謀る
◆英
取り調べ室を出て、廊下を駆け出そうとした時だった。聞き慣れない電子音と共にスラックスのポケットに振動を感じた。これは……
蒲公英課長から貰った受信専用の小型通信機だ。赤く点滅するボタンを押すと耳に装着しているイヤホンに自動でリンクした。俺は廊下を早歩きしながら応答する。
『おつかれさ〜ん。もう吾亦紅を見つけちまったかぁ〜、思っていたより早かったな。実は俺と黒百合で賭けをしてたんだよ〜、吾亦紅発見にどれだけ時間が掛かるかってな。賭けは俺の負け。俺はアイツに『ベーカリーおおた』の特製メロンパンを奢らなきゃならなくなっちまったぜぇ〜」
課長のあっけらかんとした態度が俺の神経を逆撫でる。
「本当は吾亦紅の事なんてどうでも良かったんでしょ? 俺にはアンタが考えてそうなことが分かる。ただ単に、俺を足止めしかっただけだ」
『んん〜、なんのことかな? とりあえずお前は特命を果たした。帰って寝てろぉ〜』
「嫌ですね。回りくどい事しやがって……アンタは、全部知ってて九鬼班長と槐を組ませたな」
『…………』
「千代草を囮に使うつもりだろ?」
俺は一旦立ち止まる。蒲公英課長の声色が一段落ちた。
『今回の作戦、お前がいると必ず邪魔すると思ったからなぁ……』
「当たり前だろ、これ以上アイツを危ない目に遭わせたくない」
『今回の、迷子を救出しつつ、囮を使って槐を捕獲する作戦……九鬼も千代草も快く受けてくれたぞ』
「嘘だ。千代草だけなら従うと思うが、班長は必ず反対する。あの二人ならきっとそうする。それより、……今から現場に行けば、俺はクビになるのか?」
『まさかぁ〜、この俺が将来有望な英君を簡単に手離すわけないだろぉ〜……ただ、事の顛末を見届けるつもりなら、相応の覚悟を待って臨め……俺からは以上だっ』
通信は切られた。今回の作戦の立案者は蒲公英課長だ。あの特命は、最初から俺を作戦から外す為だけのものだったのだ。
千代草には九鬼班長も南天もいる。戦力に不安はないが槐がどんな罠を張っているかわからない……
俺は怒りに任せて廊下の壁を一発殴ると九鬼班長の元へ急いだ。
◇施覆花
施覆花は椅子に腰掛けて手を掴み、蹲っている吾亦紅を見下ろしている。
電子タバコを咥えた瞬間、廊下でズドンと音が鳴り、その振動で取り調べ室の壁が僅かに揺れた。
「いてぇよ……なぁ、施覆花、医療班呼んでくれよぉ」
涙声で施覆花に懇願する吾亦紅を冷たい目で見ながらこう言った。
「いらんやろ、もうすぐお迎えがくるんとちゃうか? それに、これ以上アンタの事で桔梗に頼み事したら、俺がアイツに嫌われるやんけ」
「はぁ? なんだよそれ! じゃあ病院連れて行けよぉ! おめぇのトコのガキにやられたんだ! 痛ぇんだぞ!」
施覆花は感情的に叫ぶ吾亦紅の眼鏡を素早く奪った。
「なっ!? か、返せよ!」
「前からうすうす感ずいとったけど、けったいな眼鏡やなぁ……カメラ付きかいな?これ、俺らが助けた時から撮影しとったんやろ?」
施覆花は眼鏡を部屋の天井の灯りに透かして見ている。眼鏡の右のフレームに、針の先端ほどの僅かな穴があいてた。
「ぐっ……」
吾亦紅は歯を食いしばって施覆花を睨んだ。その時、取り調べ室のドアが開いた。
「ノックくらいして下さいや……」
施覆花は振り向かずに言い放つ。誰が入室してきたのか予想はついていた。
「取り調べは終わったんだ。不要だろ? ……ウチの吾亦紅が世話になったな、施覆花君」
施覆花の背後に立つのは紫雲英だった。歩みを進めて吾亦紅の前に屈む。
「は、班長!? 自分はッ!」
焦った表情の吾亦紅に対して紫雲英は何も言わずに肩に手をかけた。
施覆花は立ち上がり、吾亦紅の眼鏡を握り潰す。
「紫雲英さん……次からの企み事は、九鬼班とは関係ないところでやって下さいや……」
そう言って壊れた眼鏡を机に置き、施覆花はドアを強く閉めて部屋を出た。
「カメラを出せ……」
施覆花の足音が聞こえなくなるのを確認してから紫雲英が小声でそう言うと、吾亦紅の顔の近くに手のひらを向けた。
吾亦紅は自分の左目に指を突っ込み眼球をくり抜いた。それは義眼に模したカメラであった。
「本当によくやったな、吾亦紅」
紫雲英は冷笑を浮かべる。
「班長……俺は悔しいですよ……あのクソガキを! ……英をぶっ殺してやりてぇよッ!」
怨嗟のこもった低い声で、涙を流しながら吾亦紅は紫雲英にそう伝える。
「いいだろう、いずれお前にはチャンスを与えてやる……それまでは暫く休んでいろ」
*次回、『敢行』




