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甕に帰る狸  作者: futan
受容
19/25

2

 昭和二十一年の夏。

 その日、私は友人に会う為に早朝から線路伝いに新潟市へ向かい歩いていた。この町へ来て三ヶ月が過ぎようとしていたが友人一人作ることが出来ず孤独な毎日を過ごしていた。

 父親は四月にこの町の小学校へ校長として赴任が決まり家族と共に新潟市からこの町へやって来た。私の父親が校長と云う事もあってかクラスの級友達には距離を置かれていた。それもあったがこの閉鎖的な田舎町から見れば新潟市は何でもある羨望の都会だった。その都会から来た余所者と云う事も大きな理由だと思われた。服装や持ち物もこの土地の子供達と違っていた。上等な服や靴、何もかもぴかぴかの私は目立っていた。それがさらにこの土地の子供達を寄せ付けなかった。

 田舎では当たり前の事なのだがこの辺りの土地にも屋号に様が付く様付きと呼ばれる豪邸が数軒存在する。様付きの屋号は代々大地主か武家の出の人々で土地の権力者達だ。新たに様が付く家もある。医師や教師など先生と呼ばれる人種がそうだ。私の家もこの町に居を構えると早々に垂井様と呼ばれていた。それも校長という役職に有ったため近所の人々は私の事を垂井様のお坊ちゃんと呼んでいた。それは学校でも同じだった。同級生達は表では垂井君と呼んでいたが陰ではお坊ちゃんと揶揄されていた。その事は余所者の私と町の子供達の超えられない壁となっていた。

 登下校は何時も一人ぼっちだった。家に帰っても本を読むこと位しか無く、遊ぶにしても周りは田圃と大きな潟しかない。友達でもいれば一緒に潟へ魚取りや泳ぎに出かけることもあっただろう。

 そんな日々の思いから無性に新潟の友人に会いたくなり新潟市へと向かった。線路沿いの周辺は青々とした泥田か鬱蒼とした葦が自生した湿地が続いていた。友達に会いたいが為にいつの間にか早足になっていた。一時間ほど歩くと右手に広大な鳥屋野潟が姿を見せる。潟と言うよりは海のように見えていた。遠くには弥彦山と角田山がぼんやりと浮かび見えている。漁に出る数艘の帆掛け舟が帆を孕ませ白波を立て進んでいた。

 休憩の為に畔へ向かった。岸では漁師が投げ入れた投網の中で鯉や鮒が銀鱗を踊らせている。

 はしゃぎ声が響いてきた。声がする方に目を向けると自分と同じ位の背格好の子供が二人楽しそうに沖へ向かい舟を出して行った。潟周辺に住む子供とって舟は使い慣れた遊び道具の一つでもある。子供達は舟を器用に操り未知の冒険へと出掛けて行くのだ。畔に腰を下ろし暫く舟を眺めていると羨む気持ちが沸いてくる。

 自分も舟に乗り冒険したいなどと思っていると新潟市周辺に数ある潟の伝説が思い出される。それぞれの潟には伝説が言い伝えられていた。ある潟には恋い焦がれた男を追い掛け大蛇に化身した女の話や海賊船が沈んでいると云う潟など数々の伝説が潟ごとに語り継がれていた。

 ここ鳥屋野潟は巨大な亀が住んでいると言い伝えられていた。これから会いに行く友人と舟で潟へ乗りだし巨大な亀に遭遇する場面が頭に浮かぶ。途端友達の所へ急がなくてはと逸る気持ちで目的地へ向かい歩き出した。そこから一時間程歩き友人の住む町内へたどり着いた。父親の馴染みの店だった時計屋のショーウィンドウを覗くと時計は午前十時を指していた。

 この街を離れて三ヶ月しか経っていなかったが随分と懐かしく感じられた。目当ての友人の家を訪ねると偶然玄関から出てくる所だった。私は喜び走り寄ると友人は物珍しそうな表情を浮かべ挨拶をしてきた。私は友人の反応に不審を憶えたが、友人に会えた嬉しさに堰を切ったようにあれこれと言葉を浴びせかけた。しかし友人は無愛想に頷き困惑した表情を浮かべ、これから友達の所へ遊びに行くと言い放つと振り向きもせず私を置いて行ってしまった。

 私は友人の態度に衝撃を受けその場に立ちつくし途方に暮れた。二時間以上もかけ会いに来たのに友人は喜ぶどころか迷惑そうな表情さえ浮かべた。一番の親友だと思っていたのに、その態度に悲しさと悔しさとみじめさに打ちのめされていた。自分居場所がすでにここには無いことに気付かされた。かといって今の自宅が自分の居場所であるとも思えなかった。あの慣れない土地の自宅へ帰ることは気が重く、あそこも自分の居場所では無いと云う思いが大きかった。

 まだ戦争を引き摺っていた時代で海軍で少尉を務め復員してきた父親は厳格でそれに従う母親も躾には特に厳しかった。それは校長という役職のせいもあったと思うが、家での父親は無口で何時も気難しい表情を浮かべ茶の間に座っているか自室に閉じ籠もっていた。殆ど口をきいた記憶がなかった。母親は教育熱心で事あるごとにお父様の顔に泥を塗るような事はするなと立ち振る舞いから勉強の内容まであらゆる事に口を出してきた。当時の私はそんな両親に恐れと窮屈さを抱いていた。

 私には帰る場所が無い。そんな思いを抱き愁然とし元来た道を引き返した。失意を背負いながらあの町へ戻る頃には何処をどう歩いていたのか夕日を浴びていた。たぶん表情は半べそをかいていたはずだ。

 とぼとぼと俯き歩く私は道端に落ちている首飾りらしき物を見つけた。丸く平たい白い石に渦巻きに似た文様が彫られ、藍色の組紐が通されていた。

「ゲェチだ、ゲェチだ」と前方から子供達の声が響いて来た。夕日を浴びた葦原はどんよりとした蜜柑色の空気に染まりその中で数人の人影が蠢いていた。

 そしてゲェチと出会ってしまった。今となっては自分の運命を呪う事しかできない邂逅だった。

 目を懲らし見ると四人の同級生が何かを取り囲んでいた。口々に化け物、汚いだとか臭いとか罵りの声が聞こえてくる。その中の一人が私に気付き嘲笑を込め叫んだ。

「垂井様のお坊ちゃんだ」

四人が振り向き蜜柑色に染まる顔が一斉にこちらを向いた。四人は顔を見合わせると私が父親に密告するとでも思ったのだろう。

「まずい、逃げろ」と叫び、奇声をあげ蜘蛛の子を散らすようにその場から走り去って行った。

 蹲る人影が顔をこちらへ向けた。私はその異様な風体に驚愕し恐怖した。歪な輪郭を持つ顔は大きく、頭髪は殆ど無く疎ら生えているだけで両眼は離れ気味、その上に殆ど眉のない顔はどことなく蛙を思わせた。薄汚れた服装も奇異な物だった。袖を付けた貫頭衣に似たその服は首飾りと同じ渦巻模様が藍で染め付けられていたが経年の汚れや付着した泥の中に埋もれていた。

 ボロボロの服を纏う彼の周りは異様なまでに生臭い臭気と大量の蝿が取り巻いていた。彼は大切そうに麻の頭陀袋を抱え怯えたような眼差しで私を見詰めている。歪な輪郭の顔には石でも投げつけられたのか額や頬から血が流れていた。

 沈みかけた夕日が作る影が異様に黒かった事を印象深く憶えている。私は先ほど拾った首飾りを差し出した。彼の着ていた服にも似たような紋様が有ったからだ。彼は震える手を恐る恐る差し出し静かに受け取った。擦り切れた袖口から覗く腕にも手の甲にも服や首飾りと同じ渦巻紋様が彫られていた。私に敵意がないことを悟ったのかとても気味の悪い人懐っこい笑顔を浮かべた。私は笑顔を返すことも出来ず呆然と異様な容姿の彼を見つめるだけだった。

 突然、彼が大事そうに抱えている頭陀袋がビクビクと蠢いた。彼は思い出したようにそれを背負い、照れ笑いのような表情を浮かべ葦原の中へ消えて行くと同時に湧き上がる五月蠅いほどの蛙の鳴き声に包まれた。四方八方から聞こえ体中に響く蛙の鳴き声のその圧力に恐怖し私は這々の体で居場所のない自宅へ逃げ帰った。


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