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我、異境の地にて此れを記す
私はこの世の人間では無い。これは死んでいると云う意味では無い。
違った意味合いで死んでいるも同然なのだが。この世の人間では無いとは対義的意味合いにおいてあの世の人間と言うことになる。何故このような表現を持ちうるかと問われればこの言葉が今の私を適切に表現したイメージに一番近いからだ。
あの夏の日、私はあの世からこの世へ送り込まれた。人智が及ばないあの世の仕組みが私をここへ送り込んだのだと死の間際になって感じられる。
「何の為に」と問われれば「何の為生まれ、何の為生きる」のかと同等の問いになるだろう。この世で何かの役割があるのかも知れない。そう思う事で少しは救われたような気持ちにもなる。
この世に来てからというもの常に嫌悪を伴う違和感に苛まれ続け日の光は濁り、肌にまとわり付くような湿度を含んだ不快な風しか感じられない。ここは自分の居場所ではないと云う強烈な思いを抱いてこれまで何とか生きてきた。この世へ来て実に八十年近くの時が過ぎようとしている。
だが私はこの世に大人しく捕らわれているつもりはなかった。僅かな史料と民話を手掛かりとしあの世への帰還をする為の手を尽くしたが時間切れが迫ってきた。
私はどうやら最近、認知症なる病に冒され始めたようだ。頭の中から日々、何かが失われ続けている。何を失い続けているのかそれさえも知ることを出来ない。近いうちに頭の中から何もかも失われるのだろう。それは死と同等だ。この世に捕らわれ更には認知症を患った体にも捕らわれてしまった。
今まで出来ていたことが出来なくなって行く。ボタンを嵌められない。靴紐が結べない、手が上がらない。直ぐに躓き転んでしまう。言葉が出てこない。失禁してしまう。今日が何日で何処にいるのだろう。そんな日常が続き始め日々混乱と焦燥が胸に広がりその不安からの恐怖に怒りが湧いてくる。怒りが押さえきれない。
私が今の私でいられこうやって記録をできる時間もあと僅かだろう。
病に冒された私の脳に残っているものはあの幼い日の記憶だけに成りつつある。忘れられるものなら忘れてしまいたい恐怖に満ちた忌まわしい記憶。言葉を失う前に、文字を忘れる前に誰に読ませる訳ではないが記録を、いや記憶を書き残したい思いに駆られモニターの前に座っている。垂井源一郎が生きていた証を残したい。これが老いさらばえ死に行く者の思いの一つなのかも知れない。
文字や言葉には時を超える力がある。願わくは何時か誰かがこの記録を目にしてくれたのなら垂井源一郎という存在も浮かばれるのではないかと思う。




