木下 栄次郎
◆槐
ワシが班長になったばかりの頃だった。ある日、班の中で唯一の女性メンバーの山蘭が、事務所に入ってくるなりとんでもないことを口にした。
「槐班長ッ! わたし、ママになります!」
突然、そう宣言されたワシは、飲んでいたコーヒーを盛大に吹き出してしまい、デスクの上を茶色に染めてしまった。
「わわわ! 何してるんですか班長ッ!? 汚いなぁもう!」
山蘭は慌てて湯沸室から布巾を持って来くると、ワシの机の上の掃除をはじめた。
「す、す、すまん! で、なんじゃって急に!? 子どもができたんかお前!?」
動揺するワシをよそに、山蘭は無邪気な笑顔を見せた。
「そうで〜す! 出来たので〜す! あ、でも結婚はしないし、仕事も続けますからね」
「はぁ? 相手の男は責任取らんつもりか? お前、それでええんか?」
「え・え・ん・で・す。私が妊娠した事を告げたら、彼、実は家庭を持ってたって言い出したんですよ〜。で、認知出来ないから堕してくれって言われました」
あっけらかんとした山蘭の態度に頭が沸騰しそうになった。
「はぁぁぁ!? なんっっっじゃそれ!? その男どついたるわ! ここに呼べや!」
腕まくりをして憤慨するワシを、山蘭は両手を伸ばして宥めた。
「だからいいってば! わたしが納得してるんだから」
責任も取らず、舐めた事ぬかすその男にも、若さ故に考えが甘い山蘭にも腹が立った。
山蘭は孤児院育ちで天涯孤独の身であり、出産と育児をサポートできる親族はいない。
そんな彼女が、この仕事をしながら一人で子どもを産んで、一人で育てるなんて絶対に無理だと思ったからだ。
「わたし、産みます! これから戦うシングルマザーになるんですよ!」
自信ありそうに胸を張る山蘭に、ワシは不安を覚えた。彼女は事務方ではなく、体を張って異世界へ行く現場の人間だからだ。
ワシは山蘭に、『はなぞの製菓』や『医療班』への異動を勧めたが、頑として聞かなかった。
あくまで現場で人助けがしたいのだと言い張るので、ワシは仕方なく承諾してしまった。
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山蘭のお腹は次第に大きくなってゆく。つわりで体調が悪くても決して弱音は吐かなかった。任務にはワシが必ず付き添い、なるべく無理をさせないようにした。
彼女は妊娠前と同じパフォーマンスで仕事をこなした。異世界へ乗り込んで救出対象者を連れ帰り、追ってきた追跡者は得意の薙刀を使って炭化させた。
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定期検診も一緒に来てくれと言うもんだから、ワシは仕方なく産婦人科へ行くようになった。他の妊婦や病院のスタッフからは、歳の離れた夫だとよく勘違いされた。
何度目かの検診で、子どもの心臓に疾患があると告げられると、山蘭は大事を取って予定よりも早く休職するようになる。
暫くすると予定日より、ひと月以上も早く出産する事となり、連絡を受けたワシは病院に駆けつけた。山蘭は小さな女の子を産んだ。
その子はやはり心臓機能に障害があり、すぐに様々な器具が取り付けられる。
結局、山蘭は娘をすぐに抱くことはできず、子どもは長く病院に居る事となった。入院している間、その子には菫と名前が付けられた。
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産後から二ヶ月が経ったある日、すでに現場復帰していた山蘭から連絡が入った。
「槐班長ッ! 娘の病院に来てくださいッ!」
ワシは菫の一大事じゃと思い、慌てて病院へ駆けつけると、そこには初めて菫を抱いて微笑む山蘭の姿があった。
菫の体調が良くなってきたので、ようやく面会が叶ったのだという。
窓の外からの明るい光が、母となった山蘭を祝福するかのように照らす。その姿はとても美しく、同時に儚くも見え、自然と涙が頬を伝った。
「出産の時もそうだったけど、班長って涙腺ガバガバすぎですよね」
「やかましいわ、年とったら色んな部分がゆるくなるんじゃ……」
「ふふ……ほら、菫、泣き虫のっぽのオジサンですよ〜」
山蘭は笑いながら自分の目尻を拭い、菫をワシに預けてくれた。
初めて抱く赤ちゃんをどう持てばいいのか戸惑い、椅子に座って抱え込むように抱っこした。
腕の中の菫は暖かかく、甘くて優しい香りがしてワシは目を細めた。
菫は大きなあくびをすると、小っちゃな手を上に向けて伸ばした。ワシがその手に小指を近づけると、菫は小指を強く掴む……
「なぁ、山蘭」
「なんですか? 班長」
「この子はこれからどうなるんじゃ? やっぱり心臓手術せにゃならんのか?」
そう聞くと、山蘭は胸に手を当てた。
「もちろん、心臓移植手術を希望しています……当然、今すぐにというわけにはいきませんが」
「それって、海外で手術して、大金が必要になるんじゃろ?」
「槐班長、それは一昔前のお話です。二十年以上前に法改正されてから、この極東の国は心臓移植手術のハードルはぐんと下がったんですよ。いくつも成功例があるんです。きっとなんとかなりますよ」
根拠のない自信のようだが……母は強しと云うべきか、なぜか山蘭が頼もしく見えた。
ワシは、ワシに出来る精一杯のことを、これからこの親子にしてあげようと心に誓った。
そして、臓器提供者をひたすら待ち続ける日々が始まり、三年が経ったある日……
山蘭の体に癌が見つかった。
*次回、『親子との約束』




