エマ 日本の高校生にインタビューをする
進路指導室に入ろうとしたところで、田中が思い出したように手を打った。
「ああ、そうだ。今から教室へ一緒に行きましょうか。インタビュー相手もご自分で選んだ方が納得いくでしょうしね」
そのまま田中に連れられて三年生の教室へ足を踏み入れると、一斉に好奇の視線が注がれた。田中は壇上に立ち、パンパンと手を叩く。
「はい、静かにー。今日は遠くスウェーデンから、わざわざ大学生の方が調査にいらした。指名された者は面談に応じるように」
生徒たちは緊張する様子もなく、「はーい」「すごーい、金髪だー」「背が高ーい」と声を上げた。
何よその呑気な返事……舐められているの? 私は今からあなたたちの遅れた価値観を根底からひっくり返しに来たのよ? 私がまだ学生だからって甘く見ているのかしら……
腹の底からフツフツと不快感が湧き上がる。どいつもこいつも、細い目をした黄色いサ……おっと、私としたことが。ふふ。ここで自制できるのが人権先進国のスウェーデン人たる所以ね。
私は気を取り直し、何人かの男子、女子、そして最後にあの「例の妊婦」の少女を指名した。彼らを順に進路指導室へ呼ぶことにして、私はパイプ椅子に背筋を伸ばして腰掛け、ノートを開いた。
……とはいえ、よく考えたらまともな取材なんてしたことがなかったわ。何から聞けばいいのかしら。
一人目として入ってきたのは、茜という小柄な女の子だった。愛想よく頭を下げて向かいの椅子に座る彼女に、私は意を決して最初の質問を投げかけた。
「……あなたの夢は、何かしら?」
…しまった……! 私としたことがなんてありきたりで退屈な質問をしてしまったの……!
内心で頭を抱えた私に対し、茜はパーッと顔を輝かせて答えた。
「私の夢は、悠真と結婚して、たくさんの子どもに囲まれることです! あ、悠真っていうのは、さっきエマさんが選んだ男子の一人で……昔は頼りなかったんですけど、最近は身体もガッチリしてきてて。それで──」
「待ちなさい! 待ちなさい!」
私は慌てて手をかざして遮った。誰がそんな恋バナを聞きたがったというの。ガッチリって何よ、異性の身体評価!? まったく不潔だわ。やっぱり野蛮な蛮族の時代の思考から抜け出せていないのね。
「私が聞いているのはそんな個人的なことじゃないの! あなたの『キャリアプラン』よ!」
「キャリアプラン……?」
茜はポカンと口を開け、首をかしげた。
「あの、地元の食品加工工場に内定はもらってますけど……えっと、将来的にラインの班長になりたいかってことですか? うーん、ちょっと考えたことないですね」
「違うわよ! そういう現場の労働のことじゃなくて!」
私は乗り出すように机に身を乗り出した。
「ビシッとスーツを着て、綺麗な高層ビルのオフィスで、パソコン一つでクリエイティブな企画を立てるような仕事よ! 高度な知性と専門知識で、指先一つで何千人もの人を動かしたいとは思わないの!?」
茜は丸い目をパチパチさせ、心底不思議そうに──まるで「大昔のおとぎ話」でも聞かされたかのような顔で私を見つめた。
「……? エマさん、そんな仕事、今の時代、どこにもないですよ?」
「……え?」
「え?」
思考がフリーズした。
頭の上に巨大な「?」が浮かんだまま、私の記念すべき一人目のインタビューは終了した。
「じゃ、次の生徒を呼んできますね」
田中が億劫そうに立ち上がろうとしたのを、私はとっさに制した。
「……待ちなさい」
「はい?」
「さっきの茜って子……まるで、オフィスワーカーという存在そのものを、この世に存在しないおとぎ話みたいに話していたけれど……どういうことなの?」
私の問いに、田中はフッと自嘲気味な笑みを浮かべ、再び古いパイプ椅子に深く腰をかけ直した。
「AIですよ」
田中は簡潔に言った。まるで今日の天気を話すかのような、静かな声だった。
「この国では、かつて『ホワイトカラー』と呼ばれていたオフィスワーカーのほぼすべてが、すでにAIに代替されています。今、人間に残された主要な役割は、AIには不可能な現場の肉体労働──農業、建設、物流、そして製造業です」
「……AI? AIがオフィスワーカーを駆逐したっていうの……!? そんなバカなこと、起こるわけがないでしょう! 人間の高度な知性やクリエイティビティを何だと思っているの!?」
机を叩いて立ち上がった私に対し、田中は眉ひとつ動かさずに続けた。
「もちろん、都市部にはまだオフィスに齧り付いている人間も多少はいますよ。ですがAIがバージョンアップを重ねる限り、どんな優秀な人であれ、いつかはその市場価値が失われるんです。そんな恐怖に日々怯え、精神をすり減らしている親世代が、自分の子どもに『オフィス街で働け』なんて勧めるわけがないでしょう」
頭を強く殴られたような衝撃だった。
「……信じられない! 欧州では人々はAIの侵食に激しく抵抗し、人間の誇りと労働権を守るために戦っているわ! なのにこの国の人々は、AIに仕事を奪われ、家畜のように支配されているというの……!?」
「支配されている、という感覚は誰にもないと思いますよ」
田中は窓の外──遠くに見える工場の煙突や、グラウンドで元気に声を掛け合う生徒たちの姿に目を向けた。
「……ドラえもん、でしょうかね」
「……は? ドラ……何ですって?」
「日本の国民性ですよ。この国の人々は昔から、喋る高性能ロボットを『敵』ではなく『頼れる相棒』として受け入れてきた。AIに任せられる知的労働は任せきって、人間は土を耕し、汗を流し、泥臭く生きる。知識競争で何者かになろうとする無理な背伸びをやめたんです」
田中は静かに私を見つめ返した。その瞳には、かつてどこかでホワイトカラーとして働いていたであろう知性と、敗北を受け入れた者特有の深い穏やかさが宿っていた。
「AIへの国民的な親和性と、それに伴うホワイトカラーの崩壊……つまり、『女性がキャリアで自己実現』という概念そのものが社会から消失した…?」
私は呆然と呟き、その場に崩れ落ちるように腰掛けた。
……それなの……? それが、この国で出生率が2.54まで急回復した『秘密』なの……?
知性の敗北。都市の敗北。
だがその代わりに、この国が手に入れたのは──圧倒的な「生のエネルギー」だった。
私の頭の中で、これまで頑なに組み立ててきた「正義の論理」が、音を立てて崩れ始めていた。
キャリアでの自己実現という道が絶たれると、人は子どもを産むようになる……?
頭では理屈を理解しかけていても、私の北欧的倫理観がそれを認めるのを断固として拒んでいた。
「じゃあ、次どうぞー」
田中の呼びかけで入ってきたのは、悠真という男子生徒だった。さっきの茜という女の子が婚約者だといっていた彼。
……確かに、ガッチリして男らしいというか……いやいや! 私ったら何を野蛮ではしたない観察をしているの! ルッキズム厳禁! 北欧の人権意識に反するわ!
私が思考停止して固まっているのを見かねて、田中が助け船を出した。
「悠真は、卒業したら地域プログラムの研修を受けて、来年からは本格的に農家として独立するんだよな?」
「はい。来年には近くの休耕地を借りて、茜と二人で食っていける分は初年度から十分確保できる見込みです」
そう……農家。
私は思わず、気づいた時には言葉を口走っていた。
「……あなた、それで本当に『家族を養える』の?」
ハッとして自分の口を塞いだ。背中に嫌な汗が吹き出す。
私としたことが……! 『男が女を養う』なんて、なんて前時代的で性差別的な価値観なの!? スウェーデンの友人に知られたら即座にSNSで告発されて炎上、研究者生命が絶たれるレベルの失言だわ!
しかし、悠真は不快感を示すどころか、堂々と胸を張って答えた。
「もちろんです。茜と子どもたちを苦労させるつもりはありません」
「っ……せ、せめて! 大学くらいは出なさいよ!」
私は自分の失言を打ち消すように、思わず声を荒げた。
「農業だって高度な知識や技術が必要でしょう!? 経営や最先端のバイオテクノロジー、土壌の科学……そういうものを高等教育機関で学ばずに、どうやってこれからの時代を生きていくっていうの!?」
何をそんなに興奮しているのか、自分でも分からなかった。だが、彼らが大学を拒否し、18歳で人生を固めていく姿が、私の信じてきた「教育とキャリア」の価値を根底から否定しているように思えてならなかったのだ。
悠真は怒る風でもなく、静かで澄んだ瞳で私を見つめ返し、口を開いた。
「……大学、ですか?」
「そうよ!」
「AIが、必要な知識も、実践的な学び方も全部リアルタイムで教えてくれますよ? 土壌データの解析も、新しい栽培技術の研究だって。現場で壁にぶつかった時に、AIと一緒に学びながら実践を重ねる方が遥かに早いです。……高額な学費と4年間を払ってまで、人に教わる意味って、何でしょうか?」
「それは……」
言葉が詰まった。ぐうの音も出ないとはこのことだった。
田中が、私の横で静かに解説を加える。
「これもまた、早婚化が進んだ大きな理由のひとつですよ、エマさん。ホワイトカラーが崩壊したことで、その『入場券』でしかなかった文系大学の価値は暴落しました。さらに、高度な研究すらAIのサポートで個人が現場で実践できるようになったことで、理系大学へ進む若者すら激減したんです」
田中は古いデスクの端をトントンと指で叩いた。
「かつてこの国で起きていた、そして今も世界中で続いている少子化の最大の要因は、社会の高学歴化に伴う『晩婚化・晩産化』でした。人口維持ラインを超えるために3人4人産んでもらうには初産は20代前半でなければ難しい。その大切な時期を、大学やらキャリア形成やらでいたずらに費やしていた。その巨大な『枷』が、この国からは完全に消え去ったんですよ」
その理屈は、私を完全に沈黙させるのに十分すぎるほどの破壊力を持っていた。
悠真の後に何人かの生徒の面談を挟み、最後に入ってきたのは例の妊婦の少女だった。
大きなお腹を大切そうにさする姿に、私は痛ましさを隠せずに言った。
「こんな……まだ高校生だというのに……?」
しかし、遥という名前のその子は、拍子抜けするほどあっけらかんと笑った。
「……? なんですか? 産前産後の二、三ヶ月はオンラインで授業を受けますけど、卒業式までにはちゃんと対面授業に復帰できますよ!」
「復帰って……赤ちゃんはどうするのよ!? 孤立してワンオペ育児で精神を病むに決まってるわ!」
「授業の間は、一緒に住んでるお義母さんやおばあちゃんたちが見てくれます!」
「あ……」
そっか。大家族……地域コミュニティの復権か。
頭の中でカチリとパズルのピースがハマった。
若い夫婦が早婚・多産を選べる理由。さっきの茜、悠真の自信の表情。徹底的な個人主義が進んだ欧州と違い、この街では若い夫婦が孤立しない。親世代・祖父母世代と同居することで、家賃や光熱費の負担は極限まで抑えられ、育児の負担も自然に分散される。
……はっ!?
私は自分の思考に気づき、慌てて頭を振り乱した。
なに周りに流されそうになっているのよ私……! この国のシステムを『なるほど、よくできている』なんて感心してどうするの!?
ダメよ、だめだめ! こんな前時代的な人権後進国に感化されるなんて!
「そ、そうだ! 18歳なんて一番楽しい時期に妊娠しちゃって……本当はもっと遊びたかったんじゃないの!?」
必死で攻めどころを探す私に、遥はキョトンとした顔を向けた。
「……遊ぶ、ですか? カラオケやショッピングなら、別に妊娠してても産んでからでも行けますよ? お義母さんたちも『たまには息抜きに預けて行ってきなさい』って言ってくれますし……」
「そういう身近なことじゃなくて! 私のおばあちゃんから聞いたわ! 昔の日本人女性は、海外旅行に行くのが大好きで、欧州に強い憧れを抱いていたって!」
「海外……? 憧れ……?」
遥はまるで「月への移住」でも提案されたかのように、ぽかんと口を開けた。
その時、横から田中が重い溜め息をついた。
「生徒の前で言うべきか迷うところですが……まあ、遥くんももうすぐ親になる『大人』だ。教えましょう」
田中は気まずそうに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「エマさん。かつては確かに、メディアの喧伝もあって日本の女性たちの誰もが海外への憧れを口にしていた時代がありました。ですが……二、三十年ほど前、日本人女性による海外への『売春目的』の入国ケースが激増したんです。結果、欧米諸国で日本人女性の入国拒否や強制送還、拘束事件が多発し……海外渡航という文化そのものが完全に冷め破綻しました」
「な……」
「もうひとつ」
田中の声が一層低くなった。
「同じ時期、日本人女性に対する激しい国際的大バッシングがありました。国境を越えて子どもを無断で連れ去る実子誘拐事件が多発し、それが日本では当たり前の『母親の権利』とされていたのです。ハーグ協定違反として厳しい制裁問題にまで発展し……それ以降、その黒歴史を隠す様にメディアから『海外への憧れ』を煽る露出は消え去り、国民自体が外の世界への関心を失っていったんです。今の若者にとって、欧州は憧れの地でも何でもありません」
……実子誘拐。
──その瞬間、私の頭の中で、雷が落ちたような衝撃が走った。
そういえば……。
私はなぜか、父からも祖母からも、一度だって「祖父」の話を聞かされたことがなかった。
なぜ、私の姓はスウェーデン人の祖父の姓ではなく、日本人の祖母の姓──「ヤマダ」なのだろう。
……そういう、こと……?
祖母は、昔の日本で「海外」に憧れ、現地で家庭を壊し、幼い父を日本に連れ去った……そして結局、日本でも居心地が悪く、またスウェーデンに渡った……そんな人生だったのだろうか。
強いめまいがした。
祖母のような、虚飾のキャリアと海外への憧れに狂った昔の日本人。
そして今、目の前にいる遥や茜のように、地元の土と家族に愚直に生きる新しい日本人。
本人たち視点では大きな違いは無いのかもしれない。でも私たち欧州人の視点から見れば……彼女たちはもう、完全に別の民族へと変化を遂げていた。




