第8話 宇宙の歪
瓶底風景が気になり始めた。
最初に見た時から変化しているようなのだ。
何気なくミーヤに言うと皆大雑把で自分たちの棲む世界がどうなっているか関心がないという。
全体の地図も無く、人跡未踏の場所が多く、水平線が湾曲しているあたりに行った話は聞かないそうだ。
当然世界の安定性に誰も疑問を持っていない。
そんなおれたちの話題をミーヤはフリアーナに言ったそうで、おれは呼ばれてフリアーナに言った。
「三次元の空間の形というものは八種類以下の基本的な幾何構造に分解できるそうです。現世界では観測を始めていますが結論はまだ出ていないようです。おそらく単純な形状であると予想されています。だから多少の衝撃では壊れないと思われます。この世界にある瓶底風景と似たものは現世界にも存在してブラックホールと呼ばれていますが宇宙全体に比べて相対的に小さくて限局されたものばかりです。しかしここの瓶底風景は大きすぎて宇宙の構造的不安定を反映している気がします。それはいつかこの世界の大崩壊を起こすかもしれません」
フリアーナはいつもどおりポワンとしていた。
傍にいたマリサは眼を大きく開けた。
その数日後フリアーナはおれに調査を命じた。
「サティオス伯爵はインテルメディオの空間構造を調査・分析して報告せよ」
さらっと言われておれは内心慌てた。
自分一人で宇宙の形を決定することは不可能だ。
現世界では人工衛星を打ち上げて宇宙マイクロ波背景放射(CMB)を高精度で観測する。
その分布を詳細に調べ、繰り返しの有無や三角形の内角の和から空間の曲率を判定する、などして調べる。
ここでおれに同じようなことは出来ない。
しかもここがビッグバンで始まったのでなければCMBも存在しない。
手掛かりは無さそう。
だが運よくミーヤ邸の隠し部屋でおれは古い図面群を見つけていた。
それは中間界という宇宙を外から見たスケッチだった。
他の宇宙との交流があった昔は展望台のように道の途中に中間界の外観が見える場所があったらしい。
定期的に他宇宙に行っていたようで、図面は時間をあけて何枚か作られている。
ミーヤの先祖は何のために作ったか知らないが、これにより宇宙の形の時間的変化が判る。
それで不気味なことが判った。
中間界の崩壊時期はまさに今来ている感じがするのだ。
僅かな刺激で宇宙の収縮崩壊が始まる恐れがある。
これに加えて地上の実地調査を行う。
おれは二人の助手を貰い測量チームを作った。
地形の測量の他に水平線の歪み、巨大三角形の内角の和、重力方向なども計測した。
天体の運動も気になって観測したかったが基本的な道具が全然なかった。
隣国での調査は正式に申し込んだにもかかわらず拒否された。
公国内はマリサが支援してくれた。
彼女はおれと二人だけで仕事をすることが嬉しいようだった。
話をすれば理解力があっていろいろ思考できる。
見かけのような謹厳すぎるつまらない女ではなかった。
お茶を入れてくれるタイミングもよい。
あるとき座って休んでいると
「少しだけ……許してね」
とマリサが甘えるように遠慮がちにおれに寄り掛かって肩に頭をそっと乗せた。
見ると涙が流れていた。
なんと可愛いいことか。
だがマリサはそれ以上のことはしなかった。
ミーヤもおれを〝お兄様〟などと呼んで心の疼きを隠していた。
マリサもおれも密かにミーヤの気持ちを気にして自制していた。
何しろ世界を相手に歩き回るのだから精度は高くない。
途中で興味を持っていた瓶底風景のあたりに入ってみた。
はっきり境目があるわけでもなかった。
その中で見る風景は全く普通だが、おれたちが住んでいる元の方を見ると逆の瓶底に見えていた。
ここは地球より遥かに三次元形状が複雑かもしれない。
だとすれば地球と同じやり方(球面を平面に投影するナントカ図法)で地図作成はできない。
そこで考えられるのは、対象の表面を平面に投影できる程度の小領域に分割して多数の小地図を作り、その境界近辺を隣接図と重複させて作り、重複している部分は滑らかな関数で対応が付くようにする、として対象の形状を定義する方法だ。
その関数形は二変数高次多項式で近似できるだろう。
その係数は適切に選ばれた基準点を計測して最小二乗法で決定できる。
ドーナツのように穴があっても滑らかな空間はこれですべて表現できる。
およそ半年後、測量が終わった。
到達できない一部を除いて地図ができた。
空間形状は恐れていたほど複雑ではなかったが歪みは大きかった。
瓶底風景のあたりから宇宙に接続しているようだ。
ミーヤの家で見つかった古い中間界宇宙の外観と今回作った地図を対応付けて時間的変化と変形の様子を推測した。
物理的測定値も合わせて検討すると首都近くの大河に沿って巨大断層が見えてきた。
断層は途中で川から離れ、平原を通過し瓶底風景の中に到達していた。
この断層によって地震が起これば瓶底風景を通して宇宙を揺さぶると考えられる。
小さな世界で異変が切迫しているとき大勢の人が一斉に移動するくらいでも断層のずれ、すなわち地震の引鉄になるかもしれない。
以上は憶測に過ぎないが。
これらをフリアーナに報告した。すると
「地震って何よ?」
おれは憶えている限りを説明した。
地震と宇宙の崩壊が同時にくる可能性もあるだろうといった。
「崩壊を逃れる手はないの?」
「現世界でもそれは不可能です。これまで穏やかで変化が無いといっても何かのきっかけで突然崩落するかもしれません。白い母から聞いたところによればここと現世界の間には細いが丈夫なチャンネルがある。入り口はトンネルのように見えて、崩壊してしまう前にそこに入れば現世界に転生できるそうです」
「転生って、何?」
「人が宇宙間を移動する場合のひとつのやり方だそうですが、シャボン玉時空とかいうものに乗れば一人だけ安全に別の宇宙に行けると聞いたこともありますが」
「あら、統治者が自分だけ安全に逃げてはだめよ」
おや、こんなことを言うとは見かけによらずしっかりしている。
フリアーナに頼んでアルコ家の古い伝承書物を見せてもらった。
彼女はこういうことにあまり興味がないようだった。
書き込みを見て分かった。
大部分は、元はミーヤの家にあったものだ。
この神話伝承と白い母から聞いた話から大昔に物理的に何が起こっていたかを想像してみた。
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現世界が中世から大航海時代に入る直前、遥か遠く母宇宙に起源するブラックホールに似た天体が地球を掠めた。
ブラックホールは高速で大西洋を通過し、今は存在しない大陸を削りとって地球を離れ、さらに現世界を飛び出し母宇宙の中を減速しつつ飛んでいった。
古いニルマーナラティのある宇宙まできたときブラックホールは小さな天体の重力にひっかかった。
その動きで空間がねじれて複雑になったがやがて重力に捕獲されて安定した。
ブラックホールに引っぱられて飛んできた大陸と元のニルマーナラティは一体化して中間界となった。
やがて落ち着き、中間界は穏やかで温暖になり浅い海や島、大きな陸地と大草原も出来た。
連れてこられた大陸の人々と元々のニルマーナラティの人々は混在し、やがて全員混血した。
体は元からいた人口の多いニルマーナラティの形質に統一され、文化・言葉は後から来た現世界の大陸の優れたものになった。
それで地球の中世までの知識、文化が引き継がれた。
古いニルマーナラティの文化・言語は吸収されてあまり残らなかった。
大陸が削り取られた場所は南欧に近かったので料理も似ていておれの言葉も通じたのだし、イシドロがゴート人の子孫などと言ったわけだ。
いつまでも安定な宇宙である保証は無い。
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フリアーナは冗談のようにマリサは現世界の血が濃いと言った。
ミーヤの知らない別の方法、混血児を作る方法はやっぱりあるのだ。
局部を除けば基本的に我々と共通性の高い体なのは、ニルマーナラティの先住民もさらに以前に同じように黒い嵐によって地球から連れて来られた人々だったからかもしれない。
かつてミーヤがおれに体を見せたとき性的に興奮したようだ。
あのとき中止しなかったらミーヤの体にやがて変化が起こり、女性器が体内から出てきてそこからめくるめくような……
瓶底風景の原因はそのブラックホールだと思われる。
するとそのあたりに母宇宙を経由してブラックホールが通って出来た細い道があって現世界とチャンネルが繋がっているだろう。
しかも高次元のブラックホールだ。
ものすごく蒸発が速くて消えやすく、また潮汐力は強くないので人が入っても体が引き裂かれることは無い。
今現在蒸発力と重力がバランスして穏やかになって宇宙を支えていて、未開地の藪の中にあっても誰も気づかないのだろう。
中間界が崩壊しはじめるとき、このチャンネルを伝って現世界に逃げられるかもしれない。
白い母の言葉によると、おれには双子の妹がいた。
それがフリアーナだとすると、時間の流れ方が同じではない別の宇宙に長くいたので年齢がずれてきたのかもしれない。
彼女はある年まで白い母に育てられたのでおれのことを聞いた可能性が有る。
いつか異界からやってくるおれに逢う、なんて白い母に予言されたかもしれない。
最初の会見でおれが白い母などと怪しいことを言ったときそれを思い出したのだろう。
そうでなければ初対面のあのときおれを信用し、破格の待遇を与えるはずがない。
彼女が臍を見せたあのとき、おれが逃げなければもっといろいろな話を聴けたかもしれない。
胎内で双子だったとしてもフリアーナとおれの今の年齢差は三歳くらいの感じだ。
時間はそれぞれの宇宙で無関係に進んでいるからだろう。
インテルメディオ側の〝現在〟と繋がる地球側はいつの時代だろうか。
チャンネルが出来てから何百年も経っている。
全くの憶測だが、おれとフリアーナの年齢差を時間の進み方の違いと考えると今の地球側の出口はおれのいたときの数十年前かもしれない。




