坂口 ハジメ ニ
◇坂口 ハジメ
二月三日
オレは病院への納品の傍、こども達の病室へお見舞いに立ち寄った。菫ちゃんだけの姿が見えない。
看護師さんの話では、体力低下に伴い、心臓の動きが悪くなってしまった為に先日、この病院を離れ移ったそうだ。
「ハジメ……」
オレに声を掛けてくれてのはショウだ。ひどく落ち込んだ表情をしている。
「菫の様子、知ってるか? 最近ぜんぜん連絡が来ないんだ。アイツの父さんもここに来てない……アイツは俺たちより体が弱いから心配なんだ……なぁハジメ、様子を見てきてくれよ」
ショウは涙ぐんだ顔をオレに見せてそう言った。
カケルとサキもオレのそばに来て菫ちゃんの事が気がかりだと言っている。
オレはしゃがんで三人の目を見て答えた。
「わかった、今度菫ちゃんのパパに聞いてみるよ」
……
翌日、オレは街中のとあるカフェで偶然木下部長の姿を見かけた。同じテーブルには女性が座っていた。
その女性は、あまり外見を気にかけないタイプの人なのだろうか、長い髪はあまり手入れしていなさそうで、服もヨレている。
声を掛けようと思ったが部長は、普段は見せないような真剣な面持ちをしていたので、オレは二の足を踏んだ。
しかし、オレの視線に気がついたのか、部長はオレを見て笑顔で手招きした。
連れの女性もオレを見て、軽く会釈すると立ち上がり、その場から去って行った。
「坂口、最近どうだ? 上手くやってるか?」
部長は普段と変わらない様子でオレに接してくれる。
菫ちゃんの手術が中止になって、落ち込んでいるはずなのに無理している感じがして気まずい。
しかし、カケル達と約束したことは守ろうと思った。
「あの、部長……聞きたい事があるんですが……」
部長はオレの考えていることを読んだのか、先に答えを教えてくれた。
「菫のことか?」
俺はこくんと頷いた。
「まぁ、元気じゃないが、元気だ……違うな……いや
………坂口、この後時間あるか?」
言葉に詰まった様子の部長からそう聞かれて、カフェを出たオレは、部長と一緒に大学病院へ向かった。
ここに菫ちゃんは居るらしい。
病院の敷地内を通り、病棟の最上階へ上がる。長い廊下を歩き、突き当たりにたどり着くと部屋のプレートには『木下 菫』の文字が掲げられていた。
部長がドアをノックする。
「菫入るぞ」
先に入った部長に促され、オレは緊張しながらゆっくりと入室した。
広い部屋の中央のベットの上、菫ちゃんは多くの器具に繋がれて寝ている。
近くに寄ってよく見ると、顔と体は先月見た時よりかなり痩せこけ、皮膚も乾燥していた。
「かろうじてといったところだ……」
普段快活な部長らしからぬ小さな声を聞いて、オレの胸はズキンと痛んだ。
「海に行きたいって言ってたんだよ……」
「え?」
「アメリカへ出発する予定だった日の少し前にな、菫が言った事だ……手術が成功して日本に戻ったら、俺と坂口とで海で遊びたい……砂でお城を作って、ビーチボールで遊んで、かき氷を食べてみたいって……そして、夜にはみんなで花火をやりたいって……」
部長の声は震えていた。オレはなんて言ってあげればいいのか分からず、ただ立っていることしかできないでいた。
「横入りされたんだよ……」
「え?」
「直接アッチに行って問いただしてやったんだ、そしたら……菫の物になるはずの心臓は、どこぞの国の金持ちのこどもに使われたんだと」
「そ、そんな!?」
部長の発した言葉の衝撃でオレは一瞬、崩れ落ちそうになった。
「真面目に順番待ちしてたのな……もう、菫には列に並ぶ時間は残されていない」
部長が鼻をすする。泣いているんだ。気丈に振る舞っていたのに……
「あんまりですよ……そんなの……理不尽だ!」
心の底からの怒りと悲しみが同時に芽生え、声を荒げてしまった。
オレのその声で、菫ちゃんが目を覚ましてしまった。
「だれ? ……パパ?」
部長が菫ちゃんの両手を握って答えてあげた。
「ああ、パパだよ。今日はハジメ兄ちゃんもきてくれたんだよ」
「ほんと? うれしい……」
あまりに弱々しく、か細い声で話す菫を見て涙が込み上げてきた。
「そうだ……ハジメにいちゃんにお願いがあるの……」
「な、なんだい? 言ってごらん」
オレは聞き逃さないよう、菫傍に近づく
「カケルとショウとサキちゃんに伝えてほしい……わたしはもう死んじゃうと思うから。……みんなと出会えよかった。仲良くしてくれありがとうって」
オレは、自分があまりに無力で情けなくてこの場から消えてしまいたいに気持ちになっていた。
オレはただ、医療機器を売るだけの人間だ。名医でもなんでもないただの営業マンだ。それなのに、心の何処かで、オレは病気で弱っている人の助けになっていると勘違いしていた。
「パパ……あのね……………」
最後にそう言うと、菫ちゃんはまた眠りについた。
こんな優しい子を、なんで……なんで神様は助けてあげないのだろか……
木下部長は、菫ちゃんの手を両手で握り、額に押し当てて泣いていた。
……
それから一週間後、菫ちゃんはこの世を去った。
部長は葬儀の後、すぐに地方へ転勤することとなった。急な話だったので葬儀以来、一度も会えずに別れてしまった。
あれからオレは、こども達の病室へは一度も行っていない。あの子たちが菫ちゃんの死を知った時の反応が怖いからだ。
しばらくしてオレは会社を辞めた。自分の無力さと、真面目に生きてる人が報われない世界に嫌気がさしたんだ。
木下部長……どうかお元気で。
…
……
………
◆???
前時代的な音楽プレイヤーに、レコードの針を落とすと、一九七〇年頃に流行ったらしいジャズが流れた。
その歌手の名は知らない、曲名も知らない、初めて聞いた曲だが、しゃがれた歌声がひどく心に沁みて、なぜか懐かしい気分になれた。
ソファーにもたれ掛かり、酒の入ったグラスを煽って長い足をテーブルの上に乗せた。
「アンタがその雰囲気を出してるってことは、間違いなく悪酔いする時ネ」
後ろから女の声が聞こえた。
「ほぉじゃ……今日は、悪酔いでも船酔いでもなんでもえぇ気分なんじゃ」
「槐班長、わたしはもう覚悟決まってるネ。もう、時間はないネ、あの子達のためにも早く……」
「わかっとる、ワシが必ず叶えたるわ」
グラスの中身を飲み干し、テーブルに強く置いた。
「桃源郷はもうすぐ完成する」
*次回、『来訪者』




