった。


 けれど、そんな私の疑問を遮るように、突如として周囲の空気がじっとりと重く変化した。

 肌を刺すような、吐き気を催すほどの不快な気配。落神を引き寄せる私の体質が、すぐ近くに致命的な災厄が潜んでいることを告げていた。間違いない、すぐそこにいる。

「着いた」

 翔吾が足を止め、短く呟いた。

 彼の視線の先には、うっそうと茂る木々の隙間に、ひっそりと佇む古びた廃小屋のような建物が見えた。周囲の草木は不自然に枯れ果て、そこだけが世界の異物のように浮き上がっている。


 私は上着に手をかけ、ホルスターからグロックのグリップをしっかりと握り締めた。

 古びた小屋の暗がりの奥から、不気味な気配と共に、ぬるっと滑り出るようにして大男が姿を現した。

 その身長は人間離れして大きく、百八十センチメートルは軽く超えているように見える。月光を浴びたその肌はどこか青白く、生きている人間の生気を全く感じさせない。大男は私たちの存在に気づくと、翔吾の姿を認め、まるで払っても払ってもつきまとってくる鬱陶しい羽虫でも見るかのような、不快げな歪んだ表情を浮かべた。


 尋常ではない敵の威圧感を前にして、私はすぐさま上着を払い、腰のホルスターからグロックを鋭く引き抜いた。銃口を大男へと向け、トリガーに指をかけ、引き絞ろうとしたまさにその瞬間のことだった。


 目の前で、凄まじい風切り音が響く。

 私の横にいたはずの翔吾が、人間技とは思えない圧倒的なスピードで地を蹴り、大男に向かって一瞬で飛びかかっていた。その手には、あの無骨な鉄パイプが握られている。

 翔吾は容赦なく鉄パイプを振り抜き、大男の頭部を真横から思いきりぶん殴った。

 鈍く重苦しい衝撃音が森の静寂をぶち壊す。

 大男の頭が不自然な角度に折れ曲がり、肉と骨がひしゃげて頭部の形が完全に変わってしまうほどの強烈な一撃だった。


 並の人間なら即死、通常の落神であっても確実に怯むはずの致命傷。そのまま地面へと崩れ落ちていく大男の巨体を見届けようとした私の目は、信じられない光景を捉えていた。

 地面に倒れ込むそのわずかな一瞬の間に、ひしゃげていた大男の頭部が、まるで時間を巻き戻すかのようにドロドロと蠢き、元の形へと完璧に戻っていくのがはっきりと見えたのだ。文字通りの超再生だった。

「……こんな感じ」

 鉄パイプを肩に担ぎ直した翔吾が、何事もなかったかのように平然と振り返り、私に向かって淡々と説明した。


 この再生スピードは本当に厄介だ。並の攻撃をただ繰り返しているだけでは、いつまで経っても埒が明かない。

 頭部を潰されても倒れない大男の様子を確認した翔吾は、深追いすることなくバックステップで落神から距離を取り、再び私の横へと並んだ。

「どうする?」

 息一つ切らさずに、翔吾がこちらに意見を求めてくる。

「何か、再生を司っている核みたいなものを見つけますか?」

 私がグロックを構えたまま問いかけると、視線の先では大男の落神がゴキゴキと不気味な音を立てて首を回し、まるで肩を慣らすような動作を見せていた。

 完全にダメージが抜けている。

 少しの間、翔吾は無表情のまま考え込んでいたが、やがて短く言った。

「それもいいけど、見つからなかった時、面倒臭い」

 その答えを聞いて、私は内心で首を傾げた。見つからなかったら面倒臭いって、一体何がどう面倒臭いのだろう。この状況で効率を求めているのか、それともただ探すのが億劫なだけなのか、彼の基準がさっぱり分からない。

「畳み掛ける。合わせて」

 翔吾はそれだけを告げると、私の返事を待たずに、再び獰猛な獣のような速さで落神へと向かって飛び出していった。


 相変わらずどこまでもマイペースな人だ、と心の中で呆れながらも、私はすぐさま意識を切り替えて銃口を落神の巨体へと固定する。


 大男が丸太のような腕を振り回し、凄まじい風圧とともに襲いかかる。しかし翔吾は、その致命的な一撃をまるで予期していたかのように紙一重のステップで躱し、肉薄しては鉄パイプで肉を削り、骨を砕いて応戦していく。

 無骨な鉄パイプを振るう彼の動きは、荒々しいのに無駄がなく、どこか洗練された舞踏のようでもあった。


 彼の動きを邪魔しない絶妙なタイミングを見計らい、トリガーを引き絞った。

 夜の森に乾いた銃声が響き渡る。放った弾丸が落神の身体を穿ち、再生のプロセスを一瞬だけ阻害して動きを鈍らせる。翔吾はその銃撃が重なったまさにその瞬間、ピンポイントで同じ箇所に強烈な打撃を叩き込んだ。


 落神が怯み、攻撃を避ける。すかさず私が次の銃撃を放ち、肉を抉る。そこへすかさず翔吾の鉄パイプが容赦なく追撃を加える。

 避ける、銃撃、そして打撃。


 打ち合わせも何もない急造のコンビのはずなのに、私たちの攻撃はまるで美しく構成されたワルツのように、完璧なタイミングで噛み合い始めていた。


 カチャリと軽い金属音が響き、弾倉が空になったマガジンが地面へと落ちる。私は視線を落神から外さないまま、上着の内ポケットから新しいマガジンを引っ張り出し、素早くグロックへと装填した。スライドが戻る鋭い音と同時に、すぐさま次の弾丸を放つ。

 夜の静寂を切り裂く銃声。


 攻撃は一瞬の隙も作らず、絶え間なく落神を追い詰めていく。銃撃で肉体の再生が遅れた場所へ、翔吾の容赦ない打撃が正確に叩き込まれ、大男の巨体は徐々にその形を維持できなくなっていった。

「再生スピードが落ちたな」

 激しい立ち回りの最中、翔吾が容赦なく鉄パイプを落神の脇腹へと叩き込みながら、淡々とそんなことを言った。


 言われてみれば、私の目から見ても落神の肉体の復元が若干遅くなっているのが分かった。抉れた肉が盛り上がる速度が、明らかにさっきより鈍い。


「弾丸、あともうちょっとしかないですよ」

 私は落神の不気味な巨体から一切狙いを外さないまま、残りの装弾数を頭の中で計算して鋭く告げた。予備のマガジンも残り少ない。このまま泥泥仕合になれば、こちらがジリ貧になるのは目に見えていた。

「じゃあ、頑張らないとな」

 私の焦りとは裏腹に、翔吾は事も無げにそう言葉を返してきた。

 今までは頑張っていなかったのかと声を大にしてツッコミたくなったけれど、ここで無駄な口論をして集中力を切らすわけにはいかない。私は内心の動揺を抑え込み、ひたすら無心を貫くことに決めた。


 カチャリと乾いた音を立てて、再度空になったマガジンが地面へと弾け飛ぶ。すぐさま最後の手持ちとなる新しいマガジンをグロックへとセットした。スライドを引いて弾薬を薬室へと送り込む。

 容赦なく弾丸を撃ち込み、その隙を突いて翔吾が歪んだ鉄パイプを力任せに打ち据える。

 一瞬の呼吸すら与えない、激しい連撃がどこまでも続いていった。


 さらに追撃を加えるために次のマガジンへと交換しようとした、その時だった。

 目の前で、大男の輪郭が不自然に歪んだ。超再生の限界を迎えたのか、大男の身体が急速にボロボロと崩れ、サラサラとした灰になって夜風に溶けていくのが見えた。


 新しいマガジンをカチリと銃身に収めながら、目の前の空間に完全に気配が消え失せ、戦いが終わったことを静かに確認した。周囲を覆っていたあのじっとりとした不快な空気も、嘘のように霧散していく。


 ふと横を見ると、翔吾がそれまで手にしていた鉄パイプを視線の中に捉えた。激しい打撃の応酬のせいで、鉄の棒はあちこちが歪み、完全にボコボコに変形してしまっている。彼はそれを興味なさそうにその場へ放り捨てると、足元に転がる灰を一瞥し、こちらに向かってゆっくりと歩いてきた。

「ありがとう、助かった」

 翔吾の顔には、相変わらず大きな感情の揺れはなかった。

「帰ろっか」

 落神の灰が完全に消え去るのを見届けると、翔吾はそれだけを言い残して、早くもバイクの停めてある方へと歩き出した。本当に切り替えの早い人だ。


 私も小さく息を吐き出し、グロックをホルスターへと収めて彼の後ろに続いた。

 静まり返った夜の山道を二人で並んで歩く。カサカサと乾いた葉を踏み締める音だけが響く中、翔吾が前を向いたまま不意に口を開いた。

「ロキって人も、心春くらい強かったの?」

 この人は本当に、なんの前触れもなくこちらの心を揺さぶるような質問を投げかけてくる。

「私なんかよりも、ずっと強かったですよ」

 かつて私の目の前で、圧倒的な強さで敵を蹂躱していたロキさんの姿が脳裏をよぎる。あの背中を越えたくて私は今こうしているのだ。

 私の静かな答えに対して、翔吾からの返事は無かった。納得したのか、それとも何か別のことを考えているのか、彼の横顔からは何も読み取れなかった。


 その後はもう、余計な会話は一切なかった。

 再び大型のバイクにまたがり、夜の冷たい風を全身に浴びながら、私は探偵事務所「BlueMonday」の入るビルの前まで送ってもらった。

 エンジンのアイドリング音が静かに響く中、ビルの前でバイクを停めた翔吾が、フルフェイスのシールドを上げ。私を見つめて聞いてきた。

「また、連絡してもいい?」

 突然の夜襲の相棒に指名されるのは少し御免だけれど、彼のどこか憎めない真っ直ぐさは嫌いではなかった。私は少しだけ悪戯っぽく微笑んで返事をした。

「ご飯奢ってくれるなら、いいですよ」

 その条件を聞いた瞬間、翔吾は今まで見せたことのないような表情になり、初めてクスッと小さく笑った。

「わかった」

 短い返事が夜に溶け込む。


 バイクの横に佇む翔吾の視線を背中に感じながら、私はビルの階段をトントンと上がっていく。重い扉を開けて我が家である事務所に帰り着くと、どっと一気に疲れが押し寄せてきた。

 時計の針はもう深夜のいい時間だ。

 さっさと寝て、明日の学校に備えないと、翔吾から夜に連絡が来ることを知っているまきまきたちに何を言われるか分からない。私はカバンを置きながら、明日という一日のことを考えて、小さく笑った。





 翔吾は、心春の小さな背中がビルの階段の奥へと消えていくのをじっと見送っていた。彼女の足音が完全に聞こえなくなるのを見届けてから、ゆっくりと視線を上げ、夜空を仰ぎ見る。


 新宿の街の灯りに遮られた空はどこか白んでおり、ぽつぽつと遠慮がちに輝く星々は、彼の地元と比べると随分と遠く感じられた。

 手を伸ばせばそれだけで掴めそうなくらいに、無数の光が満天に狂い咲いていた地元の美しい星空。あの圧倒的な夜の闇と光のコントラストを思い出し、翔吾はヘルメットを抱える腕に少しだけ力を込める。

「黒木翔吾」

 背後から、低く鋭い声が響いた。バイクのエンジンをかけようとしていた翔吾は、その動きを止めて声のする方へとゆっくり振り返る。


 そこに立っていたのは、トレンチコートを羽織った、制服姿の見覚えのある女の子だった。彼女の冷徹な瞳が、暗がりのなかで翔吾を真っ直ぐに射抜いていた。

「坂東心春に近付くなといったはずだ」

 感情の起伏を一切感じさせない声で、女の子は告げた。

「一般人のあなたでは危険過ぎるという事がわからないのか」

 特異点と深く関わることへの警告。

 翔吾はそんな彼女の姿を、感情の読み取れない瞳でぼーっと見つめる。


「俺の好きにするさ」

 ただそれだけを言い放つと、翔吾は会話を打ち切る。再びまたがったバイクのエンジンをかけ、セルを回すと、重低音のエンジン音が夜の静寂を乱暴にぶち壊す。

 スロットルを大きく開け、大型クルーザーは猛然と加速していく。テールランプの赤い光を残して、深い夜の街の中へと消え去っていった。

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