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甕に帰る狸  作者: futan
受容
23/25

6

 私は黒い森の黄泉比良坂を下っていた。脳裏には黒い祭壇だけが浮かび、光りに引き寄せられる蛾のごとくそこへ向かっていた。森の中は濃密な生臭さと蛙の鳴き声で満たされ、何かの力に背中を押されるように進んでいた。

 森を出た途端に私は目眩と視覚に異常を来たし目を擦った。周囲の景色や葦原の隙間を通して見える潟の水面にも渦が重なって見えている。いや、この表現は正しくない。見えていると言うより感じていた。目で見えているのではなく大脳の視覚野へ無数の渦が直接投影され景色と二重写しとなって見えていると云った印象だった。

 茅葺きピラミッドの前には沢山の素焼きの大甕が並べられ、その黒く煤けた甕の表面には真史の服と同じ文様の渦に似た紋様がびっしりと刻まれていた。

 甕に近づき渦巻紋様に魅入られ、観察していると「ぎょうは祝祭だ。呼ばれたがぁか?」と濁った声がする。真史が太い装飾柱の影から体を覗かせ肩には例の頭陀袋を担いでいた。私は何のことか分からず首を傾げ真史を見つめ返した。

「その甕が気になるがぁ」

喜怒哀楽が読み取れない不可解な表情を浮かべゲェヘッと不気味な声を漏らすと聞き取りにくい言葉で並べられた甕の説明を始めた。

「今日はめでてぃい日だぁ。バサがこの甕で帰るがぁ・・・」

 真史の言葉に呼応するかのように金属的な鈍く重い唸りが上がった。内蔵にまで響く不気味で吐き気を催す音だった。

「ツァツァだ。ツァツァが呼ばってる。今日はヒキがだぁくざん捕れたあがぁ。祝いの日だよ、この贄にツァツァが喜ぶがぁな」と嬉しそうに頭陀袋を担ぎピラミッドの方へ小走りで向かっていった。

 あれは呼び声には聞こえなかった。そもそもあれは声なのか。不安を煽るような不気味な音が気になりぼんやりと真史の後を追った。

 真史が消えたピラミッドの戸口からは滲み出るような闇がポッカリと口を開け私を誘っていた。私は祭壇を通り越し躊躇することなく立ち入った。

 足を踏み入れると湿気た暑苦しい空気と瘴気と言って良いほどの異臭が襲ってきた。暗闇の中で粘り付くような臭気に胃袋が飛び出す程の吐き気が込み上げてくる。目が暗闇に慣れ始めると壁の隙間や穴の開いた天井から洩れる僅かな光りで室内の様子が徐々に分かり始めてきた。

 目を凝らすと内部は朽ちかけた外見とは裏腹に天井は高く見たことが無いほどの太い梁や四方にある礎石からそそり立つ直径が二メート以上はある巨大な柱とで組み上がったがっしりとした造りになっていた。子供の私でもその造りの緻密さや木造建設の技術の高さは薄暗がりを通して畏怖と共に察する事が出来た。

 暗がりで朧気に見える内部は固く湿った土間だけで、祭壇の手前には直に火を使うらしく直径が三メートルはあるだろうか石組みの丸い囲炉裏が見えている。炉端の回りには亀の甲羅や素焼きの欠片が無数に散らばっていた。

 目が慣れて来ても相変わらず渦はまだ視野から消えていなかった。目に染みるような異臭に我慢できず引き返そうと踵を返した時、闇の奥から熟した柿を潰すような音が響いてきた。

 音の方へ視線を移すと壁の一部に戸口らしき物が見える。戸は無くボロボロの筵がぶら下がり広間と仕切ってあるようだ。

 ゲコッ、ギュウまた奇妙な音が聞こえてきた。私は好奇心を抑えられず暗闇に仄暗く見えている筵の方へ足を進めていた。戸口の場所は位置的に後年付け足したような杉皮葺きの小屋の位置に当たっていた。

 怪音に交じり低く唸るような音を耳にする。筵を恐る恐る捲った途端、零戦の飛行音を思わせる音と共に顔に大量の大豆を投げつけられ、とっさに腕で顔を庇う。口にも幾分か入った大豆らしき物を吐き出すと、数匹の大きな金蠅だった。

 薄暗がりの部屋は爆音にも似た羽音と共に無数の金蠅が黒い粒子状の霧の如く飛び交っていた。鬱陶しい羽音の中でブチッ、グチャクチャと音が聞こえてくる。私は腕で鼻を押さえ目を凝らすと金蠅が飛び交う中心に黒い固まりが蠢いていた。

 ゲェチと思わず蔑称を呼んでしまったが真史ではなかった。

 目にした光景は胡座をかいた片脚の男が口に押し込んだ蛙の頭を引き千切っていた。頭から足の先まで包帯に巻かれ、左眼と口だけが包帯の隙間から覗いていた。鈍い光りを宿し、異常なまでに黒目が大きく白目は無いも同然だった。腐り変色した包帯から覗く乱杭歯には蛙の後ろ脚が挟まり口角からは内蔵らしき物が鎖骨まで垂れ下がっている。それが咀嚼する度にふるふると揺れていた。

 胃の奥底から熱い塊が津波のように湧き上がり内蔵まで吐き出す勢いで嘔吐した。激しい吐瀉の最中でさえその光景から目を離すことが出来なかった。恐怖と嫌悪感で頭の中が爆ぜ、混乱の極みにいた。それでも私は見続けていた。観察していたかった。逃げ出したい、だが見たい、相反する二つ気持ちが私の中で葛藤を生じさせその場に凍り付かせていた。

 頭陀袋の中から手に掴んだ蛙が持ち上がる。膝や足下に散らばる蛙の頭や内臓の量から推察すると今日数十匹目の蛙を口へ運び込もうとしていた。ブチブチ、グチャクチャと咀嚼音が暗闇に響き渡る。いったい何匹食べれば満たされるのか。胡座をかいている大腿の上から周り中にぬめぬめと鈍く光る赤黒い肉片を飛び散らせていた。

 吐き出す物が無くなっても空嘔吐きは収まらず身体から力が抜けその場にへたり込んだ。

 ポン!破裂音と共に内蔵らしい肉片が私の顔にまで飛び散ってきた。蛙を握り潰したのだ。隻眼の大きな黒目がこちらを見つめていた。

 噛み潰された蛙の肉片で溢れる口を開き歌声にも似た耳障りの悪い音を発声し始めた。低く掠れた声は不快で忌まわしい音にしか聞こえない。後にあれは詠唱の類では無かったかと私は考察を巡らせる事もあった。

 不意に怒鳴り声に変わりこちらに向かい躄り這いを始めた。蛙の肉片を口から飛ばしながらずるずる近づいてきた。声が次第に大きくなっていく中でだらしなく巻かれ腐りかけた包帯が垂れ下がる腕が私の方へと伸びてくる。包帯の隙間から露出した肌から膿が滴り、爛れ崩れた皮膚には辛うじて真史と同じような入れ墨が見えていた。

 私は悲鳴すら上げることも出来ず尻を付いたまま脚で必死に地面を蹴り後退った。包帯の男が更に手を伸ばし頭の芯が痺れるような大きな奇声を発した。此までにない恐れを感じた。本能的な恐怖、魂を吸い取られるような叫び声、生命への危機が私の本能は身体を飛び起きさせる。しかしそこまでで四肢は震え、力が入らず立つことが精一杯だった。

 背後の奇声と気配に怯えながら震え力の入らない足腰では駈け出すことは出来ず手で闇を搔き、千鳥足で歩を進めた。倒けつ転びつどうにかピラミッドからの脱出は出来たが安堵感はこれっぽっちも湧いてこなかった。この地に留まっている事自体が危険だと本能が悲鳴を振り絞り訴えていた。

 必死で走ろうとするが足腰に力が入らず転びかけたが近くに並べられていた甕に手をかけ転倒を踏み止まった。

 出し抜けに声が掛かり甕に抱きついたまま固まってしまった。

「今日はバサの渦月の日だ。げんいちろも祝ぇ。祝いの贄を喰ぇ」と目の前に蛙を突き付けてきた。

 グェロッと蛙が鳴いた。

 思わず身体を仰け反らせた弾みに甕と共に転倒してしまった。転んだ拍子に甕からは大量の金蝿と蛙が飛び出してきた。金蝿や蛙にまみれ転がり出た物の正体に気付き息を呑んだ。バサだ。バサが甕から上半身を覗かせていた。小首を傾げ見開かれた目は白く濁り、歯のない口は大きく開かれ信じられない程長く伸びた舌は紫に変色しだらりと垂れ下がっていた。口から鼻の穴から顔中の穴という穴から金蠅が嬉しそうに出入りしていた。

 止めどなく沸き上がる嫌悪と恐怖で身体は強ばりその場から動けなかった。歯だけがカチカチと震え鳴っていた。

 真史に襟首を掴まれ並べられた甕の前へ引きずり出された。恐怖で竦み動けない事も有ったが真史の力は強く抗う術も無かった。

「カァメを選べ!オメェ様はカメバサのお供になれャ。狸になれヤ!往き甕を選べぇえ。今日はバサが真の名に戻る日だぁ。渦のコトバヲトリモドスヒダァ」

 真史は目に爛々と異様な光を宿し言い放つが途中から人が発声出来るとは思えない音声へと変わっていった。真史の声に交じりあの奇声が二重唱のように聞こえて来た。今し方やっとで逃げ出してきたばかりだと云うのに。更なる絶望の予感に衝撃を受けた。

 黄ばみくすんだ陽光の中に現れた姿は隻脚の身体を松葉杖で支え全身が包帯で覆われ渦巻紋様の衣服をだらしなくはだけ羽織っていた。解けかけた包帯が幾重にも風にはためき、包帯の隙間から覗く皮膚は腫瘍からしたたる膿でべた付き、黒ずんだ山葵色にぬらぬらと光っていた。あれが真史の父親なのだろう。

 殆ど黒目しかない目は今の真史と同じく狂喜の光を宿していた。相当興奮しているらしく耳障りな音を盛んに発したかと思うと口から蛙の頭を吐き出した。頭は転がり弾み私の目の前で止まった。

 その場から逃げ出そうと怯え震える身体に鞭打ち這い出した。真史の父親は不自由な身体の割に動作は素早く、片足で周囲を跳ね回り奇声を発していた。真史に何か指示を与えているようでもあった。

「こぉれか!これだなぁ!」

 私は真史に軽々と持ち上げられ頭から甕へ放り込まれ、闇の中へと落ちて行った。甕の中で見た最後の記憶はとうに見慣れた渦だった。


 ワイヤーを爪弾くような低く唸る音が酷く神経に障る。音は頭の奥底から鳴り響いていた。その不快な耳鳴りで我に返った私は荒涼とした葦原の只中にいた。傍らには三本足のカエルと渦状紋紋様の刻まれた煤けた石と周りに散らばる甕の欠片だけだった。

 その辺の記憶はかなり曖昧なのだが暫くは呆然としていたように思う。虚ろな意識の中で突き動かされるように立ち上がり潟の畔へと向かった。呼び声が聞こえたような気もした。自分の身長より遙かに高い葦を必死で掻き分け畔へ突き進んだ。

 そこには何も無かった。黒いピラミッドも真史の家も何もかも消えていた。葦が生い茂る荒涼とした潟の景色が広がっているだけだった。辺りを見渡し振り向けば黒い森がぼんやりと浮かんで見えている。頭の芯もぼんやりとし、現実感は無く、強烈な違和感だけが胸に広がり、違う、違う、此処は何処だと体中の細胞が叫びを上げている。先程体験した出来事が夢のようにも感じられているが恐怖と嫌悪感だけが鮮明に残っていた。私は夢現のまま、思い出したように急ぎ自宅への帰路に就いた。あのような家でも私の居場所に違いなかった。

 自宅へ戻って程なく私を襲う違和感の一端に気付いた。それは甕潟の文字を見た瞬間だった。身体の奥底から『違う、これじゃあ無い』と言い知れぬ衝撃が湧きあがって来た。

 甕潟とは私の住んでいる土地の名と云うことだった。発作的に家中を家捜し地図や手紙など引っ張り出し調べた。手紙の住所も地図の地名も甕潟と記載されていた。

 気付いたと云ってもあれだけ身体が違うと叫んでいるにも関わらず此処が私の生まれ住んでいた土地では無いような気がするだけなのだが。

 確信は持てなかった。何故なら以前住んでいたと思い込んでいる土地の名が記憶に無いからだ。ただ『此処は何処だ、違う場所だ』と云う思いと思い出せそうで思い出せない歯痒さが胸で渦巻いていた。

 あの日を境に私は異界を彷徨う羽目になった。何処か違う町の空気。何処か違って見える両親。何処か違う級友達。何もかも違って感じられた。何一つ変わらず、違った所など見つけ出せないのに何かが違う。その違和感に私は嘖まれ続けた。私はこの世の人間ではないと。以前は違う土地に居たような気がするだけなのかも知れないが、あの黒いピラミッドでの出来事から今日までその違和感は消えていない。

 黒い森が外部から来た業者によって伐採され跡形もなく消え去り潟は干拓され水田へと形を変え数十年過ぎた。唯一、三本足のカエルが刻まれた石が畦道の端に残されているだけだった。

 やはり黒い森は結界の役目を担っていたのではないかと思われる。でなければ付近に住んでいた人々があれ程の巨大な黒いピラミッドに気付かないはずがない。黒い森が持つ何らかの力が黒いピラミッドを隠していたか、若しくは黒い森一帯の時空間がこの世とは異なっていたのかも知れない。まるで空想科学小説のような世界だがそれらの事を考察し証明する時間が私には残されていない。それに幾ら無視され続けた忌み人達の事でも徹頭徹尾見て見ぬふりをしていたとも考えられない。彼等と町の人々は暮らしの中での接点は少なく無いはずだ。

 あのカエル石へは数え切れないほど通った。石に刻まれた渦状紋文字を解読し頭から離れない違和感への謎を解く為に。成果は痛惜を残す結果に終わりそうだ。今は蛙石へ通った時間を無駄に過ごしたとは思いたくはない。私にはこの世へ来た理由があるのだろうか。人は常に何かしら答えを求めるものだと最近になって痛感している。

 私はこの町で何処か違う家族と共に生活し、何処か違う父親の言いつけに従い教師の道を進んだ。紛れもなく今まで一緒に生活してきた父母なのだが死に別れるまで共感や愛情などを一切持てなかった。この世の父母は私のことをどう思っていたのだろう。

 あの元いた居場所の無い家でも戻りたい。此処は何処だと云う思いは常に胸の中で騒ぎ居心地の悪さを感じ生きてきた。澄んだ空を見上げても色褪せ、穏やかな涼風に吹かれても濁った空気にしか感じられず砂を嚼むような年月を過ごしてきた。

 私にとっては異邦に感じられるこの町で過ごした数十年も消え去る時が近づいている。 

 

 まだだ。まだ書き残したいことがある。伝えたい事がある。あの民話の中で言及されている渦の言葉と波の言葉についてだ。

 

 私のこの奇怪な経験や状況は二種類の言語とも関係があるのでは

 真史が教えてくれた民話の内容をテキストに・・・・

 ここから先の考えは根拠の無い想像になる。いや妄想なのだろう。だがたとえ妄想や憶測だとしても残せる事は何であれ残しておきたいと思う。

 まだ、まだだ、思いを綴る事は出来るだろう。

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