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彼等、真史の民族の認識では我々は波の言葉を持つ民族であり、波の言葉は波と云う単語から連想されるように振幅する言葉と捉え思索を試みた。単語や文章の意味が受け取る人間の主観により解釈や受け止め方が多少異なる点だ。所謂ゆらぎによって生じる感じ方の違いが多種多様な思想や現実を生み出す創造的な言語と云うことではないだろうか。波の言葉は多様性を生み出す言葉なのだ。
渦の言葉も単語の意味する所から読み解くと渦の構造は螺旋状に回転運動を行いながら一点に集約される。すなわち他の解釈を許容しないと云うことではないかと考察してみた。正直なところ、渦の言葉が意味する所は想像も及ばない。
波の言葉を持つ我々は彼等を無視する事により渦の言葉の力を封じた。関心を持たない、視ないと云うことは存在していないと同義だ。
以上の考察を文書化していく課程で唾棄すべき考えが思い浮かんだ。当初私は真史が最後に言っていた「渦の言葉を取り戻す」の言葉から渦の言葉使う狸は真史の民族の事だと考えていた。
民話の中で言及されている渦の言葉は蛙によってもたらされてた。波の言葉もまた然り。
では、我々や真史たちに言葉を与えた蛙とは何を表しているのか、何を象徴しているのだろう。
真史、彼らの特徴的な容姿から蛙を想起せざるを得ない。真史の容姿が遺伝子疾患によるものでは無く民族的な特徴だとすれば
実は真史の民族に我々は言葉を与えられたのではないのだろうか
思い付きとは云えこの考えが頭から離れない。全ては私の妄想なのか、脳の病から精神を患った症状の産物なのだろうか。
集中力が続かない。気力が湧かない。もうこれ以上書き記すことが出来そうも
「垂井さん。大変な労作でしたね」
書きかけの手記を握り締め話し掛ける。垂井さんは穏やかな表情を浮かべ何処か遠くを眺めていた。
「垂井さん散歩、しましょうか」
車椅子を押し垂井さんを部屋から連れ出した。
外はいつの間にか渦は収まり日が傾き始めていた。何処へ行くわけでもなく車椅子を押していた。道を進む二人の長い影が橙色に染まった畦道を刻んでゆく。やがて夕日に映える潟が見えてきた。畔にたどり着く頃には空は黄昏色に染まっていた。潟に吹く風は重く冷たかった。
「垂井さん。たった今、思い付いたのですが民話の中にはもう一つ渦の構造が有りましたよ」と話し掛けるが垂井さんからの反応は何も無いがかまわず話を続ける。
「カエルは白銀の月から銀の糸を伝い地上へ降りてきた。糸の構造も数本の糸を捻り合わせた螺旋構造ですよね。渦の言葉とは数ある現実を縒り合わせる力のある言葉かも知れませんよ。ただの思い付きですけど」とはにかむように言った。
「うずだ・・・」
垂井さんは震える指先で空を指差しは呟いた。
白金の月を従えた渦が夕闇に浮かんでいた。右回りの渦だ。
「正しい渦の事ですか?」
問い掛けるが返事はない。
自分は垂井さんの創り出した現実を見せられたのだ。
やがて消え行くこの現実。垂井さん、貴方はこの現実の創造主。消滅の神。
未だにカエル人間達が実在するとは思えない。実際にカエル人間に掴まれても、胃袋がひっくり返るような吐き気を催す臭いを嗅いでも何処かリアルな夢みたいにしか感じられない。それは垂井さんの現実では存在するカエル人間が自分の現実には存在していないからなのかも知れない。
もしかするとカエル男の取材に来たネット番組スタッフの現実だとも考えられる。誰の現実でもいい。とにかく他人の現実を実体験させられている事だけは事実だと思える。
では自分の現実はと思わず自身に問いかけるが今は答えを見つけ出す事は出来ない。
「家へ帰りたい」
ぼそりと垂井さんが呟いた。
「僕もですよ」
ネット番組の人達はどうなったのだろうか。あの騒ぎの中で彼等は窓へ吸い込まれ消えていった。自分達は見送る事しか出来なかった。安否の確認は無理だろう。無事を祈る事にしよう。
垂井さんが必死で残そうとした物語を潟の畔で広げた。たった一人で違う現実を生きてきた。家族も持たずにさぞ孤独だっただろう。帰る事だけ考え生きてきた人生。その重みは窺い知れない。自身の現実の中で広大な砂丘から砂粒位の情報を一粒一粒拾い集めた執念には感嘆の念を抱かずにはいられない。
労いの言葉を掛けたいが思い浮かばず肩にそっと手を置いた。潟の畔にはピラミッドのような三角形の黒いシルエットがぼんやりと揺れ浮かんで見えていた。
思い切って一番聞きたかった事を尋ねる。今まで聞けずにいた事がやっと口から漏れ出る。
「垂井さんあのタヌキ達は無事に甕へ戻れたのでしょうかねぇ?」
垂井さんは何も答えず光を増し始めた白銀の月が映る潟の水面を眺めていた。




