愛する人のために
◆鳶尾
紫雲英!? それと、後ろに男女二人……部下か? 何故ここに?
紫雲英が従えているのは、真っ直ぐな長髪でロングスカートを履いている目つきの悪い女と、黒髪でセンターパートの真面目そうな若い男だ。
「なんで、あんたがここに居るネ?」
紫雲英は目を細めて微笑んで答える。
「九鬼班が、槐捕獲作戦決行を四十八時間以内に完遂できない場合、私達の介入が許されていたのですよ。それより、手術はまだ終わりませんか? それとも、失敗したから、貴女はここで跪いていたのですか?」
ああ、もうお終いだ。九鬼を倒せたかもわからないのに、紫雲英までもがこの異世界に来てしまった。槐班長が九鬼と英相手に勝てたとしても、連戦して紫雲英に勝てる見込みは低い。合歓が暴走しなければ、こうはならなかったのに……計画が全部水の泡になってしまう。でも……
「まだ、ネ……まだ終わらせないネ!」
私が懐から出した拳銃を紫雲英に向けるよりも早く、後ろにいた女が距離を詰めて銃を叩き落とし、私の顔を殴りつけた。その勢いで私は廊下に転がった。
「ぎゃ!」
痛い! 痛い! 鼻血が出てる……眼鏡が割れた。
女は、倒れて顔を押さえる私の髪を乱暴に掴んで無理矢理立たせた。
「おいブス……おまえ様は、一体誰様に銃を向けたんだよ? なあぁ?!」
顔を近づけて凄む女に、私は恐怖した。
「なんとか言えよブス! オラッ! オラッ!」
ゴッ! ゴッ! ゴッ!
髪を掴んだまま何度も顔を殴りつけられた。両手で防いで顔をそむけても、女は容赦なく殴り続ける。鼻血と涙が止まらない。
「やめっ! やめてッ! やっ! ……やめてくださッ! ネっ! ……やめてください!」
「やめてじゃねぇよブスがよッ! 死ねよッ! ブス! オラッ! オラッ!」
ゴツゴツと何度も顔を殴られて、痛みと恐怖で私は失禁していた。体の震えが止まらない。
「そこまでだ、麝香。彼女を離してやれ」
紫雲英の命令で麝香と呼ばれた女は殴るのをやめ、私を廊下の壁に投げつけると、ブチブチと音を立てて髪が抜けた。
「班長様は仏様かよ? 撃たれそうになったんだぜ? よく許せるなぁ……アタイ様なら全殺しにしちまうぜ」
麝香は両手をパンパンと叩いて私の髪の毛を払うと、鼻を鳴らして肩をすくめた。
崩れ落ちた私は、身を震わせて壁に寄りかかる。
「鳶尾さん。福永サキさんはまだ手術中って事ですかね? では先に槐の方から始末するか……麝香はここで鳶尾さんを見張っていろ。緋衣は私と一緒に槐の所へ行くぞ」
「……ま! 待ってほしいネ!」
背を向けた紫雲英を、私は引き止めた。
「槐班長を、ど、どうするつもりネ?」
紫雲英は振り返ると、溜め息を混ぜながら答える。
「当然、異世界で死んでもらいます。九鬼班は『捕獲』という任務で動いていましたが、私に与えられた任務は『抹殺』ですから」
その言葉を聞いて私に出来ることはひとつしかなかった。紫雲英に向けて両膝を折って座り、頭と手を廊下につけた。
「紫雲英班長、お願いネ……お願いします。どうか、あの人の命だけは……命だけは助けてあげて下さい……」
私にはもう、この男に泣いて縋ることしか出来ない。あわよくば槐班長を、九鬼達から守ってもらいたい。
私は自分勝手で最低な女だ。
「ギャハハーーッ! なんだよお前!? 面白ぇ! あんなオッサン様の為に泣いて土下座するとかぁ! 最高にみっともねぇなぁ!!」
麝香が手を叩いて私を嘲り笑う。悔しさよりも、今は槐班長のことが心配だ。
「おいブス! お前ぇ様は、槐のオッサン様が好きなのかよ!? なぁ? あんかアホみたいな格好する奴のどこがいいんだよ? なぁお前ぇ様、
アイツ様に処女でも捧げたのかよ? なぁ? なぁ?」
身を屈めた麝香は、土下座する私の顔を面白おかしく覗き込んでくる。
「……好きよ……私にとって一番大事なひとよ……身も心も捧げたネ」
「プッ!研究室に篭りっぱなしで、股に蜘蛛の巣張ってんのかと思ったらお前ぇ様ぁ、やることやってんのかよ! ギャハハーー! あのオッサン様ァ、女の趣味悪すぎだろー!」
なんと言われてもいい……槐班長の為なら私は耐えられる。
「素晴らしい……愛する人を思いやる心に、私は感動しましたよ。いいでしょう……私は槐を殺さないと誓おう」
紫雲英のその言葉を聞いて、顔を上げた。
「その代わり、条件がある……貴女が開発した、あの歪みを操作する装置の作り方と使い方を教えてほしい」
私は首を縦に振り、紫雲英が提示した条件を飲んだ。私はなんでもする。なんでもできる。あの人の為ならば……
*次回、『暴走する鬼』




