懐旧
◆英
「すまん! 英!」
ポイントRに遅れて到着した俺は、鉄線さんから事態を説明してもらっている。
千代草が何者かにより歪みの中へ連れ去られた。しかも現在この場所は強力な磁場が発生しており、通信機器が使えなくなってしまっている。
鉄線さんの話によれば、車内の機器が歪みを検知した後、全身黒ずくめの人物が背後から千代草を拘束し、空中に浮かぶ歪みの中へと一緒に消えたそうだ。
俺はここに来る前に、万年青先生から聞いた話を先に九鬼班長に報告していた。
班長は早急に戻れるように準備するらしいが、今は北海道に居る。朝一番に飛行機に乗っても辿り着くのは昼過ぎになるだろう。
榛、吾亦紅が失踪した件は、千代草を攫った奴と何か関係があるかも知れない。
このまま千代草奪還に向かいたいが、異世界の座標が分からない。
現場にはベルトを切断された千代草の白いポシェットだけが残されていた。俺はそれを拾い上げて思案する。
「鉄線さん、実は……」
◆千代草
見覚えのある天井だった。
ここはかって私が異世界で過ごした部屋……小高い丘の上に、木で組み上げた私の家の寝室だ。
室内を照らす柔らかい朝日は、部屋の窓際で栽培している様々な種類の魔法草たちに光を与えている。
炎の形の花びらを開花させるほむら草、疲労を回復する要素を含んだハーブなどが、部屋の主人である私の帰りを歓迎するように風にゆれていた。
私はベッドから起き上がる。服装は救出課の黒いスーツのままだ。
窓に近づき、外を見ると目の前には牧場が広がっていた。そこには現実世界に存在しない動物達が悠々自適に暮らしている。
羽の生えたウサギ達、シマ模様の大きな亀、角の生えたピンクの狼、尻尾がヘビのポニー……あの子は新しい動物かな?
懐かしい光景が今、私の目の前に広がっている。
私をここへ連れてきた人物の目的は読めないが、また襲われる可能性がある。今の私は魔法を使えるのだろうか?
両手に魔力を込めるが、僅かな違和感を覚えた。
現実世界とこの異世界は存在する元素が異なる。
こちらで魔法を使うには、魔力を混ぜた元素を構築して、いちからプロットを組み立てる必要がありそうだ。
得意の加護魔法も、少し勝手が違う気がする。おそらく魔法の発動には時間が必要かもしれない。
でも、力は失われていない。ただ、シロだけが見当たらない。ポシェットは切り離されたんだ。
私は顎に手を当てて思索する。私を後ろから羽交締めにした人は誰か?私をここへ戻した理由は?……全然わからない。
ただ、私を殺さなかったということは、私を使って何かをするつもりだろう。
単独で現世に戻る手段としては、帰還を使えばいいが、その為には現実世界に居る鉄線さんが、私が今居る座標を認識して出口となる歪みを開く必要がある。イヤホンマイクを奪われているのでそれをコチラから伝える術はない。
「まいったね、こりゃ……」
私は窓際の机に腰掛けて、本棚から本を一冊抜き取った。のんびりとしたこの世界で体験した日々と、魔法草の成長と調合を記録した日記。
パラパラとページをめくると、この異世界で過ごした一年余の楽しかった生活を思い出す。自然と目が細くなった。
そうだ、恋人のリアはどうしているのだろう?
私が急にいなくなって怒っているかな? それとも、もう他に素敵な人でも見つけたのかな?
恋人といっても、私たちの関係はほっぺにキスで止まったプラトニックな関係だけどね。
そう……まさにリアの事を考えている時だった。
この家に駆け寄ってくる馬の足音が耳に入り、私はすぐに立ち上がった。衝動的に玄関へ向かって走り出す。木製のドアを開けるとそこには居たのは、恋人のリアだった。
*次回、『夢の代償』




