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再び亀田駅前へ戻ると古林は行き先も言わず勝手に歩き始めた。
「また駅か。今度は何処へ向かうんだ?」
「まずこの土地の事が知りたい。ほら資料を貰ってきた」
古林は使い込み薄汚れたキャンバス地のカーキー色のショルダーバッグから数枚のチラシを取り出した。『亀田遺跡マップ』『亀田区役所だより 特集・亀田砂丘と遺跡』とA4版チラシが目の前に突き出される。
「これが何か蛙男と関係ある物なのか?」
「蛙男発信元の垂井と言う教師はアマチュアの地域史研究家だからな。地元の研究誌への執筆もあったようだ。何故この土地から蛙男情報が発信、いや発生したのか知りたいとは思わないか」
「物見遊山じゃ無いんだ。垂井なる人物を捜す方が先決だろう」
「その必要はないよ。住所は分かっている。だが・・・」
「なら寄り道なんかしないで早くその垂井って教師の所へ向かおう」と古林の話の腰を折った。
「焦るなよ。蛙男発生のバックグランドが知りたい。じゃないと番組に奥行きを与えられない。それにお前は何時ももっともらしい嘘をつくには多くの真実が必要だ。嘘と分かっても、『もしかしたら』と思わせたいと言ってるじゃないか」
「それはそうだが・・・」と正論を吐いた古林に腹が納まらず何か一言言い返したかったが、古林は歩き始めていた。町の方へは向かわず目の前にあるカフェへ向かっていた。
「仲村、探索の前に打ち合わせも兼ねて腹ごしらえしよう。腹が減っては何とやらだ」
古林は店員に豆腐食パンのフレンチトーストを頼み、ミズホはメニューを指差し、自分は腕時計を睨みアイスコーヒーをオーダーする。
「資料館でこの土地は興味深いと言ったよな」と古林は話し出したが番組のスケジュール進行が気になり腕時計を見つめていた。まだ監督もライターも決まっていない。
「どうした。何時ものお前らしくないなぁ。これからが面白くなりそうなのに。何を焦っているんだよ」
「図書館でいいネタでも拾ったのか。チラシを貰いに行っただけだとは言わせないぞ。まだ番組イメージが掴めない。頭の中では特撮番組の蛙男の着ぐるみが動いているだけだ」
古林はいつもの不気味な笑みを浮かべ「落ち着けよ。まずこの土地の特徴である潟の成り立ちから説明しよう。潟の事は知っているか」と言うと資料館から貰ってきたチラシやパンフを広げた。
「潟?説明?長くなるのか・・・」
あからさまに不満そうな表情を浮かべてやる。が、古林は此方の表情などお構いなく小さな口で水を一口啜ると話し始めた。
「潟とは海辺にあり、砂州によって海をから切り離された海岸の湖や潮の干満で水面が現れたり消えたりする場所のことだと国土交通省、環境省は定義している」
そこまで言うと間を置き、また水を一口啜る。
「ここ新潟市周辺では明治初期には百二十もの潟が広がっていたそうだ。越後平野に何故、潟が沢山あると思う」との問いに両手を広げ手の平を見せ、首を振り、分からない、のジェスチャーを見せる。
「大昔の新潟には海岸線に沿って七十キロにも及ぶ砂丘があり、さらに海岸から陸へ向かい平行して十列もの砂丘があった場所もある、幅は最大で十キロあったとこのチラシには書いてある。それに加えて越後平野は沈降していて水はけが悪い土地なのだそうだ。海岸線で作られた砂丘と信濃川や阿賀野川が運んできた砂で作られた砂丘列によって水が堰き止められ沢山の水溜が出来た。それが潟だ。地元の人達は地図にない湖なんて表現していたらしいが。今では干拓が進み、あらかた水田になっている。当時の光景は見渡す限り湖沼が点在していたんだろうな」と古林は手元のチラシを要約した。
「遺跡は砂丘列の高台と重なって発見されている。今回の都市伝説の大本は遺跡も関係しているはずだ。先生の記事にも触れられていた」そう話すと古林はチラシに掲載されている遺跡地図をテーブルへ乗せ差し出した。
「分かった。この水辺周辺の土地には大昔から蛙男伝説が語り継がれていた。実際に郷土資料館には蛙が象られている縄文時代の発掘土器が展示されていた。それが今回の蛙男発生元とリンクしているんだろう」と古林が言いたかったことを先読みする。
「それは無いよ。この辺に蛙男伝説なんてものは存在しない。あの土器に象ってあったのは蛙では無いよ。あれは半人半蛙だ。まさに蛙男だが・・・」
「そら見ろ!古くから蛙男はいたんじゃないか。そうかあれは手足を広げた蛙じゃなかったのか。繋がったじゃないか」
胸に明かりがともる。これで番組の話が進めやすくなってきた。
「仲村、お前は歴史ミステリー的な番組を作りたいのか。違うだろう。蛙信仰など珍しいものではないよ。長野県で出土した土器にも同じ様な物はあるよ。資料館の説明文にも書いてあっただろう。ただの精霊信仰だ。もっと面白い番組を作ろう」
古林の放った言葉にぐうの音も出なかった。その手の番組は自分の目指す所では無い。自分が番組に求めている物は怪しさだ、胡散臭さだ。報道番組出身の反動かも知れない。ある事件の取材で地雷を踏み報道を外され窓際で都市伝説番組を始めた頃は半ば悪ノリで作っていた。自分達が面白ければいいと。この思いは報道番組をやっていた頃から変わらない。だが幸か不幸か報道番組で育ったせいか、ネタの裏取や取材などで可能な限り情報収集し検証を重ねないと気が済まない。事実は事実として番組の土台にしたかった。その事実の上に虚構を展開する為、他のその手の番組とは毛色が違っていた。有りそうで無さそうな話し、無さそうで有りそうな話し、これが自分の目指した都市伝説番組だった。
考え込んでいると、豆腐食パンのフレンチトーストを口一杯に頬張った古林が話し掛けてくる。「キャラクターは蛙男でも蛞蝓女でも構わない。蛙男情報発生の仕組みが今回のキモなんだ。新種の都市伝説が見つけられるかも知れん」
興奮気味に話す古林の口から咀嚼されたフレンチトーストの破片が飛び散る。
「喰ってから話せ。汚いなぁ」と顔や袖を拭う。古林の隣ではミズホが珍しく澄ました顔でこれでもかと苺が乗っかっているパフェを食べていた。
「話、ちゃんと聞いていたのか?」古林は指を舐めながら言った。
「聞いていたよ。反省もした。それで今回のケースは情報の異常な発生の仕方が都市伝説になるかも知れないと言うことだろう。だがなぁ映像としてどうなんだ」
アイスコーヒーの中に浮いている元フレンチトーストの欠片を見つめながら答える。古林の言う事に蛙男が遠ざかっていく。
「例の先生の事なんだが、住所周辺でおかしな現象が起きている」と古林が話題を変えてきた。
「発信元の先生か」
「さっき地図アプリで住所を検索したら垂井邸を中心に半径三キロ位が歪な形で空白表示されるんだ」
古林はiPadをテーブルの上へ置き、指を指した。確かにマップ上に部分的に白く飛んでいる箇所が見られる。
「空白だな。軍事施設でもあるのかな」
「そうだな。軍事施設とか国家にとって都合の悪い物があるのかも知れん」
眉間に皺を寄せ真剣に考え込む古林。
「冗談だ。真に受けるな」
「勿論だ。俺も冗談付き合っただけだ。それにしてもこの表示の仕方は異常だ。空白情報で無く、空白そのものなんだ。まるで液晶の画素がそこだけ無いように真っ白に表示されている」
「故障だろ。どうせ改造とかしているんだろう」とぞんざいに言い放つと早くその先生の所へ行こうと急かせた。
「液晶の故障でもアプリの不具合でもない」と古林は画面をスワイプし他の画面を表示する。空白は表示されない。元のマップ画面に戻ると目を射るように白い空白が再び表示された。
古林と思わず目を合わせる。表示された空白に違和感が沸き上がる。古林はほんの一瞬考え込む仕草を見せると地図アプリの空白など無視し嬉しそうに宣言した。
「腹も膨れた。亀田の探索に出かけるぞ」
まるで遠足気分だな。だが時間がと再びスケジュール進行が頭に浮かぶ。自分だって何も下調べしないで来た訳じゃない。この地域の怖い話系は地域掲示板などで時間が取れるだけ下調べはしてきた。
細い小路だらけの迷路の町とか亀田を縦断する信越線の一定区間は人身事故が多くそれに付随した幽霊の目撃例位のもので目を惹くようなものは無かった。ましてやUAM系情報などは皆無だ。現地へ行けばそれらしい蛙男が出そうな心霊スポットや不気味な場所があるのではと考えていた。しかし駅前の風景を見る限りありふれた地方の町風景だったし、移動中にタクシーや電車の車窓から見えた物は広がる水田と果樹園だけだった。蛙男と結び付きを感じる物は田んぼ以外思いつかなかった。
水田に出没する蛙男。
闇夜の水田を背景に畦道にポツリと佇む蛙男が脳裏に浮かぶ。まだ言葉にする事は出来ないが自分の思い描くイメージでは無いとの思いが湧いてくる。都市伝説と言うからには都市部じゃないと様にならないのか。
それに此処へ来る前、古林は今回の主役は蛙男情報の発生の仕方が主役だと言い放った。いつの間にか都市伝説の主役が蛙男から発生の原因へすり替わっている。原因究明への映像化がイメージ出来ない。番組プランの見直しをしなければならないかもしれない。時間が無いと思うとより一層の焦りが胸一杯に広がって行く。
「さっき言い忘れたが潟の遺跡群が垂井邸の回りに点在している。蛙男と関係が有りそうだと思わないか」と古林が此方の心中を知ってか、知らずか慰めるように言ってきた。
亀田のメインストリートは狭い道を挟み両脇に雁木が続きその奥で商店が寄り添いひしめき合っていた。人影も交通量も少なくシャッターの下りた店舗も多かったが、初夏の澄んだ青空のせいか寂れた様子は感じられない。仄暗く狭い雁木を歩いていると漂ってくる芳ばしいお茶の香りにホッとする。何処か懐かしさを感じる長閑な町並みが続き、午後の柔らかな光りに溢れた商店街は穏やかにのんびりと時間が過ぎて行くようだ。
古林はiPadを頼りに商店街と地図アプリを見比べながら何かを探しているようだった。
「渟足書房出版部を探しているが、見つからん」
「今度は本屋か。何時まで道草をする気だよ」
思わず呆れ声が漏れる。
「先生のパソコンを調べたときに渟足書房出版部宛のメールのやり取りが幾つか見つかったんだ」
「何時も思うが、お前のやっている事は犯罪だよな」と言った途端に古林の濃い二重瞼から覗くつぶらな瞳に涙が滲む。
「分かった、分かった。お前のお陰で番組作りが出来ている。だけどな・・・」
言いかけ言葉を呑み込む。それ以上突っ込むと話がややこしいことになるのは目に見えている。早々に話を切り上げた。しかし情報ソースを不正な手段で集める事に対して如何なものかなどと思い悩んでいる隙に古林はいなくなっていた。辺りを見渡すとミズホもいない。
「古林の奴、臍を曲げたかな。面倒臭い奴」と愚痴と共に溜息が漏れ出る。
古林達を探し雁木を歩いていると廃業した店舗を利用した地域交流スペースのショーウインドに貼られた数枚の四つ切りモノクロ写真が目に入る。昭和二十年代頃のこの地域を今に伝える写真だった。目を惹いたのは鳥屋野潟と題された写真で当時の潟の様子が写し出されていた。広大な湖が広がり遠くに山々が写っている。帆掛け船も数艘浮かんでいる。何処か銭湯のペンキ絵を連想させる写真だった。他の写真には胸まで浸かり田植えをする農民の姿や田舟で収穫した稲を運ぶ風景や洪水に襲われた村が写し出されていた。古林が持ってきたチラシにも使われている写真も見られた。
「まるで大きな湖か海みたいな風景だよな」
突然横で声がする。隣で古林が身を屈め覆い被さるようにショーウインドウを覗いていた。
「何処へ行ってたんだよ」
視線を声の方へ移すと古林とミズホが頬っぺたを膨らませモゴモゴと顎を動かしていた。
「食うか。ティラミス大福だぞ。そこの店にあった」
ミズホは万平菓子舗と印刷された紙袋まで下げていた。
「お前ら観光に来ている訳じゃないんだぞ。それにさっきトースト喰ったばかりだろ」
思わず鼻から大きな息が漏れる。
古林は口一杯に頬張ったまま何か言い掛けてきたがそれを押し止め数回頷く。大福の破片を浴びるのはゴメンだ。
「デザートだってか」
首を縦に振る古林はまだティラミス大福の残る口で「ここから先は空白地帯だ。道を聞いていたんだ。ほらコレ」と『かめだお散歩ガイドマップ』を広げて見せた。
ガイドマップに順い商店街を離れ住宅地へ入る。所々に朽ち果てた廃屋がぽつりぽつりと目立っていた。歩き始めて直ぐにこの町はまるで迷路だと思わずにはいられなかった。曲がりくねった小道が縦横に絡み、歩いていると方向感覚がおかしくなる。古林を先頭に進んでいたがガイドマップが大雑把すぎるのか幾度となく袋小路に入り込んだり、同じ所を行ったり来たりと右往左往していた。その都度古林には小言を漏らしていた。
昼下がりののんびりとした日差しは時の流れを緩やかに感じさせていた。狭い道の割には車や人の往来も多かった。どの家にも草花や植木が溢れている。この町の住人達は花や植木が好きらしい。それにどこの家の玄関先にも狸や蛙など可愛い置物が置かれている。
不意に梅の香りが漂ってきた。梅の開花時期でもないのにと不思議に思っていると住宅地を縫うように沢山の梅の実を付けた梅林が現れた。香りは実を付けた梅の木からだった。この町名物の藤五郎梅の梅畑と立て看板に記載されていた。梅の里通りと表記された高さ一メートルほどの白い柱あり、その柱には順路番号が記載されていた。梅の花が盛りの頃の花見コースなのだろう。
歩き始めて一時間が過ぎようとしていた。ガイドマップをもらった店から空白地帯まで一キロ位のはずだったが、いい加減着いてもいい頃だ。
「まだ着かないのか。ガイドマップを貸せよ」古林からガイドマップを取り上げる。
「ここが梅の里通りで・・・何だ。まだ空白地帯の外れじゃないか」
「それが目的地へ向かって進んでいたはずなんだが・・・。道に迷ったかな」
「なぁ古林、時間が押している。早く戻って企画書を仕上げたい。脚本の羽間も待たせているんだ」
苛立ちを隠せず声がきつくなる。が、気付けば古林に任せっぱなしにしている自分にも非は有るのだと冷静さ欠き声を荒げた自分が恥ずかしく思えてきた。
「分かっているよ。でもこの町の造りは面白いな。まるで迷路みたいじゃないか」
此方のきつい言い方も物ともせず笑顔で答える古林を見るとちょっぴり気恥ずかしさを覚える。
「そう言えばさっきの店でおばちゃんがこの町では左回りをしてはいけないよと話していた。左回りをするととんでも無い所へ迷い込むそうだ」
「道に迷ったのは左回りをしたせいだと・・・。わざと左回りをしたのか?」
古林の言葉に思わず今まで歩いてきた道筋を思い浮かべる。
「仲村、店のおばちゃんは笑いながら冗談交じりで言ってたんだよ。この辺は小道が複雑に絡み合っていて土地の人さえ迷う事もあるそうだ。初めてこの町へ来た俺達が道に迷うのも不思議はない」と古林は周りを見渡し言葉を継ぐ。
「この町をどう思う?」
「花や植木が好きな住人が多い所だ。どの庭も良く手入れをされている。それと・・・空き家や空き地が目立つな。過疎が進んでいるようだ」
「他に歩いて何か気になった事は無かったか」
古林は此方の都合は意に介さず問い掛けてきた。迷子になっている事も時間が押している事も気にしていない。ただ何かを話したいだけなのだ。何を言っても無駄なことは自分がよく知っているし珍しく古林がはしゃいでいる。コレはコレでかなり興味深い。長い付き合いだがこんな古林は初めて見る。今は古林の気が済むまで話に付き合うしか無いらしい。
妙に物わかりの良くなった自分を褒めてやりたくなった。物分かりが良くなった理由は他にもある。この町並みを見ていると心が和む。何よりも空が広く青々と澄み渡っている。それを遮る物があるとすれば遠くにぽつりぽつりと疎に見えている巨木くらいの物だ。それだって空を隠す程大きくない。風も光も空気の香りも違うのに故郷に重ね合わせている自分がいる。空が広いと心も広くなるものだ。
古林は此方の様子を観察しながら相変わらずニヤニヤと周囲を見渡している。まだ何かあるのか、本当に面倒臭い奴だなと今まで歩いてきた町並みや家々に思いを凝らす。
「そう言えば、蛙と狸の置物が妙に目立っている気がする」
質問の応答を聞くや否や我が意を得たりと古林が口角を上げる。
「この町は蛙と狸の密度が高すぎないか。空き家、廃屋、空き地にまで転がっている」
「珍しくも無いだろう。蛙も狸も縁起物だし。無事カエル、若ガエル、お金がカエルとか語呂合わせの験担ぎだ。家の守り神みたいな物だろう」
目の前の庭先で蹲る蛙や狸を見つめ答える。確かに狸も蛙も複数体置いてある家が殆どだ。多い家には五、六体置いてある。
「では狸はどうだ?」
「狸の置物と言えば信楽焼・・・。商売繁盛の八相縁起かな。これも験担ぎの縁起物だな」
「狸についてはそれだけか?」
「他に・・・何が?」
愛嬌を振りまく信楽焼の狸をしげしげと眺め古林が口を開く。
「愛嬌があって人を化かす動物。この辺が一般の人々のイメージだと思う。それよりも狸の語源が興味深いんだよ。一般的な説が武具の『手貫』から来ている。刃から肩や腕を守る籠手のことだな。それから『田の怪』や死んだふりをして『い出し抜く』からとか、人の魂を抜き取るので『魂抜き』なんて説もある。妖怪っぽいだろう。もっとも狸が化けたり化かしたりするようになったのは中国から来たイメージらしいが大昔の日本では狸も蛙も神様だった。『田の怪』も『田の神』じゃなかったかと思う。俺は魂抜き説を推す。そっちの方が面白いもんな。いかにも。だろう」
「タマヌキ」と素っ頓狂な声が思わず漏れ出た。
「仲村。今、変な事、想像しただろう」
「狸と言えばキンタマだろう。タヌキがキンタマを引っこ抜くのかなと・・・」と自分の言ったことに動揺する。後で刺すようなミズホの視線を感じる。
「そのタマじゃない。魂のタマだ。魂抜きからの狸だよ。狸の有名な話だ。ネットに上がっているよ」
「そうなのか?どこで有名なんだ?狸の語源由来は誰でも知っているものなのか?」
不意に道が開け目の前に道路が現れた。国道を示す紺色の標識に白抜きで49の数字が見える。その向こう側には見渡す限りの水田が広がっていた。風に波打つ緑の絨毯が目に心地良い。彼方には青く霞み浮かぶ山脈が見え、それに覆い被さらんばかりに大きな入道雲が湧いている。古林と与太話をしているうちに町を抜けたようだ。水田前の国道は幹線道路らしく頻繁に車が行き交っていた。
「どのみち蛙男はオマケみたいな物だよ。本番はこれからだ」と古林はミズホを見た。
ミズホは青ざめた表情で水田を見つめ立ち尽くしている。視線の先には水田の真ん中にポツンと小山が見えている。高さ二、三メートル、幅は二十メートルあるか無いか位だ。小山と言うより塚と言った方がしっくり来る。古林はiPadに一瞬目を落とすと国道を横切り塚へ向かい畦道に分け入った。まだ目的の家へは行かないのか?それにミズホも具合悪そうだと声を掛けるが古林は振り向きもせず大丈夫だ。心配することはないと言いながら塚への歩を止めない。以前も何回かこんな表情のミズホを見たことがあった。彼女が異能を発揮している時だと古林が言っていたが実際に直接異能を発揮した結果を見たことは無かった。古林とミズホの二人で問題を解決し自分には情報だけが入ってきていた。
ミズホの異能力は縁だと言っていた。今ひとつ何の事か分からない。もう一つ言い方の超常現象系検索エンジンの方が何となく分かるような気もするが・・・。それも気がするだけで理解している訳ではない。振り向くとミズホは動かず立ち尽くしていた。もしかしたら目の前に見えている塚の所在を捜し出したことが異能を発揮した結果なのだろうか。
ミズホを後に古林を追い掛ける。白詰草や蓮華草に覆われた塚の中程で半分埋もれかけた軽自動車ほどもある石を古林は見ていた。薄墨色の石で表面に渦巻状の模様が彫ってあるように見えるが、風化が激しく何が刻まれていたのか分からない。
「この石は・・・?」
「ああ。これ分かるか」
古林は石の上を指差した。
一つだけはっきりと確認出来る彫り物がある。蛙だ。経年の風化も物ともせずそこに蛙は彫られていた。疑問が沸く。古林は蛙男などオマケみたい物だと言いながら半人半蛙といいこの石に刻まれた蛙といい結局蛙男を追いかけている。古林は何がしたいのだと彫られた蛙を睨み付けた。
「この蛙は脚が三本しかないな。一本削れて無くなっている」
「違うよ。それは三本脚の蛙だ。『せいあじん』だな・・・」
古林は小さく呟く。
「せいあ・・」
「青蛙神だよ。『ちんわせん』とも言う。天災を予知する力を持ち、金運が上がる縁起の良い福の神とされている。他にも金蟾、三脚蟾蜍なんて呼び名もあるこれも金運、財運の象徴とされている」
「全く蛙だらけ・・・だな」
石に刻まれた蛙に触れたその時、絞り出した悲鳴みたいな声が上がった。
「離れなさい!それは『禍得る』だ」
ミズホが声の限り叫んでいた。振り向けば鬼の形相でミズホが立っていた。
場の空気が揺らぎ、風が凪ぎ周囲から音が消えた。
ゲコッ。何処かで蛙の鳴き声がした。ゲコ、ゲコ、グェッ、グェッ、周りから蛙の鳴き声が沸き上がる。増大して行く蛙の鳴き声に取り囲まれ、塚周辺が鳴き声で埋め尽くされた。脳髄を刺すような鳴き声に思わず耳を押さえるが頭の中で蛙達が盛大に合唱をしている。蛙の鳴き声は止まることを知らず大きく響いて来る。頭が締め付けられるように痛み体中から力が抜け膝を付きへたり込んだ。蛙が奏でる第九が頭の中で破裂した。
気が付くと耳に手を当てまま膝を付き蹲っていた。カエルの鳴き声も聞こえてこない。だが頭の奥底で微かな耳鳴りにも似た音が響いていた。張り詰めたワイヤーに強風が当たり唸っているような音だ。周囲を見回すと古林が口から涎を垂らし寝惚けた表情で空を睨んでいた。ミズホは俯き立ちつくしていた。俯いているため表情は見えないが具合の悪そうな表情をしていることは想像できた。
「おい古林、大丈夫か」と声を掛けると古林はゆっくりとこちらを向いた。
「始まったな」と涎を袖で拭いながら古林が言った。
「何が、何が始まったんだ」
「解らんよ。でも今の現象は何か前触れだとは思わないか。それより耳から手を離したらどうだ。聞き取りづらくないか」
古林に言われ、まだ耳に手を当てたままの自分に気が付く。
「あれほどカエルの声は・・・聞いたことがない」
耳から離した両手を見つめ呟いた。
「ここでのミッションは終了みたいだ。次へ行こう」
「ミッション?何のことだ」
「ミズホの力は縁だと言っただろ」
ミズホは既に畦道を歩き出していた。
「だから解るように説明しろよ。お前はいつも言葉が足りないんだよ」
「今、ミズホは力を発揮している最中だ。縁の力によって動いているんだ。本人だって何処へ行くか何て解っちゃいない。足の向くまま気の向くままだ。だが核心へ近づいていることは確かだよ」
やっぱり何を言っているのか理解出来ない。此奴の説明能力は拙い。いや欠けている。呪いの言葉の一つでも放ってやろうかと身構えたが古林達は塚を後に道路を渡っていた。思いっ切り鼻から息を吐くと二人を追った。あれだけ気持ちの良かった風も空模様も何処か違う風景に感じられ、色褪せ沈んで見えていた。頭の隅で微かに聞こえる耳鳴りがまだ収まらず更に不快感を引き上げていた。耳鳴りに交じり遠くでチンドンのお囃子を風が運んできた。




