第3話 彼女にはおかしな常識があるらしい。
平日の朝は憂鬱だ。
行きたくもない学校に行かなければいけないのが面倒だからだ。明確にこれが嫌だというものはないが、興味のない人間に囲まれて、興味のない授業を聞くことは酷く退屈に感じる。
渋々家を出る準備を進める。
鏡の前に立ち、歯磨きをする前に頬をつねる。
痛い。
昨日起こったことに思いを馳せる。まるでアニメの世界の出来事のようだった。
嫌いな女子が話しかけてきて、いきなり奴隷にならせてくれ、だなんて。物語だとしても趣味が悪すぎるけれど。
思い返してみても何が起こったかよく分からない。
眠い頭をなんとか回転させて家を出る。
「おはようございます。桜庭さん」
急に後ろから声を掛けられる。
「は?」
思わず間抜けな声が出る。
あまりの驚きに眠気が吹き飛んでしまう。
僕の家に朝っぱらから待ち伏せをして、急に声を掛けてくるなんて奇行をする奴なんて一人しかいない——当然佐伯光がそこにはいた。
あいも変わらずやたら長い黒い髪に、野暮ったいメガネを携えていた。
「何で僕の家の目の前にいるわけ?」
「奴隷としてご主人様の傍にいるのは当然ですから」
さも当たり前のようにそんなことを言われる。
一体どんな教育を受けたらこうなるんだ。親の顔を見てみたい。
こんなイカれた人間になった理由を知るにはこいつの過去を知るのが一番なような気がする。
「僕の知らない常識を押し付けるのはやめてくれ。悪いけど、君と一緒のいるところを学校の奴らに見られたくないから僕の5分後くらいから来てくれる?」
過去を知りたい気持ちもあるけれど、それ以上に佐伯と一緒にいたくない気持ちが勝った。
もしかしたら、学校にいる誰かが何か知っている可能性もあるし、別にわざわざ本人に聞く意味もない。
それに学校の奴らにこいつとつるんでいるのがバレて、僕まで変に目立ってしまうのは避けたい。
「あはは。もちろんです。桜庭さんの言うとおりにしますよ」
普通の人間ならからり傷つくはずだけど、やっぱりこいつは何も気にしていない様子だった。
それどころか笑っていてとても嬉しそうにしている。
「意外と素直なんだね」
「もちろん。貴方の命令は絶対ですよ」
一呼吸置いて佐伯はまた口を開く。
「それとも、命令を聞かなかったら桜庭さんはもっと私のことを嫌ってくれますか?」
返答に詰まる。
それはもちろん僕の思いどおりにならなかったら嫌いになるに決まってる。
ただ、それを素直に肯定するとこいつの異常な行動を助長するような気がするからだ。
「どうだろう。もしかしたら好きになってしまうかもね」
「それなら命令は聞かなくてはいけないですね」
本心で言っているのか、つい訝しんで彼女の様子を伺っているとそんな僕の様子に気付いたようだった。
「冗談ですから安心してくださいよ」
「変なことしでかしたら、その時は君と二度と話すこともないから」
「それも魅力的ですが、桜庭さんにはもっと私のことを知ってもらいたいですから」
自分のことを知ってほしいだなんて、まるで告白にでも繋がりそうなセリフだ。
「その上でもっともっと私のことを嫌ってほしいです」
前言撤回。
当然こいつはそういうやつだ。
「僕はもう既に君のことは十分嫌いだから安心したらいいよ」
そう言い残して学校へと向かう。
僕の言いつけどおり佐伯は後ろで待っている。
律儀に僕が学校に着いた五分後くらいに彼女も到着したようだった。




