襲撃2
背後で鬨の声が上がる。
伊助は、大急ぎで馬を走らせた。懐剣を持った菊が、その隣に続く。
人間二人を乗せているだけあって、馬の足は少々遅い。馬を急かそうと、伊助が無理に手綱を引くので、初は振り落とされそうになった。
「小僧、無理に手綱を引くでない! 馬が暴れるであろうが!」
「でも、侍どもがすぐそこまで!」
背後から鳴り響いた轟音に、伊助は身を竦めた。足をもつれさせ、そのまま地面に倒れ込む。
爆音に驚いた馬をなだめようと、初は必死に手綱を操った。
「なんだ、今の音!?」
「あれは、焙烙玉じゃ! 新三郎様が、堀内勢にお使いなられたか!?」
大八が後ろで騒ぐので、馬が余計に暴れる。
見ると、堀内勢の馬もまた、焙烙玉の爆ぜる音に衝撃を受けていた。棹立ちになった馬が騎手を振り落とし、暴れまわる馬をなだめようと苦心している。
混乱している堀内勢へ、頼定たちは容赦なく矢を射ち込んだ。
十数人いた堀内勢が、瞬く間に隊伍を乱し、崩れていく。死者は出ていないようだが、肩や足に矢を受けた者たちが呻く様は、地獄絵図に他ならない。
わずかに残った者たちを追い散らそうと、馬で駆けていく頼定に、大八は喝采を送った。
「さすがは、新三郎様! 実に剛毅な戦振りよ!」
「新三郎兄上が、あんなに強かったなんて……」
普段は物静かで優しい頼定が、まるで別人のように見える。それに、あんな強力な焙烙玉を持ってきていたことも驚きだった。
「新三郎様は、今楠木と呼ばれる戦上手ですぞ! 常に一朝時あらばと、備えておられる! まさに、武士の鑑のごときお方ですじゃ!」
そんな異名があること自体、初耳である。
焙烙玉の爆発に驚き、矢で傷ついた堀内勢は、頼定の突撃に為す術もなかった。ばらばらと逃げ去っていく侍たちを、頼定は適当にあしらっている。
「すげぇ……」
馬上で躍動する頼定に、伊助は感嘆の声を漏らした。
暗く濁っていたはずの瞳を一心に見開き、頼定の姿を追っている。立ち上がることすら忘れ、頼定の一挙手一投足を見逃すまいとする眼差しは、年相応に幼く見えた。
「絵巻物みてぇだ……」
そういえば、ヒーローショーを見ているときの弟と妹も、こんな感じだった。
初の脳裏に、現代の記憶が浮かび上がる。
夏休みの遊園地。左右の手に一人ずつ掴まった、弟と妹の姿──
突然迫ってきた郷愁を振り払おうと、初は頭を振った。
「姫様、どうかなさいましたか?」
「いや……」
浮かれる大八たちと違い、油断なく周囲を見回していた菊は、初の異変にも、いち早く気付いた。
それが油断だった。
背後の茂みが揺れ、突然現れた男たちは、息つく間もなく矢を放った。
「のわっ!?」
「なっ、ちょっ!?」
突然、馬が後ろを足を振り上げた。
つんざくような嘶きを上げ、馬が激しく身をよじる。飛び跳ねるように走り出した馬の背に、初は必死になって、しがみ付いた。
「どうした!? いったい、なにがっ」
振り返った初は、馬の尻に突き立つ矢尻を見た。
弓を構えた男が、にやりと笑う。腰の刀を抜いた侍たちが数人、茂みから走り出した。
大八が、馬の背から振り落とされる。暴れ馬が大八を踏みつけないよう、初は懸命に手綱を扱いた。
「姫様、お逃げください! 堀内の伏兵です!」
菊が、茂みから現れた男たちと対峙している。
一人の侍が菊を牽制する横を抜け、二人の男たちが、初を目掛けて駆け寄った。
「くそっ……なんでこんなっ!」
不測の事態に毒づく。
初の馬術は、たしなみ程度だ。恐慌状態に陥った馬を落ち着けるなんて、高度な技術は持っていない。
馬は、何かに追い立てられるように走り出した。振り落とされないよう、懸命にしがみつくが、この身体の握力では限界がある。
握り締めていた手綱が、手のひらの中から滑り出す。
支えを失った初は、馬の尻に蹴られて飛び上がった。
(やばっ──)
とっさに身体を丸める。頭を両手で抱えたまま、初はくるくると宙を舞った。
衝撃が走るが、思ったほどではない。恐る恐る両目を開いた初は、空を見上げて安堵した。
どうやら、茂みの中に落ちたらしい。繁茂する藪が、クッションになっている。
擦りむいた手足を庇いつつ、初は藪の中から抜け出そうと足掻いた。着物に引っかかった小枝を外し、立ち上がろうとした瞬間。
ぬっ、と鼻先に刃を突き付けられ、初は動きを止めた。
「安宅家の姫だな」
低められた男の声。そろそろと顔を上げた初は、息を呑んだ。
顔中に髭を生やした男は、血走った目で初を睨んでいる。ここまで駆けてきたせいか、筋張った肩が荒い呼吸に合わせて、大きく上下していた。
「待て、兵庫! 女子に、手荒な真似をするのはっ……」
「甘いですぞ、若! このまま安宅家に舐められては、我が有馬家の名折れ! 武士としての対面に、傷がつきまするぞ!」
「しかしっ」
男の背後から、甲高い少年の声が響く。初は、男に注意を向けたまま、視線を動かした。
(あいつ、たしか有馬家の……)
有馬楠若は色白な頬を、真っ赤に上気させていた。男の行動に憤り、ひどく腹を立てているようだった。
「このように非道な真似をすれば、なおのこと我らの対面は失われる。ここは正々堂々と、あやつらに戦いを」
「ここで威信を示さねば、殿の御期待に背くことにもなりますぞ! それでも、よろしいかっ!?」
男の言葉に、楠若は押し黙った。
刀を握る手が、ぶるぶると震える。整った目元が、己の中の相反する感情に揺さぶられ、小刻みに脈動している。
伏兵の残りだろうか。さらに二人の男たちが、こちらへ駆け寄ってきた。
髭面の男は、初を見下ろし、にやりと口元に笑みを刻んだ。古傷の跡か、右の頬がぱっくりと割れて、黄ばんだ乱食い歯があらわになる。
男の異常な興奮ぶりに、今まで感じたことのない恐怖が、初の全身を駆け巡った。
藪の中を後退ろうとする初に、男は手を伸ばす。太く、いくつもの裂傷が刻まれた指先のおぞましさに、目尻から自然と涙があふれだした。
「さあ、早くこっちに──」
初に詰め寄ろうとした男の顔が仰け反った。
きょとんとする初の前で、男は顔を押さえてうずくまる。鼻を覆った右手の下から、ぼたぼたと鮮血が撒き散らされた。
「兵庫! いったい、なにがっ……」
楠若は、とっさに刀を払った。楠若の顔を目掛けて飛んできた石が、刃とぶつかり、小さな火花が飛び散った。
「今じゃ! 侍どもを追っ払え!」
背後の藪から、次々と石礫が飛ぶ。
鼻血を流していた男は、逃げる間もなく、石に滅多打ちにされた。全身を手のひら大の石に叩かれ、耳障りな悲鳴を上げる。
印地、石合戦と呼ばれる投石攻撃は、この時代、非常にポピュラーなものだった。合戦に限らず、喧嘩や祭りの神事として行われることも多い。京都では、印地を専門に行う集団まで存在し、祇園祭では大量の死傷者が出るのが常だった。
後から駆け付けてきた侍たちも、石礫に阻まれて動けない。素早く藪の陰に隠れた楠若は、投石の激しさに顔を上げられずにいた。
「くそっ……何者だ貴様ら!? わしを有馬家の当主と知っての狼藉か!?」
「お前なんか知らん」
思ったよりも近くから返された言葉に、楠若は仰天する。
ぎょろりとした目に蓬髪の少年は、手にした木の棒で、楠若の頭を殴りつけた。後頭部から受けた一撃に、楠若は為す術もなく昏倒した。
「ずらかるぞ! お前ら、そっちの男からぶん捕れ!」
藪から、ぞろぞろと現れた子供たちが、倒れた髭面の男に殺到する。財布から刀、衣服に至るまでを、瞬く間に引き剥がしていった。
(あいつ、たしか湊で……)
郎党に指示を飛ばす少年は、湊で荷を盗んでいた子供たちの一人だ。たしか伊助が、夜叉丸と呼んでいたはず。
褌まで奪われた男を放り捨て、子供たちは藪の中に逃げ込んでいく。
あまりの手際に呆然としていた初を、夜叉丸の目玉が捉えた。
「岩太、そいつを担げ!」
「う、うん!」
どういう意味かと思った時には遅かった。
「おい、ちょっと!」
「あ、暴れたら危ないから」
一際身体の大きな男が、初の身体を持ち上げる。抵抗する初を、男は苦も無く肩に担いだ。
「姫様っ!」
菊が、向こうから駆けてくる。手には一振りの刀。対峙していた男から奪い取ったのか、怪我をしている様子はない。
菊は、大男に担がれた初を見て、切れ長の目を尖らせた。
「貴様ら、姫様に何をっ!」
駆け寄ろうとする菊に、印地が行われる。石礫の中を、そのまま走り抜けようとする菊に、初は両手を振り回した。
「やめろ、菊! 当たったら怪我じゃすまんぞ!」
聞こえていないのか、聞く耳がないのか、菊に止まる気配はない。猛然と駆けてくる菊の狂態に、初は頭を掻きむしった。
「ああ、もうっ! どうしてこう、あいつは融通が利かないのか!」
初は、覚悟を決めた。その場でまごついている大男を見やり、その尻を平手で叩いた。
「ほれ、早く走らんか!」
「で、でも、あの人が迎えに」
「このままじゃ、菊に石が当たる! そうなる前に、さっさと逃げんかっ!」
初にどやしつけられ、大男は転げるように走り出す。
子供たちの姿が藪に消え、初を担いだ大男も、その後を追う。
素っ裸に剥かれた男を踏みつけ、菊は藪の中に飛び込んだ。左右を見回すが、すでに子供たちの姿はどこにもない。
「姫様っ! 初姫様ァーっ!」
応える者のない藪に、菊の悲鳴が響き渡った。
次回の更新は、7月4日です。
面白い! 続きが読みたいと思ったら、ブックマークとポイント評価お願いします!





