81話:遠征開始
ゴトゴト、と馬車の揺れが身体に伝わる。
聖地・アミナス教国を出発してからしばらく経ったある日……漸く遠目に見えてきた目的地は、勇者アルスにとって見覚えのある場所だった。
"フリューゲル港"
それは大陸中央北側に位置する、海峡により隔てられた大陸北部との交易の際にかつて使用されていた港の名前。
北部が魔族の支配下に入った現在、必然的に交易の機会がなくなりそのまま廃れてしまった……はずなのだが、どういう訳か港に迫る勇者達の視線の先では一隻の船が待ち構えている。
「うおっ!なんだありゃ!?デケぇ……!!」
「ア、アレがもしかして……"船"なの?」
それは大陸北部への遠征用に用意された大型船だった。海に浮かぶ巨大な物体に興奮を隠し切れない様子のウォルフとレヴィン……かくいうアルスもここまでの代物を見るのは初めてで、つい視線が釘付けになってしまう。
「そうです!今から皆でアレに乗って海を渡るんですよ!」
「アレにか!?あの馬鹿デカいのが動くのかよ!?」
「そうよ、ほら見て……至る所に大きい布が張ってあるでしょ?アレは"帆"って言って、風の力を受けて船を前進させるの」
「か、風の力って……まさか魔法を使って?」
「はい!自然に吹いてくる風だけを頼りに船を動かしていた時代もあったらしいんですけど、現代では魔法の力で風向き関係なく自由に動かせるそうなんです」
そうしていると、不意に同乗していた二人の少女が船に関する詳しい説明をし始めた。
シオンとフィルビー……どうやら二人は自分達と出会う以前に実際に乗船する機会があったらしい。
「自然の風だけって……完全に運頼みじゃねえか!昔の人類全員イカれてたんじゃねえのか?」
「ロマンよ!ロ・マ・ン!!男の子はそういうの好きでしょ?……ま、実際風が吹かない事態が長く続いて船に乗った人が全員亡くなっちゃった事故も大昔にはあったらしいんだけどね?」
「ひっ……」
「あ!でもでも!!そんなのはほんと稀だったみたいですよ!?自然の風が長期間発生しないなんてすごい珍しい現象みたいですから……それに今は風魔法で動かせますし、そんな心配しなくて大丈夫ですよ!」
「まぁ、そういう事なら……わっ!?」
──────そうして会話に花を咲かせていると、不意に軋む音を立てて馬車が止まった。
思わず身体に力を入れて何とか堪えるアルス……どうやら話している間に目的地に辿り着いたようだ。
前方には先程遠目から見えていた港と大型船が間近にハッキリと、そして今回の遠征任務に共に参加するであろう魔道士達の姿が広がっていた。
「皆、ここまでご苦労……どうやら我々が最後のようだな」
圧巻の光景に軽く息を呑みつつ馬車を降りると、横から聞き覚えのある凛々しい声が聞こえる。それはアルス達とほぼ同時刻にこの港へ到着した一角獣の騎士のものだった。
彼女は同じ騎士団所属と思われる数名のエルフ達に声を掛けた後、白金の長髪を靡かせながら此方に近付いて来る。
「えっと……グラシア様、その子は……?」
その隣には初めて見る癖毛が特徴的なエルフ族の少年が一人……長命のエルフ族故当てにはならないが、見た目的には十数歳程度といったところか。
やや幼さを残しながらも整った顔立ちの少年についてレヴィンが尋ねると、グラシアは軽く頷いて彼へと手を差し向ける。
「紹介しよう……アルス、彼が君のもう一人の監視員であるリュースだ」
続く紹介にアルスは目を見開いた。
確かにこの前当作戦の説明を受けた際に騎士団長からグラシア以外にもう一人監視役を付けると釘を刺されていたものの、まさかこんな子供だとは……
──────同じ感想を抱いたのだろう。レヴィンは少年を前に少し屈みながらも「こ、この子が……?」と目を丸くしていた。
「……あまり近寄らないでください」
しかしその行動にリュースと呼ばれた少年が返したのは汚いものを見るかのような表情と拒絶の言葉……
隠しもしない嫌悪にムッとした顔を見せるレヴィンだったが、当の彼は意に介した素振りすら見せず歩き出し……アルスの前で立ち止まる。そしてポツリと呟いた。
「魔物モドキ……ボクはあなたのこと、認めませんから」
「……ッ!!」
それは明確な"敵意"だった。
まるで大陸に生きる人々が魔族に向けるような憎悪が込められた冷たい眼差しに、アルスは痛い所を突かれたように思わず閉口してしまう。見かねたのか、すかさずグラシアが「こら、リュース」と間に入るが……
「グラシアさん……貴方もですよ」
「なんだと……?」
「どうしてレイア様をみすみす奪われてしまったんです?あなたとペルデール団長が付いていながら……!」
「それは……くっ」
「挙げ句、魔物に慈悲を与えるなど……あなた方には心底失望しました」
「ま、待て!リュース……!」
少年の怒りは収まらない……どころか窘ようとした同族のグラシアにも冷たい口撃を浴びせ、制止も聞かずに踵を返し立ち去ってしまう。
突然の事態に動揺したのか、はたまたグラシアも痛い所を突かれたせいか、彼を追いかける事はせず苦い表情で胸元に手を当てて押し黙る。
「何あの子!ヤな感じ!!」
「……初めて会った時のレヴィンに少し似てるな」
「は、はぁ!?全然違うから!!」
「……すまない皆、あの子はその……少し人見知りなんだ。どうか許してあげてほしい」
「……どうして彼は監視員に?」
その様子にレヴィンが顔を赤くして声を荒げる一方、アルスは純粋な疑問をグラシアにぶつけていた。
人間から魔物に変えられた自身の存在はスーヤ騎士団にとっても極秘情報なはず……知っているという事は見た目に似合わず相応の地位を持っているのか?────そんなアルスの疑問に答えるようにグラシアは「あぁ……」と言葉を続ける。
「あの子は私と同じエルフだが、見た目通りまだ若い……だが、それを補って余りある特殊な力を持っている。今回の遠征における君の監視員に選ばれたのもそれが理由だ」
「特殊な力……?」
「いずれ分かるさ……とにかく、その力のお陰で彼は将来的には騎士団入りが確実視されている所謂"見習い"の立場なんだ」
「わぁ……エリートなんですね!」
「あぁ、それに彼はレイア様からも目を掛けられていてな……故に今回の事件は辛いだろう」
私があの方を守れていれば……そう言って拳を握りしめたグラシアの姿に、アルスは期せずしてかつて幼馴染と引き剥がされた後の自分を重ねた。
巫女・レイアが魔王に攫われた事実は大陸中の人々にとっても悲劇だったが、普段の彼女の人となりを知る彼女達エルフ族からすればその辛さは想像を絶するものであるはずだ。
「あんま自分を責めんなよグラシア、アンタはアンタであの戦争を全力で戦い抜いたんだ……他の誰も責めやしねーよ」
「そ、そうだよ!アルスもグラシア様も、あの子が言った事……気にしなくていいから!!」
そんなグラシアの心中を察してか、必死に慰めの言葉を連ねるウォルフとレヴィン……
最中、小さく呟かれた或る少女の声を勇者は聞き逃さなかった。
「まぁ……グラシアさんとペルデールさんが甘すぎるだけで、アレが本来正しい対応な気もするけどね」
・・・
少し不穏な空気を孕みつつ始まった大陸北部への遠征────大型船による船旅は存外快適なものだった。
通常であれば当作戦参加者は男女別に区分けされた大部屋をそれぞれ使用するらしいのだが、アルス達は監視対象故に特別に小部屋を与えられたのがその理由だ。
「っと!チッ、落ち着かねえな」
「あぁ、中々慣れないな……」
当然此方の方も男女で部屋が分かれており同部屋にいるのは自分とウォルフのみ……なのだが、現在二人は部屋全体を襲う波の揺れに大苦戦を強いられていた。
「あぁクソ、きもちわりー……」
「ははっ、普段魔法で滅茶苦茶な動きしてるお前でも船酔いはするんだな」
「動くのと動かされるのはちげーんだよ……!うっぷ」
ユラユラと言うよりはグラグラと不規則に揺れていて、小さな揺れが連続したかと思えば突然大きく揺れたりもする。その度に足を踏ん張らなければいけなくて、出航早々だというのに落ち着くことも出来やしない。
「ふぅ……少し収まったみてえだな」
「ん……?」
「あん?どうしたよ?アルス」
「何か騒がしいような……」
それでもなんとか、揺れ自体にある程度の規則性を見出し慣れ始めてきた────その時だった。
室外から微かに聞こえた騒めき……原因はアルスが耳を澄ましたことで明らかになる。
「敵襲────!!!魔獣だ!!ケルピーの群れが来たぞ!!」
刹那、勇者アルスは迷わず剣を手に相棒と共に部屋を出ていく。それは波乱と共に始まった、大陸北部奪還作戦における最初の戦いの幕開けだった。




