親子との約束
◆槐
山蘭の体は癌に侵されていた。半年に一度の健康診断で見落としたわけではなく、進行性の早い胃がんは、すでに他の臓器にも影響を及ぼしていた。だが、それを知った彼女はいつものあっけらかんとした態度で意に介してしなかった。
なんとかなる! わたしは菫を残して死にはしない! きっと大丈夫!
自分を鼓舞するように強がる彼女だったが、体の異変が顕著に現れはじめた頃、根拠のない自信と、前向きな明るさは影を潜めた。
ワシは異世界転生救済課の他に、医療機器メーカーの職にも就いている。その立場を活かして名だたる医師を探し出し、山蘭にセカンドオピニオン、サードオピニオンを受けさせたが、どの医師からも同じ回答が告げられる。
『手術は難しく、薬によって癌の進行速度を緩められるが、根本的な治療は行えず、回復は見込めない』……と。
余命は既に宣告されている。
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娘の菫と同じ病院に入院した山蘭は、病室は違えど、日中は親子二人で同じ部屋で過ごすことを許された。
四歳なった菫は言葉を覚え、色んな表情を見せるようになり、元気そうに見えたが、やはり心臓をサポートする器具は繋がれたままだった。
ワシのことをパパと呼ぶのだけは違うと言い聞かせているが、頑として聞かない。こういう所は母親譲りだと思った……
「班長、忙しいのにいつも来てくれてありがとう」
昼の間だけ、菫の病室で過ごす山蘭はワシに礼を言った。
抗がん剤の副作用で髪は抜け落ち、彼女はニット帽を被っていた。全身の筋肉はかなり落ちており、パジャマからのぞく腕は白く、頼りなく細い。あの薙刀を振るっていた面影はもうどこにもなかった。
菫はベッドに座っている山蘭に、抱きつくような形で眠っている。さっきまで絵本を読んで聞かせていたそうだ。
「菫ってばね、ニンジンが嫌いなの。食事で出されたら全部残しちゃうのよ。まぁ、わたしもニンジン嫌いだから進んでは食べないけど。やっぱり親子は似るのねぇ」
菫の髪を優しく撫で、目を細める山蘭は嬉しそうに娘の事を話してくれた。
彼女が少し疲れているように見えたので、見舞いの品と頼まれていた日用品を置き、背を向けて早々に病室を出ようとしたが、小さな声で「班長」と呼び止められた。
「振り返らないでそのまま聞いて…….ただ、なんとなく聞くだけでいいから」
そう言ったがワシらの間には沈黙が流れた。山蘭は何も言わずに鼻を何度も啜る。それを背中越しに聞いていた。
病室内は菫の微かな寝息と、菫の体に繋がれた機械の音で満たされる。ワシには山蘭の言いたい事がなんとなく分かる気がした。
ワシは振り返り、ベッドの横の椅子に座ると、俯く山蘭にこう言った。
「なんとなくじゃなく、しっかりワシに聞かせてくれ。ほんで、ワシにも泣きごとを言わせてくれ」
山蘭が袖で涙を拭い、ゆっくり顔をあげる。
「泣きごとなんて言わないし……」
「ええから……」
「言わないってば……もう、いい。」
「よくない……」
「帰って」
「帰らん」
問答の後、ワシを真っ直ぐ見据えていた山蘭の顔の強張りが次第に解けてゆき、とうとう、くしゃくしゃの泣き顔に変わった。
口を開いて涙を流すが、泣き声は出ていない。菫を起こさないようにしているのだ。
「なんでぇ? なんでわたしなの? わたし……何か悪いことしたの? ……なんで死ななきゃならないの? 体中が痛いし薬で気持ちが悪いし……嫌だよ……死ぬのこわいよ……菫を残して死にたく無ないよ……こんなのやだよぉ……」
そして、堰を切ったように小声で出てくる彼女の弱音を初めて聞いた。ワシは釣られて泣かないように我慢する。
「山蘭……ワシもお前に死んでほしくない。小さな子がおるお前が、こんな病気になった事が悔しゅうてならん。一日……一日でも長く、お前は生きてくれ」
もうそれ以上、何も伝えられなかった。彼女も何も言わずにただ涙を流した。
……数週間後、山蘭は息を引き取った。最後は全身の痛みを取る薬を投与され、静かに眠った。
葬儀を終えた数日後、母親の死を伝えに菫の病室を尋ねた。どう伝えるか迷ったが、偽りなく本当の事を告げようと思った。
部屋に入るとすぐに菫からこう言われた。
「パパ。やっと来てくれたんだね。はいコレ」
菫は、戸惑うワシに一通の便箋を渡してくれた。それは山蘭からのものだった。
「なんでコレを?」
「ママが言ってたの。ママが菫に会いにこれなくなって、パパが一人でここにきたら、その時にお手紙わたしてって」
ワシは慌てて封を切り、手紙を広げた……
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拝啓、木下栄次郎様
このような形でお別れの挨拶と、これ迄貴方から頂いた数々の御恩への感謝を示す事、お許しください。
な〜んて、かしこまった文章を書くのはわたしらしくありませんので、ここからは、なるべく普段通りの言葉でわたしの気持ちを綴ります。
槐班長殿。貴方はわたしにとって、まるで兄のような存在でした。時に厳しく、時に優しく、時に喧嘩なんかもして、わたしのような世間知らずを懲りずに指導してくれましたね。本当にありがとう。
さて、わたしの二十六年の人生は終わってしまいましたが、未練はタラタラです。後悔しながら死んでしまいました……と書いてしまえば、また貴方を困らせてしまいますよね?
心配しないでください。半分くらい嘘ですから(笑)
ただひとつ、心残りがあるとすれば、それはやはり菫の事です。でも、あの子のこれからの事は弁護士の先生に任せているので心配ありません。いずれ心臓移植手術を受けられるように待機させています。当面の生活費、医療費等は私の貯金と保険金で賄えるはずです。
それと、班長はもう菫には関わらないでください。これはわたしからの最後のお願いです。
貴方は今までわたし達に色んな物を与えてくれました。もう充分です。貴方はこれから、貴方の人生を生きてください。その中で、どうか良き人と巡り合い、その人の為に生きてください。わたしが居なくても、貴方が居なくても、菫はきっと大丈夫です。わたしに似てすごく強い子なんです。
槐班長、出会ってくれてありがとう。
わたしは今まで良い行いをしてきたので、きっと天国にいると思います。なので、雲の上から貴方と菫の幸せを祈っています。どうかお身体に気をつけて、絶対絶対幸せになってください。
あらためて本当に、いままでありがとございました!
山蘭こと 阿良々木洋子
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山蘭からの手紙を、滲んだ視界で全て読み終えると、ワシのズボンをしっかりと握る小さな手に気がついた。菫だ。菫が不安そうな顔でワシを見上げていた。
「パパまで、いなくなっちゃうの?」
……嗚呼、この子はもう気づいているのだ。もう二度と母親に会えない事を。
ワシはしゃがみ込んで菫をそっと抱きしめた。
「ワシは何処にも行きゃせんよ……これからもずっと菫のそばにおるからな」
山蘭の最後の願いは叶えない……
「やくそくだよ、パパ」
*次回、『延寿』




