84話:フィルビーという少女
〜前回のあらすじ〜
勇者クレスとその妹のアンカ────大陸北部へと向かう航海中、かつて物資を分けた元盗賊の彼等と再会したアルスは再会を喜び合いつつ会話に花を咲かせる。
話の中でクレスは言った。今回の遠征で"巫女の救出"という大義を成し遂げて、過去に多くの逸話を残した大陸北部の英雄達の様になりたいと……
そんな青年の前向きな思いに当てられて、勇者アルスもまた今後の自身の行く末に少しの希望を抱くのだった。
すやり すゆれり
泡沫 想う 廻る生命
転ぶ魂 光へ 還る 未来は
──────それは美しく心地の良い歌だった。
歌詞の内容はやや難解……だがそこに込められた意味は、彼女から発せられる優しい声色から何となく理解することが出来る。
きっとこれは"大切な誰か"のために送る唄……だからこんなに綺麗で静かで、聞いていてすごく落ち着くんだ。
「ア、アルス……さん……?」
不意に青年の存在に気付いたのか、海と向かい合っていた白衣の少女が黒いミディアムヘアを揺らして此方へ振り返る……その顔は林檎の様に朱を帯びていた。
それは遠征初日の夜、大陸北部へと向かうサンテ海峡への航海中にて勇者アルスと聖職者の少女・フィルビーが対面した瞬間だった。
「え、えっと……もしかしてずっと聴いてました……?」
「わ、悪い……!盗み聴きするつもりはなかったんだが……」
「は、はわわっ……恥ずかしい」
何となく眠れなくて甲板に出たと同時に勇者の耳が捉えた流麗な歌声────それはきっと彼女からすれば誰かに聴かせる意図はなかったのだろう。
人間だった頃より聴力が強くなった今の身体でなければ、波風の音に儚く掻き消されてしまいそうな程に微かな音だったから……
聴かれてしまった事に動揺して顔を覆うフィルビーに対し、アルスは軽く首を振って答える。
「恥ずかしくなんてないさ……前に聴いた時と同じで、綺麗だった」
「……っ!そ、それはどうも……っ」
刹那、目の前の少女は何故だか白いフードを目深に被り黙り込んでしまう。
以前同じように歌を褒めた時に見せてくれたのとは少し異なる反応に軽く戸惑うも、今は先に確認しなければならない事があると勇者は口を開く。
「ところでその……怪我はもう大丈夫なのか?」
それは現在、かつて身に付けていた装飾代わりに彼女の額に巻かれている"包帯"の存在について────
神秘の森大戦の終盤、フィルビー・マーガレットは魔王ハイルの攻撃を受けて頭部から流血する重症を負った。一角獣の騎士が言うには、彼女は自身の治癒魔法で治療を行ったらしいのだが……アルスにとっては後遺症が残ってないか心配だったのだ。
「え?あぁ……!まだ時々痛みますけど、ほぼ治りましたよ!心配してくれてありがとうございます!」
「本当か?我慢してるわけじゃ……」
「大丈夫……神父様がまた、守ってくれましたから」
そんな勇者の不安を察したのか、白衣の少女はあくまで気丈に振る舞いつつ懐から何かを取り出す。
「それは……!」
透明な袋────その中に入っていたのは、原型が分からない程に粉々になっている金属片……恐らくは城塞都市クヴィスリングでも上級魔族の攻撃から彼女を守ってくれたらしい"ヴァイゼン村の神父の形見"だ。見た瞬間、思わず勇者は表情を曇らしてしまう。
「すまなかった……あの時、俺がちゃんとしていれば……」
「謝らないで……アルスさんはあの時、私達を守ろうと必死に戦ってくれたじゃないですか。むしろお礼が言いたいくらいなんです」
「それは俺の台詞だ……フィル」
「え?」
家族からの大切な贈り物……きっとすごく辛いはずだろうに、それでも尚自身を励ましてくれる彼女にアルスは改めて向き合う。
かつては気恥ずかしくて出来なかった、そう呼んでほしいと言われた愛称で呼んで……
「あの時、君は事情も知らなかったろうに疑いもせず俺を助けてようと動いてくれた……今までだってそうだ。俺は、ずっと味方でいてくれる君の存在に本当に救われているんだ」
「ア、アルスさん……!」
「……アルスでいい」
「ふぇ?」
「君が俺にそうしてくれたように、俺も出来る限り君に寄り添いたいんだ。だからそう呼んでくれ……フィル」
「……うん、わかった……アルス」
かくして二人の距離は今までより深く縮まることとなった。
魔物と聖職者────本来であれば絶対に相容れる事はない正反対の属性……それでも今のアルスにとっては一番心地の良い関係だった。
「も、もう……いきなりずるいですよ……そういうの」
「わ、悪い……やっぱり元に戻した方がいいか?」
「気にしないでください……アルスがそんな感じなのは、よく分かってますから」
「あ、あぁ……?」
「それよりその、えーっと……今回の遠征でカリヴァさんさんに関する手掛かり、見つかると良いですね」
「……そうだな」
「……やっぱり気になりますか?あの騎士さんの事」
「あぁ……」
そう思った直後の事、不意に流れた妙な間を誤魔化すように転換された話題にアルスは思わず言葉を詰まらす。
"穢騎士ヴォロス"
城塞都市都市クヴィスリング事変と神秘の森大戦……二つの戦場で現れ多くの人々を殺害したその騎士は、今や大国アミナス教国から新たな上級魔族として指名手配を受けている。
もしも奴の正体が、以前騎士団長が言っていたように彼だったとしたら……
「フィル……?」
──────不意に温もりを感じた。
気が付けば、少女は真っ直ぐに此方を見据え、優しく手を包み込んでくれていた……その姿に罪悪感に苛まれていた心が少しだけ軽くなる。
「……大丈夫」
「……!」
「大丈夫ですよ、アルス」
「なんでそんなに……俺は、仲間を見捨てて逃げ出したような男だぞ……?」
「……"過去は変えられない、でもこれからの行動は変えられる"」
「……?」
「あなたが私に教えてくれた事ですよ……アルス」
「あ……」
直後、少女から言われた言葉にアルスは目を見開く。思い出されるは冒険開始当初、ヴァイゼン村での戦いを終えた後の記憶……
"フィルビー、俺もかつて今の君と同じようなことを考えたことがある。でも起こってしまった事は変えられない。その答えは多分……一生出ないよ"
"ただ、君のこれからの行動で救われる人達はいるかもしれない……俺から言えるのはそれだけだ"
確かあの時、フィルビーは自身が何か行動していれば大切な人達を救えたかもしれないと過去の行動を悔いていて……そんな彼女にアルスは自身の過去を重ね、言葉を掛けたのだ。
そしてそれが今、自分に返ってきた。
「確かにあなたが思ってるように、この先に待ち受けている真実が残酷な結末である可能性は否定出来ない……それ自体はアルスが後悔している過去に起因してるものかもしれないから」
「……」
「でもね……たとえ過去が間違っていたとしても、アルスがその事実を受け止めて正しくあろうと足掻き続けていたのを私は知っています」
「何を……」
「だってそうでしょう?あなたはずっと……カリヴァさんとシオンさんを探し続けてきたんだから」
「……!」
「その行動が間違ってるなんて、誰にも言わせない……!もし足掻きの末に待っている未来が最悪な結末だったとしても、私があなたを支える……アルスだけに背負わせたりはしない」
だから大丈夫────あの時とは真逆の立場の中、そう言ってフィルビーは笑い掛ける。
無責任ではない、苦しみを共に分かち合わんとする覚悟……自分より少し年下の少女とは思えない精神性に青年は思わず顔を覆って呟く。
「なんで……そんなに優しいんだ……君は」
「人に優しくするのに理由なんて要りませんよ……でも強いて言えば、そうだなぁ」
「……?」
「仲間だから……家族を失って孤独になった私に新しい居場所をくれたから……────色々と理由はありますが、一番は共感出来るから……かな」
「共感?俺に……?」
「うん、だって……私も、友達を探してるから」
その呟きに対する答えは、アルスにとって到底予想し得ないもので……思わず衝撃を受ける青年に説明するように、少女は目を伏せて言葉を紡いでいく。
「前に教えましたよね?私が"孤児"なこと……実は神父様に拾われる前に、故郷で仲良くしてくれたお友達がいたんです。辛いことがあって、泣きながら彷徨っていたところに声を掛けてくれたのがキッカケになって……」
──────その子は生まれて初めて私の話を親身に聞いて、寄り添ってくれました。
それは家族に捨てられ、友達もいなかった私にとってかけがえのない経験で……向こうも同じだったのか、私達はすぐ仲良くなって"お友達"になりました。
でもそんな幸せも長くは続きません。
あの日、魔物……に見つかった時に全てが崩れて、終わりを迎えてしまいました。
私はあの子に助けられたおかげで何とか逃げ延びることが出来ましたが、あの子は……あれ以来姿を見ていません。
やがて一人ぼっちになった私は神父様に拾われて幸せな日々を過ごしていましたが、そんな中でもどこか心に引っ掛かるものはありました。
私一人だけが生き延びてしまったこと、もし私があの時逃げなければあの子のことも救えたんじゃないかと……でもあの地獄に戻るのが怖くて、結局私は何もしませんでした。
全てを失ってしまったあの日まで……
「────でもあの日……アルスが罪悪感と後悔で動けなかった私に、前に進む勇気をくれた」
「……!」
「"私のこれからの行動で救われる人がいるかもしれない"……あなたから貰った言葉のおかげで漸く、私は友達を探す決心が付いたんです」
「そう、だったのか……」
「だからあの後、アルスさんがカリヴァさん達を探してるって聞いてすごい親近感を覚えました……同時にこの人の力になりたい、とも」
「……」
少女の語りを最後まで聞いて、青年は深く息を吐いた。
いつも明るい笑顔を振り撒いてくれた少女が見せた過去の一端は、アルスが苦しめられていた罪悪感を孕んだもので……図らずしも二人は似た者同士だったのだ。
「……その友達とは北部で?」
「はい、もう何年も前のことですから遅いのかもしれません……それでも、何もしないのはもう嫌ですから」
「そうか……」
「それに、アルスさんとクレスさんみたいに案外どこかでバッタリ再会するかもしれませんしね!」
「ははっ、そうだな……そうなると、いいな」
それから二人は沢山、夜景を眺めつつ語り合った。
以前には話さなかった過去の思い出、楽しかったこと、苦しかったこと……それらをより深く、深く。
「……っと、そういえば今何時だ?そろそろ寝ないと」
「そうですね……えへへ、楽しいとこんなに時間が経つの早いんですね」
そうしてついつい話し込んで時間が経ってしまったことに気付き、そろそろ区切りを付けようとした……その時だった。
「ゔ!う、うぅ……っ」
「……フィル!?」
────突如として額を抑え蹲るフィルビー……一人苦しむ少女の姿を、アルスはただ側でしばらく見守っているしかなかった。




