エピローグ
意識が戻った。いや、瞬きしただけだったような気もする。国道を行き交う車の走行音が耳に入ってくる。空は夏の色だった。白い入道雲が目に染みる。
古林が目の前に手の平を差し出た。手の平には雨蛙がコロコロとのどを鳴らしている。胸をえぐるような嫌悪感も恐怖感も沸いてこない。蛙は古林の手から飛び出し小川に飛び込み気持ちよさそうに泳いで行った。
「戻れたんだな」と思いっきり大きな溜息をついた。あの居心地の悪さも感じられない。
「そうだな。瞬きする位の時間しか経っていない」と古林は疲れた様子でiPadを眺めていた。
ミズホは蛙石に寄り掛かり深刻な表情を浮かべうたた寝をしていた。眉間に皺を刻んだ寝顔からもかなり消耗している様子だった。
「何か途轍もない悪夢を見ていた感覚だ」
「俺もそんな感覚だよ。でも俺たちは行って戻ってきた」と言うとバッグから何か取り出した。グローブのような大きな手の中には黒く煤けた土器の欠片が乗っていた。
「垂井さんの所から持ち出したやつだな」
「何故かこれは消えなかった。あの現実へ行った証拠になる。よく見ると渦らしい紋様が描かれているのが解るだろう」
古林はよく見ろと欠片を渡した。
「少し縄文土器の紋様にも似ているな」
「縄文の渦巻き模様は蛇だと言う説もあるが渦巻紋様かも知れんな」
「蛙の次は蛇かよ。今度は蛞蝓が出てくるんだろな。きっと蛞蝓だ」
「蛞蝓かぁ。何かのメッセージが見つかるかもな」と考え込む古林。
「冗談だよ。もういい。考えるな。これ以上話がややこしくなったら収拾がつかん」
再び手の欠片に目を落とす。
「おや、掠れて見にくいが文字がある。読めそうだ。鉛筆書きだよ。垂井さんが書いたのかな」
古林が肩越しに覗き込んでくる。
「これは何かな・・・邪、刀、須・・・。阿邪刀須の・・・命?」
何て読むんだろうと古林へ欠片を渡す。
もごもごと呟くと普段はトロンとした目付きの濃い二重瞼の目尻が垂れ下がる。大きな顔に比べ小さめの口の口角が持ち上がり見慣れた不気味な笑顔が広がった。
「何だよ。そのいかがわしそうな笑顔は・・・」
「この世は想いで出来ているのかもしれんぞ」としみじみとした口調で話し掛けてきた。
「なんだよ。どうしたんだ。何が書いてあったんだ」
「多分神様の名前じゃないかな」と言うと含み笑いを浮かべた。
古林は何かまた見つけたらしい。だが敢えて聞かなかった。奴の屁理屈には心底うんざりだった。
「紀田村さんや垂井さんはどうなったのかな?」
「さあな。でも紀田村さんなら違う方法で右の渦を見つけ出すと思うよ。あの人も想いの力は強そうだ」
古林の言葉にそうあって欲しいと心から思う。自分の現実へ戻って欲しいと。
ぽちゃん。水音がする。蛙が用水路を泳いでいた。蛙を見つめながら「今度の番組はフィルムで撮りたいな」と呟く。
「予算は・・・」
「何とかなるさ」
「認知症も絡めるのか」
「まさか。俺たちが扱う様な、いや扱えるテーマではないよ」
「特撮映画風で行くんだ。子供の頃夢中で見に行った特撮映画だ。怖くて、気味悪くて、ワクワクして、嘘くさい。そして思いっきり野暮ったいタイトルが良い」と暫く中を睨み考える。
「サブタイトルは・・・そうだな。怪奇蛙男にしよう」
「お前らしい。そう言うとこはブレていないな。だが趣旨が変わってないか」
古林はそう言うと土器の欠片を日に翳した。
「だからふうだよ。風。そんなイメージで造るのさ」
その言葉を聞いた古林が横目で笑い掛ける。
「帰ったら風鈴亭で一杯やろう。ジンが強めのギムレットがいい。早すぎるとは言わせない」
心底一杯やりたい気分だった。
爽やかな風が吹き渡りまだ青い稲を波立たせる。古林が珍しく真顔で話し掛けて来る。
「この世は人の想いで創られているのかもしれんな」と土器の欠片を大事そうにバッグへしまった。古林が同じ事を繰り返し言った事が気に懸かるが。
「ここは俺の存在していた現実だよな」と空を見上げ水田を見渡す。
一抹の不安が過るが無事かえるだ。
完




